Title: 36週5日 胎盤梗塞?による死産
|
|
2013年5月17日、38週と5日で息子を亡くしました。 ついに10ヶ月目に入って、週1回の検診になり、いよいよ息子との対面する日も近づいてきた検診の日、赤ちゃんの心音が上手くとれなくて「明日、また来て下さい」と言われました。 その日の夜、赤ちゃんは全然動かなくて、横になってもお腹をとんとん叩いても胎動は感じられませんでした。 臨月に入ったし、そんなものかと思っていました。
翌日病院に行って、心音をとる機械を付けるとしっかり心音が聞こえてきました。「赤ちゃんが動いたら押してね」とスイッチを渡されましたが、押す事ないままに心音をとり終わりました。 エコーの後に内診をして、先生から「今、旦那さんはどこ?どのくらいで戻って来れる?」と言われ、ドキッとしました。 あれ?順調じゃないの?心臓がドキドキして血の気が引きました。
主人が急いで仕事から戻ってきてくれ、先生から「お腹の中の環境があまり良くないので、赤ちゃんを出します」と、告げられました。 すぐに入院して子宮口を柔らかくする処置をして、明日薬で陣痛をおこして出産にしましょう。 予定より早いけど赤ちゃんに会える! それを伝えた時の嬉しそうな長女の顔が今でも忘れられません。
さっそく病室で処置をして、心音を確認。でも心音がとれずバタバタと先生が呼ばれ、エコーで「まだ動いてる、もう切っちゃいましょう」と緊急帝王切開になりました。 あれよあれよという間に手術室へ移動させられました。 明日まで待つ余裕があったんじゃなかったのか。 「赤ちゃん出ます。16時43分」 赤ちゃんはすぐに奥の方へ連れていかれました。 赤ちゃん泣かない。誰も何も言わない。 私の赤ちゃんは?どこ行った?搬送されちゃった?
手術が終わり、部屋に戻ってしばらくすると、先生が来ました。 もうろうとする意識の中で先生から「赤ちゃんね、お腹の中で亡くなってたの」と、宣告されました。 なぜか私は冷静で、やっぱりと思いました。 赤ちゃんに会う?と聞かれましたが、「会う自信が無い。今はまだ」と断りました。 結局最後まで会いに行く事が出来ず、抱っこをしてあげられなかったのを後悔しています。
その日の夜は痛み止めのせいか、精神が不安定なのか、息子の夢を見ました。なぜ私の所にきたの?何でキズ口はこんなに痛いの?と息子に聞きました。 息子は「指しゃぶりをしに来た。思い出を胸に刻むから痛いんだ。泣くならキズ口もっと痛くするよ」と私に話していました。 入院中は現実を飲み込めず、ただただ痛みに耐える日々でした。 おっぱいが張らないように冷やし続けながら、おっぱいが出ない様に薬を飲んで、病室の外から聞こえる赤ちゃんの声を聞き、なぜ私が…と修行のような苦しい日々を送りました。 でも、赤ちゃんの泣き声を聞くと不思議と私も大声で泣く赤ちゃん欲しいなとも思えました。
退院した日に火葬をしました。 小さな棺に入った息子は、目が主人、鼻が娘、口元が私にそっくりでした。見た目にはどこにも問題が無く死因は分かりませんでした。 火葬後は、毎日、写真とお骨を眺めては泣いていました。 退院一週間後の検診で胎盤を検査してみると、梗塞巣が見られたと言われました。先生にそれは繰り返すんですか?と聞くと先生は力強くそんなこと気にしなくていい!と言ってくれましたが、結果、私が赤ちゃんを育てられなかったんだと自分を責めました。 毎日何をして過ごしていたのか覚えていません。 寝たり食べたり飲んだりする生理現象が起きる自分が許せなかったです。 私が1番辛い!苦しい!悲しい!と叫びたかったけど叫べなかった。誰に何を言われても私には届かなかった。
でも一ヶ月過ぎた頃、泣かない日が増えてきました。 今だに妊娠中行った場所、赤ちゃんの為に食べたものは辛くて体が拒否してます。 前向きになれないし、息子が亡くなった意味も分からない。 1人になると淋しくてしょうがないです。 時間だけ過ぎて私はあの日に置いてけぼりで、引きこもりだし家族以外に会いたくない話したくない。それが正直な所です。 でもこんな事をしていても何も変わらないなぁって思いました。 私が少しでも何かを変えなきゃ、息子からの声が聞こえ無いんじゃないかと。
涙は勝手に出てきてしまうので流しておこうと思います。 ここにこの投稿が出来ただけ前に進んだ証です。 いつか必ず息子に巡り会いたい。 それだけです。それだけを支えにして時期がきたらまた授かりたいと願っております。
|
|
|