++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

5月 29日(日) 岐阜コミュ二ティ創造大学 開校記念講演
5月 28日(土) プレゼン・会議・報告会
5月 27日(金) 可児市セクハラ裁判 第5回口頭弁論記述
5月 26日(木) 六月定例議会 初日は31分で終了
5月 25日(水) 通算29回目の一般質問通告
5月 23日(月) 夏休み地域児童クラブモデル事業検討会
5月 22日(日) 復興支援ボランティアバス
5月 21日(土) 第17回若葉台よもやま大学終了
5月 19日(木) 明日から東北へ
5月 18日(水) 県庁記者クラブ
2011年 5月
 日 月 火 水 木 金 土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - - -

 

 2011年5月12日(木)
 板津忠正さんに会いに行く
 5月22日(日)午後1時30分から、若葉台集会所(可児市若葉台3-21)で予定している第17回若葉台よもやま大学 戦争体験者の証言『特攻の真実と平和』の講師、板津忠正さんのご自宅を訪問した。 
 
 当日の打合せが目的だ。同じ若葉台で一緒に若葉台よもやま大学を運営している亀谷光市議も一緒に行った。亀谷市議は、こういった歴史や文化、地元帷子(かたびら)のことにはめっぽう詳しい。 
 
 板津忠正さんのご自宅は、お隣りの市、愛知県犬山市である。ご年齢は86歳ということだが、少々耳が遠い以外はまったく年齢を感じさせない方だ。今日も午前中は3時間、テニスをして来たという。なんでも東海地方の80歳以上のタイトルを持っているそうだ。 
 
 奥様もお元気だ。なんと今日がダイヤモンド婚式、つまり結婚してから、ちょうど60年目だという。 
 
 お話を聞くほどに、板津さんがいかにすごい方かわかってきた。私はまだ行ったことはないのだが、板津さんは鹿児島県南九州市にある、知覧特攻平和会館の初代館長である。 
 
 この平和記念会館には、1036柱の隊員の遺影が出撃戦死した月日順に掲示されている。その遺影や遺品などのほとんどは板津さんが全国を回って集めてきたものだ。昭和48年頃から、特攻隊員遺族を回りはじめ多いときは3年間に10万kmも車で回ったという。 
 
知覧平和記念会館↓ 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A6%A7%E7%89%B9%E6%94%BB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%BC%9A%E9%A4%A8 
 
 一言で遺族を回るというが、それは湿舌に尽くしがたい苦労の連続であったと思う。そもそも名簿なるものがないのだ。進駐軍らの追及を恐れ、多くの特攻隊員は出身地を隠していた。 
 
 まず、手紙でご遺族の方に打診する(遺書や遺影の提供)するのだが、ほとんどが宛先不明で帰って来たという。はがきにびっしりと依頼の文章を書いた宛先不明の郵便を300通以上見せてもらった。 
 

 可児市では唯一、東帷子(古瀬)の柳生諭さん(少尉・写真)が知覧特攻平和会館に遺影が展示されている。昭和20年4月12日、沖縄戦で戦死された。大正11年生まれということなので、享年24歳ということになる。 
 
 ※柳生諭さんの写真に少尉と記されていたのですが、特攻による戦死で二 階級特進となり、大卒である柳生さんは大尉となれています。  
 亀谷さんによると現在の芝浦工業大学を卒業されているらしい。当時の特攻隊員でも学卒者は少なく、相当優秀な方だったと思う。柳生諭さんの書かれた遺書があるのだが、達筆で候文で書かれている。多くの遺書が平和会館にも展示されているが、候文で書かれているのは柳生さんだけだそうだ。 
 
 もし、ご遺族の方の了解が得られたら22日の講演会当日に、この柳生諭さんの直筆の遺書を展示させてもらうよう、交流のある亀谷光市議からお願いしてみることになった。 
 
 もうひとつ貴重な物を見せていただいた。(写真)飛行帽とゴーグル、飛行時計、そして当時の知覧町立高等女学校の方が作られた「必勝」のはちまきだ。(5月22日の講演会にて公開予定) 
 

 飛行帽は、パイロットの証でもあり、持っているだけでGHQなどから追及されるという噂で、多くの飛行機乗りは処分してしまったらしい。飛行時計はずっしりと重く、歴史の重みを感じる。 
 
