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Name: まどか    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:52
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Title: 妊娠6週・稽留流産    
結婚して半年、7月の末に風邪の様な症状で仕事を休みました。妊娠を気にしていた私は検査薬で調べ、陽性反応を確認。嬉しくて翌日すぐに病院へ行きました。まだ4週という早い発覚だったので心拍は確認出来ませんでした。また2週間後に。ということで職場にも連絡し負担のかからない様に配慮して頂き仕事をしながら2週間後を楽しみに過ごしていました。丁度同じ頃仲良しの友達の妊娠も解りますます嬉しさがこみ上げていました。

数日後その友達が「出血していて流産と言われた。」と悲しいメールが。彼女の分も元気な赤ちゃんを!と一人祈っていました。そして検診日。丁度主人も休みで、赤ちゃんの心拍を一緒に見ようと2人で病院に行きました。超音波で見ていた先生が「ちょっと小さいなぁ・・」と。頭が真っ白になり診察室へ。「6週の胎児の大きさに達していないね。来週また診せてもらって、大きさが変わらなかったら手術します。」と診察室なのに泣けて泣けて涙が止まりませんでした。お腹に確かに居るのに、腹痛も出血もしていないのに!!  

結局、赤ちゃんは成長をみせず手術をしました。しばらく仕事を休みその間家にこもり最近少し元気になりました。主人は前にも増して優しく「二人で仲良く暮らしていたらまた赤ちゃん来てくれるよ。」と。次に赤ちゃんがきてくれたら、あの子の分まで可愛がろうと思っています。同じような事で辛い気持ちで過ごしていらっしゃる方、ゆっくり、ゆっくり元気になって下さい。

(掲載日:2004/8/27)





Name: Laura Collie    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:50
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Title: 妊娠8週・稽留流産    
昨日、8月10日に流産手術を受け、真織は空へ還っていきました。

検査薬に反応する前から、新しい命が宿った確信がありました。お盆に主人の実家に帰省するので、そろそろ近くの個人病院受診して嬉しい報告を…と思ったら、見せられた写真には推定週より2週間も小さい11ミリの胎嚢。医師は一言「まずだめだね」と。頭が真っ白になり、気が付くと受付で支払いをしていました。来週絶飲食できてくださいとのセリフと一緒に紙を差し出され、そこには『人工妊娠中絶手術を受ける方に』とあり、人工妊娠中絶に細いボールペンで横線が引かれていました。赤ちゃんが育ってない事実すらまだまともに受け入れられないのに、人工妊娠中絶の文字は強烈でした。

結局、5日後に最初の子を産んだ国立病院で受診しました。5日の間に、胎嚢は17ミリになり卵黄嚢も確認でき、医師は経過を見ましょうと言ってくれました。「可能性は低いかもしれない、けれど、まだ成長はしているし、完全否定はできません。赤ちゃんは、見えなければ100%存在しない、とは言い切れないから」その言葉には、ずいぶん勇気付けられました。一週間後に受診し、もう一週間後には結論を出しましょう、ということでした。

希望をなくさず、でも、どこかで冷静に覚悟を決めて、一週間後の8月9日、受診をしました。胎嚢は成長を止め、赤ちゃんも確認できませんでした。正直、先生も私も、心の中では最初から可能性は非常に低い、ということを理解していたと思います。医師は、私に気持ちを落ち着ける為の時間を与えてくれたのだと思いました。最初の病院での宣告の後、自分なりに色々と流産の知識を集めていたし、来週を待つことなく、決断し、翌日手術となりました。流産確定後、自分では、気持ちの整理をつけていたつもりだったのですが、予想外のショックに襲われ、主人と連絡の付くまで数時間、ストレスで耳がまったく聞こえませんでした。

