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   3度連続の流産   
   40週0日死産 1 ....   
   15週2日での流産   
   3度目の流産 9週 稽 ....   
   7か月 死産   
   胞状奇胎   
   7週 化学流産 20週 子 ....   
   16週 子宮内胎児死亡   
   9週 初期流産   
   13週 胎児水腫 ・  ....   

Name:    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/06/28(水) 14:46
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Title: 3度連続の流産    
本日、3度目の流産の確定診断を受けたところです。
まだ不安定で涙が出てきます。

1度目は昨年9月。
2度目は今年の4月でした。
不育症がわかり、ヘパリンとアスピリンでの治療を受けながらの3度目の妊娠。
今度こそと思いましたが、心拍停止。
今回は9週目で、赤ちゃんも二頭身、エコーでは手足も耳も口もわかるようになっていました。
とても可愛い横顔でしたが、動いておらず胎嚢の底にくったりと横になっていて。
ただただ残念でなりません。

不妊治療でお世話になっていた先生は、とても穏やかで、念のためもう一人の先生にも見て貰おうと言ってくださって。
最後に可愛い姿を2度も見ることができてよかったなと思っています。
染色体検査をすすめられました。
迷いましたが、明日手術をしてきます。

2度あることは3度あるんですね。
確率論としては、3度目の妊娠はかなり低いはずなのに。
現在、体外受精で授かった2歳の息子がいます。
3度も流産を繰り返した事で、この子が本当に奇跡の存在なのだとわかりました。
まだ手術を控えて辛くて何にも手につきませんが、息子のためにも明るく前を向いて進めるように早く立ち直りたいです。





Name: まい    ..dtn.ne.jp
Date: 2017/04/24(月) 16:07
  返信  引用  編集 
Title: 40週0日死産 10週流産    
2012年12月、結婚してすぐできた待望の第一子。
年明けと共に妊娠検査薬で判明した子。
何の異常もなく、臨月まで迎えることができました。
検診の前夜、寝る前に今までに無いくらい大きな胎動。
思い返せば、これが最後の胎動だったのかな。

朝起きて、胎動の事は気にもしていなかった。
前回の検診で、子宮口が2センチ開いていて、だいぶ柔かくなっていると言われていたので、出産の日をわくわくしながらの検診でした。

朝起きたとき、何となくだけど弱い胎動があったような気がした。
NSТをしようとしても心拍が拾えない。
前回もなかなか拾えなくて、人が代わったら見つかったので、また今回も下手な人にあたったと思っていた。
でも、人を代えても心拍は拾えず、エコーを見てみることに。
心臓は動いていませんでした。

医師から「残念ながら赤ちゃんは亡くなっています」と告げられました。
不思議なことに、自分では何故か『やっぱり』と思っていました。


即日入院。その日の夜、再度心拍がないのを確認した後、ラミナリア。
翌朝バルーン→人工破膜→陣痛促進剤→出産となりました。

産声はないものの、生きている子と同じようにお風呂に入れてもらいカンガルーケアを。
可愛い男の子で眠っているようで今にも目を開けそうでした。

子どもは亡くなっているのにも関わらず、両家両親+夫、祖母は仕事を休んで駆けつけてくれました。
みんなで生まれたこを涙を流しながら抱き、誰に似てる?など言い合いました。

一般的に亡くなって産まれた子にはお通夜も葬式もしない。と言われてましたがもう産まれてもおかしくなかった日数ということで、お通夜も葬式もしました。
真夏で暑い日だったので通常の倍以上の保冷剤を入れてくれて、きれいな顔のままお別れできました。

その後、2015年11月、10週で流産しました。
母子手帳をもらってすぐの事でした。
もともと悪阻もほとんど無く、不安という不安も何もなかったのですが、虫の知らせ?なのか、その日は病院に行きたい!という感覚になり、腹痛もあったので病院へ行くと、お腹の子の心拍はありませんでした。
この子も自然流産で産みたいと希望したものの、早く妊娠したいのであれば手術すべきと言われ、手術の日まで日数が空くためそれまでに出て来なければ手術と言う事で同意しました。
結局、その日までに出てこず、吸引手術になりました。





