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   顕微授精27週での死 ....   
   繋留流産 9週   
   36週5日 心拍停止   
   不妊治療後、妊娠8カ月 ....   
   2度の流産   
   2回目の流産 10週  ....   
   稽留流産   
   妊娠6ヶ月 羊膜索症候 ....   
   3回目の流産    
   17週 破水 人工死産   

Name: はるママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/21(水) 13:35
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Title: 顕微授精27週での死産    
40歳で結婚し、不妊治療を始めました。
6回の人工授精でも効果なく、体外受精へ移行を考えていた矢先、41歳の時に自然妊娠。
しかし、6週で心拍を確認することなく流産。

そして体外受精を開始し、42歳、顕微授精で妊娠しましたが、胎嚢のまま赤ちゃんにならず2度目の流産。
43歳となり、凍結受精卵の最後の一つにかけて胚盤胞を戻し、妊娠。
今回は安定期まで来たと安心していた7か月に入ったある日、
いつもの胎動が少なく弱い。
数日前にエコーしたときは問題なかったけど、ゆすっても起きなかったので また寝てるのかな、と思っていました。
でも、やっぱりいつもと違う。
休み明け受診すると、すでに赤ちゃんは亡くなって少し時間がたっていたのです。

早く受診しなかった自分に後悔と赤ちゃんへの申し訳なさで涙が止まりませんでした。
少し具合が悪いのかもしれないと思っていたけど、まさか亡くなっているなんて。
これまでの治療で採卵が難しかったので、赤ちゃんに兄弟は産んであげられないだろうと思っていました。
きっと最初で最後の赤ちゃんだから、大事に大事にって思っていたのに。
悲しくて悲しくて、今はどうしていいのかがわからないくらいです。

ひとまわり近く若い夫は優しく支えてくれますが、子どもが大好きで、亡くなった赤ちゃんを抱いてかわいいかわいいと何度もつぶやいていました。
かわいそうで解剖など詳しい検査はしませんでした。
染色体検査もしませんでした。
臍帯が長めで首にかかっていたけれど、締まってはいなかった。
臍帯が捻じれて細くなっていた部分があったがけど、血流が途切れるまではいなかった。それだけがわかりました。

まだ、赤ちゃんがなくなって1週間しかたっていないので ただただ泣くばかりの毎日です。
これから夫のためにも前をむかなくてはとは思っていますが、まだ時間がかかりそうです。





Name: ヤマト    ..au-net.ne.jp
Date: 2018/02/11(日) 16:54
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Title: 繋留流産 9週    
昨年、両側卵巣腫瘍で片方摘出し、もう子供は望めないのかなぁと諦めていた矢先に第二子を授かりました。

第一子から4年。待望の第二子でした。
一度は諦めていたママになれる喜びでいっぱいでした。

9週目の診察で、心拍がないことが分かりました。
8週目まで成長はしていた。愛しい愛しい子。

頑張ったね。ママのとこに来てくれてありがとう。
お姉ちゃんに会わせられなくて、ごめんね。
忘れないからね。お空で見守ってね。





Name: はな0730    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/07(水) 15:49
  返信  引用  編集 
Title: 36週5日 心拍停止    
初めての妊娠でした。妊娠中は産休に入るまで仕事をしていたので、体調が悪くても、自分とお腹の赤ちゃんに頑張れと言い聞かせていました。
今思うと、だいぶ無理をしていたかもしれません。
ちょうど、友達も出産する子が多く、次は自分の番だと当たり前のように思っていました。
お腹の赤ちゃんを労わることもなく、妊娠した奇跡に感謝することもありませんでした。