手術当日、9時に子宮口にラミセルを入れ(痛みなし)、1315から手術室で手術でした。病室は、他科の年配の方と一緒で、その配慮がありがたかったです。手術は、物々しい手術室で(正直、不安で怖かった)静脈麻酔で寝ている間に終わりました。麻酔が覚めたら、空っぽの子宮が居た堪れなくて、真織のために、そして自分のために泣きました。
もう一度診察して、17時には退院で、体はその時には随分と回復していました。が、精神のほうは、未だ躁鬱を繰り返しています。いずれ時間が癒してくれるだろうと思っていますが、それまではしばらく苦しみと付き合わないとなりません。

今回の、本当に悲しい経験のおかげで、初めて流産をした人の気持ちが理解できました。今までの私はなんて無神経だったんだろう。産婦人科に来る人は幸せいっぱいの妊婦だけじゃない、真織のおかげで、そんなことにようやく気が付くことができました。経験を、無駄にしないように生きていこうと思います。そして、慰め励ましてくれた病院スタッフの方々、気持ちに余裕をくれ、無事手術を終えてくれた先生、私の不安と絶望と情緒不安定を癒そうと必死になってくれた主人と幼い息子に感謝しています。長い乱文、申し訳ありませんでした。

(掲載日:2004/8/27)





Name: さとみ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:49
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Title: 妊娠8週・稽留流産    
結婚して、そろそろ子供が欲しいなと避妊をやめた直後、赤ちゃんは私達の所へ来てくれました。「すぐ来てくれるなんて、よっぽど私達に会いたかったんだね」なんて夫と話してました。妊娠に気付いたのは4週目。周りに妊娠初期流産経験者もいたため、まだ不安定な時期だな、と気を引き締めていたのを覚えています。

5週目:少量の出血。かかりつけの病院に時間外で受診し、そのまま切迫流産の診断で入院。「あー、私、流産するのかも」とまだわからないのにかなり落ちこんでました。血液検査と数日後の超音波で無事に赤ちゃんが成長しているのがわかり、自宅安静に切り替え。いくらかホッとしました。

6週目:心拍を確認。嬉しい!

8週目:順調に大きくなっているとのことで母子手帳を取りに行ってもよいといわれました。切迫流産を乗り切ったように感じました。母子手帳を手にしたので、身近な友達に妊娠を話したりしてました。

11週目:超音波を見てみると、赤ちゃんの心臓は動いていなかった。大きさも8週のまま。ショックでしたがその場ではボーっとしていました。週末だったので、週明けに1日入院で手術することに。

手術の前日、自然に流産も始まってしまったらしく、今まで経験したことのないような腹痛。鮮血。よく考えれば8週から動かなくなった赤ちゃんは3週間近くも私のおなかの中でいたのです。もうそろそろ出たいと思っていたのかもしれません。翌日、子宮頚管を広げる(とても痛かった!)処置をしてから手術。処置から手術までの数時間の間にも流産は進行していたのか、子宮が収縮していたため激痛が走っていました。痛み止めも効かず、おなかの子も出してあげたくて、とにかく早く手術が終わって欲しいと思ってました。麻酔は効きやすい体質だったのか手術室に入ってからの記憶は全くありません。気がついたら病室でした。おなかが痛くなくって、すっきりしていました。

たった2ヶ月ほどしかその存在を感じていなかったとはいえ、その子の存在はとても大きく、心に穴があいたようです。母子手帳までもらって、切迫流産を乗りきったと思って心置きなく子供との将来を夢見ていただけにがけから落とされたような気分とはこのことを言うのでしょう。でも、一方で、私の中に赤ちゃんを愛する母性がちゃんとあって、妊娠できる体であること。命について。夫婦の絆。仕事にかまけた無理な生活を省みること、自分の体を大切にすること…他にもたくさんのことを教えてくれたのはその命でした。
今はまだ感情の浮き沈みが激しく、落ち着けない毎日だけど、おなかにいた命にありがとうの言葉をかけつつ、夫と共に1歩1歩進んでいきたいと思います。

