Title: 25週 原因不明 子宮内胎児死亡
|
|
産まれていたなら、今5歳になる赤ちゃんは、25週末でなくなりました。原因はわかりません。
陣痛の様な子宮収縮があり、入院。 たくさん点滴もしましたが、その夜中にぱったりと胎動がなくなり、朝に死亡が確認されました。 その日の朝から点滴やラミナリアで子宮口を広げましたが、破水してもまったく開かないため、次の日、再度仕切り直し。 夜中は赤ちゃんがいる左のお腹だけ膨らんで、その大きさと外から触れることができることに涙しながら眠れずにいました。
次の日もラミナリアを7本いれましたが、子宮口が硬く、なかなか入りませんでした。 体温は40度を超え、寒気が続きました。 夕方になって、なんとかラミナリアを抜こうと鉗子でひっぱり、助産師が私の身体を押さえつけて医師が両手で引っ張っても抜けないほど、全く子宮口が開きませんでした。
運良く麻酔科の先生が通りかかり、その場で全身麻酔。 目が覚めたとき、冷たいトレーにのせて連れてきてくれた我が子は、つなぎ合わされていました。 あれだけバラバラなのに、その姿はとても神々しかったです。 あれは、とてもとても酷な出来事でした。
火葬場で三歳の子供がシャボン玉の歌を、子供が亡くなったお母さんの歌った歌なんだと歌ってくれ、シャボン玉を吹いてくれました。 あれからシャボン玉の歌を聞くたび、涙がでます。
2年前に50代半ばの主治医にあった時、今まででもあれほど子宮口が開かなかったひとはいなかったと言われました。 立ち直るのにものすごく時間がかかり、子供を目にするのがいやになり、再度妊娠したのですが、流産。 いろいろ精神的におかしくなり、離婚もしました。
あの妊娠以降、冷え性がでて、腰痛になり、今思うとどれだけ苦しくても悲しくても、自分の身体を酷使せず、一ヶ月は普通に産んだのと同じように身体を休めるべきだったとおもいます。 気が狂いそうだったので、車椅子でデパートに連れて行ってもらったりしていました。
毎年、墓参りには上の子と、復縁後に産まれた二人の子供を連れて行きます。 完全にキズがなくなることは難しいけれど、癒えることは出来ると思います。 体験しないと、なんだって、その人じゃないとわからないことがあるのだと学びました。 そして、一つの生命が生まれることは、数々の奇跡が偶然に重なって起こるのだとも。
|
|
|