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   30週 子宮内胎児死 ....   
   胎児水腫 25週 死 ....   
   34週6日 原因不明 ....   
   2度の流産   
   16週 稽留流産   
   無題   
   18週5日   
   四度の流産   
   初期流産   
   8週2日 進行流産   

Name: haruto    ..warabi.ne.jp
Date: 2015/06/25(木) 16:09
  返信  引用  編集 
Title: 30週 子宮内胎児死亡    
6月12日に息子を死産しました。
前の週の健診までは元気に動いていました。
日曜日から胎動が大人しくなり・・・心配でしたが、今までも胎動は激しい方ではなかったので、翌日になってから病院に電話しました。

電話のあとすぐに病院にいきましたが、既に心拍が確認できませんでした。
今でも後悔しています。
もっと早くいけば助かったのかと、自分を責めています。

旦那は子供好きで、毎日、お腹に話しかけていました。
親も初孫を楽しみにしていました。
申し訳なくて本当に辛いです。
でも、あの子がまた戻ってきて来ると信じて生きていこうと思います。





Name: Haru    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/06/18(木) 00:05
  返信  引用  編集 
Title: 胎児水腫 25週 死産    
2人目の妊娠で、息子の育児に追われながらの妊婦生活。
1人目の時よりもお腹の子の事を考える時間は少なかったのかもしれません。

特に問題もなく安定期を迎える事ができ、このまま順調に過ぎて出産するものだと思っていました。
女の子がいいなとか、息子はどんなお兄ちゃんになるのかなとか、家族4人の幸せな未来ばかり思い描いていました。

7ヶ月健診の日。
今日こそ性別が分かるかな?と、ドキドキワクワクして待っていましたが、診察室に入ってエコーが始まると、すぐになぜか先生が別の先生を呼び、バタバタし始めました。
「胎動はありますか?」とか質問された気がしますが、何か異常事態なんだと感じて頭の中はパニックでした。

難しい表情でエコーを動かす先生と、いつもと様子が違う赤ちゃんを見て、だんだん血の気が引いていくのが分かりました。
「赤ちゃんがすごく浮腫んでいて、肺に水も貯まっています」
訳が分かりませんでした。
自分の事だとは思えなかったんです。
やっとの思いで口から出た質問は、
「心臓は動いてるんですか?」でした。
「心臓はまだ動いてますが、おそらくこのまま育つ事は難しい状態です」
私の中で何かが崩れ落ち、絶望感に襲われ、一気に涙が出てきました。
大きな病院で詳しく検査してもらうよう説明を受けながら、何も受け入れられずただただ泣き続けました。

その日のうちに詳しい検査を受けました。
結果は同じく、胎児水腫で状態もかなり深刻であり、このまま心臓が止まるのを待つしかないとの事でした。

帰りの車の中で主人も運転しながら泣いていました。
それがまた、辛かった。
それから2、3日はこれが現実だとは思えず、眠るのも怖かったです。
明日になれば、これは夢だったんだってことないかなと毎日強く願いました。
でも、こんなリアルで長い夢がある訳もなく何度目が覚めてもこれが現実でした。

それから、明日心臓が止まるかもしれない恐怖の中で、夫婦で病気について色々調べ、胎児水腫の胸水を抜く手術ができる病院を見つけて、もしかしたらこの手術ができれば水腫がなくなるかもしれない・・・と、小さな希望を抱いて遠くまで足を運んでみましたが、やはり結果は同じでした。

病院での説明は、毎回、死の宣告を受ける気分でした。
ここまでくると大分落ち着いて説明を聞けるようになっている自分がいました。
羊水過多でお腹は臨月のように大きくなり、いつもパンパンに張っていてほんのわずかしか胎動を感じる事ができず、それも悲しかったです。
そのわずかな胎動を感じてあげる事、話しかける事、精一杯愛してあげる事、お腹の中で苦しくても頑張って生きようとしている我が子に、してあげられる事はそれしかありませんでした。

我が子を助けてあげれず、親としてこんなに辛い事はありせん。
病気が見つかってから2週間程経って、ちょうど梅雨入りした日に行った診察で、赤ちゃんはお腹の中で亡くなっていました。
まるで私の心の中のように雨が降り続けました。