(掲載日:2004/8/21)





Name: はな    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:46
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Title: 妊娠11週    
私が妊娠に気付いたのは6月の末。結婚して3年以上になりますが、これまでこどもを授かったことがなく、一時は不妊治療も受けていました。それもやめ、新たに就職もして半分こどもはあきらめていたので、非常にびっくりしましたがとてもうれしかったのです。妊娠しにくかったこともあって、無事に育ってくれるか不安でしたが、7週で心拍が確認されたので少し安心していました。

ところが9週の終わりで定期検診をはじめて受けに行ったところ、心拍が確認できず成長もあまりしていない、とのこと。やっぱりそんなことになってしまったんだ、なんてわりと冷静でいられましたが、看護婦さんに「元気出してね、祈っとこ!私も祈っておくから」とやさしい言葉をかけてもらった瞬間、涙が溢れ出してしまいました。それからネットで調べていてこのHPにたどり着きました。みなさんの体験談を読ませていただいて、自分の状況を理解することができました。1週間後もう一度確認しましょうと言われたのですが、止まっている心臓が動いてくれるなんてあり得ないだろうし、もう私の赤ちゃんはだめなんだなって。たいていの人は当たり前のように妊娠して出産していますが、ここにきて自分と同じような人がたくさんいることを知り、なんで私だけ・・・と思わないで済みました。

そして1週間後もう一度の確認。だんなも初めて一緒にモニターを見ました。やっぱり駄目でした。先生は「セカンドオピニオンを求めてもいいと思うし、納得できたら手術をしましょう・・・別に1ヶ月でもおなかの中に置いておいても害はないのですよ。だんだん赤ちゃんが溶けていってなくなってしまうんだけど、そのうち出血して出てきてしまうと思うよ。しいて言うなら次の妊娠のチャンスが遅れるってくらいで何も悪いことはないですよ」と説明してくれました。だんなが納得のいくように、さらに1週間後だんなともう一度診察してもらって、次の朝手術を受けるつもりでした。

でも受診予定の前日に、朝からかすかなお腹の痛みを感じ、今までは全く出血もなかったのにうっすらと出血もあり、不安を感じつつも仕事に行きました。私の通院している病院はその日の午後は休診だったので、行くなら午前中に行かなければいかなかったのですが、我慢できる程度だったので行かなかったのです。ところが夕方になってさらにお腹が痛み出し、仕事にも集中できなくなったので早退しました。家についた頃には痛みがかなり激しくうんうんうなりながら、この状態で明日まで耐えることなんて到底無理なんじゃないか・・・そう思いながらだんなにメールで報告。そんな痛みが15分ほど続いた後、突然おなかがびくん!!ってなって「なに?!」って思ったら大量の出血を感じました。一瞬で血の海です。突然こわくなりました。再びだんなに報告したら、すぐに帰ってきてくれて、病院に電話してくれました。でもこの出血の量が多いのかよくある程度のことなのか、私にはわからなかったので休診とわかっている病院に行くことにはためらいを感じました。結局、この出血は多い方だ、休診だけど病院にきてもらわないと仕方ないわねぇと言われ、病院に行きましたが先生が外出中のため3時間ほど横にならせてもらって待ちました。その間痛みはほとんどなくなってきていたし、だんなも仕事が大変なのに帰ってきてもらって悪いから、もう家に帰ろうかなんて思ったりもしました。でも看護婦さんがどっちにしても診てもらわないと、ということで。その間出血も止まらずでした。先生が帰ってこられてすぐ手術台へ。そうはしないとあかんねぇ、赤ちゃんもう出てきてるわ、とすぐに豆つぶみたいな私の赤ちゃんをこの目で見ました。そして真っ赤な膜みたいなのを見せられて、麻酔しますね・・・