検診日の5日前、胎動を感じないことに気がつきました。
臨月に入ると胎動が減ると聞いたので判断が難しく、不安なまま1日様子をみていました。
次の日の朝一番に病院に電話をして、受診しました。
エコーで確認をするまで、私も電話対応した助産師さんも先生も胎動を感じないのは気のせいだくらいの雰囲気でした。
エコーを見た先生の表情を見て、気がつくと、私の目から涙がこぼれていました。
他の先生や助産師さんがバタバタと出入りした後、心拍が確認できないと先生から説明されました。
そのまま大きい病院に移動して、すぐに入院になりました。
信じられない事態に気持ちがついていけず、すぐに旦那や両親に連絡することができませんでいた。
しばらくしてかけつけてくれた旦那の顔を見たら、ああ現実なんだと実感し、ただただ「ごめんね」と泣きました。
旦那も黙って泣いていました。

それから陣痛促進剤で3日間。
初めての我が子に会う瞬間まで、どこかで赤ちゃんは生きているという期待が捨てられませんでした。
確かに赤ちゃんは私のお腹の中で元気に動いていました。





Name: さくらくんママ    ..rev.vmobile.jp
Date: 2018/02/07(水) 12:55
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Title: 不妊治療後、妊娠8カ月、30週、臍帯ヘルニア    
晩婚のせいもあり、不妊傾向で、1年間に採卵4回しても妊娠できず、
仕事を辞めて転院して、不妊治療2年でやっと授かったさくらくんを子宮内胎児死亡で亡くしました。

妊娠25週から切迫早産で入院していたが、羊水少し多め、胎児少し小さめも原因がわからず、お腹のなかで亡くなる前日に初めて臍帯ヘルニアが判明した。
朝、看護師さんの心音確認でいつも元気に聞かせてくれたさくらくんの心音がなくなった日のことを思い出すのは怖く、今でも泣いてしまいます。

病気があるのをわからなかったから、毎日さくらくんに大きくなあれと話してごめんね。
不妊治療で、高齢で、やっと授かった赤ちゃんに病気があり、生きて生まれてこれないなんてと、本当にこれからどう生きていったらいいかわからなくなりました。

さくらくんは、いつもママ思いで、仕事中は出血がなかったし、出血があったときはパパがいるとき、お腹の病気もママが心配するからずっと隠して、ただ、さよならの前日にはママに覚悟を促し、亡くなった日はパパがお休みで、出かける前でしたね。
ママにしてくれてありがとう。
ママを守ってくれてありがとう。

まだ死産から2ヶ月弱、生理がまだなくて、楽しみがもてない、
さくらくんのもとにいきたいと思ったことも何度かあるけど
このポコズママの会とパパにだいぶ救われてます。

死産からしばらくは情緒不安定になり、楽しみがなく、
やる気がなく、いきてるのをやめたくなったり、
毎日泣いたりするのは当たり前の変化感情だとわかったからです。
それだけで何度も救われてます。

まだまだ1日1回は泣きますし、泣くとすっきりします。
さくらくんのママは私しかいないと思うと、
さくらくんにずっと好きでいてもらえるようにしたいです。
さくらくんとたまごちゃんを迎えにいけるように頑張りたいです。

経験した人しかわからない、本当に辛い経験をしたポコズママの皆様の願いが叶い、穏やかに幸せになりますように。

目には見えないが、ポコズママが全国各地で毎日耐えて頑張ってるのは励みになります。
死産に負けずにもっと幸せになりましょう。
私達は天使くん、ちゃんに見守られてるから最強なのです。





Name: mie    ..mesh.ad.jp
Date: 2018/02/05(月) 03:59
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Title: 2度の流産    
2013年3月の朝、大量の出血。
初めは生理?と思ったら、血が止まらないので、病院へ。
医師より流産だと診断されました。

その日を境に、鬱が発生しました。

旦那を始め、周囲からは、私が悪いと責められました。
兆候はあったかもしれないが、旦那の入院の付き添い等で片道2時間掛けて1ヶ月間毎日通っていて、ホッとした矢先の出来事だったので、ショックが大きかった。
それから、月日が経ち、去年の秋頃、妹の妊娠が判明。
笑顔で祝福できない自分がいました。

そして先月、2度目の流産が判明しました。
今回に関しては、職場の上司以外話していません。

先輩からは、子どもがいない家庭はダメな人間だって遠回しに言われてしまいました。
この5年間、誰にも話せずにいる自分が悪い、自分の不注意などマイナス思考に考えてしまいます。





