Title: 15週 頸部浮腫 死産
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41歳で第3子を妊娠しました。 最初から「週数より小さめ」とは、言われていました。 何も指摘がなかった検診は2回だけ。 トクトクと規則的な心音を聞かせてもらったのは一度きりでした。
11週目で頸部浮腫を指摘されましたが、頸部浮腫に関する知識がなく、厚さも聞きませんでした。 高齢でもあるので、染色体異常の可能性を示唆され、クアトロテストを勧められました。
その後色々調べて、この状況で確率を知っても意味がないと思い、羊水検査をしようと思っていました。
13週後半では、私が見てもはっきり分かる浮腫がありました。 厚さを聞くと、先生は4mmと言いましたが、画面には4.9mmと表示されていました。 その時に心音を聞いた記憶はありません。
15週5日で診察に行くと、赤ちゃんが13週後半の大きさのまま大きくなっておらず、心音もかなり弱っていて、 先生は心音は「規則的ではないが動いている」と言いました。 私には、雑音と心音の区別がつきませんでした。 赤ちゃんは、画面で見ていても全く動きませんでした。 また3日後に来るように言われて帰りました。
心臓が止まったら、出血とか腹痛とかになるのか?と聞くと、そういうのは赤ちゃんが亡くなってから2〜3週間後だから、すぐにそういうことは起きないと言われました。
もうダメなのか・・・と思って、診察室を出た途端に涙があふれました。
その日の夕方、上の子たちと夕飯を食べている最中に、びちゃっと何かが出てきたのが分かりました。 「破水?」と思いましたが、良く分かりませんでした。 量はそんなに多くありませんでした。 透明な液体に血が混じってかすかに色がついている感じでした。
産婦人科に電話をすると、安静にしておくように言われました。
その後2時間くらいの間に、ちょっとずつ液体が出てきて、 少し下腹部に痛みがありました。 ナプキンがいっぱいになるくらい、吸収し、明らかに血が少し混じっているのが分かりました。
念のためもう一度産婦人科に電話をして、液体が出続けていることと多少の痛みがあることを伝えました。 「おりものに血が混じっているのですよね?」と言われたので、「おりものにしては量が多いと思う」と伝えました。
大量の出血か、痛みが我慢できなくなったらもう一度連絡するように言われました。
それからも、何度か液体が出てきて、痛みも少しありました。 横になっていましたが、1時間半後、それまでよりも多くドボッと何かが出てきました。 慌ててトイレに行くと、大量の出血。 そして小さい胎児が出てきているのが分かり、トイレに落としてはいけないと、反射的に自分で取り上げました。
小さい小さい赤ちゃんは10cm、20gでした。 首にはたるみが残っていました。 手も足もありました。 扁平でしたが、顔もありました。
しばらく泣きましたが、あまり声を出して上の子が起きてしまうといけない、この状況を見せるわけにはいかないと思い、声を抑えました。
産婦人科に電話すると、病院に来るように言われました。 準備をしている間にも何度か出血があり、着替えても着替えても汚れてしまい、バスタオルを腰に巻いて車に乗りました。
産婦人科では、「胎盤が残っていると出血多量で命に関わるから、今すぐ胎盤を出さないといけない。食事をしてから時間が経っていないと麻酔が使えない」とかで、麻酔なしで子宮内の胎盤を掻きだしました。 本来、麻酔をかけて行う事です。 筆舌に尽くしがたい痛みでした。 痛さに耐えながら握りしめていた手は、翌日もしびれていました。
「どんな異常があってもちゃんと産んであげるよ」と決心がつかなかった私への罰だと思いました。
先生には心奇形・染色体異常があったのだろうと言われました。 赤ちゃんの染色体の検査はしないことにしました。
赤ちゃんは火葬され、私たちは遺灰を引き取りました。骨は本当に少しだけ残りました。しばらくは一緒に過ごしたいと思っています。
また妊娠したら戻ってきてくれるのかしら?
年齢を考えると、もう一人欲しければゆっくりはしていられませんが、すぐに妊娠をという勇気もまだありません。 異常があるのか?と悩んでいる期間も、自宅で死産したことも、その後の掻爬も、とても辛かったです。
私の手の中にあった、小さな赤ちゃんの感触は忘れることはないと思います。
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