気付いたらベッドで寝ていました。横にはだんながいてくれました。ベッドの上で私は目を開けていたそうです。だんなは起きているのかと思ったと言っていました。その後私の身体は出血もほとんど止まり、まったく元気です。赤ちゃんをあきらめなければとわかってからいっぱい泣いたのですが、赤ちゃんがお空に行ってからは不思議と涙が出ませんでした。みなさんがおっしゃるように悲しすぎて涙が出ないのか…それとも…

このHPに来るまで、わたしみたいに12週にも満たない赤ちゃんは「赤ちゃん」として認められないんだ、この妊娠をまだ多くの人に公表してなくてよかった、すぐ失ってしまう結果だったのに妊娠にはしゃいでいた自分が恥ずかしい・・・なんて思っていたのです。でもみなさんがお空へ行った赤ちゃんのことをどれだけ大切にしているのかを知りました。私も赤ちゃんのことを大切に思ってていいんだ・・・この辛さを乗り越えるのは忘れることではなくていつまでも忘れず大切に思い続けることなんだと私は思いました。そう思ったらなんだか少し強くなれた気がします。涙が出ないのは私が冷たいからなのかとも思いました。でも今は悲しみ以上に、赤ちゃんがほんの短い間でもわたしのおなかにいてくれた幸せを感じられている気がしています。そして姿がなくても私の天使ちゃんは私とだんなといつも一緒のはずだから…今も幸せです。ほんとにありがとうって気持ちでいっぱいです。

(掲載日:2004/8/21)





Name: ひまわり    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:45
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Title: 妊娠8週・稽留流産2回    
来週の月曜日(8月9日)、赤ちゃんを掻きだす手術を受けます。今回で2度目です。

1度目は胎嚢は見えたものの心拍は確認できず、妊娠が判って1ヶ月で赤ちゃんとさよならしました。その辛い悲しみを越え、欲しくて欲しくて願って、それから1年後の今回、また、私のおなかにかわいい赤ちゃんがやってきました。

しかし、妊娠がわかってすぐ少量の出血をし、ホルモンの注射を4日に1回ずつ受け赤ちゃんは少し遅いながらも、小さな心拍を見せてくれました。私は、前回は見ることが出来なかった小さな赤ちゃんの心臓が動いているのが見えたのが嬉しくて、診察台の上で涙を溜めて超音波の画面を見ていました。それからも毎日出血してないか・・・?という不安を抱きながらも、自分のおなかをさすっては「あなたはパパとママが願って欲しくてたまらなくてここのおなかに来たんだよ、安心して大きくなって!」と話し掛けました。でも、先週から赤ちゃんの心臓を打つ力が弱く、そして昨日、稽留流産と診断され2日後に赤ちゃんを出す手術を受けます。

また、苦しい麻酔をするの・・・なぜ2度も私は・・・そんなことしか今は浮かびません。2度共、主人と二人、欲しくて欲しくて授かった赤ちゃんなのです。私はお母さんになってはいけないの?いとおしい我が子を主人と二人、両腕で抱かせてはもらえないの?私は世の中のありとあらゆるものに祈りました。でも、願いは届くことなく、小さな命は私たちの両腕に届かない、遠いところに行ってしまいました。何がいけないのか、自分を責めても答えを見出すことは出来ません。でも、今は、あと2日後に私のおなかからいなくなる赤ちゃんが
上手にあたたかい天国にいけますように、そう願うばかりです。術後、落ち着いたら、きちんと検査を受けようと思います。私のような経験をされた方、もっと辛い経験をされた方、そうなりそうで不安な気持ちでこちらのHPに来られた方、どうかどうか、幸せと思える日がいつか来ることを願って、前を向いて、歩いていきましょう。

(掲載日:2004/8/21)





