Title: 21年前の死産
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もう21年も前のことになりました。 だけど、昨日のことのようです。 あの瞬間のことが、今でも時折、フラッシュバックします。
初めての妊娠、出産でした。 予定日を1週間近く過ぎて、おしるしが来て入院。 普通分娩で陣痛が10秒刻みのところまで来てたのに、「赤ちゃんの心拍が弱い」とのことで、緊急帝王切開となり、 しかも、夜中のことで、夫も、誰も居ないところで、何が何だか・・・。
下半身の麻酔も効くか効かないかの段階で手術が始まり、切られる痛さと、心の不安とで戦っていました。 確かにお腹から赤ちゃんが取り上げられた感触があったのに、何か違う。 先生、看護師さん方のあたふたした緊張感、そして何よりも産声が聞こえない。
目が覚めると、真っ暗の病室に夫が隣に座ってました。 「赤ちゃんは?」と、夫に聞くと、「未だ、必死に頑張ってるから!」と。 私自身も血圧が急低下して、治療を受けていたようです。 それから数分もせずに、夫が先生に呼ばれました。 暫くして戻ってきました。 「だめだった‥」と。 真夜中の静まり返った病室で、声を殺して泣きました。 直ぐに葬儀屋が引き取りに来るのでどうするかと言われ、引き取られる前に一目でも会いたい、抱きたい!と病室に連れて来て貰いました。 私の身体が憔悴しきっていて抱くことが出来ず、隣に寝かせて、無理を言って夫に写真を撮って貰いました。 「肺形成不全」だと言われました。
「どうしよう。夫の母や姉に何て言われるだろう」 恥ずかしながら、1番目に思ったことはそれでした。 夫は田舎で名の通っている商売をしていて、赤ちゃんが出来る前もお腹に出来た時も、跡取りの長男を!と言われ続けていました。
第2の戦いが始まりました。 出産したのに赤ちゃんはこの手にはいない。 帝王切開の為、入院期間が長い。 そして私自身の体調が悪く、2週間の入院生活。地獄でした。 隔離されたように、病室は薄暗い1番端っこの個室。 それでもお構いなく、私の前後に出産した赤ちゃん達の泣き声が昼夜関係なく私を襲う。 そして、飲ませてあげる赤ちゃんはいないのに、搾乳をしなければならない悔しさ。 その後、母乳を止める薬を飲まされ、あんなに大きかったお腹はペチャンコなのに、その証がいない。 そして帝王切開の痛みや目眩、吐き気と戦いました。 産後健診の診察の時、出産したママ達と一緒に待合室で待たされ、そのママ達の手にはみんな可愛い赤ちゃんが。 惨めでした。針の筵でした。 帰りは、看護師さんに頼んで、他のママ達とは会わない非常階段からひっそり帰りました。 涙が止まりませんでした。
退院も1人。 日曜でも有り、先生や看護師さん方の見送りも無く、最後までひっそりと何か悪いことでも私がしたかのように息を潜めていた入院でした。
その後、自律神経失調症になり、鬱になり、また戦いました。 夫も私に何と声を掛けていいのかどう接すればいいのか分からなかったようで、毎日、毎晩、外に飲みにでかけ、家に居ませんでした。 ずっと私は1人でした。1人泣いて過ごしました。 夫の家が田舎の老舗でもあるので、それはそれは大変でした。 世間体で離婚も出来ず。
次の歳に、次男を妊娠し、出産しました。その子が20歳を迎えます。 今の時代のように、話したくても話せる場所がなく、溜めて溜めて、1人で我慢して来たことも有ってか、引き摺ったままです。 この見えない十字架を、きっと一生1人で背負ったままだと思います。 もうすぐ、その亡き長男の21歳の誕生日です。
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