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   初めての妊娠 初期流産 ....   
   9週目での稽留流産   
   35週 死産   
   12週目 無脳症 人工死 ....   
   6週 進行流産   
   38週 死産   
   20週 流産   
   38週2日での出産 誕生 ....   
   一卵性双生児 19週 ....   
   早期胎盤剥離   

Name: はっち    ..au-net.ne.jp
Date: 2018/12/23(日) 00:18
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Title: 初めての妊娠 初期流産    
先月、初めて妊娠しました。
付き合っている彼との子供でした。
彼とは付き合って1年ほどでしたが、年下で仕事もしておらず、 同棲も結婚もまだまだ先だったのですが、私達の間に赤ちゃんが来てくれました。
無理だと言われる覚悟で妊娠を伝えたら、仕事も住む家も探そう、結婚して一緒に頑張ろうねと言ってくれました。

次の検診の頃には心拍が見れるよと言われ、二人で楽しみにしていました。
しかし、次の検診で心拍は確認できず。
1週間後にまた検診してだめだったら流産ですと言われました。
不安な1週間を過ごした後 流産が決まってしまいました。

彼は仕事を始める前、籍を入れる前、引っ越しもする前のことで、全てなくなりました。
心拍が確認できたら家族に話して、結婚の話を進めようと決めていたので、流産が決まった途端、周りはもとの生活に戻り、私の手術や経過診察だけが淡々と進んでいきました。

やりたいことを諦めようとしていた彼は、結局流産だったことで、始める予定だった正社員の仕事は先延ばしにし、お互いのひとり暮らしの家も、契約更新するまで住むことになりました。

手術から3週間たち、何もなかったかのような生活に戻りました。
結局誰にも妊娠した喜びを話せないままに流産し、安定した仕事を始めてくれる予定だった彼や、結婚や同棲という沢山の幸せもなくなり、
ただただ流産したことを思って悲しむ日々になりました。

先日、供養にも行きましたが まるでなんの幸せもなくなったみたいに心がスカスカで 毎日が辛いです。
励ましてくれようとする彼のことさえ、流産したおかげでちゃんと働かなくて良くなって、好きなこと続けられてよかったねという目で見てしまうようになりました。
今後どうケジメをつけたらいいかわかりません。
信じられなくなってしまった彼とも別れようか迷うようになりました。

彼はゆっくり結婚に向かい また赤ちゃんを迎えようねと言ってくれていますが 先のことも考えず、仕事もせずいる姿に口先だけだなと思ってしまいます。
何もかもネガティブで自分が嫌になります。





Name: 笑ちゃんのママより    ..mesh.ad.jp
Date: 2018/12/19(水) 21:24
  返信  引用  編集 
Title: 9週目での稽留流産    
1年前に9週で流産しました。
結婚して5年、私も39歳になり、
あきらめていたところへの思わぬ妊娠。
うれしくて毎日幸せでした。

定期健診で心拍が止まっているといわれ、流産しました。
1年が経ち、たまに思い出すことはあっても、もう立ち直ったと思っていました。
でも、やっぱり周りで友人などが出産すると、思い出して悲しくなります。
なんで私は母になれなかったのか、もっと私が自分のことをいたわっていたら空に返ってしまうことはなかったのではないか。
後悔や自分を責める言葉ばかりが浮かんできます。

そして、おめでたいことなのにお祝いする気持ちになれない自分にもがっかりします。
なんて自分のことしか考えられないんだと。
でも、仕方ないですよね、悲しいんですもん。
1年たってもこんな気持ちになるなんて、自分でも驚いています。いつになったら悲しくなくなるのかな。
泣いていても帰ってきてくれるわけではないのに。

今日は思い切り泣いて、明日からまたえみちゃんが私に教えてくれたことを大切にして、生きていこうと思います。





Name: いっくんママ    ..dion.ne.jp
Date: 2018/12/03(月) 09:16
  返信  引用  編集 
Title: 35週 死産    
いっくんは、長い不妊治療の末、体外受精でやっときてくれた、男の子だったね。
高齢の為、最初で最後の子かなぁという思いだったので、妊娠反応が出た時は、すごく嬉しくて仕方なかったよ。
ずっと、小さめとは言われていたけど、小さく産んで、大きく育てるって、27週までは全然気にしていなかったよ。

