Title: 26週3日 臍帯過捻転 死産
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25週から切迫早産で入院していましたが、安静と張り止めの内服で症状は和らいできていました。 1日1回の内診、1日2回のNST、1日3回の張り止めの内服。週1回の超音波。
26週0日の朝、NSTで心音をとることができず、診察室で超音波を受けました。 そこには、心臓が動いていないわが子がいました。 先生は何十分もかけてくまなく診てくださいましたが、わが子の心臓の鼓動を見ることができませんでした。
夕方、夫と私の母同席のもと、再度、超音波を受けました。 そして、改めてその事実を伝えられました。 臍帯過捻転が原因であろうと告げられました。
その日の夜から、ラミナリアで子宮口を広げる処置をはじめました。 逆子でしたが、私の体への負担を考え、経膣分娩での出産となりました。 ラミナリアの本数が増えるにしたがい、おなかの張りと腰の痛みがきました。
出産当日の午前。 陣痛促進剤の膣剤を投与され分娩台へあがりました。 4時間ちょっとでかわいいわが子の出産。産声のない出産でした。 誰も「おめでとう」とも「がんばったね」とも声をかけてもらえなかったのが残念です。 私というより、わが子に、です。 逆子といわれていたわが子ですが、直前のエコーで頭をきちんと下にしてくれた、おりこうな子なんです。 小さい体でがんばってくれたことを労ってほしかったです。
生まれたわが子は体重914gのかわいい男の子でした。 初めてわが子と対面したのは、産後4時間くらいたってからでしょうか。
すでに肌着(自分で用意して名前も書いた)を着せてもらい、手も組んでいました。 主人が買ってきてくれたかわいいお花に囲まれ、目さえ開けていれば、どこの赤ちゃんとも変わらないくらい、本当にかわいい子でした。 手も足にも、もちろん全身の異常は見当たらず、健康な子でした。顔は主人そっくりでした。 主人と二人で、息子への手紙、メッセージ、イラスト、たくさん書きました。 天国でも寂しくないように、私たちの写真も入れて。 あなたのパパとママはこういう顔をしてるのよって。 手作りのネームカードも入れました。 名前の由来も書いて。 限られた時間で、できる限りのことをしたつもりです。
したいことは、たくさんあったけど、ひとつだけお願いして、手形と足型をとってもらいました。 お肉もきちんとついていたので、しっかりした形をしていました。
わが子と対面後、胎盤や臍帯をみせてもらいました。 胎盤は正常。 臍帯はねじれがひどく、特にわが子のへその根元がキュッと強く捻じれていました。先生からは「おそらく、これが原因」と言われました。
産後2日目に火葬。 棺に入った息子は、安らかで、主人そっくりな顔をした、しっかりした男の子の顔でした。
ここでやっと初めてわが子につけた名前を呼んで「また会おうね」と伝えました。 カルシウムをがんばってとっていたおかげか、息子の骨は思っていた以上にたくさん残りました。
臍帯さえ何ともなければ、元気に生まれてきていたわが子。 出産予定日は主人の誕生日の前日。 亡くなる前日まで、何ともなく元気だったわが子。 誰が原因でもないけれど、自分を責めてしまう現実。
入院する4日前にやっと性別がわかって、出産準備をしようと考えていた矢先、突然の出来事でした。 約30年生きてきて、こんなに悲しい思いをしたのは初めてでした。
悲しいです。 つらいです。 会いたいです。
たまに後ろを向いたり、自分を責めてしまうこともありますが、わが子に恥じないように前を向いて歩いていこうと思います。
生理が再開したら、この子に弟か妹をつくり、お兄ちゃんにしてあげることを目標に、人生を歩んでいきたいと思います。
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