Name: いっくんママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/04/18(火) 07:41
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Title: 15週2日での流産    
1人目が1歳の誕生日を迎えてから2人目を考え始め、順調に妊娠、経過していました。

14週のときに体調を崩し、発熱。出血もしていました。
40度近く発熱することもあり、何度も産科や内科に通いました。なんとなく、キューっとお腹が定期的に固く張る感じもありましたが、経過観察。
今考えると、それが陣痛だったように思います。

その日、午前中の診察。
出血は認めるが、他に異常はなく、赤ちゃんも元気に心臓を動かし、手足をばたつかせていました。
入院はせずに、自宅安静。
張り止めが処方されました。

その後もなんだか定期的に張り、なんとなく痛みのようなものもありましたが、1人目の陣痛が30時間以上続いたせいもあってか、全然耐えられる痛みでした。
むしろ便秘が気になるくらいで。

しかしその後、なんだか尾てい骨あたりも一緒に押される感じが。あれ、これ、この感覚知ってる!
そう、1人目の陣痛がそんな感じでした。
おかしい。
そこで再度、病院に電話。
その最中にベッドから起き上がると、まるで膣付近で風船が膨らんだような感覚。
そして破裂した感じがして、そこで大量出血。

急いで病院へ行きましたが、しかしそのときには痛みも遠のき、この後訪れることに対して、なんとなく予想しつつも、僅かな可能性にかけていました。
病院に着き、内診台に上がる前に、つるんと何かが出た感覚。
思わず手を伸ばし、右手で受け止める。
下着を覗くと、赤ちゃんが出ていました。
「あ。もう・・・」その瞬間、感情が爆発しました。
大人になって、こんなに人前で泣くことはなかった。

その後の処置は痛かったけど、心の方が痛かった。
赤ちゃんは15cm、70g、男の子でした。
穏やかな表情で、小さな箱に収まりました。

主人の仕事の都合があり、火葬までの5日間、毎日泣いていました。どうしてこうなってしまったのか。なんのために悪阻に耐えてきたのか。私のせいなのか。無理し過ぎたのか。もっと体調を細かく伝えていれば。後悔ばかりで、気が狂いそうで。
そんな中、骨壷など仏具を揃え、赤ちゃんは小さなお骨を遺してくれました。

その後の検査で、私は敗血症一歩手前になっていました。
原因は不明。
ですが、赤ちゃんがいなくなってから熱も下がり、みんなから「赤ちゃんがママを助けてくれたんだね」そう言われました。
陣痛も痛みが少なく、入院することも器具や薬を使うこともなく、流産を宣告されることも自分でも決めることもなく、突然。
それを辛いと感じる方もいると思いますが、私は赤ちゃんの優しさだと思いました。

できるだけ短時間で、痛がりの私を助けてくれたんだね。
ありがとう。でも、ごめんね。
秋が予定日、ずっと一緒にいたかった。
手を離さないでほしかった。私なんかのために。

1人目の出産は辛すぎて、生まれてきてくれた感動より疲労が強く、今回の妊娠も順調に進む。そう思ってしまっていました。
妊娠・出産が奇跡であることを軽視していました。それもきっと教えてくれたのでしょうね。
今はまだ、不意に涙は流れますが、家族や友人の温かな支えの中、心身の休息を第一にしています。あまり妊娠中構えなかった上の子がやたら甘えてきて、もしかしたらお姉ちゃんになるのも少し早かったのかもしれない、だからママの悪いところと一緒にお空に一旦帰ったのかな、そうも感じています。

いっくん、幸せな4か月を本当にありがとう。優しい優しい、良い子だったね。ずっとずっと、忘れないよ。次は自分の身体も大事に無理しないから、遠くない未来にママのお腹に帰ってきてね。約束だよ。大好き。





Name: mayu    ..spmode.ne.jp
Date: 2017/03/26(日) 19:10
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Title: 3度目の流産 9週 稽留流産    
昨日、赤ちゃんの心拍停止を確認しました。
9週0日でした。
赤ちゃんの大きさが、ほぼ20mmでしたので、昨日か一昨日まで生きていたのかなと、思います。