でも、27週のとき、口唇口蓋裂、単一臍帯が判明してからは、
大学病院に転院になって、それからは、受診する度に、不安な情報ばかりが増えていったね。

心臓の疾患、腎臓の腫れ、染色体異常の可能性。
言われるごとに、いっくんがちゃんと生きていけるのかと、不安で押しつぶされそうでした。
でも、例え一緒にいれる時間がどんなに短くても、いっくんに逢いたいってパパが言ってくれてから、私も逢いたいと思った。
自分たちができる事を、一つずつやっていこうと、覚悟が決まったよ。

いっくんが、生きていく為の判断にプラスになるならと、羊水検査も受けた。
でも、いっくん。検査結果が分かる前に、心拍が止まってしまったね。
嘘でしょ。信じたくなかった。
逆子だったけど、いっくん、お尻から上手に産まれてきてくれたね。
閉じてる目を開けてみたら、あまりに可愛くて涙がとまらなくなったよ。

いっくんの声聞いてみたかったよ。笑ったり、泣いたりするところ、見たかった。
健康に産んであげられなくて、ごめんなさい。
またすぐに、ママのお腹に帰ってきてね。
今度は、生きて、いっくんを抱っこしたいよ。
いっくん、だいすきだよ。
待ってるからね。





Name: n    ..panda-world.ne.jp
Date: 2018/11/15(木) 16:27
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Title: 12週目 無脳症 人工死産    
2018年の9月に妊娠が判明しました。
大好きな旦那さんとの間に待望の第一子ができて、夫婦で泣きながら抱き合って喜びました。
妊娠初期から出血はあって、切迫流産のお薬を飲みながら、でも順調に成長してくれてました。

12週目になって、診察を受けていると、先生の様子がいつもとは
違ってました。
心では大丈夫、大丈夫と言い聞かせたものの、やはり悪い予想は的中して、
赤ちゃんは無脳症で、頭が上手く形成されてないとのこと。
このまま妊娠を続けるのは難しい、と言われました。
セカンドオピニオンも受けて欲しいともいわれ、大学病院への紹介状を貰いました。
診断は、大学病院でも、もちろん同じ結果でした。
毎回、検診の時は旦那さんも来てくれて、その日も一緒にいて、
家に帰って、泣きました。

その後は早かったです。
病院の個室で、ほかの部屋の妊婦さんの赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるのが、今は、ちょっと辛いです。
でも、診断を受けてからこの子を諦めるための入院を2泊3日でした間も、全て旦那さんがいてくれたのでとても心強かったです。

今はまだ、色々思うところはありますが、次への希望は持とうと思います。





Name: あひの    ..panda-world.ne.jp
Date: 2018/10/25(木) 14:01
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Title: 6週 進行流産    
お腹に赤ちゃんがいると確定された時点で、すでに出血があったこと、私の年齢、週数の割には赤ちゃんが小さいことから、90%このまま流産するだろうと言われました。

10年以上も、待って待って待ち望んでいた子でした。
検査薬で陽性反応が出たとき、夫は一瞬とっても嬉しそうな表情を見せたのですが、私の様子を見て喜びを押し込めてしまったようでした。
待っている間に,当然自分たちも歳をとり、超高齢出産と言ってもいいほどの年齢になっていました。
年齢からくる自分の体力への不安や、赤ちゃんに障がいがある可能性など考えると、私は正直手放しで喜ぶことができませんでした。
妊娠出産に関して、ようやく諦めがついた頃でもありました。
どうしてもっと早く来てくれなかったんだろうと思ってしまいました。

その上、病院で9割育たないと言われてしまったショックもあり、私は本当にどうしていいのか、パニック状態でした。

その日の夜、夫が言いました。
産まれて来れない命ならどうしようもない。
でももし、10%の確率で育ってくれて産まれてくれるなら、
命がけで産んで育てるだけ、親にできることはそれだけだろう。
何をそんなに考えることがあるんだ?