その日から入院して、子宮口を開く処置を受け、翌朝から促進剤を開始し、それから3時間半程で出産しました。
処置から陣痛、出産までの間、恐怖と痛みと辛さで本当に逃げ出したかった。
一人目の時と全く同じお産方法でしたが、息子が産まれた時とは真逆で、産声もなく笑顔もなく私の悲しい泣き声だけが響きました。
それでも我が子に会いたい、抱っこしたい!という気持ちは同じでした。

出産してから「女の子ですよ」と言われ、この腕に娘を抱いた瞬間心から幸せを感じました。
私の腕の中で静かに眠る小さな小さな赤ちゃん。
可愛くて愛しくて本当に嬉しかった。
水腫で全身が浮腫んでいて、どんなに苦しかっただろうと思うと、「ごめんね、きつかったね」と、涙が止まりませんでした。

それでも不思議ととても穏やかな表情で、少し笑ってるようにも見える娘の顔に心が救われました。
退院も早く、あっという間に火葬となり娘とのお別れは風のように過ぎました。
突然お骨となり小さな骨壷に入ってしまった娘。
死産から2週間経ちましたが、その喪失感は心にぽっかり穴が空いたような、まだ実感がないようなそんな日々です。

娘の心と共に強く生きていこう!と思ってはみても、実際は明るい未来が描けず、日常に戻る事への不安が広がる毎日。
主人と息子がいてくれるからどうにか自分を見失わずに立っていられるけど、娘を失ってこれから前を向いていけるのか。
それでも、娘の為にこの試練の先へ進む努力をしたいと思います。
そこに必ず私達家族が幸せになれる未来が待っている事を信じて。





Name: ポポ    ..home.ne.jp
Date: 2015/06/10(水) 19:10
  返信  引用  編集 
Title: 34週6日 原因不明 死産    
2015年4月30日
可愛い可愛い宝物を出産し、可愛い可愛い息子と会えました。

でも、その時息子はもうすでに息もせず、鼓動もなく、ただただ、眠っているだけの息子。
産声も、お目めをあけた顔も聞けず、見れず。

抱きしめ、ただただ愛してるとママにしてくれて、ありがとう。
お願いだから、生き返って息をして、泣いて産声をあげてとしか願えず、ずっと、見つめていました。
私に似たお鼻、お手て、ほっぺた、髪の毛の濃さ
旦那似のシャープなあご周り、お目め、おでこのかたち、足の形
本当に私たちの子供なんだなと思いました。

可愛かった、かわいくて仕方なかった。
新生児は百面相と言うように、退院する前に息子にあったら
むくみが治まってて余計パパに似た。
ずるいよ。
そんなされたら離れられないじゃん。

息子は子宮内胎児死亡。原因不明。
なんでうちの息子なのか
こんなに愛しくてやまないうちの息子なのか。
なんで、私は生かされてしまったのか。
私の心臓あげるから、息子を生き返らせて欲しい。

可愛くてしかたない息子

1ヶ月経った今でも癒えないこの気持ち。
ぽっかり空いた気持ち。
すべて、すべてが息子のために生きていた9ヶ月。

愛してやまない大好きな息子。
出来るなら、息子のところへ行きたい。
でも、そんなの喜ばないだろうと分かっている自分。
ママ、そんな強くないよ。
助けて欲しい。
でも、誰も助けてくれない。

どうすることが良いのかもう分からない。

ただただ、愛してやまない可愛い我が子、二度と還ってくることは無いんだ。

誕生死って戸籍にも残せない、
生きてたのに、お腹で激しく動いてたのにね。
確かにいたのにね。
この世にいたと言う形跡を世間は許してくれないんだよ。
戸籍に残したいよ。息子は居たんだって、認めて欲しいんだ。

ただ、愛おしい息子はこの世にはもういません。
二度と抱くことは出来ません。
会いたい。それだけです。





Name: rw    ..ocn.ne.jp
Date: 2015/05/28(木) 15:07
  返信  引用  編集 
Title: 2度の流産    
2度目の流産をしました。

2回とも心音が確認された後でした。

私の周りには、流産経験者が少なく、話せる人があまりいません。

経験していないと、やはり気持ちはわかってもらえないですね。

励ましてくれているのでしょうが、その言葉が逆に傷つきます。





Name: よひママ    ..rev.vmobile.jp
Date: 2015/05/28(木) 11:55
  返信  引用  編集 
Title: 16週 稽留流産    
仕事と2人の育児に全力投球の日々のなか、3人目の妊娠が分かりました。
予定外でしたが、三兄弟の夫や義母は大喜びで、色々と手伝ってくれました。
ただ、今回は今までの妊娠にはなかったつわりがきつく、茶色のおりものもありましたが、2人目の時もあったので気にしていませんでした。

