Title: 2度の流産
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1人目はポッター症候群でした。
社会人2年目。この妊娠は、私の頭を混乱させました。 やっと、今の主人に相談して、親に話して、上司に話して。 社会の目は冷たかったです。 何とか親にも認めてもらい、結婚して赤ちゃんを産める環境にまでなりました。 出産前に結婚式をしろという親の結婚の条件があったので、2か月で早急に、準備をしていきました。
結婚式の日程もきまり、6か月検診のある日。 性別が楽しみだねと、主人と話しながら病院にいきました。 主人と楽しみにしながらモニターを見ていると、突然先生の顔色が変わって大きな病院を紹介されました。 不安を抱えながら受診すると、「ポッター症候群」と診断がつきました。 羊水過少。 胎児の腎機能の異常によりおこるものです。 「生まれても生きることはできない。羊水も少なくて、赤ちゃんが動けず、関節も固まってしまう」と医師からの説明。 これは現実化なのか?人工中絶のできる時期でした。 生きられない・動けない。私のおなかの中にいる赤ちゃんをかわいそうに感じました。 人工中絶を選択しました。 ママのおなかの中であれば生きていけるのに。 私は、私の手で決断し、人工中絶しお腹の中の赤ちゃんを諦めました。今でも罪を感じてます。 中絶する際にも、おなかの中で動いて、必死に生命を訴えていました。 どんなに泣いても、涙は止まらなかったです。 死ぬほどつらいラミナリア、子宮収縮剤。 次第におなかの中の赤ちゃんは動かなくなりました。
やっと生まれた赤ちゃんは、女の子でした。 とってもかわいかったです。 ずっとおなかの中で一緒にいたのは、あなたっだったんだね。 抱っこもたくさんできて本当によかった。 ずっと付き添ってくれてた主人とも、この妊娠を機に、絆が深まりました。 きっと、パパとママがもっと仲良くできるようにってこの子が生まれてきてくれたんだなと思いました。 またおなかに戻ってきてね。 心から感謝とメッセージを伝えました。
2人目は原因不明の流産。19週。 前に流産してから、ちょうど半年後でした。 今度は、急な腹痛がきて、休んでも治らず、タクシーで病院へ。 エコーでは心拍が確認できました。 診察では子宮口が開き、陣痛が始まっていました。 19週での陣痛。「もう無理だ」私は悟りました。 そこからは、自然分娩による出産。 また、産声を聞くことができない。また、みんなの期待を裏切って。
もう、何も考えたくなかった。心配かけたくないから気丈に振舞った。でも私のメンタルは灰と化した。 でも、自分から生まれてきた赤ちゃんはやっぱりすごく可愛かった。まだ、未熟だけど命を感じた。 昨日まで、元気におなかの中で動いてたのは辛かったからなのかな。 ママのおなかの中は居心地悪かったから出てきたくなったのか。 本当にごめんなさい。 もう、罪悪感につぶされそうだ。
2人の流産を経験して、生命が誕生するのってこんなにも難しくって、軌跡で、たくさんの人に支えてもらってるんだってわかった。旦那さんの大切さを改めて感じることができた。
赤ちゃんの泣き声とか、小さい子とか、妊婦さんとか・・・みるとすごく羨ましい。 旦那さんは子供が大好きなのに。 元気な子供を産めなくて本当にごめんね。 「友達は何にも問題なく子供がポンポン生まれるのに、何で俺たちは生まれないんだろう」 私だって分からないよ。そんなことつぶやかれたら、また涙が出ちゃうよ。
子供うめなくてごめんね。 でも、赤ちゃんを授かるって奇跡でお母さんにとってはすごく命がけなんだよ? いま生まれてきてる子供たちは、奇跡なんだよ。
私は2人目を流産したその夜。 自分に自信がなくなって、生きてるのがつらくて、すごく死にたかった。 期待してくれたみんなに、申し訳なかった。 元気に産んであげることができなかった赤ちゃんに一番申し訳なかった。 でも、死ねない。旦那さんが「生きててほしい」っていってくれるから生きられる。
すごく子供がほしいのに。 妊娠するのが怖い。
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