あぁそうか、親ができることの根本て、確かにそれだけだなと思いました。
この子が産まれて来たいのなら喜んで迎えよう。
例え、どんなハンディを持った子であったとしても。

そう気持ちが固まった矢先、出血が一気に増え、翌朝には普通の生理の2日目ほどの出血量になってしまいました。
慌てて病院に行くと、もう流産を止められないこと、このまますぐに手術すると言われてしまいました。

そのまま入院することになり、夫に連絡をしてすぐに来てもらうようにしました。
全身麻酔だったはずなのですが、もともと麻酔や薬が効きにくい体質の私は、この時もやはり、意識も感覚もありました。
たださすがに朦朧とはしていたので自制が効かず、恐怖と痛みと悲しさで、ものすごく叫んだし暴れました。

赤ちゃんに愛情どころか、実感もまだないままだったのに、あんなに悲しいものだとは思っていませんでした。
あれから何日も泣き続けました。

今回は赤ちゃん自身に力がなかったせいで誰のせいでもなく仕方ないと産科医に言われて、それは理解してるし納得もしています。
産まれて来れない命とわかっていながら私たちのところに来てくれた赤ちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。

ただどうして、新しい命を手放しで喜んであげられなかったのかと自分を責める気持ちはまだ消えません。
私がストレートに喜んでいたら、夫も私のお腹に触れたり、赤ちゃんに話しかけたりできたと思うのです。
最後まで触れることもなく、一度も話しかけもしなかった夫が、実はどれほど辛かったのかを考えると、赤ちゃんにも夫にも申し訳ない気持ちが残ったままです。

それからお腹から出てきた赤ちゃんを見るかどうかも聞かれず、私自身も見せてもらうなんて頭がなかったことが今も悔やまれます。
まだヒトの形すら成していなかった子でも、一目見ておきたかった。

あの子の姿を思い出すことすらできないのです。
最初の診察の時に渡された膣エコーの写真一枚しか、あの子がいた証は残りませんでした。

でももし、一日ずつでもずれていたら、写真にすら残らなかったし、夫と2人で見送ってあげることもできませんでした。
きっと、そのタイミングまで必死に頑張ってくれていたのだと思います。
こんな健気な頑張り屋の我が子が、愛おしくてたまりません。

男の子か女の子かもわからなかったので、どちらでもいいようにと、夫が『のぞみ』と名付けてくれました。
本当に、望んで望んで待ちわびた子でした。

今はのぞみの周りをお花やぬいぐるみでいっぱいにして毎日のぞみに話しかけながら、平凡な日常に戻りつつありますが、のぞみのことを忘れることはありません。
こんなにいい子なのだから、ご先祖様たちにたくさん可愛がってもらえていると信じています。





Name: みおまま    ..dion.ne.jp
Date: 2018/10/23(火) 11:54
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Title: 38週 死産    
経過は順調で、優秀な妊婦さんだと言われていました。
陣痛が来て5分おきになったら連絡するように言われていたので、痛みに耐えながら過ごしていました。
産院で、心音が確認されず救急車で転院することになり、
パニックになってあまり覚えていませんが、涙は止まることがありませんでした。
頭がおかしくなると思いました。
まだ何度もフラッシュバックします。

今思えば3日前の検診。
おなかの張りを相談しても、今生まれてこようとしている準備中だからと。胎動が減ってきたと伝えても、前回と体の向きが違うからかなと。
もっとよく診てもらえていれば、いま、赤ちゃんを抱っこ出来ていたのに。

澪ちゃんは10時間かかると言われていたのに、2時間かからず安産で生まれてきてくれました。
親孝行な子です。
とてもかわいいくて。私と旦那のいいところどりでした。

あの時お空に帰るのが一番いい結果だったのかな。
四十九日が過ぎたね。
みおちゃんのおかげで体は回復してきたよ。
みおちゃんに恥ずかしくないように頑張って生きるね。
みおちゃんの分までパパと家族を大切にするね。