Name: となり    ..bbtec.net
Date: 2018/02/03(土) 18:00
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Title: 2回目の流産 10週 稽留流産    
前回は7週で稽留流産。悲しかったけど、偶発的とのことでサプリを飲んだり 体を暖めるなど生活改善をして次の妊娠に臨んだ。

妊娠5週で胎嚢確認。妊娠7週で心拍確認。
前回の事があるから流産しないか不安で不安でたまらなかった。
6週目から出血が見られ 絨毛膜下血腫の診断でさらに不安が強くなった。それでも旦那に家事や子供のお世話をお願いしてひたすら安静。

個人病院から産科のある大病院へ紹介され初診時もとても緊張しましたが 赤ちゃんは元気だと言われホッとした。
出血は続いたけど、赤ちゃんは元気に育ってると思うと不安も和らいだ。
そして10週目の検診時、エコーを当てている先生が無言。
「ほかの先生連れてきて」と、声が聞こえる。
その瞬間、心臓動いてないんだなぁと流産を確信。
直後は呆然として泣くこともなく、淡々と医師の話を聞くことが出来た。
自然排出でも手術でも良いと言われ帰宅。

今、稽留流産が確定して1週間が過ぎた。
自然排出か手術か決めかねている。
ただ、ふとした時に涙が出る。
旦那にもキツイ言い方になるし 娘の世話も気後れする。
流産確定後も悪阻が続いてて、何もかも嫌になっている。
そんな自分が申し訳ない。





Name: にゃ    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/01/21(日) 14:45
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Title: 稽留流産    
2回の稽留流産を経験し、自然排出を選択しました。
自然排出を待つまでの期間は精神的にをは地獄です。
ただ、自然排出を終えた後は、体に優しい方法で終えられたということで心地よく過ごせました。

稽留流産の前に2人の子どもを妊娠・出産しています
皆さんの参考になるよう、要点だけまとめます。

■手術か自然排出
・日本では手術が多いが、欧米では自然排出が一般的
・私の場合、二人目を帝王切開しているので、手術してさらに子宮内膜が薄くなることは避けたいし、問い合わせた病院によっては「ハイリスク」と言われた。
・そのことから、1回めの稽留流産、2回めの稽留流産共に自然排出を待つことにしました。

■仕事をしていたか
・1回めの稽留流産は育休中で仕事してませんでした。
・2回めの稽留流産は仕事していました。

■自然排出を促す方法
・海外では使われているが、日本では一般的ではない薬があるとのこと
→神戸にその薬を使っているところが1院だけあったが、自分は東京在住であり、また1回通院すれば良いというものではないらしいので、諦める。
・漢方(自然排出を促したい旨を相談すると、子宮内膜からいらないものを剥がすような漢方を処方してもらった)、鍼灸、鍼灸整骨治療院での下腹部マッサージ(かなり強め)、ジョギング、ゼラニウムオイル、仙骨カイロ、ヨガを日々実践。

■結果(日単位)
・1回めの稽留流産
流産確定  2016/1/12 10W0D
(その前の診察で「流産かも」と言われ、その次の診察が1/12でその時に確定)
漢方飲み始め 2016/1/13
ジョギング  2016/1/18頃から本格的に開始
治療院下腹部マッサージ 2016/1/24頃から2回程度実施
少しずつ出血が始まる  2016/1/28頃から
自然排出   2016/1/31(流産確定後、2週と5日後)

・2回めの稽留流産
流産確定 2017/10/23 10W0D
(その前の診察で「流産かも」と言われ、その次の診察が10/23でその時に確定)
漢方飲み始め 2017/10/25
ジョギング  2017/11/13頃から本格的に開始
治療院下腹部マッサージ 2017/11/6頃から週1回程度実施
少しずつ出血が始まる 2017/11/20
自然排出 2017/11/23(流産確定後、4週と2日後)