昨年初夏に初めて妊娠し、そのときも、同じ9週0日で流産しました。
1週間出血が続き、そのまま完全流産しました。

年末に2度目の妊娠をしました。
けれど胎芽が確認できないまま、7週で自然流産となりました。

3度目の流産です。
明後日、手術することになっています。
主人は何も言わず、黙々と家事をこなしています。

誰かと話したくて母に電話しました。
けれど、3回目の流産報告はさすがの母親でも聞きたくない話だったのでしょう。
すぐに電話を切られてしまいました。

気力が無く、ただ横になっています。
心臓は止まってしまったけれど、赤ちゃんはまだ私のお腹の中にいます。
最初の時のように流れて消えてしまうことなく、まだここにいます。
赤ちゃんもまだ生きようとしているのかもと思います。
でも心臓が動かなくて、どうしようか困っているんじゃないかと。

この子が生まれてきたいと思っているなら、私はもう一度、頑張らないといけません。
でも、今は妊娠が怖いです。
もう妊娠はしたくないと思ってしまいます。
3度も流産したのは、私が母親になるのは無理だと、教えるためじゃないかとも思ってしまいます。
赤ちゃんの気持ちが知りたいです。






Name: もも    ..home.ne.jp
Date: 2017/03/14(火) 22:47
  返信  引用  編集 
Title: 7か月 死産    
2016年8月末、生理が遅れていることに気づいてわかった、初めての妊娠。
正直、最初は今後の生活とか、仕事とか、どうしようという気持ちのほうが大きかった。
でも、今の会社で産休・育休をとって産むと決めて、9月に入籍、10月に新居に引っ越した。
すごくバタバタしてたけど、大きくなっていくお腹が愛おしくて、幸せだった。

つわりは妊娠初期から始まり、安定期に入ってもおさまるどころか酷くなっていった。お腹の張りも出てきて、お医者さんから診断書をもらった。
でも、仕事は替えがきかなくて、休みながらも出勤していた。
お腹の赤ちゃんがどうか無事でありますようにと毎日祈りつつ、仕事してた。

元々、長時間残業しなければ終わらない職場だったこともあり、マネージャーに相談して、12月には現場を異動させてもらう予定だった。
でも、人事異動がうまくいかず、結局異動の話はなくなった。結構絶望的だった。

妊娠6か月に入ったあたりから、ちょくちょく胎動を感じ始めてた。
朝7時、出勤中の電車の中、お昼の12時、夜寝る前23時。
家にいるときは話しかけたり、朝の電車の中では、お腹に手をトントンしてお返事してた。
定期検診も、どんどん大きくなる我が子がとっても可愛らしく、エコーで見るたび、つわりの辛さを忘れられた。
性別も男の子と分かり、旦那は大喜びだった。

11月の半ばを過ぎたころから、胎動の回数が減っているような気がした。
すごく心配で、病院にかけこんで、エコーで我が子を見せてもらった。
そのときはちゃんと心臓が動いてて、元気いっぱいドクドクと心拍が聞こえた。
ほっとしたけれど、あとかた思うと、これが息子の元気な姿をエコーで見る最後の日となった。

年末、仰向けになったとき、ふと、あれ?お腹小さくなってる?
お風呂に浸かって温まっていたとき、あれ?おへその周りだけ白くで冷たい。
心の中がザワザワ。
どうか、気のせいでありますように。
12月30日、これが感じた最後の胎動だった。

新年が明け、1月6日に定期検診。
息子の心臓は止まっていた。
なんとなく、頭の中にちらついていたことが現実になってしまった。目の前が真っ暗になった。

なんで?なんで私の息子なの?春に産まれる予定だったのに。
ちょうど7か月に入ったところだったのに。
幸せから一変、涙の日々になった。
連休明けに出産の予定になった。
今まで入院なんてしたことなかったのに、人生で初めての入院がまさか死産での入院になるとは思わなかった。