Name: どら    ..so-net.ne.jp
Date: 2018/09/27(木) 11:30
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Title: 20週 流産    
忘れもしない2年前。第2子を妊娠。
嬉しくて嬉しくて飛び跳ねたいぐらい嬉しかった。
12月23日。クリスマスの直前。
下腹部のズキズキするような痛みで歩けなくなり、そのまま病院へ。
「残念ながら・・」医師の一言で頭が真っ白になったこと。
2年たった今でも忘れないあの時のこと。

何気なく過ごしてる日が、どれほど幸せだったか。
たった20週だけど一緒に過ごせた事や、写真を眺めながら毎日過ごしています。
私は忘れない。愛してる。





Name: だんちゃんママ    ..plala.or.jp
Date: 2018/08/28(火) 17:19
  返信  引用  編集 
Title: 38週2日での出産 誕生後の死    
結婚3年目で授かった待望の第一子を出産しましたが、重症新生児仮死で5時間後に亡くなりました。
妊娠初期から出産直前まで全く異常なく元気で、当然のように元気で産まれると思っていました。
唯一、赤ちゃんが少し大きめといわれており、予定日より1週間程度早めて誘発分娩する話をしていた矢先、
予定日2週間前に破水し、そのまま入院しました。
33時間ほど待っても陣痛が来ず、バルーンを入れて子宮口を広げ、その後12時間ほどの陣痛に耐え、やっと子宮口が全開になって分娩となりましたが、思うように赤ちゃんが降りてこず、吸引分娩→緊急搬送され帝王切開となりましたが、
赤ちゃんは酸素不足のため仮死状態で産まれ、そのまま亡くなりました。

私は全身麻酔だったため、目覚めてもしばらく意識がもうろうとしていて、その事実を理解することができませんでした。
何が原因だったのか、何でこうなってしまったのかと問い続ける日々は続いていますが、今は現実を受け止めて少しずつ前を向いていこうと思っています。
30代半ばで年齢的に焦る気持ち、不安な気持ちも大きいですが、いつか弟か妹を授かったら、お兄ちゃんの話をしたいと思っています。





Name: あっくん、だいくんママ    ..eonet.ne.jp
Date: 2018/08/28(火) 13:42
  返信  引用  編集 
Title: 一卵性双生児 19週 人工死産    
結婚して3年目で念願の第一子を妊娠しました。
7週目で一卵性の双子だとわかりました。
初めは喜びと不安でいっぱいでしたが、順調に大きくなるお腹が愛おしく、双子が産まれてくることを夫婦で心待ちにしていました。

19週の検診の日は、たまたま主人の仕事が休みで、一緒に検診に行きました。
エコーで動く二人が見れると主人はとっても楽しみにしていました。
ところがその日、一人の子の心拍が停止していることがわかりました。原因はわからないと言われました。

もう一人はくるくる回って元気いっぱいでしたが
「一卵性双生児で一人死亡した場合、もう一人にも影響することが多い。この子が元気で産まれてくる確率は50%。
残りの50%はお腹の中で死んでしまうか、産まれても重い脳障害が残る。
母体にも感染症や、血栓のリスクがある。
今の週数なら今回の妊娠を諦めるという選択肢もある。
夫婦でよく話し合って」と言われました。

主人と相談した結果、今回は諦めることにしました。

20週4日で双子を出産しました。
小さな2人はとてもとても可愛くて、愛おしい存在でした。

退院して3日が経ちますが、あの時、元気にお腹を蹴るあの子を信じてあげられず空に還してしまったこと、
お腹で苦しんで亡くなってしまっていたのに、全く気付かなかったこと。

授かった日から毎日、私のお腹を撫でる主人や、一緒に安産祈願に行ったり、マタニティグッズをたくさん買ってくれた母。

2人の誕生を楽しみにしてた毎日を思い出すと、辛くて悲しくて、どうしたら良いのがわかりません。





Name: 蒼史のお母さん    ..so-net.ne.jp
Date: 2018/08/22(水) 11:02
  返信  引用  編集 
Title: 早期胎盤剥離    
2018年6月22日23時66分
この日のこのとき、蒼史が生まれて天国に旅立ったときです。

