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平成から令和へ年号が改まり、今までの改元とは異なる国民の祝賀ムードです。前回までは天皇崩御に伴う改元であったために、国民は悲しみの極みの内での改元でした。 苦しみと悲しみから立ち上がることを体験するほど強い国民が育つと考えれば、それにはそれなりに意味がありましょうが、それは余りにも過酷な試練で、現在の国民性には似合わないと思われます。 今回の国民の士気の高揚ぶりは努力の後に巡るご褒美のような気がしています。 70年以上戦争を否定してきた日本ですが、世界の流れは依然と各所で火の手が昇り世界平和には程遠い感じです。現在の日本もいつ戦争に巻き込まれてもおかしくないと思われるところが見えます。 私には大局的に事を進める力を持ち合わせていませんが、小さな心のゴミを拾うことを継続して、今日たどり着いたところは、この地球上に一人の人間として命をいただき、平和な社会を願う人間として、最低限の義務と考えて、自分にできることとは、「ポイ捨てゴミを拾い続けながら、根の深い罪の根源を見極める」ことでした。 共存共栄と言いながらも自分の生活水準が下げられない自分ですが、生きている限り自分にできることとは「感謝の内に拾わせていただく」ことと「何が正しいのかをポイ捨てゴミを拾いながら追求継続」「戦争を無くすために一国民として何ができるのか」を子供たちに伝えることです。 「人類の最大悪(大罪)である戦争を放棄することを全世界に先頭に立って発信する」は日本政府の仕事ですが、一人の国民としてできることが「ポイ捨てゴミを拾う」ことをGoppoええぞなクラブの快適ウォーキング参加者から発していきたいと思っています。 「ポイ捨てゴミを見て拾わずにはおれない自分づくり」で「何が正しいのかを見極め実践できる人づくり」の輪を広げていくことです。 ただ「戦争反対」だけでなく罪深い行いに打ち勝つ自部造り・国造りを発していきたいです。 たとえ戦争が続こうともピッカーズの信念は必ず受け継がれていくと信じています。
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