看護師さんの計らいで、個室にしてもらえた。
ぼうっと病室から外を見ていたら、窓に小さな子供の手形がうっすらあることに気づく。
前の人が子連れで、その子がイタズラしたのかな?って思ったけど、あとで掃除の人が来て、窓を拭いていった。
翌日、また外を眺めていたら、手形が残っていた。
「あ、息子なんだ」と、なんとなく思った。
「よし、明日は分娩日。産むぞ!ママ、頑張るからね!」って心の中で息子に話しかけた。

分娩日、初めての陣痛とか出産とか、不安は色々あったけど、もうひたすら息子の名前を心の中で叫び続けた。
1時間ちょっとで産まれた。
お腹の中で亡くなって時間が経ってるから、体が損傷してしまうかもしれないといわれていたけど、五体満足で産まれてきてくれた。
手の指の形は旦那そっくりで、立派なちんちんもついてて。
本当に天使だった。
息子に会えて、こんなに穏やかで愛おしい気持ちになったのは初めてだった。
しばらく、母と旦那と、息子の可愛らしい姿を眺めていた。

そのあとは葬儀屋さんと息子のお別れ会や火葬の日程の話し合いになった。
お別れが近づいてくる。
病室で息子に手紙を書いた。
天国に届きますようにと願いを込めて。

お別れ会は旦那と私の親族が集まった。
冷たくなってしまった息子の頭をいっぱい撫でてやった。

火葬の時、息子に書いた手紙とお花をいっぱい棺に入れた。
小さな小さな棺だけど、重みはしっかりあった。
あんな小さな体だけど、私のお腹の中で元気いっぱい生きててくれたんだと思うと、愛おしさでまた涙が溢れた。

焼きあがったお骨を旦那と丁寧に拾い集めた。
小さな骨壺でも十分すぎるくらい、お骨は小さく、可愛らしかった。

家に帰って、早速息子のコーナーをつくった。
祖母が編んでくれた毛糸のおくるみで骨壺を包み、お花を飾り、お菓子と、アンパンマンの人形をたくさん飾った。
1月は毎日毎日泣いた。泣いて泣いて泣きまくって、夜になると不安と寂しさが襲ってきた。

今は泣く回数は減ったけど、それでも受け入れるにはまだまだ時間がかかると思う。
我が家の天使は、私たち夫婦、家族に大切なことを教えてくれた。結婚するまでは旦那と喧嘩する日々だったけど、息子が来てくれた時から、すごく仲良しになった。
当たり前に授かって、当たり前に産まれて、当たり前に元気に育つわけじゃない。
人生は、この世は、いつ何が起こるか分からない。
息子のおかげで、今まで当たり前だと思っていたことに、改めて感謝しようと思えた。
息子に沢山のありがとうと、愛を送り続けたい。





Name: MOON    ..dion.ne.jp
Date: 2017/02/23(木) 21:20
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Title: 胞状奇胎    
妊娠7週で流産宣告。
自然排出を待つ中でいきなりの胞状奇胎の疑い。
大学病院に転院して2日後に入院、2度の手術。
自然排出を待つ中で流産のことを少しずつ受け入れ始めたと思っていたのですが、急に、癌になるかも?子宮摘出や抗がん剤使用の可能性?とパニックになりました。

仕事関係の人には事情を説明して、調整の協力を得ることが出来ました。
あれよあれよと言う間に手術が終わりましたが、出血が多く、術後少し体調が厳しい状態ですが、だいぶ回復してきたと思っていたら、
事前に妊娠を伝えなければならなかった人への説明、
しばらく休んでいた習い事の仲間からの「お休みが長いからおめでたかと思ってたよ」という、他意のない言葉。
職場での他のかたの産休報告。
その場では平気なつもりでも、ふとした拍子に涙が止まらなくなります。

あんなのが良いなと思って見ていたバギーも見るのが辛い。
まず自分の体をしっかり治して、次へ進めば良いと思っていても辛くなる。
誰かに聞いて欲しいと思うこともあるけれど、聞かされた方が困るだろうと思う。
親にもこれ以上心配かけたくないので話せない。
夫は話せばきちんと聞いてくれるけれど、毎回ではきっと疲れてしまうだろう。
何処か、話を聞いてもらえるような場所を探した方が良いのだろうか。





