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  23週2日 羊絨毛膜炎の疑い

[2320] 幸恵

Name: 幸恵    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/05/13(日) 19:17
     削除 
Title: 23週2日 羊絨毛膜炎の疑い    
今年の1月14日に630g、30cmの男の子を出産しました。
明日でちょうど4ヶ月になります。
3日前が出産予定日でした。

結婚して4ヶ月、すぐにでも子供を欲しがっていた私たちに、赤ちゃんがやってきてくれました。
妊娠できたことはすごく嬉しかったけれど、初診で大きな血の塊があることもわかり、「切迫流産」と診断されました。
妊娠できた喜びと、切迫流産の不安で、とても複雑な気持ちでした。

その後、赤ちゃんは無事に育ち、男の子だという事が分かったり、
胎動を感じ始めたりと、安心していた矢先の、悪夢は起こりました。
間もなく22週に入るという日、朝起きると出血していました。
すぐ病院に行くと、先生から「赤ちゃんが出るところが、前より少し短くなっている。お腹が張った形跡があるね。お腹の張り止め薬を出すので安静にして2週間後にまた来てください」とのことでした。

咳がでていたせいかな?とも思い、お腹の張り止め薬と咳止め薬を飲みつつ、仕事は無理をしない程度に続けていました。
1週間経っても出血は収まらず、お腹がキューッと絞めつけられては和らぐというのを繰り返すようになりました。
これは明らかにおかしいと思い、2週間を待たずに病院へ行きました。

すると「赤ちゃんが出るところが前よりだいぶ短くなっている。これは家で安静レベルではない。即入院。産まれるまで入院かもしれないよ」と言われました。
私は恐くなって、泣きながら親に電話をして、病院まで迎えに来てもらいました。
そのまま分娩予約を入れていた病院に、緊急入院しました。
入院した次の日の朝、診察をしてもらうと「昨日より更に赤ちゃんが出るところが短くなっている」とのことでした。
「ベッドに寝て、出来るだけ動かないようにしましょう。これ以上短くなるようなら赤ちゃんが出るところを縛りましょう」と言われました。

出来る限り動かず安静にしていましたが、午後に破水しました。
先生に診てもらうと「うん、今また破水したね。アウト」という信じられない言葉をききました。

その後、お見舞いに来た家族と一緒に先生から話を聞きました。
感染症で赤ちゃんが出るところが緩んで、開いてきてしまっていることや、菌で赤ちゃんを包んでいる袋が上の方で破けて破水をしてしまっていること。
このままだと1日か2日で陣痛が来て産まれてしまうこと。
帝王切開は出血が多くて危険なため出来ないこと。
23週というのは早産で本当にギリギリのラインで、助かる確率も低く、たとえ助かったとしても、なんらかの障害が残る確率が高いことなど、たくさんのリスクを聞いた後、私たちは母体第一の選択をするか赤ちゃん第一の選択をするか迫られました。

なぜこんな残酷な選択を迫られるのか。
突然の事でパニックになっているのに、どんどん出産が近づいているため、すぐに決断しなければいけませんでした。
両親や夫と話し合い、「次の妊娠には影響がない」との言葉に母体第一の選択をしました。

その夜は何も食べることが出来ず、寝ることも出来ませんでした。
ただただ、涙が溢れてきました。
「悪夢だ。悪夢だ。」と心の中で何度も繰り返しました。
急な出産で恐怖もありました。
希望がない出産に自分が耐えられるのか。
赤ちゃんも逆子とのことで不安は更に大きくなりました。

次の日の午後、夫がお見舞いに来てくれている間に陣痛が始まりまり、5時間後に診察台で出産しました。
どんな姿か分からず、赤ちゃんに会うのが少し怖かったけれど、赤ちゃんに初めて会った時、涙が止まりませんでした。
本当に申し訳なくて、ずっと「ごめんね。ごめんね」と繰り返しました。
胎動もほとんど感じなくなっていたし、破水していたために、お腹はどんどん小さくなっていたので、もう赤ちゃんは生きていないかもしれないと思っていました。
でも産まれてきた赤ちゃんは、小さな胸を大きく大きく動かしながら出てきてくれました。
今こうして心臓を動かして生きているのにどうして泣かないのか、どうして助けられないのか。
心が追い付かないままどんどんいろんな事が起こり、終わっていきました。

初めて見る我が子は、本当にかわいくてしょうがありませんでした。
愛おしくて、これが母親の子供に対する気持ちなんだと思いました。

だんだん鼓動は小さくなっていき、息子は産まれて1時間半後に神様のもとへ帰っていきました。
その日の夜は少しの時間だったけれど、親子3人で過ごすことができ、幸せなひと時を過ごしました。

出産後の検診で検査の結果を聞くと「羊絨毛膜炎の疑い」と書かれた紙を受け取りました。
原因は「分からない」とのこと。
「感染していなければ、普通の子として産まれていた」という先生のやりきれない言葉が、私は悔しくてたまりませんでした。
原因が分からないため、次回、妊娠できたとしても気を付けようがなく、また同じことになるのではないかと恐くてしょうがありません。

息子と一緒に買い物に行ったり、公園に連れて行ってあげたりしたかった。
いろんなもの食べさせてあげたり、いろんな所に連れて行ってあげたかった。
たくさん笑わせてあげたかった。
息子と一緒にしたい事、してあげたい事がたくさんあったけれど、その望みはもう叶わない。
確かに産んだはずなのにここにいない。

今までたくさんたくさん泣きました。
そしてたくさん自分を責めました。
なぜ子供より自分を選んでしまったのか。
最低な母親だと自分を責めました。
感染した自分を責めました。
子供を殺したのは自分だと。
頭がおかしくなりそうでした。
罪悪感や挫折感や喪失感や嫉妬心や毎日いろんな気持ちと今も戦っています。
妊婦さんや赤ちゃんを見るのが本当に辛いです。

相次ぐ妊娠・出産報告に何度も傷ついたり、人の言葉に傷ついたり。
やっぱり経験した人にしかこの気持ちは分からないんだと感じました。

自分でもどうしたらこの気持ちが少しでも楽になるのか分からず悩んで過ごしている中、このサイトを知りました。
読んでみるとそこには自分と似たような経験をして苦しんでいる人や同じ気持ちを感じている人がたくさんいました。
涙が溢れてくると同時に心が救われる気持ちがしました。

夫は、父親と母親では気持ちが違うことを理解している様で、このサイトを一緒に見た時に、私が言ってる事と同じ様な事をみんな書いているねと言っていました。
もちろん、たくさん慰め、助け、一番近くで支えてくれる夫の存在は大きく、悲しみを一緒に乗り越えていく大切な存在ですが、同じような経験をされた母親のみなさんの存在は私にとって本当に大きな支えです。
私も子供を亡くされ苦しまれている方の少しでも役に立てたらと自分の経験を投稿させていただきました。

こんなにたくさん苦しんで頑張っているのだから、その分みなさんには幸せになっていただきたし、私も幸せになりたいと思っています。



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