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   妊娠6週・稽留流産   
   妊娠8週・稽留流産   

Name: まどか    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:52
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Title: 妊娠6週・稽留流産    
結婚して半年、7月の末に風邪の様な症状で仕事を休みました。妊娠を気にしていた私は検査薬で調べ、陽性反応を確認。嬉しくて翌日すぐに病院へ行きました。まだ4週という早い発覚だったので心拍は確認出来ませんでした。また2週間後に。ということで職場にも連絡し負担のかからない様に配慮して頂き仕事をしながら2週間後を楽しみに過ごしていました。丁度同じ頃仲良しの友達の妊娠も解りますます嬉しさがこみ上げていました。

数日後その友達が「出血していて流産と言われた。」と悲しいメールが。彼女の分も元気な赤ちゃんを!と一人祈っていました。そして検診日。丁度主人も休みで、赤ちゃんの心拍を一緒に見ようと2人で病院に行きました。超音波で見ていた先生が「ちょっと小さいなぁ・・」と。頭が真っ白になり診察室へ。「6週の胎児の大きさに達していないね。来週また診せてもらって、大きさが変わらなかったら手術します。」と診察室なのに泣けて泣けて涙が止まりませんでした。お腹に確かに居るのに、腹痛も出血もしていないのに!!  

結局、赤ちゃんは成長をみせず手術をしました。しばらく仕事を休みその間家にこもり最近少し元気になりました。主人は前にも増して優しく「二人で仲良く暮らしていたらまた赤ちゃん来てくれるよ。」と。次に赤ちゃんがきてくれたら、あの子の分まで可愛がろうと思っています。同じような事で辛い気持ちで過ごしていらっしゃる方、ゆっくり、ゆっくり元気になって下さい。

(掲載日:2004/8/27)





Name: Laura Collie    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 17:50
     削除 
Title: 妊娠8週・稽留流産    
昨日、8月10日に流産手術を受け、真織は空へ還っていきました。

検査薬に反応する前から、新しい命が宿った確信がありました。お盆に主人の実家に帰省するので、そろそろ近くの個人病院受診して嬉しい報告を…と思ったら、見せられた写真には推定週より2週間も小さい11ミリの胎嚢。医師は一言「まずだめだね」と。頭が真っ白になり、気が付くと受付で支払いをしていました。来週絶飲食できてくださいとのセリフと一緒に紙を差し出され、そこには『人工妊娠中絶手術を受ける方に』とあり、人工妊娠中絶に細いボールペンで横線が引かれていました。赤ちゃんが育ってない事実すらまだまともに受け入れられないのに、人工妊娠中絶の文字は強烈でした。

結局、5日後に最初の子を産んだ国立病院で受診しました。5日の間に、胎嚢は17ミリになり卵黄嚢も確認でき、医師は経過を見ましょうと言ってくれました。「可能性は低いかもしれない、けれど、まだ成長はしているし、完全否定はできません。赤ちゃんは、見えなければ100%存在しない、とは言い切れないから」その言葉には、ずいぶん勇気付けられました。一週間後に受診し、もう一週間後には結論を出しましょう、ということでした。

希望をなくさず、でも、どこかで冷静に覚悟を決めて、一週間後の8月9日、受診をしました。胎嚢は成長を止め、赤ちゃんも確認できませんでした。正直、先生も私も、心の中では最初から可能性は非常に低い、ということを理解していたと思います。医師は、私に気持ちを落ち着ける為の時間を与えてくれたのだと思いました。最初の病院での宣告の後、自分なりに色々と流産の知識を集めていたし、来週を待つことなく、決断し、翌日手術となりました。流産確定後、自分では、気持ちの整理をつけていたつもりだったのですが、予想外のショックに襲われ、主人と連絡の付くまで数時間、ストレスで耳がまったく聞こえませんでした。

手術当日、9時に子宮口にラミセルを入れ(痛みなし)、1315から手術室で手術でした。病室は、他科の年配の方と一緒で、その配慮がありがたかったです。手術は、物々しい手術室で(正直、不安で怖かった)静脈麻酔で寝ている間に終わりました。麻酔が覚めたら、空っぽの子宮が居た堪れなくて、真織のために、そして自分のために泣きました。
もう一度診察して、17時には退院で、体はその時には随分と回復していました。が、精神のほうは、未だ躁鬱を繰り返しています。いずれ時間が癒してくれるだろうと思っていますが、それまではしばらく苦しみと付き合わないとなりません。

今回の、本当に悲しい経験のおかげで、初めて流産をした人の気持ちが理解できました。今までの私はなんて無神経だったんだろう。産婦人科に来る人は幸せいっぱいの妊婦だけじゃない、真織のおかげで、そんなことにようやく気が付くことができました。経験を、無駄にしないように生きていこうと思います。そして、慰め励ましてくれた病院スタッフの方々、気持ちに余裕をくれ、無事手術を終えてくれた先生、私の不安と絶望と情緒不安定を癒そうと必死になってくれた主人と幼い息子に感謝しています。長い乱文、申し訳ありませんでした。

(掲載日:2004/8/27)



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