Title: 40週3日 子宮内胎児死亡A
|
|
9月27日に、息子の火葬が終わって、息子がようやく天に還っていったんだとほっとしました。 雲一つない、きれいな青い空が広がっていた1日でした。風もなく、まるで、まっすぐ天国に行けたことを息子が教えてくれているみたいな穏やかで静かな美しい空でした。 お見送りの会の前の日から、夜中に必ず凍えそうに寒くて目が覚めて、息子はまだ冷たい部屋にいるんだと思って、ただ泣けた毎日だったから、こうして火葬が終わって、小さくなったけど息子がわたしたちの側に戻ってきてくれて、そして、きっと魂は天国に還っていったんだって思いました。だからほっとしました。 お見送りの会に来てくれた方たちやお花を送ってくれた方たちには、お見送りの会が終わった日からすべて方たちの顔を思い浮かべながら一日中手紙を書き続けていました。3日ほど手紙を書き続け、投函してきました。 わたしのことを心配してくれている、すべての方たちにこれ以上心配をかけたくなくて、そして、もうこれ以上家族を泣かせたくなくて、一生懸命自分の気持ちを立て直そうとがんばってきたこの2週間と数日。 前にちゃんと進んでいこうと、一生懸命がんばって。きっともう大丈夫だって思っていました。 今までだって妊娠、出産に関しては辛いことを経験してきたんだから。自分の気持ちを立て直すのは大丈夫だと思ってました。 だけど、息子を天に見送って、手紙を全部投函しおわって。そうしたら、わたしが息子に注ぎたかった愛情が溢れはじめて、溢れて、溢れて、どうしていいのかわからなくて、気がつくと涙がかわりにボロボロとばかみたいに溢れてきました。 お別れの会では、息子はちゃんとわたしの心の中にいることが分かっているから、近いうちに前を向いて歩いて行けるってみんなに言えたのに。 みんなに宛てて書いた手紙には、心配かけないように、前向きな言葉をちゃんと書けたのに。 普通の日常に戻ることができないわたしが、なんだか一人おいてけぼりみたいでさみしくて。 自分自身を責めて、きっと避けられなかった運命だったのに、時が戻ってほしいと祈って、夢だったらいいのにと願って、やっぱり現実なんだと気づき、そしてまたばかみたいに泣いていました。 息子を出産してからの2週間と数日はわたしにとって、何ヶ月もたったかのような長い長い時間でした。過ぎてしまえばあっという間だったんだろうと思うのですが、だけど、息子を産んだあの日が、うそみたいに遠い日に感じていました。 前向きになろうとして、無理矢理に自分を立て直していたけれど、やっぱりそう簡単にはいきませんでした。 息子に会えたことが本当に幸せだったと、そして息子を産むことができたことも本当に幸せだったと、いつか思う日がくると思うのだけれど。 だけど、息子に会ってしまったから。眠るように穏やかな顔で、かわいい顔で。死んでいるなんてうそみたいに、わたしの両手にしっかり重みを感じさせてくれた息子に会ってしまったから。 これからもわたしの心の中に住んでいく息子への愛情を注ぎ続けるつもりだけれど。 愛情が溢れて、溢れてとまりませんでした。 娘に、夫に、そして、大事な家族や友人たちに注ぐ愛情とは別にちゃんと用意していた息子へのわたしからの愛情を。 これからどうしたらいいのかと、途方にくれました。 気持ちをコントロールするのはやっぱりそんなに簡単ではありませんでした。 だから、いつか、こんなわたしの気持ちも全部含めて、息子との思い出になる日がくるに違いないと信じるしかありませんでした。
〜40週3日 子宮内胎児死亡B へ続く
|
|
|