このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   ツリー表示   一覧表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
  6週 進行流産

[2729] あひの

Name: あひの    ..panda-world.ne.jp
Date: 2018/10/25(木) 14:01
     編集 
Title: 6週 進行流産    
お腹に赤ちゃんがいると確定された時点で、すでに出血があったこと、私の年齢、週数の割には赤ちゃんが小さいことから、90%このまま流産するだろうと言われました。

10年以上も、待って待って待ち望んでいた子でした。
検査薬で陽性反応が出たとき、夫は一瞬とっても嬉しそうな表情を見せたのですが、私の様子を見て喜びを押し込めてしまったようでした。
待っている間に,当然自分たちも歳をとり、超高齢出産と言ってもいいほどの年齢になっていました。
年齢からくる自分の体力への不安や、赤ちゃんに障がいがある可能性など考えると、私は正直手放しで喜ぶことができませんでした。
妊娠出産に関して、ようやく諦めがついた頃でもありました。
どうしてもっと早く来てくれなかったんだろうと思ってしまいました。

その上、病院で9割育たないと言われてしまったショックもあり、私は本当にどうしていいのか、パニック状態でした。

その日の夜、夫が言いました。
産まれて来れない命ならどうしようもない。
でももし、10%の確率で育ってくれて産まれてくれるなら、
命がけで産んで育てるだけ、親にできることはそれだけだろう。
何をそんなに考えることがあるんだ?

あぁそうか、親ができることの根本て、確かにそれだけだなと思いました。
この子が産まれて来たいのなら喜んで迎えよう。
例え、どんなハンディを持った子であったとしても。

そう気持ちが固まった矢先、出血が一気に増え、翌朝には普通の生理の2日目ほどの出血量になってしまいました。
慌てて病院に行くと、もう流産を止められないこと、このまますぐに手術すると言われてしまいました。

そのまま入院することになり、夫に連絡をしてすぐに来てもらうようにしました。
全身麻酔だったはずなのですが、もともと麻酔や薬が効きにくい体質の私は、この時もやはり、意識も感覚もありました。
たださすがに朦朧とはしていたので自制が効かず、恐怖と痛みと悲しさで、ものすごく叫んだし暴れました。

赤ちゃんに愛情どころか、実感もまだないままだったのに、あんなに悲しいものだとは思っていませんでした。
あれから何日も泣き続けました。

今回は赤ちゃん自身に力がなかったせいで誰のせいでもなく仕方ないと産科医に言われて、それは理解してるし納得もしています。
産まれて来れない命とわかっていながら私たちのところに来てくれた赤ちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。

ただどうして、新しい命を手放しで喜んであげられなかったのかと自分を責める気持ちはまだ消えません。
私がストレートに喜んでいたら、夫も私のお腹に触れたり、赤ちゃんに話しかけたりできたと思うのです。
最後まで触れることもなく、一度も話しかけもしなかった夫が、実はどれほど辛かったのかを考えると、赤ちゃんにも夫にも申し訳ない気持ちが残ったままです。

それからお腹から出てきた赤ちゃんを見るかどうかも聞かれず、私自身も見せてもらうなんて頭がなかったことが今も悔やまれます。
まだヒトの形すら成していなかった子でも、一目見ておきたかった。

あの子の姿を思い出すことすらできないのです。
最初の診察の時に渡された膣エコーの写真一枚しか、あの子がいた証は残りませんでした。

でももし、一日ずつでもずれていたら、写真にすら残らなかったし、夫と2人で見送ってあげることもできませんでした。
きっと、そのタイミングまで必死に頑張ってくれていたのだと思います。
こんな健気な頑張り屋の我が子が、愛おしくてたまりません。

男の子か女の子かもわからなかったので、どちらでもいいようにと、夫が『のぞみ』と名付けてくれました。
本当に、望んで望んで待ちわびた子でした。

今はのぞみの周りをお花やぬいぐるみでいっぱいにして毎日のぞみに話しかけながら、平凡な日常に戻りつつありますが、のぞみのことを忘れることはありません。
こんなにいい子なのだから、ご先祖様たちにたくさん可愛がってもらえていると信じています。






削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +