Title: 40週3日 子宮内胎児死亡@
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少し長くなりますが、息子の死から1年半たってようやく自分の気持ちを整理でき、この1年半葛藤したことが、このサイトにいらっしゃる方の少しでも励みになればと思い書かせていただきました。
1年半前、このサイトを知り、毎日のようにみなさんの体験を読んで、自分に起こった出来事を現実をして受け止めようとしていたことを思い出します。
その節は本当にお世話になりました。
以下がわたしの体験になります。
2012年9月18日、息子が静かに誕生しました。 陣痛が来て、5分間隔になって、そして病院に到着したら、息子の心肺は停止していました。 今までに自分でも聞いたことのない声で、叫び続けながら息子を出産しました。 頭の中は、ちゃんと産まなきゃ。という思いだけだったように思います。 もしかしたら産んだら誰かが助けてくれるんじゃないかという錯覚もして。 産まれた息子はやっぱり産声をあげず、肌はきれいなピンク色なのに、唇だけが紫色で。わたしの体温がまだ息子をあたためていたからか、抱き上げた息子はとてもあたたかくて。 髪の毛は黒くフサフサとしていました。 やっぱり目を開けない息子を抱っこしながら、きっとこのあたたかいぬくもりとやわらかな肌の感触がすぐに失われてしまうのだろうと直感していたのか、この感触をずっとを覚えていなければいけないと、私は産まれた息子のほほをずっとなでていました。
息子が産まれた夜は家族だけで過ごしました。 産んだ後のことは細かくはよく覚えていないけれど、涙だけがずっととまらなかったのを覚えています。どこかで、これは夢かもしれないと思っていたのか、とても静かに、声もでず、涙だけがずっと流れ続けていました。わたしはなにを考えているのか、何を感じているのか、それすらもよく分からずに、夫や母に手を握ってもらって過ごしていたように記憶しています。 娘は産まれた赤ちゃんをイイコイイコしていました。わたしのこともイイコイイコしてくれていました。 眠れない夜だったけど、昼間も眠れませんでした。現実に直視しつづけていたらどうにかなりそうだったら薬をもらったのだけど、飲む気力もなく、呆然としていました。 一晩ずっと側にいてくれた母と娘にはいったんおうちに帰ってもらいました。 ずっと側にいてくれた夫にも少しソファで寝てもらいました。 一晩過ぎたら今度は怖くなりました。 息子のように、みんながわたしのもとからいなくなってしまったらどうしよう。 ひとりぼっちになったらどうしよう。 ひとりぼっちになるくらいならわたしがいなくなってしまった方がいいのかもしれないということさえ思いました。 夫は誰もいなくならないって言ってくれました。娘は「ママをマモルよ」って言ってくれました。母は家族みんなでちゃんと生きていけるよって言いました。 わたしは静かに家族の言葉をひたすら反芻し、ベッドの脇の手すりを見ながらずっと自分の気持ちを整理しようとしていたように思います。 だけど、手すりを見ていても気持ちは整理されなくて。そして、その時に整理していることもきっと忘れてしまうと思いました。 だから、前向きに、夫と娘と生きていくために、わたしは今の気持ちを書き留めておかなくてはならないとそのときに思いました。だから、パソコンを取り出してこんな風に書きました。 『これからもっと大きな喪失感がくると言われました。怒りも感じ、気持ちも落ち込むと言われました。 多分そうなんだと思います。 でも、だからこそ、そんな近い未来のわたしに手紙を書きます。 夫がいてくれる。娘がいてくれる。両親もいてくれる。おともだちも側にいてくれる。みんなわたしを心配してくれる。 きっとわたしがひとりぼっちになることなんてない。 だから、強く生きて行かなくちゃ。 娘を守って、夫を支えて、両親に親孝行して、おともだちと笑い合って、楽しい時間をこれからだって過ごしていくんだもの。 息子のキレイな顔を忘れない。産まれてきてくれた瞬間の感触を忘れない。腕に抱いたときの重みを忘れない。 息子がわたしのもとに来てくれた事実を忘れない。 しばらくは泣けちゃう日々が続くと思うけれど、落ち込んだり、悲しかったり、腹がたったりもするんだと思うけれど。 わたし、がんばれ。大切な人たちが側にいてくれることを忘れないで。』 そんな風に書きました。 息子が産まれた日を境にわたしの内面は今までとはまったく違うわたしになったような気がします。
〜40週3日 子宮内胎児死亡Aへ続く
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