Title: 15週5日 胎児水腫による人工死産
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昨年の11月、初めての妊婦検診で、いつもより長いエコーの後に 「赤ちゃんのお腹が浮腫んでいる。紹介状を書くから大学病院に行ってきて」と、言われました。 意味が分からず、呆然としながら家に帰りました。
帰宅後、主人がインターネットで調べたそうなのですが、悪いことしか書いていなかったので、私には黙っていたそうです。
週末を挟んで、月曜日の朝イチに大学病院に電話をして、その日のうちに診察を受けることになりました。 病院に行く車の中で、大丈夫だと自分に言い聞かせていました。 受付を済ませて待っている間、たくさんの妊婦さんや生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたママさんがいるのを見ながら、私も楽しみだなぁなんて思っていました。
診察室で、2種類のエコー検査の後、医師からの説明を聞きました。 「胎児水腫です。何らかの理由で胎児の循環がうまくいかずに外に出てきてしまっています。まだ11週6日と週数が早いので、治療法が無く、原因を突き止めることも非常に難しいです」 「95%の確率で助かりません。心臓が止まるのは時間の問題です。週に1回の検診で見守っていきましょう。来週はご主人も一緒に来てください」と、言われました。
何一つ希望を持てることを言われず、泣きながら帰りました。 それからは、毎晩、主人と赤ちゃんについて話し合いました。
主人は 先生があれだけ言ってるんだから諦めるしかないんじゃないか?と毎回同じ回答でした。 私は、諦めきれないし、見守りたいの一点張りで、2人の意見は平行線のまま1ヶ月が過ぎました。 そのうち、主人に不信感を抱くようになり、イライラしてあたってばかりいました。
年末に指し当たった時、私にも心境の変化が訪れました。 検診の度に成長して動いて元気な姿を見せてくれる反面、日をおうごとに水腫がヒドくなっていました。 このまま見守って赤ちゃんの心臓が止った時、私は受け止められるのだろうか。
このことを主人に話して、胎児水腫と診断されて初めて私の口から 「諦める」という言葉を聞いた瞬間、 主人が初めて自分の本心を話して泣いてくれました。
本当は諦めたくないし、何もしてあげれない自分が悔しい。 私ばかりに辛い思いをさせて申し訳ない。 でも、なにがあっても2人を支えると。
その言葉と姿で、今まで主人に抱いていた不信感が一気に無くなりました。後から思えば、この子が私達夫婦の絆を確かめていたのかもしれません。
その次の日、病院に電話をし私達の意思を伝え、その日のうちに入院することになりました。 そして子宮口を広げる処置を1日かけてして、次の日に陣痛を起こす膣錠を入れて1時間で出産しました。
12月26日10時17分 12cm 87g 男の子
とても可愛くて、陣痛の痛みなんて忘れちゃいました。 火葬までの2日間を親子3人で過ごし、たくさん話し掛けて写真も撮って思い出を作りました。 彼と過ごした日はわずかでしたが、とっても幸せな日々でした。 お空に帰った彼は、先にお空に帰っていたお兄ちゃんと仲良く過ごしていると思います。
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