Title: 19週 原因不明の流産
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2月11日、私たちの天使は空に帰っていきました。
高校の同級生だった主人と27歳で結婚して5年、なかなか子供に恵まれませんでした。 不妊治療もしましたが、共働きのため時間的、経済的にも厳しく、 もう子供はできないのかもと諦めていました。
そんな中、昨年10月のことです。 少量の出血が続くので婦人科に診てもらったところ、子宮筋腫と同時に妊娠が判明しました。 幸い、子宮筋腫も妊娠を邪魔する程のものではないと言われ、 待望の妊娠に、私たち夫婦、両家の家族も喜びに満ちあふれていました。
つわりもなく順調に過ごし、「次の検診で性別が分かりますよ」と言われた4ヶ月検診の2週間後、おりものに薄い血が混じるようになりました。 産科で診てもらうと、筋腫によるものだろうと止血剤を渡されました。 クアトロテストの結果も問題なく、エコーで元気に動く様子、心臓の音に安心し、薬を飲みつつ、仕事もなるべくセーブして過ごしました。 戌の日のお参りの帰りに初めて感じた胎動。おみくじも大吉。 ようやく妊娠できた喜びを、このままずっと感じていたかったのに、 まさか数週間後に悲しいことが起きるなんて。
その後、血の色が濃くなり、2月7日に再度産科に行くと、「流産の危険があるので自宅安静」と言われました。 仕事を休み、家でひとり、ずっとベッドで寝ている状態。 不安で不安で仕方がないけど、枕元のカーテンを開けて、 天気のことや季節のことを赤ちゃんにずっと話していました。
そして2月11日の明け方。 突然お腹を殴られたような激痛で目が覚めました。 時間が経つにつれて、数分間隔になっていく痛み。 今思えばこれが陣痛でした。 主人が産科に電話すると、時間外で主治医も不在だが診ましょうと言ってもらえ、一旦電話を切って産科に行く準備をしようとしたところ、突然の破水。 そのまま救急車で大学病院へ搬送されましたが、赤ちゃんは助かりませんでした。
最初は感染症とも言われましたが、原因不明とのこと。
赤ちゃんは女の子でした。 頭の形、顔の輪郭は主人似。顔のパーツは私似。 小さな手足にかわいい爪も見える、220gの小さな赤ちゃん。 お腹の中にいる時から、ずっと「まるちゃん」と呼んでいたので、名前は「まるみ」になりました。
その日のうちに両家の家族が病院に駆けつけてくれ、代わる代わる、まるみを抱っこしてくれました。 私はただ、ごめんなさいと泣いて謝ることしかできませんでしたが、誰も私も責めず、そっと悲しみに寄り添ってくれました。
その日は個室をとり、家族3人同じ部屋で寝ました。 急なアクシデントにひとりで対応してくれた主人はすぐ寝てしまいましたが、私はなかなか眠れませんでした。 でも、主人がいなければ・・・ 私ひとりでは気が動転して、ただ泣き叫ぶだけだったのかもしれないと思うと、一緒にいてくれてありがたかったと、本当に感謝した1日でした。 この日をきっかけに、主人との絆も深まった気がします。
2月13日に火葬。 この時期にしては珍しいくらいの晴天、暖かい日に、まるみは空に帰っていきました。 事前に火葬場に問い合わせたところ、 灰を持って帰りたい場合は小さい骨壺を用意ください、と言われていました。 でも、小さいながらも骨は残っていました。 しっかり栄養を吸収してくれていたんだな、 もしかしたら、いずれ空に帰ると分かっていたのかもしれないけど、 生きようと育ってくれていたんだなと感じ、涙が止まりませんでした。
あれから3週間、毎日泣いています。 ひとりで外に出るのが億劫です。 子連れのファミリーを見ると、妊娠中の女性を見ると、 どうして自分は・・・と、自分の不甲斐なさを責めて泣いてしまうので。 でも、少しでも前を向かなければ。 プラス思考の主人は、「俺らが楽しくしていれば、戻りたくなった〜って言って帰ってくるよ!」と言います。 そうなることを信じて、産後休暇明けの4月には仕事に復帰します。
まるみ・・・19週、私をお母さんにしてくれて。 私たち夫婦の間に生まれてきてくれて、本当にありがとう。
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