Title: 24週 双胎間輸血症候群の疑い(一卵性双生児)
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一卵性双生児、可愛い女の子2人を死産いたしました。 上の子が2歳過ぎたので、そろそろと願っていたところでの妊娠でした。 7週目の検診でまさかの一卵性双生児が判明。 もともと3人欲しかったので、この時は正直不安よりも双子ちゃんなんて楽しみ!と喜びの方が大きかったです。 初めての妊娠で稽留流産も経験しているので、あの時の子がお友達を連れてきてくれたのかなとも思いました。
途中までは2人の大きさもバランス良く、経過は順調でした。 しかし、ある日の検診で大きさの違いを指摘されました。 その時の体重差は倍ほどで、その後一週間おきに検診でしたが、やはり倍ほどの差は変わらず成長していきました。
一卵性双生児は胎盤を共有しており、吻合血管があるので、血流バランスが崩れると体重や羊水に差ができる双胎間輸血症候群を発症する事があります。 羊水の深度が8cm以上、かつ2cm以下だと吻合血管を焼き切る治療の対象になるのですが、最終的には11cmと2.7cmで治療の対象にならず、経過を見ている間での子宮内胎児死亡でした。
その日は、より動いていた大きい子の胎動を感じないなと思ったものの、もともと2人ともあまり動くほうじゃなったので、その日は就寝しました。 でも、夜中になっても、翌日になっても動く気配はありません。 慌てて駆け込んだ病院でエコーに映ったのは、ピクリとも動かない2人の姿でした。
そのまま入院して子宮口を広げる処置を受け、促進剤を使っての分娩に挑む事になりました。 坐薬を入れたおかげか、ラミナリアを入れる処置もあまり痛くなく、3回目で入れる量が2回目で入ってしまったほどでした。
そして入院3日目。いよいよ分娩の日です。 今から産声を聞けないと分かっててお産するのに、不思議と涙は出ませんでした。 促進剤を使って7時間後、強い陣痛がきました。 いきみも何もしてないのに、お姉ちゃんがつるんと出てきてくれました。 その後は一度遠のき、約1時間後に妹ちゃんが一度いきんだだけで出てきました。 715g、32cmと、555g、28cmの、よく似た可愛い女の子でした。 お姉ちゃん、妹ちゃんともに子宮口を降りてくる感覚が実感できたし、最後にあの子達と力を合わせられたのは、なんだか神秘的な体験でした。
翌日退院し、その次の日に火葬。 一つの棺に仲良く入った2人の周りに、お花や家族が折ってくれた折り紙、お空で仲良く遊べるようにと小さなぬいぐるみをそれぞれに手向けました。 娘たちのお兄ちゃんもパパと飛行機を折ってくれました。 「この紙飛行機で、赤ちゃんお空にのぼって遊べるね」と伝えると、まだ生や死を理解できないであろう息子が「赤ちゃん、もう飛行機乗ったかなぁ?」と言葉にする度に涙が溢れました。
まだまだこの心の傷は癒えそうにありません。上の子がいるおかげで笑って過ごせているけど、ふとした時に、あの子達は苦しんで逝ったのに、どうして私はこうやって笑ったり、ご飯食べたりしてるんだろう‥‥と悩みます。 産声も聞けなかった、おっぱいもあげられなかった、皮膚があまりにも弱く、抱っこすらできなかった。 胎動にもう少し敏感になっていれば‥先生にもっとこまめに診察してくださいとお願いしていれば‥一人だけでも助からなかったかな‥それとも2人仲良くお空にいけたからそれはそれでよかったのかな‥色んな考えが浮かんでは消え、消えてはは浮かびます。
実際にレーザー治療の対象になっていたとしても、2人のへその緒の位置が近く、吻合血管を見つけにくく困難な手術になること、妹ちゃんは単一臍帯動脈で、さらに胎盤の占有面積がすごく狭かったこと。 治療の対象になったとしても2人とも助からなかったかもしれない。もっと予定日近くとか、産まれから亡くなってしまうとか、それよりは良かったのかなと思うようにしていますが、やはりなんで私の子だけという思いはぬぐいきれません。
今は、仲良く骨壷に入った二人に、家族三人でおはよう、いってきます、ただいま、おやすみと話しかけています。 いつになったら前向きになれるのかわかりません。 でも今はたくさんたくさん泣いて、あの子達の事を思ってあげたいと思います。
死産からもう直ぐ1週間。主人から2人の話をすることはなくなりました。でも私はあの子達が確かに私のお腹にいた事、7ヶ月まで一生懸命生きてくれた事の証を残しておきたい。この掲示板に出会って本当に救われました。私だけじゃなく、皆さん辛い過去を乗り越えようとしているんだとわかりました。私も少しずつ、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
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