Name: マキ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:43
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Title: 妊娠5週・進行流産    
結婚して3年目になります。結婚して半年ぐらい経ったころ、そろそろ子供が欲しいと思い、がんばっていたのですが、なかなかなかできず病院に。不妊治療を始めてそろそろ一年になる時に、友人に「病院かえてみるのも気分転換になっていいよ」と進められ転院することに。22日に不妊の相談に転院先の病院にいってみると、「妊娠してますよ」と先生から言われ「はぁ!?」と思いながら診察台に。その日は生理予定日だったため、「まだ早すぎて赤ちゃんはみえないけど来週になればきっと赤ちゃんはみえるから、また来週きてください」と言われ、自分のお腹の中には赤ちゃんがいるということを実感できずにだんなに報告。時間が経つにつれてやっと妊娠の喜びが大きくなっていきました。それと同時にエコーで赤ちゃんを確認できないせいか「子宮外妊娠だったらどうしよう」とか「このまま流産しちゃったらどうしよう」とか不安でいっぱいになりました。

妊娠が判明して3日目の夜少量の出血がありました。でも、妊娠初期にはよくあることと自分に言い聞かせその夜は寝ました。次の日になっても出血はとまらず不安になって病院に連絡。「そのまま様子をみてみてください。もし直径5センチの出血があったときはまた連絡ください」と言われ様子をみることに。出血は止まることなくだらだらつづき、診察の予約が入っている29日の朝10時半ごろに生理痛みたいなのと同時に今までにない濃い血が出てきました。ますます不安になりお昼ごろ病院に電話してみたが「午前中の診察がもうおわってしまうので予約してある時間に来てもらえれば大丈夫だと思います」と言われて、しかたなく予約してある時間にだんなと病院に。診察室に呼ばれ「どうかエコーに無事赤ちゃんがうつりますように」と心で祈りながら診察台に。しかし、エコーには
何もうつらず先生から「出血もだいぶしているみたいだし、赤ちゃんはうつらないし多分進行流産だね。いちおう尿検査しますから」と言われ、頭が真っ白になったまま尿検査の結果を待つことに。そしてまた診察室呼ばれ「尿検査でホルモン(?)の値を見てみましたがやはり前回に比べてだいぶ低くなってます。進行流産ですね。今から流産手術をして今日は入院する形になりますが、ご主人はすぐよべますか?」と淡々とした口調で言われ待合室にいるだんなを呼び、二人で今の状態のこと・手術のこと・入院のことなどを説明され、流産したという実感がないまま看護婦さんの言うとおりに病室に行き着替え等を済ましました。だんなは入院の準備でいったんうちに帰ることに。私は、血液検査・血圧
測定・点滴・筋肉注射をして手術の時間をまつことに。そして手術の時間になり、手術室に運ばれる途中「なんで私は運ばれているんだ?」と流産という事実を受け止められないまま麻酔をうたれて記憶がなくなりました。目が覚めるとそこはもう病室で先生になんか言われた気がするけど頭がボーっとしていてあんまり覚えていません。それから、だんなと義母がきて、だんなは私の頭をなでながら泣いてました。しばらくして2人が帰ってしまい、体がだるいせいもあってまた寝ました。

次の日朝診察してもらい「今日はもう退院して大丈夫です」と言われお昼前に退院。うちについてベットでごろごろしていると、だんながとなりきて抱きしめてくれました。そのとき初めて、もう自分のお腹には赤ちゃんがいないことを実感して号泣してしまいました。そして、今日の朝、体温をはかると今まで37度付近を前後していた体温も36.40と一気にさがり、また改めて「もういない」ことを実感しました。

今思うと先生に「安静にしててね」と言われたにもかかわらず、知り合いの店の手伝いを夜10時ごろまでしたり、買い物に半日ぐらい出かけたりしたのいけなかったのかと思うと悔しくてたまりません。先生は、「妊娠初期の段階で流産ということは赤ちゃんの方に問題がある場合は多いですね。」と言われても、買い物に出かけた夜に出血があったことを考えると、あの時うちでおとなしくしてればよかったとか、こーしてれば今頃まだお腹にいたかもしれないと考えてしまいます。次妊娠したらまた流産するかもっていう不安はまだあるけど、先生が「一度妊娠すると体質が変わって妊娠しやすい体になる場合もあるんですよ。1ヶ月たてばまた元通りなるから来月からまたがんばりましょう」という言葉に希望をもってまた不妊治療がんばろうと思います。ここのHPにきてほんとによかったです。私だけじゃない、みんながんばってるんだということを知りとても励まされました。ありがとうございました。

