Title: 40週3日 子宮内胎児死亡 C
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わたしは息子を産んだ日のまま、不思議なくらい現実味のない感覚と、誰にぶつけたらいいのかもわからない怒りと、そして、何をみてもなんだか灰色がかったような自分の生きる世界と、後悔と、哀しみが折混ざったような、胸の底がいつも熱くて、叫びだしたくなるような気持ちのまま、毎日を過ごしていました。
わたしが楽しいことはひとつもなかったけど、不思議と死にたいとは思いませんでした。 生きなくちゃと、思っていました。
娘の幸せと、夫の幸せのためにわたしは必要なんだと、そう思っていました。
涙を見せない夫が書斎で背中を向けて何かを見ている時、背中が泣いているような気がして、娘が笑顔でわたしを抱きしめてくれるたびに、娘はなにもかも分かっていて、分からないふりをしてくれているんじゃないかってそんな気がしていました。
二人共、直接的なことはわたしに何も言わなかったけれど、だけど、二人はわたしがただ生きているだけで幸せでいてくれるんだっていうことを感じさせてくれました。 家族も友だちもそうでした。
わたしがいなくなったら悲しむ人たちがいる、今のわたしのような悲しみを夫にも娘にも絶対させたくなかったから。 それだけが、日常に置いて行かれ続けるわたしの、だけど、前に進もう。っていう原動力になりました。
心の底から誰かをうらやましいとか、誰かがねたましいとか、そういう気持ちをはじめて持ったのは、 2008年の2回目の子宮外妊娠の手術の後でした。
3ヶ月後に控えた親友のはじめての出産も、 5ヶ月後に控えた弟夫婦のはじめての出産も、 うらやましく、ねたましかったのです。
どうして、彼らに赤ちゃんがいて、私はなぜ2度目も赤ちゃんを見送らなくてはいけないのか。という理不尽な気持ちで一杯でした。
世の中のどの妊婦さんをみても、どの赤ちゃんをみても、ただねたましく、自分の中に渦巻く黒い感情を外にださないようにすることが精一杯でした。
親友の赤ちゃんにはしばらく会いに行きませんでした。
弟の赤ちゃんに会った帰りの車ではただ泣きました。
赤ちゃんはとてもかわいかったけれど、それは、私にだってもたらされたはずのあたたかいぬくもりだったっていう風に思ったら、なんだか無性にかなしくて、そんな風に思う自分もとても嫌で、自分を嫌いになりました。
頑張ればたいていのことはできると信じて今までの人生頑張って来たけれど、頑張ってもどうにもならないこともあるんだって気づいたからかもしれません。
多くの人が努力なんてしなくてもできていることができないことによくわからない焦燥感を抱いていたのかもしれません。
だけども、息子が死んでしまったあと、わたしの中にあのときのような黒い感情がわき上がらないことが、実は自分でもとても不思議でした。
友だちの赤ちゃんを見るのは辛かったけど、とりわけ授乳中のともだちをみるのは胸が切り裂かれるように辛かったけれど、ねたましくはなかったのです。うらやましくもなかったのです。
だけども、うらやましくねたましかったあの頃よりもひどく辛かったのです。
本当に自分の悲しみと向き合う時にはうらやましさとかねたましさとかを超えて、ただ悲しいのかもしれないと思いました。
そして、自分が大事に思う人が生きていてくれることがただありがたいと、そう思っていました。
代わりに、自分にとって大事でない人やしらないママや赤ちゃんのことが目に入らないようになりました。
目に入っても排除するようになりました。
それはもしかしたら自分の気持ちを防御するために知らず知らずやっていたことなのかも知れません。そうして、日々を過ごしているうちに、周りには大切な人だけが残りました。
だけども大切な人と会っている時が実はわたしには一番しんどい時間でした。
わたしの大切な人たちは心からわたしのことを心配してくれていて。わたしの気持ちに触れそうな話題をすべて避け、ただ側にいてくれたのだけど。
前のようになにも考えないで笑い合える日々はもうこないのではないかって、そんな風に錯覚してしまうくらいにさみしい気持ちになりました。
そして、さみしい気持ちを通り越したら今度は拒絶の気持ちが湧いてきました。
絶対にわたしの気持ちなんてわかりっこないんだと、息子のことがかなしいといってわたしと一緒にいるときに泣いてくれていたって、それぞれの日常に帰ったらわたしのかなしみなんて忘れて自分の生活に戻るくせに。とそんなこと当たり前のことなのに、勝手にかなしくなって大事なともだちをこころの中で拒絶していました。
そんな拒絶の気持ちは多分相手にもちゃんとつたわっていて。
だからぎくしゃくとした空気につつまれた時間を過ごしていたように思います。
息子の死がわたしに黒い気持ちを残さなかったことは、息子が息子の形をしてわたしに会いにきてくれたからだと今はわかります。そして、ぎくしゃくしていても、それでもなにも気づかないふりをして会ってくれたともだちには、もうすこし時間がたってからとてもとても感謝することになりました。
息子が死んで1年たった9月18日にわたしたちの家は花であふれました。
うつくしい花束がわたしたちの家につぎからつぎへと届きました。
1年間、必死で日常を取り戻すために日常に向かい合ってきたわたしは息子のことをこころの奥深くにしまって生きていましたが、この日を迎えるにあたり、だいじなことは息子を思い出すことだと、あの日の記憶をもう一度呼び戻しました。わたしにとって、それはタフな試みで。
しっかりと思い出すことはもう一度胸を切り裂かれるような痛みを思い出すことだけれど、ひとつひとつ宝もののようにしっかりと胸に思い起こし、息子を思って泣いていました。
そんなわたしの側にはたくさんの花と、1年分の成長をした娘と大切な夫がいて。
今までよりもっと深くなった家族やともだちとの絆を感じたら、これからの日々がよろこびと幸せに包まれているような気がして、そして、それは息子からわたしへの贈り物のような気がしました。
人生はとてもみじかくて、だけどもとても美しくて。
何が大事で何が大事でないかって知ることができたことはわたしのこれからの人生を今までよりもっと豊かにしてくれるんじゃないかって、そんな風に思いました。
生き甲斐ややりがいは人生のおまけで、それよりも今自分が大事にしたいと思える家族やともだちがいてくれることがなによりも幸せなことなんじゃないかって、そんな風に思いました。
わたしは4回妊娠して、今、地上にはひとりの娘がいます。
きっと娘はきょうだいたちに守られて、これからも幸せに自分の人生を進んでいくことができるんじゃないかって、そんな風に思っています。
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