Title: 20週4日 人工死産
|
|
3月18日長女の栞里はお空に帰りました。
4年間の不妊治療の末にやっと授かった我が子でした。 諦めようとしていた矢先に体外受精2回目、3回目の移植での妊娠でした。 本当に嬉しくて嬉しくて、診察室で妊娠の判定をもらった時号泣したのを今でも覚えています。
それから心拍確認までは順調でしたが、5週目頃に少量の出血があり、毎日が不安でした。 心配する出血ではないと言われ、9週頃には止まったので、そのまま不妊治療専門病院は卒業になりました。
年が明けて産婦人科に転院となって2度目、4か月に入った妊婦検診の時に、赤ちゃんに浮腫みが見つかりました。 胎児水種の疑いがあると言われ、その時は全く意味がわからなく主人と色々調べたところ、このままでは長く生きれない・・そんな答えばかりに愕然としました。 目の前が真っ暗になり、一気に天国から地獄に突き落とされた感じでした。
総合病院に紹介された結果もやはり、 「かなり浮腫みが大きいから、このままだと心拍がいつ止まってもおかしくもない。産まれても育つ可能性は低い。染色体の異常の可能性がある」 もう、先生の話が頭に入らず、ボーと聞いていただけでした。 かわりに主人が一生懸命に話を聞いてくれていました。
16週に入れば羊水検査をすることになり、それまでは1週間に1度検診に行きました。 スクスク成長する我が子、足をジタバタ動かしたりと、本当に愛おしかったです。 身体の成長にともなって、浮腫みも大きくなり、16週の頃には頭より大きくなっていました。 それでもしっかりとした心拍を聞くと、安心して涙があふれて毎回診察では泣いていました。
少しでも浮腫みが小さくなるように。 染色体の異常はないように。 と祈る毎日でした。
羊水検査の結果は、ターナー症候群。 染色体で異常がでると、浮腫みが小さくなる可能性は低い、育つ可能性もかなり低くなるとのこと。
もう、駄目だ。この子を守る事が私には出来ない。 頭がおかしくなるくらい、泣いて、泣いて、泣きまくりました。 早めに今後を決めなくてはいけなく、主人と一生懸命考えました。 産まれてもすぐに、外科手術が必要となる、障害は間違いなくある、この浮腫みの大きさだと、心奇形などがでる可能性がかなり高い。 ここまでわかっていながら産むのはこの子ためになるのか? 泣きました。今までの人生の中で一番泣きました。
今回は諦めよう。 一度神様の元へ返して、もう一度健康な身体をもらって私たちの元へ帰ってきてもらおう。 そう決めたものの、悔しくて、悲しくて、仕方ありませんでした。
2泊3日の予定で人工中絶をすることになりました。 1日目に子宮口を開く処置をしました。痛くて痛くて号泣していました。 2日目に陣痛促進剤をいれましたが、微弱陣痛がつくだけ。 3日目も陣痛だけで、子宮口がひらかず。 4日目は点滴をしましたが、促進剤を使ってもだめ。 5日目にはバルーンをいれる予定が、痛すぎて入らず。また、促進剤でもだめでした。 6日目、再度ラミネリアで子宮口を開く処置を受けました。促進剤は、まただめ。 7日目に、赤ちゃんの水種があるので出にくいかもとの事で水種を注射で小さくする処置を受けました。促進剤を使うと、それでも陣痛はあるものの、子宮口が2センチから開かず。 そして、この日、初めての胎動を感じました。 8日目の朝、診察で、赤ちゃんの心拍が止まったと聞かされました。 もしかして、昨日の胎動は赤ちゃんの最後の合図だったの? 私に知らせくれたの? 涙が止まりませんでした。
先生から、このままでは母体の体力がもたないので、赤ちゃんをバラバラにして取りだす手術か、このままもう少し頑張るか選択をして下さいと言われました。 心拍が止まったと聞いて、もう力が抜けてしまい、何も考えられなくなっていました。
手術・・・赤ちゃんがバラバラ?嘘・・・そんな・・・ でも、正直、私の体力も限界でした。 8日間にわたって、朝から夜中までの陣痛との戦い。 熱はでて、血圧はあがり、副作用で酷い下痢にもなっており、 もう駄目だと、泣く泣く午後からの手術をする事にしました。
手術前に、最後の診察を受けると、先生が「おっ!子宮口が開いてきてる!ちょっと破水もしてきてるよ。今日もう一日、薬で頑張ってみよう!」と言ってくれました。 辛いけど、嬉しくてもう少し頑張ろう!と思えたのです。
それから2時間の間に急に破水し、分娩室に入って6分で産まれてくれました。 もう、私も主人も号泣でした。 綺麗な形で産まれてくれて本当に嬉しかったです。 浮腫みはあるものの、笑っているお地蔵様みたいな顔をした女の子でした。 産声は聞けなかったけど、普通に産む事ができただけでも本当に幸せでした。 その後小さな箱に入れて頂いて病室で一緒過ごしました。 写真も沢山撮りました。
胎盤がでなかったので一日退院が遅れましたが、退院後、一日家族で過ごして、翌日、火葬をしました。
妊娠がわかってから、今日まで安心する日はほとんどなかった様な気がします。 でも、どれだけ頑張ってもママになれなかった私をママにしてくれて半年間一緒に過ごせた事を一生忘れません。 きっとまた帰ってきてくれる事を信じて待っています。 健康に産んであげられなかったけど、心の中では永遠にママと一緒だからね。 だから寂しくないよね。 栞里、早く帰っておいでね。 有難う。
|
|
|