(掲載日:2004/8/21)





Name: かおりん    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:40
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Title: 妊娠12週    
結婚して半年たった6月、妊娠発覚。昔から過酷なダイエット、ひどい生理痛、生理不順などで悩んできた私は妊娠できる体であったことにとても驚きました。そしてとてもうれしかったんです。

でもお腹の張りや生理痛のような痛みがすでにあり、調子は最初から調子が悪かったんです。もしかしたら無事生めないかも、という気持ちがどこかにあって、ごく親しい人にしか妊娠を報告せず、意地っ張りな私は「別に欲しくて作ったんじゃないのよ。」とか「新婚旅行にいけなくなったわ。」とか本音とうらはらなことばかり言ってました。

痛みは気になりながらもお医者さんは「痛みを感じたら安静に」「そんなに神経質にならないで」とおっしゃってたので普通に過ごしてました。しばらくしたらかなり微妙ですが出血があり、夫にメールで報告。出張中だったのでよけいに不安になり、泣きながら電話で帰ってきて、といいました。ちょうど実家にいたので(出産を考え実家近くで通院)歩いて病院へ。治療を施した後先生が「少し様子をみましょう。だめかもしれないけどギリギリまであきらめないで。月曜日何も食べずもう一回きて」といわれました。

夫が新幹線で帰ってきたので駅まで迎えに行き、顔を見た瞬間号泣。それから1時間くらい泣き続けました。その夜から出血がひどくなりもうだめだと思ったので土曜日の朝、何も食べずに夫と病院へ...。そして思ったとおり「今回はあきらめて下さい。」といわれ即手術でした。1〜2時間後に目覚めて帰宅することに。気丈に振舞っていた私も病院を出た瞬間涙がとまりませんでした。そのまま帰宅し家で横になってました。妊娠中に言った言葉が赤ちゃんに届いていたのでしょうか。本音じゃなかった、あなたがお腹に出来たこと本当にうれしかったのに、ごめんなさい。バチがあたったのかな...。初めての妊娠だったのでもう二度と子供が出来ないような気がしてなりません。みんなそんな気持ちになってるんですね。もう流産して1ヶ月以上たちますが、その気持ちはぬぐいされません。でもまたがんばりたいと思います。

(掲載日:2004/8/21)





Name: れおくん    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:39
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Title: 妊娠11週と8週の2回の流産    
初めての妊娠は平成9年1月に発覚!!その時は色々事情があり産むことが出来ませんでした。

その後、平成14年8月に妊娠発覚!それは、もうとっても嬉しくて二人して喜んで結婚の許しを貰いに実家に行きました。しかしその後お腹が張り、微量な出血が続き病院で止血剤や張り止めをもらいながら(その間1〜2ヶ月)仕事も休み安静にしていました。で、少し出血も落ち着いて「ホッ」としたのもつかの間で、検診に行ったら赤ちゃんの心音が聞こえず止まってしまっていたのです。繋留流産ですと言われ、私には一体何が起こったのか解らず(お腹も痛く無く出血も無いのに...)主人にその事を伝えたときは、私よりも先に泣き出してしまいました。私自身もショックで中々立ち直れず、赤ちゃんを見るたび悲しくなってメソメソとしたりしていました。

