Title: 21週 前期破水
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結婚して2年、年齢的に、不妊治療が必要なのかもしれないと思っていた矢先の自然妊娠でした。
嬉しくて嬉しくて、初めての妊娠でわからないことだらけでしたが、とにかく妊娠したら元気な赤ちゃんが産まれてくると疑いもしませんでした。
初期から微量の出血が続き、張り止めの薬と止血剤を飲んでいましたが、出血は止まらず、切迫流産で入院となりました。 つわりもひどく、妊娠悪阻で水すら口にできず、24時間点滴をしながら、嘔吐、吐血、胃痛で、辛い日々でした。
この子のため、どんなに苦しくても10ヶ月で必ず終わるからと励まされ、なんとか安定期に入りましたが、頚管の長さが短くなったり、結局、ずっと入院して過ごしました。
6か月に入るころ、頚管長もよくなったとのことで、退院許可も出ましたが、母親は他界しており、主人も自営業で多忙のため、家事や日時生活を手伝ってもらったり、安静にしているのは自宅では難しいということで、入院を続けさせてもらいました。
21週に入ったその日の朝、ベッドで横になっていたら、生温かい水のようなものが大量にでた感覚。 ずっと出血していたのでナプキンをつけていましたが、トイレで確認すると、薄いピンク色で、ナプキンがずっしり重い。 慌てて看護師さんに伝え、ナプキンを調べて戻った看護師さんから、破水したみたいだと言われました。 その後も止まらず、羊水はほとんどなくなりました。
良くないのはわかっても、それが何を意味するのか、そのときの私にはまだよくわかっていませんでした。 救急搬送で周産期医療センターに運ばれ、人工羊水を注入し、止まらない羊水流出に、点滴のように持続的に人工羊水をいれ、張り止め点滴も24時間、尿管カテーテルも入り、MFICUで食事もトイレも寝たままの完全に寝たきりで過ごしました。
そんなにしても、赤ちゃんはきちんと生きられるまでの成長をする間お腹に入れておくことはできないだろうとのことで、人工死産となりました。
21週のあいだに死産しなければならず、ラミナリアで子宮口を広げると説明をうけていましたが、結局先生が手でこじあけ、痛さで叫びながらベッドで飛び上がりました。
赤ちゃんは出血にも破水にも負けず、生きてくれていました。 未知の陣痛や出産よりも、我が子の命を失う出産が恐ろしくて気が狂いそうでした。
21週6日、3月14日に442g、27cmの小さな女の子を産みました。 出てきたときにはもう息を引き取っていました。 泣き声も聞こえない静かなお産でした。
それでもそのときは、悲しみよりも、娘を見たくて会いたくて、かわいくて仕方ありませんでした。 生きて産まれた赤ちゃんのように、カンガルーケアをしてもらい、へその緒をもらい、産着を着せてもらい、一晩一緒に過ごしました。
隣の部屋からは赤ちゃんの泣き声が聞こえました。 腕の中の私の小さい小さい娘は、天使のような眠ってるような顔で、目を開けることも、泣き声を聞くこともありませんでした。 ごめんね、ごめんね、と泣きながら抱っこしました。
火葬前に自宅に連れて帰り、一晩親子3人で過ごしました。 私は一晩中、ドライアイスと一緒に娘を抱き、作った服に着替えさせ、おもちゃや時間の限り手紙を書いて折った鶴や、お菓子や生花、写真などを棺に入れ、娘は見えないくらいいっぱいになりました。 死んでしまっていても、火葬して、姿形がなくなり、この手に抱けなくなるのが怖くてたまらなかった。
小さな娘はしっかり骨を残してくれました。 3カ月経った今も毎日悲しくて泣いています。 会いたくて会いたくて、愛しい可愛い娘をいつも想っています。 ずっと一緒にいたかった。 笑顔が見たかった。 声を聞きたかった。 愛情も教えてあげられず一人で逝かせてしまった。 もうこの手に抱くことも二度とできない。 どれだけ想っても会えない。
一緒にいた時間はもうずいぶん前のことのように、長い年月が経ったように思うのに、本当ならまだ娘はお腹にいました。 小さく小さく産まれたはずでした。
辛いとしか思えなかったつわりの時期も、今思えば、娘がお腹にいてくれただけで、元気に生きていてくれただけで、どれだけ幸せだったかと思います。
本当は死んでしまいたかった。 耐えられない悲しみだった。 でも同じ悲しみを抱えながら支えてくれた主人をこれ以上悲しませるわけにはいかなかった。 大好きな私の娘、あなたに会える日をずっと待っています。
ママにしてくれてありがとう。 短い間だったけど、お腹にあなたがいてくれて、一緒に過ごした幸せな時間、あなたをこの腕に抱いた感触、ずっと忘れない。 大好きなここちゃん、あなたに会いたい。
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