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  13週 胎児水腫 ・ 8週 不全流産

[2664] 08251128

Name: 08251128    ..bbtec.net
Date: 2016/12/27(火) 13:12
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Title: 13週 胎児水腫 ・ 8週 不全流産    
この6ヶ月の間に二人の子供を亡くしました。
1人目は7月の頭に妊娠がわかり、切迫流産も経験しましたが、12週初めまでは順調に育っていました。
次の3月に生まれてくるはずでした。

茶色のおりものがうっすら出て、おかしいなとは思いました。
走ったり、重いものを持ったり、仕事をしすぎたとかもなく、まったく心当たりがありませんでした。
なんとなく嫌な感じがして産院を受診したところ、
「赤ちゃんの首とおなかにむくみがある」と言われ、
隣の市の大きな病院を紹介されました。
この時点であまりよくないと言われました。

紹介された病院で告げられた病名は「胎児水腫」というものでした。
妊娠初期での生存率はほぼ絶望的。
万が一生まれてこられたとしても長くは生きられない。
それが数時間なのか、数週間なのか、数年なのかはわからないけれど。
そして私たちの子は、先生の見立てによるとこのままお腹の中で死んでしまうだろう、と。
そこまで酷く症状が出てしまっていたようです。

今週中に決断すれば初期中絶で処置できるが、もう少し迷うなら中期中絶処置になる。週数が進めば進むほど、精神的にも身体的にも辛くなりますよと言われました。

夫は私の体を優先して、初期でいった方がいいと考えが固まっていたようですが、私はすぐに決断ができませんでした。
なかなか決められないでいる私に「そんなすぐに決められないよね。悩んで当然だよ、この子のおかあさんだもん」看護師さんが優しく声をかけてくださいました。
「こういうことは本当に人それぞれだから。心拍が止まるまでおなかにいれときたいっていう人もいれば、早く楽にしてあげたいっていう人もいる。あなたの気持ちに従うことが一番大事」
そう言われて気持ちが少し落ち着くと同時に、この子が生まれてくることは万に一つもないのだと悟りました。
初期中絶でいくことに決め、病気発覚から入院手術まであっという間のできごとでした。

先生にも看護婦さんにも本当恵まれ、生きている子とおんなじように扱ってくださったのが嬉しかった。
手術後、病室で目を覚ますと「おかあさん、頑張ったね。今赤ちゃん連れてくるから、いっぱい抱っこしてあげてね」と白い綺麗な箱に入った赤ちゃんを連れてきてくださいました。
赤ちゃんの体はバラバラになってしまっているので箱は開けさせてもらえなかったけれど、箱に「〇〇(私の名前)ベビー」と付箋が貼ってありました。
先生がへその緒も残してくださいました。
か細くて弱弱しくて、でもちゃんと赤ちゃんとつながっていた証。

火葬する日の前日に母乳が出ていることに気付き、さらに悲しくなりました。もう飲んでくれる子はいないのに、私の体は育児をしようとしている。
夫に報告すると「間に合ってよかった」とぽつりと言いました。
お別れをする前におっぱいが出たから、天国まで行く途中おなか減らずにすむね、と。
一度も涙を流さない人でしたが、私と同じくらい悲しんでいるのだと気づきました。

病院への付き添いや書類の手続き、火葬の手続き、自宅と病院の往復・・・夫は悲しむ暇もなく淡々と進んでいく現実に奔走し、泣き続ける私に寄り添ってくれていました。

産後休暇をもらって約2か月後に職場へ復帰しました。
私の勤めている職場は妊婦さん向けの事業や赤ちゃんの健診など、母子保健事業を行っている職場です。
悔しかった。
幸せそうな妊婦さんや、赤ちゃんを抱っこしたお母さん、目に映るものすべて聞こえてくるものすべてが、羨ましくて妬ましくて気が狂いそうでした。
この人たちと私はなにが違ったんだろう、なんで私の赤ちゃんが・・・この人たちの赤ちゃんも私の子と同じ病気になってしまえばいい、堕ろすか死ぬのを待つか選ぶことになってぐちゃぐちゃに悩めばいい、そんな最低なことを考えながら仕事をしていました。
そんなことを考える自分がすごく嫌だったし、恐ろしかった。
他のみんなは、妊婦さんや赤ちゃんのために一生懸命仕事をしているのに、自分のような人間がここにいていいのか、笑顔を張り付けて健やかなふりをして、心の底では妬ましく思いながら、この職場にいていいのか。

自分もちゃんと赤ちゃんを産むことができれば、きっとそんなことを考えずに済む。
元の自分に戻ることができる。

そう思って先生のOKが出てすぐに妊娠を意識し始めました。
11月半ば、生理予定日から2週間経ってやっとうっすら陽性反応が出ました。
嬉しいはずなのに、不安ばかりが膨らみました。
この子も病気になってしまったらどうしよう、またダメだったら不育症?私に何か原因があるのかな?
無事に生まれてくるというイメージが全く持てませんでした。

一方で、もしこの子が順調に育って生まれてきたら、前の子のことを想う時間が減ってしまう、前の子が寂しがるんじゃないか、裏切ってることにならないか、と申し訳ない気持ちにもなっていました。

8週目でようやく胎嚢が確認でき、来週には心拍が確認できるでしょうと言われた矢先に出血。
日曜日だったことと、腹痛はなかったので、診察を受けず、一日安静にしているようにと指示されました。
翌日受診したところ、もう赤ちゃんはいなくなっていました。
内容物が少し残ってしまっていたので、その日の午後に手術をしました。
麻酔が完全に切れるまで病室で休んでいたのですが、赤ちゃんの泣き声やお見舞いに来た人たちの幸せそうな笑い声が聞こえてきて、声を殺して泣きました。

もし無事に生まれてきていたらどんな子だったんだろう、男の子だったのかな、女の子だったのかな。
今回きてくれた子を想うことができたのは、手術から一日経ってのことでした。
おなかにいるときに考えてあげればよかったのに、もうあの子はいない。
せっかくきてくれたのに結局私は自分のことばっかり、前の子のことばっかりで、あの子を置き去りにしていた。寂しい思いをさせてしまった。
自分はなんてことをしてしまったんだろうと、言いようのない後悔に襲われました。

3日間有給休暇をいただして出勤すると、ちょうど赤ちゃんの健診の日でした。
いつも見ている健診室がものすごく遠い場所のように感じました。自分には一生辿り着くことができない場所。

夫にも上司にも「まだ若いんだから大丈夫、次があるよ」と言われましたが、次ってなんだろうと思ってしまいます。
だってもうあの子たちは帰ってこない。

赤ちゃんなら誰でもいいんじゃなくて、私はあの子に会いたかったのだと、叫びたい。
お顔を見たかったし、抱っこしておっぱいを飲んでほしかった。
ハイハイする日、ママと呼んでくれる日、ランドセルを背負う姿。あの子たちの成長を見たかった。

一人目の病気がわかってからずっと沈み込んだままの私に、文句も言わずイラつきもせず、優しく支えてくれる夫のためにも早く元気にならなくてはと思いますがなかなか前を向けずにいます。
どうしたらいいのかわかりません。
また笑顔で赤ちゃんを授かれる日が来てほしい。






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