順調でしたが、咳が酷くでることがあり、
しかし、これも今までの妊娠で大丈夫だったからと調子に乗っていました。

5ヶ月直前の検診、順調なんで助産師外来を選んで問診後のエコー検査。
実母もいました。
エコー中、笑顔の助産師の顔が曇り検査技師も来て、医師の診察に変わりますと言われました。
ちらりと見えた我が子は、止まっていました。
1か月前の4D画像では元気に動いていたのに。
体中の血の気が引きました。

医師は「結論から言うと二週間くらいまえから心臓が止まっている。染色体異常の可能性が高い」といっていました。
桜の時期でした。
入院前にお兄ちゃん、お姉ちゃんが棺に入れる桜を用意してくれました。

入院して子宮頸管を広げる手術が痛かったけど、陣痛が来て、今までのお産みたいに産ましてくれました。
火葬して、お骨も残ってくれて納骨もできました。

産休がおわり、もうすぐ仕事復帰です。
今でもあのときの咳が駄目だったのか、調子に乗って無理していたのか、と考えます。
三人目は、今は考えられないですが、ゆっくりと回復していこうと思います。





Name: 蒼ちゃんのお母さん    ..c-able.ne.jp
Date: 2015/05/24(日) 23:47
  返信  引用  編集 
Title: 無題    
先週、赤ちゃんが1週間前と同じくらいの大きさで育っていないこと、心拍が見えないことでおそらく流産と言われました。
明日入院し、明後日手術です。

最初は、まさか自分がそんな宣告を受けるなど思いもよらず、悲しみでいっぱいになりましたが、
周りの人の支えでなんとか冷静を取り戻し、
一緒に居られる残りの日々を母として噛みしめようと気丈に過ごしましたが、
赤ちゃんがお父さんとこの家で過ごせるのは今日で最後かと思うと、涙が溢れて止まりません。

私が次にこの家に帰って来る時には、もう赤ちゃんは居ないんだと思うと、寂しくて寂しくて、なぜこうなってしまったのか、赤ちゃんに申し訳なく後悔と自責の念で眠れません。
育ってなくても離れたくない。

8週の手前で育つことをやめてしまい、まもなく10週目に入りますが、未だに出血もなく静かに私のお腹に居てくれる我が子。
産めなくてもいいから、できることならずっとお腹に居て欲しい。
愛しい赤ちゃん、離れたくないよ。
こんなに辛いことがあるなんて…。

明日の最終診断で奇跡が起きて、しっかり育っているのではないかと、わずかな望みは捨て切れません。
せめて夢でもいいから会いたいよ。





Name: まりなママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/23(土) 23:57
  返信  引用  編集 
Title: 18週5日    
4人目の妊娠がわかったのが、7月のこと。
上の子たちも、夫も大喜び!
家計も楽ではないので、パートにでながらの妊娠生活。
上の子たちの時は、特に異常もなかったので、今回も大丈夫!と思ってました。

妊娠4か月目あたりから腰痛に悩まされ、あまりの痛さに寝不足になることもありました。
ネットで検索してみると、妊娠初期にはよくあること。だったので、特に気にしてませんでした。

4か月後半あたりに高熱と腰の激痛。
すぐ病院にいきました。
「腎盂炎」でした。
抗生剤と張り止めをもらい、1週間ぐらいで熱もおさまりました。しかし、お腹の張りが1時間に5回。あまりにもおかしいと思い、病院へ行くと。子宮頸管は3センチ。
「おそらく腎盂炎の菌がまだ残って、張張っているのでしょう。抗生剤を引き続き飲んでください」
それから3日間、1時間に5回の張り。
心配になって、再診を受けるも、「子宮口もしっかりしまってるので大丈夫ですよ」と、言われたので安心していました。

そして5か月に入って5日目の朝、お腹痛いなぁーなんて思いながら出勤の準備をしていると、急にトイレに行きたくなり、
だけど間に合わず、同時に、つい先ほどトイレに行ったことを思い出して・・・。
確認すると妊娠してから初めての出血。もしかして破水?
「破水したかもしれないんですけど、どうしたらいいですか?5か月です」と、電話にでた看護婦さんに伝えると
「5か月だったらまずありえないと思いますけど、心配だったら念のため検査してみましょうかね。一度きてください」と。
たぶん大丈夫だろうなんて思いながら、逆にパパを気遣っていた私。
病院について、エコー検査。
いつも、結構流れ作業的な感じな先生だけど、エコー見た瞬間「あかんわ!羊水がほとんどないわ!内診行って!」
え?何?確かに一瞬だけ見えたエコーで黒い部分がない、まさか私に限って・・・。