その後も中々妊娠しなかったのですが、平成16年7月に待望の妊娠が発覚したのです。以前の様になってはイケナイと思い、色々食べるものや飲み物にも気を付けていました。7月20日、検診から帰って来てからお腹が張った感じで少し「茶褐色のおりもの」があり心配ながらも、内診したからだと自分に言い聞かせていました。しかし一向に良くならず23日の夜中に突然の脂汗が出るぐらいの激痛に見舞われ、やっとの思いでトイレに行けばとうとう、赤い鮮血が出てしまいました。どうしたら良いのかとパニックになりながらも病院に?をすると入院の準備をしてすぐ来て下さいと言われ主人を叩き起こし病院に連れて行ってもらいました。先生は「子宮の中に胎児はいます。が、出血も始まってるしお腹も張ってるけど、薬を出しても...家でゆっくり安静にしてて下さい。出血しても胎児が無事の場合もありますから」と言われ痛み止めも何も貰わず帰りました。結局、数分おきに激痛に襲われた為に朝まで一睡も出来ずじまいでいました。23日朝7時前トイレで塊が出てしまい腹痛が収まってしまいました。結局その日はベットから出ることも出来ず、翌日病院に行ったら「進行性流産です。子宮の中には血の塊しかありません」と言われ緊急手術になりました。連続して流産はしないと言われいたのになぜ?と思いとても腹が立ちます。夫婦どちらかに原因があるのなら、ちゃんと調べて治療もしたいと思っているのに...でも、知り合いに2人流産した後3人のお子さんに恵まれた方もいるので、私の年齢が30代半ばに突入するのでめげずに頑張って子作りに励もうかと思います。

(掲載日:2004/8/15)





Name: ぴえった    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:38
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Title: 妊娠5週と10週の2回の流産    
最初の妊娠は結婚して2ヶ月程の頃でした。胎嚢が確認されて、赤ちゃんが見えるのを待つばかりでした。しかし、赤ちゃんを確認することができません。週に1度尿検査でhCGの値を見ていましたが、ある日前の週と比べほとんど上昇がみられなくなり、流産と診断されました。腹痛も出血も全くなく、手術は翌日の午後に決定。手術前に筋肉注射と麻酔前の点滴を開始。この点滴で眠ってしまう人もいるそうですが、私は全く眠くなりませんでした。麻酔が体内に入り、3数える頃意識はなくなりました。しかし、手術が終わる前に麻酔がさめてしまいとても痛かったのをおぼえています。麻酔が完全にはさめていなかったため手術終了後に1時間程分娩台の上で眠ってしまいました。

翌年2度目の妊娠をしました。病院に行った時5週位でしたが、胎嚢が確認できなくて1週間後にくるように言たのですが翌日の夜に軽い腹痛があり、心配で朝になってから病院へ。やはり胎嚢が確認できなくて、子宮外妊娠の可能性もあるという事でその日のうちに入院しました。入院してから4日目、胎嚢が確認できない事と尿中hCG量から赤ちゃんはあきらめるようにと…5日目、やはり子宮外妊娠の可能性も否定できないとの事。とにかくどこに着床しているのか確認できない状態だったので試験開腹の手術をするか、最初に稽留流産の時と同じような手術をしてhCG値が下がらなかったら開腹するかを選ぶように言われたのです。いきなり開腹手術なんて怖くて、流産時と同じ手術をとりあえずする事にしました。前回と同じように進んでいきます。しかし、今回も麻酔が途中でさめてしまいとてもつらい思いをしました。しかも、今回は完全にさめてしまったようで手術後も意識ははっきりしていたので術後15分程で病室にかえされました。

分娩室から出ると、まもなく出産の人とそのご主人がいました。奥さんは陣痛で苦しい様子。旦那さんの方が私をじーっと見ていました。私は麻酔がさめてかなり叫んでいたし、無事に出産した人ではないとわかっていたのでしょう。あの人の私を見る目、今でもおぼえています。

