Title: 21週 子宮頚管無力症
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先週の水曜日、2週間ぶりの検診でした。 その前から子宮頚管が短いとは言われていて、処方されたウテメリンを1日3錠飲んでいました。
その日の検診は朝からで、その後、友達と優雅にランチする予定でした。 お腹のエコーでは2人ともとても元気で、待望の女の子でした。
内診で、子宮頚管が広がっていることが分かり、先生から「これはまずいね。すぐ入院ね」と言われ、紹介状を書いてもらい、転院となりました。
入院したその日にすぐシロッカー手術を受け、24時間の張り止めの点滴で、トイレも行けない、食事も寝たままの絶対安静になりました。 それでも赤ちゃんはこのままいれば、37週ころ生まれるものだと思っていたので、がんばる気は満々でした。
翌朝の診察で、糸の間から胎胞が出てきていると言われ、先生の説明の中では「中絶」という言葉も出てきました。 その時、初めて大変な事態になっているのかと思いました。 でも、あきらめるなんてできるわけなく、その日の夕方もまた同じ手術をしましたが、翌朝の結果は同じでした。
結局、抜糸して、抑えていたところから胎胞がかなり出てきてしまい、そのまま破水しました。 翌日の夜から陣痛が来て自然分娩に至りました。
夜中じゅう、旦那に支えられながら陣痛に耐え、まだ胎動も感じるし、部屋の外からは赤ちゃんの泣き声が聞こえるし、辛過ぎて、自分の精神状態がどうなっているのかよく分からないくらいでした。
生まれてきた赤ちゃんは二人とも400gと少しでしたが、しっかりした赤ちゃんで二人そっくりで、ほっぺたも足の裏もプニプニしていてものすごくかわいかった。 旦那と二人の赤ちゃんを交代で抱っこして、旦那もその時泣いていました。 それが余計に申し訳なくて、涙が止まりませんでした。
赤ちゃんは何も悪くないのに、私が軽率だったからこんなことになったんだと、そうとしか思うことができません。 人が同じ立場なら、誰も悪くないよ・・・ていうのに、自分の身に起きると、自分を責めずにはいられないです。 とにかくかわいい娘を生きて抱っこさせてあげたかったし、何よりもこの子達にいろんなことをしてあげたかった。
今は火葬も終わり、家で供養していこうとお骨も置いてあります。看護婦さんたちが作ってくれた、手形と足型と写真を飾っています。後悔してもしきれないですね。妊娠中のあの頃に戻れたら・・とか、仕事なんかすぐやめてても良かったとか・・もっともっと大げさなくらいずっと横になっとけば・・・と。また会いたいけど、次に生まれてくるかもしれない子は、この子達とは違うと私は思います。今は、一生ずっと忘れずに生きていこうと思います。
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