内診で「卵膜が破れとる。これ見て!これが卵膜」
なんか透明の膜みたいなものを先生がつまんでいた。
だから何?大丈夫だよね?
そこで初めて、頭が真っ白になった。
先生から「破水してもて、羊水がほとんどないみたいで、膜も破れてもとるから今回は諦めなあかん。どこの病院に行っても同じやわ。残念やけど今回は、諦めなあかん。」
パパも待合室から呼ばれ、同じ事を先生から言われました。

訳がわからないまま、看護婦さんに言われるままに着替えを済ませ、陣痛室に連れて行かれ、いろいろ質問されて淡々とそれに答える私。
先生がきて、「陣痛おこす薬いれるからねぇ」
陣痛室に戻って、やっと事の大きさに気づきました。
涙が溢れて、止まらない。パパも一緒に泣いてました。
なんで?夢なの?
今までこんな事なかったのになんで?徐々に懐かしい陣痛の痛みが。

促進剤を何度か入れた後、午後5時半、お腹の赤ちゃんが一気に下に下がった感覚がはっきりわかった。
痛みがほとんどなくなった。
看護婦さんに内診してもらい、分娩室に連れて行かれ、いきんでって言われた。
痛みもかなり軽い。
こんなんでいきんでも意味ない!なんて思いながら、何回かいきんでみた。
出てくる感覚なんてほとんどないのに、看護婦さんが「赤ちゃん出てきたよ!もう少し!」先生も間に合わず出産。
すぐに私の処置。
子宮洗浄が何よりも痛かった。
赤ちゃんは?会えるの?でも、怖い。会いたくない。
パパには、事前に看護婦さんが会われますか?って聞いてたみたいで、処置が終えてから、小さな白い箱に私たちの赤ちゃんが眠ってた。
ちゃんと人間の形をした、長男にそっくりな男の子。
その瞬間に死産した事を実感した。
悲しくて悲しくて、どうしようもなく泣き続けた。

上の子たちを実家に預けてパパに泊まってもらって、外が明るくなるまで赤ちゃんを想って泣き続けました。
本当にごめんなさい。
もう少し安静にしてれば、あの時、先生にちゃんと伝えられていれば、後悔しかなかった。

翌日退院。
師長さんに「誰のせいでもないからね。神さまにしかわからないことだから。自分を責めたりしないでね。今は悲しいけど、きっとまた、赤ちゃん戻ってきてくれるからね。」と言われました。
とにかく、淡々と返事をして、赤ちゃんと一緒に帰宅。
市役所にもいかないといけないので、ゆっくりできる時間もなくお家に赤ちゃんを置いてパパと市役所に行き、手続きを済ませ帰宅。そのまま、指定の火葬場。
赤ちゃんを助手席で抱きながら、着くまでずっと泣いていました。
火葬の時間になり、最後のお別れ。
一昨日までお腹にいた小さな赤ちゃん。私の赤ちゃん。
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。
お空に行ったら、私たちの事見ててね。
私たちは、絶対に忘れないからね。
おにぃちゃんそっくりだったよ。
今は、ママもパパも寂しくて泣いてるけど、きっと元気になるからね。
ママとパパのところにきてくれて本当にありがとう。愛してるよ。

「まだ小さいので、骨は、残らないのでこのままお帰りください」との事でした。
職場には、なんとか連絡を入れて、少しの間お休みをもらいました。
こんな時でもお腹は、すくんだなぁなんて思いながら、軽く食事を済ませ、帰宅。
それから数日間は、出産した時の感覚が頭から離れず子供たちを寝かせてからは、泣き続けました。
唯一の証のエコーの写真みながら、泣きました。

立ち直るのに時間はかかるかもしれないけど、今は、あなたの事を思いながら泣かせてくだい。本当に愛してるよ。





Name: 色々あるよね    ..ca.comcast.net
Date: 2015/05/23(土) 08:29
  返信  引用  編集 
Title: 四度の流産    
1度目は、2013年10月5日。21週目。
長女と4歳ほどの歳をあけて、2人目は男の子でした。
毎日天にも昇る気持ちで、人生こんなにラッキーだと罰が当たるかな〜?なんて考えていました。
海外に来て、仕事も見つかって、予定通りの二人目の妊娠。
初期の頃に出血があったものの、それは長女を妊娠した際にもあったし、お医者様にも問題なしと言われていました。
つわりも第一子の時より楽で、本当に幸せでした。