 「必勝」のはちまきは、選挙などでおなじみだが、まさしくこのはちまきをして死地へ赴いた若者たちを想うと、選挙などで使う必勝はちまきが空しくなる。 
 
 日の丸は紅い生地を縫い付けてある。端のほうにつくった女学生の名前が記されている。ただ、知覧高女による特攻隊員の応援は、恋愛に発展する可能性があるということで、数ヶ月で取り止めになったという。 
 
 板津さんによると、特攻隊は片道のガソリンだけで飛んで行ったという話があるが、それは嘘だという。ガソリンは満タンで出撃していた。このほうが敵艦に命中したときのダメージも大きいのだ。 
 
 また、すべての特攻隊員は強制されて隊員になったのではなく、志願して特攻任務についたのだという。板津さんは、2007年5月に封切られた東京都知事、石原慎太郎氏総指揮・脚本の映画『俺は、君のためにこそ死にに行く』の監修も務められ、まさに歴史的生き証人として活躍されている。 
 
 
俺は、君のためにこそ死にに行くHP↓ 
http://www.tsutaya.co.jp/cinema/sp/chiran1945/index.html  
 
 私も今まで知らなかったのだが、有名な神風特攻隊は海軍であり、板津さんの所属は陸軍であった。陸軍では振武隊などと呼ばれていたようだ。ウィキぺディアによれば、旧日本軍の特攻による戦死者は1万4千人にも及ぶようだが、そのほとんどの記録は闇の中だ。 
 
 陸軍に板津忠正さんがいたおかげで、知覧平和記念会館ができ、私たちは特攻の事実を目の当たりに見る事ができる。特攻の事実を歴史的にどう捉えるかは、とても難しい。 
 
 ひとつ間違えば戦争賛美ともなる。私は決して右翼的な人間とは思わないが、やはり日本人として特攻の事実があったことは知っておく必要があるし、真摯に受け止めるべきだと思う。その上で、今日の平和、これからの日本と世界の繁栄を考えるべきだと思う。 
 
 板津忠正さんは、かけがえのないお仕事をされた方だ。22日は、自治会の集会所とはいえ100名以上は優に入る。駐車スペースもけっこうある。名鉄広見線西可児駅からは歩いて12分ほどだ。 
 
 若葉台の地域の方はもちろん、戦争を知らない層、中学生や高校生なども含め教育関係者などにもぜひ、来てほしい。岐阜県内での板津忠正さんの講演は平成7年の可児市教育委員会主催の可児市福祉センターでの講演以来16年ぶりである。(開催協力金 300円必要:ティーサービス付・問合せ⇒090-1821-4777山根一男まで) 
 
 


  さらっと目を通しました。文章は読みやすく内容もGOODです。1つだけ大変な間違いあり。柳生諭さんは大卒で少尉ではない。大尉です。なお板津忠正さんを知ったいきさつも書くべきでは。また写真などを載せる場合は
本人または所有者の了解をとる事が鉄則です。以上思いついたままに。
サンデー 大谷 ..5/20 4:00(金)

   サンデー大谷さんご指摘ありがとうございます。ご指摘にしたがって注釈を加えました。大尉と書くべきでした。板津さんとの出会いについては、実は4月12日のブログ『戦争体験者の証言』開催告知で触れていたので、ここでは省略いたしました。ご本人に関する写真については、ちらしなどに使うことは承諾いただいており、出来上がったちらしをお渡ししても特に何もなかったので承諾を得たものと思っています。柳生諭大尉の写真については、私の独断でご遺族の方の了承までいただいた訳ではありません。ただ、この写真は知覧特攻平和会館に展示されたているものと同じということと、没後66年経っているということ、さらに何よりも、ある意味郷土『帷子』の英雄として、このような方がいらっしゃったということを知ってもらいたかったからです。もし、ご遺族の方から抗議があれば、おわびして削除いたします。
山根 一男 ..5/23 0:19(月)

  Thatツ痴 more than sensilbe! Thatツ痴 a great post!
Ice [URL] ..5/30 21:57(月)
>> 返信

<<BACK 11日 いじめ防止第三者機関検討委員会 傍聴

NEXT>> 13日 原発事故から避難してきた方のお話しを聴く会


| 携帯用 | | RSS | | 検索 | 

++ Powered By 21style ++