血液検査の結果、薬を飲んだり、注射をしたりしないと妊娠を継続させる事ができないとわかりました。妊娠を望む1ヶ月前から薬を飲むことが必要だそうです。2人目を流産してから4年がたちました。妊娠もしにくいので治療をしていましたが、妊娠にはいたっていません。初期の子宮頸がんで頸部を円錐切除しているため、さらに流産の危険度は高まった状態です。もしかしたら、もう妊娠はできないかもしれないけどいつかは会えると信じて生きていたいです。

(掲載日:2004/8/15)






Name: どんぐり    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:36
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Title: 妊娠5週・進行流産    
月の初めに生理が遅れている事に気づいて、「もしかして・・」とすぐに妊娠検査薬で調べました。子供がほしいと思って1年、ようやく陽性反応!が出てとても嬉しかった。主人もとても喜んでくれました。さっそく病院へ行くと小さな胎嚢が確認されました。5週目でした。妊婦さんの雑誌を買ったり、ネットで調べたりと妊娠生活にワクワクしていました。子供の名前を主人と考えたり、これからがとても楽しみでした。

しかし暫くして突然の出血がありました。お腹の痛みもなく、何の兆候もない出血。。。。
無理したり、走ったり、何もしていないのに??すぐに病院へ行ったのですが、まだ胎嚢が見えたので、薬の処方と自宅安静にと言われ、家で寝たきりの生活でした。だんだんと出血というよりも重い生理に変わり、とうとう塊が出てしまいました。自分の中で「お腹の中にはもういない」という確信がなんとなくありました。涙が出て悲しいというよりも、本当に突然だったので何が起きたか全く分かりませんでした。

病院へ行くと、胎嚢も見えなくて「進行流産」との事でした。何かしたから、食べたから等、全く関係ないそうで、自然に流れてしまったものだという説明でした。子宮に残った物を取る手術を今すぐにするとの事。なにがなんだか呆然として、看護師さんにいわれるがままでした。採血、心電図、点滴・・・・手術台に上がって、麻酔を打たれた途端に意識がなくなりました。

少し意識がもうろうとして、「終わったよ」と主人の声がかすかに聞こえました。夢の中では、トンネルの中をひたすら走っている自分がいました。トンネルから抜け出れた!と思ったら、そこは野球場でした。自分独りがグランドでバッターとして立っています。。私はウツロな状態で旦那に「試合なのに見方も敵も来ない。お客さんは沢山自分をみてるのにボールも飛んでこないよ。。」と言って、ワンワン泣いていました。すべて夢の中の出来事でした。
主人が「30分たって誰も来なかったら、どんぐりちゃんの勝ちだよ」と言ったのが聞こえました。私が「そうかルールで決まっているんだね」と言って、30分たって勝って試合終了した途端に目が覚めました。私は病室のベットに寝ていました。

ウツロな状態でしたが、自然と手で子宮をさすっていました。すべて終わったと思うと、涙がドッと溢れてきて主人が何度もタオルで拭いてくれました。お医者さんから「次の生理が来たら、また普通に子供は作れます」と言われました。病院の看護師さんは何度も入院費の支払いの事を私に言いました。「分かりました、退院時に払います」と言っても「お金の事、きいていますよね」「一時金でいいのでお願いしますよ」等々・・流産した悲しみの中で、とてもきつい言葉でした。 

主人は「魂がお腹に入ろうとしたけど、神様が魂に、もう少し勉強しないとだめだよ。。と言ったから今回はこれなかったんだよ」と言いました。退院した後、不器用な主人が買物に行って、初めて作ってくれた焼ソバの味は忘れられません。退院祝いのケーキも買ってきてくれました。主人が側で支えてくれたから、乗り越えられたと思います。

とても悲しい経験でしたが、同じような人の気持ちが分かったような気がします。独身の時には、すぐに子供は出来ると思っていましたが、命の尊さを実感しました。また、赤ちゃんがお腹に宿ることを望んでいます。その時は、大切に感謝して育てたいと思います。

(掲載日:2004/8/13)




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