毎日、毎日、数時間毎にお腹に話しかけて。
幸せで幸せで。
21週目に再び出血があったのでお医者様に行くと、「問題ないでしょう」と言われ普段どおり仕事をしていました。
その数日後、生理のような出血にかわり、自分で運転して、かかりつけの産婦人科が付属している救命病棟へ向かいました。
何度も何度も同じ事を聞かれ、数時間後やっと詳細なエコーで診て頂いた結果「子宮口が開きかかっていて止められない。産んでもこの週では救えない」と言われました。
経口陣痛促進剤を渡され、医者と何度も話し合い、主人とも何度も何度も話し合って、また数時間が過ぎてから決意して、陣痛促進剤を口に入れて5分もしない間に陣痛が始まりました。
そんなに早く薬が効き始める訳が無いと最初は取り扱ってもらえませんでした。
私が完全に諦めたので、体が陣痛を始めたのかもしれません。
息もせずに産まれた我が子は、本当に長女と主人に似てました。
指の爪の形、眉毛なんて本当にそっくりで、可愛くてしかたありませんでした。
原因は、突然の絨毛膜羊膜炎、子宮頚管無力症、両方?
詳細は分からない、原因不明だと言われました。

小さい服、ブランケット、お空で遊べるように小熊ちゃんもいれて、一緒に火葬しました。
主人と私だけでの火葬です。
こちらでは火葬した骨はその場で粉々にしてしまいます。
本当にちょっとの粉を集めて、可愛いベビーブルーの骨壷のなかで、今でも私たちと一緒に家にいてくれてます。
長女にも何ども何があったのか説明しました。
1年半たった今でも、長女は時々話しかけてます。勿論、私も。

主人も私も、あまりの悲しみから心不全、頭痛に悩まされていましたが、少しずつ回復して再び妊娠に向けて気を切り替えました。

2度目は、そんな辛い経験をした5ヵ月後。
妊娠したのに枯死卵で胎芽が見えませんでした。
自然流産を自宅でしました。

3度目は、再び5ヵ月後に妊娠して7週ぐらいに胎嚢が二つ!双子ちゃん!と驚き、小さいながらも心拍が確認されて、幸せな気持ちが湧き上がると共に子宮頚管無力症の恐怖がありました。
ただ8週目にエコーに行くと、二つとも成長が止まっていました。エコーをしてくださっている方も、私も、何も言えず。
何度も何度も丁寧に診察して頂きましたが、反応は一切ありませんでした。
子宮収縮の薬(ミソプロストール)を飲み、自宅で再び流産。

4度目は、6ヵ月後また妊娠して5週目の初期から既に出血が。
再び初期流産だと諦め、産婦人科に電話するもの「まだまだ早い時期ですから」なんて、訳の分からない事を言われ、なかなか診て貰えず。
3日後にやっと予約が取れたので行くと、エコーと内診をした後「初期流産でしょう。自宅で自然流産を待って下さい」と言われたのが水曜日。
hCGホルモンの状態を見る為に、その水曜日と金曜日に血液検査に行きました。
土曜日の午後から激しい痛みがあり、痛み止め薬を飲んでも全く効かず寝返りもうてないほどの痛み。
自宅でじーっとしながら過ごし、日曜日も激しい痛みは続いたので産婦人科に緊急電話を入れるも「流産ですから痛みがあるのは普通です」と言われ安静にしていました。
午後から少し楽になり、月曜日は仕事を休み再びhCG血液検査。
火曜日に出勤するものの時々気が遠くなるような感覚がありました。
午後に病院から電話があり「先週の血液検査の結果、hCGが一切下がってません。子宮外妊娠の疑いがあるのでかかりつけの産婦人科も付属している救命病棟へ今直ぐに行って下さい。まだ妊娠初期ですし、会社に行ける様なら手術はしなくても薬物療法できますから」
先週、エコーまでしたのに何で?
週末に流産は終了したと思っていたのに?と思って行くと、
「先々週のエコーは誤診です、既に卵管破裂しています。多分、週末にすでに破裂していたのでしょう。あなたのように自宅で安静にして痛みが治まったケースなんて見たことありません。お腹に溜まっている体内出血した血と卵管を取り除く手術を急遽行います」と、そのまま手術。
次の日には退院して、自宅で一週間ほど安静にしました。

