Title: 腺筋症で妊娠、9週で自然流産
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5年前に腺筋症と診断され、妊娠は難しいと言われていましたし、41歳という年齢。 完全に諦めていたところ妊娠。 検査薬で陽性、エコーで胎嚢が確認ができたときには「奇跡の赤ちゃんだ!」と主人と二人、天にも昇る気持ちでした。 それが妊娠5週のことでした。
12日後に再度エコー。 7週目だから胎芽が見えて心拍確認もできるやろか、母子手帳ってどうやってもらうんだろと胸を膨らませて内診を受けたら、 医師から「4週6日の胎嚢の大きさ。次回この辺に赤ちゃんが見えたらいいですね」とのこと。
7週1日のつもりで来たのに。 「それってどうなんですか?成長遅くないですか?」と聞いても「普通です。2週間後また診ましょう」と言われ、ほんまかいな?と思いました。写真を見比べても前回との大きさの変化があまりないし。
数日前に見た夢を思い出しました。 夢の中ではおじいちゃんと呼んでいましたが、現実には面識のない青い服を着た男性が天国に行くというのので数人でお見送り。 ハグしながら「さよなら」という夢。
赤ちゃんは男の子で、その時還っていってしまったんじゃないか。
ひどい貧血だったため妊娠が分かってから毎日通院で仕事を休んでいたんですが、数値がよくなり2週間後まで来なくていいと言われたので、家にいても暗くなっていってしまうし、職場復帰しました。
1週間後お腹の張りが強かったし、たまたま休みがあったので、受診。 エコーを確認したところ「5週4日の胎嚢の大きさ。胎芽はまだ見えない。」とのこと。 8週1日の計算で基礎体温もつけており、排卵日にずれは考えられないことを言ってみましたが「でも1週間分大きくなってるから2週間後また診てみましょう」とのこと。
確かに胎嚢は成長してるし大丈夫と思おうと自分に言い聞かせました。
9週3日夕方から少量の茶色の出血。 翌朝、鮮血に変わったため、主治医はいない日でしたが、病院へ。「胎嚢の大きさは4週6日。胎芽見えず。週数的にこの大きさだと今回は残念です。自然に胎嚢などが出てくるので出たらナプキンごと袋に入れて持ってきてください」とのこと。
その晩、生理痛のような痛みがあり、異臭のする膜のようなものとレバー状の塊が少し出て「始まってしまった」と思いました。 どんどん痛みは増し、どばっと塊が出ました。 まだまだ痛みは増す一方で、意識が朦朧としてきて歩き回ったりしゃがんだりいろんな体勢をとりながら耐えました。 「腺筋症だし普段の生理もひどいだろうけど、それ以上の痛みが来るから鎮痛剤飲んでいいから」と医師には言われていたので、主人も「何で鎮痛剤飲まないの?」と不思議そう。 赤ちゃんはもう亡くなってるのに、それか、はじめから赤ちゃん成長できてないのに馬鹿だと言われてもこの痛みから逃げたくないと思いました。
夜更けに、またどっと塊が出ました。 すると今までの痛みが嘘のように引き、ああ、出てしまったんだと思いました。
その後は生理2日目ほどの出血が続き、また少しだけ塊がでました。 明け方には生理3日目くらいの出血量に減ったので、病院に行き、当直の医師に診てもらいました。
土曜の早朝だったので主人に車で連れて行ってもらったのですが、車に乗るまで我が子の入った袋を胸に抱えて泣いている主人を見て、また出産を終えたママに会いに来てる家族と待合室が一緒になって、また、泣いている主人を見て、たまらない気持ちになりました。
その後、子宮収縮剤を飲むとショック状態になってしまい、救急車で病院に逆戻りしたり、 もう3日目になるのに相変わらずの出血量と夜寝られないくらいの腹痛が続いているんですが、ここで皆さんの体験を読ませていただき、励まされたので、なるべく早く書き込みたいと思い、投稿させていただきました。
今思えば、抱えきれないほどの仕事を抱えて心身ともにいっぱいいっぱい。 ヘモグロビンの値もかなり悪くなってるのに、病院にはいけない状態だったので、「一旦仕事手放して、貧血の治療して」と言いに来てくれたのかもしれません。だから貧血が落ち着いたら帰って行ってしまったのかなと。
今はまだしんどいし、今回いろんな医師に診てもらいましたが、みんなが「うわっ」というくらいの腺筋症。 それに加えて来週42歳になってしまうので、もう次は考えられないけど、1回だけでも短期間だけでも母にしてくれたのは感謝です。
妊娠から無事出産までたどり着けるのは奇跡。 職場に一人いる妊婦さんの後輩を大切にして、私自身は体を大切に、今まで以上に夫婦仲良くやっていこうと思いました。
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