■自然排出の日の流れ
・1回めの稽留流産
夜中の2時頃痛みで目がさめ、その後生理痛の10倍くらい(私は生理痛が軽い方です)
の痛みで痛みが激しくなっていき、どちらかというと陣痛に近いような痛み。
痛みがひどく、病院からもしもの時用に処方されていた痛み止めを服用。
痛みに波があるが、4時間ほど続き、朝6時頃血の塊(2センチ)が出たため自然排出したかと思い病院へ。
そうするとまだ出てきていなくて、結局病院でもまだ痛みが続き、朝7時頃「スルっ」と塊が出てきた。これで完全に排出。
病院でその後見てもらい綺麗に排出されているため手術不要とのこと。

・2回めの稽留流産
家族でサイクリングした後、夕方5時頃に家に帰り、生理痛の5倍くらいの痛み。
この時は痛み止め飲まずがまんできた。
波があるが4時間ほど痛み続き、夜9時頃便意がありトイレでいきむと、「スルっ」と塊が出てきた。これが完全排出かなと思った。
実際この後、痛みは引いていってひどい痛みは無くなった。
その晩は様子見とし、翌朝いちばんで病院にいき、綺麗に排出されているため手術不要とのこと。

■排出後について
・2回めの稽留流産の時は仕事していたので、2週間の休暇をとった(制度があった)
・出血は2週間から3週間続いた(最後の1週間は薄い茶オリのみ)
・2週間後に病院で、内診、エコー、血液検査(HCG値)を見てもらい、子宮内に妊娠組織が残っていないことを確認してもらった

■アドバイス
日本の社会では自然排出は難しいかもしれません。
いつまでかかるかわからないため職場への迷惑、外で排出となった時に恥ずかしいなど。
私の場合は外で排出となることはなかったです。
どちらも家でリラックスしている時に自然排出となりました。
待っている間は「いつ出てくるのか」「結局でてきてくれなくて手術になったらどうしよう」「今日も排出のためにジョギングをしないと」などプレッシャーや不安から精神的には地獄に陥ります。
しかし自然排出を終えた後は、自然排出の方が体には優しいと病院の先生もおっしゃっていたため、自然排出を選んで、良かったと思います





Name: 麻仁くんママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2018/01/10(水) 22:22
  返信  引用  編集 
Title: 妊娠6ヶ月 羊膜索症候群(羊膜索による臍帯血循環不全)    
地方から夫の元に嫁ぎ、無事に挙式を終え
そろそろ仕事を始めようかなと思っていたころ、
微熱や体調不良が続いていたため、
もしかしてと思い検査してみると、妊娠していました。

酷い悪阻をこえて、ようやくご飯が美味しくなったころ、
お腹の胎動の異変を感じて病院へ行きました。

その時は「子宮頸管も長さがあり、赤ちゃんも育ってて元気ですよ」と言われ、心音も聞くことができて、
3週間前の検診時より、心音が大きくなっているように感じたので、
不安を抱えながらも、少し安堵して帰りました。

その2週間後、定期検診の前日の夜。
行かないで、やだ、こわい、とずっと言葉が出て
涙も止まらずパニックになり、これがいわゆる第六感だったのかなと思います。
明け方5時に感じた胎動が最後でした。
今日で性別分かるかな?なんて夫とワクワクしながら起きたのに、
病院で「心音が聞こえない」と言われ、成長も止まって胎児浮腫もあると伝えられました。
成長はちょうど病院へ行った2週間前で止まっていたので、
前の時にもっと見てもらえばよかったと後悔しました。
あの日聞いた心音が最後になりました。

即入院となり、その時点では何が原因か分からぬまま、
1日半かけてラミナリアで子宮口を広げて錠剤で陣痛を起こし
2時間で破水、その30分後に出産しました。
25cm221gの男の子でした。

産んだ直後、年配の助産師さんが「これは、しんどかったな…」と言い、
新人の助産師さんを早く拭いてあげなさい!と叱っていたので、何事かと思えば「だって…足が…」と話しており、
なんとなく察しました。
胎動がおかしいと思った日から、同じところしかトントンしなくなったので。