これだけ何度も流産をすると色々と言われます。
「諦めたほうが」「一人いるんだし」「ほら、出来ても良くない事も色々あるし」等々。
不運が続いただけで、なぜ知らない人(医療関係者含む)からもこんな事を言われるの?と、今でも暗くなります。
不育症の専門家にかけあってみる予定ですが、あまり期待はしていません。
何故なら既に不育症の血液検査、DNA検査はしており、問題なしと言われているからです。
ただ、もう一回自分の赤ちゃんを抱いてみたい。
それなので、主人を説得するためだけに専門家に行って、「可能性は高い」といって貰いたいからです。

こんな事がおきると思っていませんでした。
月並みですが、子供は本当にさずかるもので幾重の奇跡のうち生まれるのだと思います。





Name: 希香ママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/16(土) 13:38
  返信  引用  編集 
Title: 初期流産    
ずっと忘れられなかった希香のこと、ここで話させてください。

2年前に結婚、すぐに待望の第一子妊娠。
旦那と二人で喜んだのを覚えています。

お互い直感で女の子のような気がする!といって喜んでいたのに。
ある日、酷い腰痛のような痛みがあったので、のんびりしていたら何か出た感じがしました。
不安に思いながらトイレに行くと多量の出血。
一瞬、時が止まりました。
次に涙が出始め、すぐに病院へ行きました。

結果は自然流産。
助けてください!と泣いて訴えても、初期だと助けてあげたいけれどどうすることも出来ないと言われてしまい、頭が真っ白になったのを覚えています。
その後、激痛と出血で何日間か寝込みました。
ひたすら、ごめんね、産んであげられなくてごめんね。ごめんね!と泣き叫びながら。

でもまだ、もしかしたら赤ちゃんいるかな?と思い、痛み止めの薬も飲みませんでした。
1週間後、再び病院に行くともう、綺麗に流れたあとでした。

7月10日がこの子の誕生日でもあり命日でもあります。
水子供養の後、天国にいっても私たちの子供だよという気持ちを込めて希香と名付けました。

今でも辛い時は希香に心の中で話しかけています。





Name: りりこ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/15(金) 22:47
  返信  引用  編集 
Title: 8週2日 進行流産    
結婚式から3ヶ月が経った頃、待望の第一子を妊娠しました。
早く子どもが欲しかったので、妊娠がわかった時は大喜びしました。
妊娠すれば普通に出産できる。
あの頃の私はそう思っていました。

5週で胎嚢が確認でき「次は2週間後に来て下さい」と言われ、
普段通り仕事に行き、いつも通りに過ごしていました。
しかし6週に入った頃から茶褐色のおりものが出るようになり、産婦人科を受診すると胎芽、心拍が確認できましたが切迫流産と診断されました。
入院することになり、仕事を休みました。

トイレ以外は安静の生活が続きました。
3日毎に先生がエコーで確認してくれて、出血は続いているものの赤ちゃんは必死に私のお腹の中で成長して生きてくれていました。
しかし10日目の朝、生理がはじまったような出血があり、ナプキンをよく見ると小さな小さな赤ちゃんが出てきていました。
前日の夜からお腹が痛くて、おかしいなとは思っていましたが、まさかこんなことになるなんて・・・私のあたまは真っ白になりました。
先生からは「おそらく染色体異常による流産だろう」と言われました。
悲しくて悲しくて毎日泣きました。
仕事には、流産して4日後には戻りましたが、仕事が、終わって家に帰ってくると泣けてきます。
あの子が生きていれば今日で何週目だと考える日々が1ヶ月程続きました。

でも、ある時私は思いました。
このままではダメだ、前を向いて笑顔で生きていこうと。
亡くなった子が命がけで私に教えてくれた命の尊さ、妊娠して無事出産することの奇跡。
私は病院に通うことを決め、検査を受けました。
検査の結果、流産の原因は黄体機能不全によるものでした。

不妊治療を受けて、流産から5ヶ月後に妊娠して、元気な男の子を出産しました。

今でも、あの悲しずきた流産の記憶は忘れられないですし、一生忘れることはないと思います。
いつも、亡くなった子が天国見守ってくれていると思っています。






 
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