臨月近いせいか、2、3日前から便秘気味でした。
22日の深夜に便意を感じたのでトイレに行くと出ない。
また、便意を感じていくけど出ない。
そんな繰り返しで、朝を迎えました。

朝になると吐き気が出始め、トイレにこもるようになりました。
夫から心配されましたが、私は「大丈夫。便秘なだけだから仕事へ行って」と、夫を会社へ送り出しました。

私はいつまでも改善しない便意にしびれを切らして、思いっきりいきんでしまいました。
おそらくこのことが原因だったのではないかと、今では思います。
そのあとから痛みが徐々に出始めて、9時ぐらいになると腹痛でのた打ち回るようになりました。
それでも、いままでの検診で「順調です。まったく問題はありません。お母さんがちょっと太り気味なことぐらいですね」と言われていたので、何も心配せず、便さえ出れば全てがよくなると楽観視していました。
頭痛の時に産院でもらった痛み止めを飲んで、無理矢理眠ったりして過ごしていました。

その後、お昼になっても夕方になっても出る気配がなく、痛みはひどくなる一方でした。
18時になって、さすがに病院に相談してみようと思い、電話をかけて病状を話すと「急いでタクシーを使って病院に来てください」と言われました。

処置室で看護師さんにエコーを見てもらいました。
その時にはもう、右向き以外で寝ると悶絶するほどの痛みが来るようになっていました。
その様子を見て看護師さんがこう言いました。
「お母さんの痛みは赤ちゃんの痛み。痛いならすぐにでも産院に来ないと。お母さん失格だよ」
その後来た医師が、なんども機器をおなかに押していました。
場所を変えて何度も何度も。
それから医師は言いづらそうに「赤ちゃんの心音が止まっている」そういいました。
私はわけわかりませんでした。
昨日まで当たり前にそばにいて、激しくおなかを蹴っていた息子が。
「そんなわけない」という私に医師は「おそらく早期胎盤剥離です。多分痛くなり始めたころから始まって、午前中にはもう。ここでは処置ができないので、大学病院に連絡します。」
そういって部屋から出て行きました。

そうこうしているうちに看護師が呼んだ夫が来て、夫に状況を伝えました。
夫も驚いていましたが「きっと大丈夫だよ。ちゃんと生きてるよ。俺たちの子供だよ。」と言ってくれました。
私はその言葉にすがりつき「生きているんだ。死んだりするわけがない」と心の中で祈りながら救急車で大学病院へ運ばれました。

そこでも同様のことを言われましたが、信じませんでした。
緊急手術を受けて、気がづくと病室でした。
そこへ夫が蒼史を連れてきてくれました。
ものすごく可愛くて、かつて祖母が言っていた「子供を初めて見たとき、こんなにかわいいものがこの世にあるなんて、とそう思った」と。私も同じことを思いました。
目に入れても痛くないとはこの事なんだなそう思いました。
ですが、私たちの蒼史はうぶ声を上げることはありませんでした。

その後の処理はすべて夫がやってくれて、私は1週間入院して家に戻ってきました。本当はもっと長くいるように言われたのですが、どうしても、と、30日に退院しました。
この日は蒼史を旅立たせるための日でした。
葬儀場へ行くのは夕方だったので、夫と私と蒼史とで海を見に行ったり、散歩したり、絵本を読んだり、精一杯3人の思い出を作りました。
病み上がりには蒼史が重たくて、よくこんなに育ってくれたねと思ったものです。

いざ納棺となると惜しげもなく号泣しました。
「なぜこんなにかわいい息子を手放さなければいけないのか」
怒りでいっぱいで、悔しくて、止めどない悲しみでした。

いまでも、あの時こうしていればとか、夫に頼んで病院へ行っていれば助かったのかもとか思う日々ですが、
少なくとも蒼史は泣いて臥せってばかりいる両親を見て喜ばないと思い、夫は仕事場へ復帰し、私は今就職先を探しています。
天国で蒼史にあった時、胸を張れるように頑張るつもりです。
願わくば、また蒼史に会えるようにといつも思っています。 






 
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