診断は「羊膜索症候群」という、お腹の中での事故でした。
羊膜が何らかの理由でひも状になり、それが赤ちゃんの両脚、へその緒に絡んで血流不全になり、栄養分と酸素が供給できず循環不全になってました。
脚は壊疽していました。
つまり胎動で同じ所をトントンしていたのは動けなかった、ということで、考えるだけでゾッとしました。
年配の助産師さんでも初めてみたぐらい珍しい症例だそうです。

体重が同時期の胎児の半分で、生きようと頑張っていたせいで体重が減ってしまったことが伝わり
なんでもっと早く気付いてあげられなかったのか!と自分を責めました。

苦しかっただろうに。お腹空いただろうに。と言いながら
抱っこしたり、ヨシヨシしたり、可愛い息子との初対面をしました。
ちっちゃい指ひとつひとつにしっかり爪もあり、可愛い顔には眉もまつ毛もしっかりあり私に似ていました。

出産して2日後、火葬の日、よく晴れた残暑の日でした。
火葬場に向かう車の中でラジオからスピッツの「空も飛べるはず」が流れました。

君と出会った奇跡がこの胸であふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が海原へ流れたら
きっと傍で笑っていて欲しい

赤ちゃんからのメッセージのように思えて、夫婦で大号泣。
その日の空は忘れられません。

お互いの両親にもきてもらい、葬儀・火葬して頂き、まだ若いから骨が残らないかもしれないと心配されてた骨もしっかり拾うことができました。

自分の子どもを失うことがどんなに辛いか痛感し、
両親には絶対に同じ気持ちを味わって欲しくない
親より長生きすると心に決めました。

生命の儚さ、今生きてることが奇跡だと赤ちゃんに教わりました。
長々とありがとうございました。





Name: たぬき    ..jp.fiberbit.net
Date: 2018/01/05(金) 01:56
  返信  引用  編集 
Title: 3回目の流産    
「またダメか」
心拍が見えないと分かった時1番に出た言葉です
健診週数通りに育ってくれてたのに心拍は見えませんでした

今日、稽留流産の手術を終えてきました
出血と痛むお腹に終わったんだなと実感させられ、また涙が出ます

この世は不公平だなと思います
もう充分悲しい思いは味わったのに、またダメだった
自分と違って周りの人はなんて楽しそうに話すんだろう
子どもたちはなんて輝いているんだろう
あまりの眩しさに今はそれを直視できず嫉妬する自分もいて、
私はこんな人間だったのかとさらに自分が嫌になります

心拍停止から1週間
たくさん泣いたはずなのに
まだ絶望的な気持ちから抜け出せません





Name: みかんママ    ..home.ne.jp
Date: 2017/12/20(水) 23:39
  返信  引用  編集 
Title: 17週 破水 人工死産    
絨毛膜下血腫と診断され、妊娠初期より大量の出血が続いており、数回の入退院を繰り返していました。
16週頃、大出血して受診すると、即入院で絶対安静。
この頃、度重なる出血で母体は酷い貧血になりフラフラでした。

安静にしていれば大丈夫と信じていましたが、医師からは今回は厳しそうだと告げられました。
それでも、できることは全部やって、なんとか無事に出産したいと思い、張り止めや鉄剤の点滴をし手の震えや動悸に耐え、
バルーンを入れて安静に過ごしました。
不安で仕方なかったです。
ベッドの上で、同じ症状で出産できた方の体験談をネットでひたすら探しました。

17週に入れたので、なんとか22週まで頑張りたいと思いましたが、破水してしまいました。
破水すると感染の危険があること等の説明を受け、夫と相談して流産手術を決断しました。

前処置、陣痛、手術などとても痛く心身ともに辛いものでした。
出血の度に病院に相談して、できる限りやったと思います。
ですが、もっと頑張れたのではないかと葛藤もあります。
一生考えるのかもしれません。
同じく辛い思いをされた皆様に早く心の平穏が訪れるよう祈っています。






 
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