Name: まな    ..yournet.ne.jp
Date: 2017/02/22(水) 02:42
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Title: 7週 化学流産 20週 子宮内胎児死亡 17週 血腫完全破水 人工死産    
先週、3番目の赤ちゃんの火葬と納骨を終えました。

2度目の妊娠の時、女の子だと判明して安定期を迎えた直後に心拍停止による子宮内胎児死亡。
産声を上げない我が娘を出産しました。

そして数ヵ月後の検査で抗リン脂質抗体症候群である事が判明。
元々膠原病患者なので覚悟はしていました。
また、子宮内膜症・子宮線筋症・子宮後屈といった症状とともに、
30代後半での出産というハイリスクも。

2年後、3度目の妊娠。
抗リン脂質抗体症候群の認定を受けていたので、今回はヘパリン&アスピリンが使用出来る事でとても安心していました。
苦手な注射も頑張りました。

けれど、17週で血腫による完全破水。
週数が足りない事、羊水がゼロに近い事、
羊水が無いという事は今後、肺が育たず、骨の成育にも障害が出るという事、
破水したという事は数日中に陣痛がくるかもしれない、と。
たくさんの説明を受けました。
取り急ぎ、感染症を防ぐ為の抗生物質の点滴を使いつつ、様子見でそのまま入院になりました。

けれどそんな中、赤ちゃんは元気に心臓を動かしていました。
羊水の無い窮屈な子宮の中で頑張って生きててくれました。
まるで赤ちゃんが「ママ大丈夫だよ!僕頑張るから!」と言ってくれてるみたいで、エコーと心音を聴く度に涙が止まりませんでした。
私に出来る事といえば、3食の病院食を無理でも食べて、赤ちゃんに栄養を送る事だけでした。

そして陣痛どころか、何の痛みも無いまま数日が過ぎていきました。
もしかしたらこのまま順調に週が過ぎていき、無事出産を迎えられるのではないかと錯覚してしまいそうなほどに。
しかし現実は甘くなく、羊水は戻らず厳しい状況が続きました。
そして夫と何度となく話し合う中で『人工中絶』の言葉が。
「これ以上、赤ちゃんと私を苦しめたくない」と言って夫は泣きました。

理由にしたくなかった。
諦めたくなかった。
けれど、私と夫は決断しました。

娘の時と同じ過程で出産しました。
18cm、168gの可愛い男の子でした。

娘の時は生きて欲しかったと願い、息子は自らの決断で命を奪ってしまった。
今も葛藤しているし、悔しさや悲しさで胸が張り裂けそうな毎日です。
また同じ事が起こるかもしれないと思うと、次の妊娠が怖くて仕方ありません。
もう失いたくない。





Name: 31歳のママ    ..ap.mvno.net
Date: 2017/02/10(金) 00:26
  返信  引用  編集 
Title: 16週 子宮内胎児死亡    
お腹を自然と撫でる癖、お腹に語りかける癖が、いつの間にか自分のなかで出来ていました。

診察台に横になり、先生に見てもらっているとなんだか表情がくもってきて・・・
「赤ちゃん心臓が止まってるね」と言葉を聞いたときには、頭が真っ白になった。
なんで?いつ?どうして?
すぐに主人は来てくれた。
「今日か明日に入院して、出産するよ」
迷わず明日にした。
少しでも赤ちゃんと一緒にいたい。撫でてあげたい。声をかけてあげたい。

翌日13時には入院だったので、少し早く家を出て赤ちゃんへのプレゼントを買った。
買い物中に泣けてきた。
使っている姿が見たかったな。

入院してすぐにラミナリアを挿入。痛かった。
初日はラミナリアのみ。
生理痛みたいに腰とお腹が痛いけど、我慢できる痛みだった。
2日目はラミナリアを取り出して、陣痛促進膣剤を入れた。
2回目の促進剤のあとからしばらくして痛みがきた。
いきみ逃しの呼吸をしてると…破水?すぐに処置室へ運ばれ処置台へ。
陣痛が始まってから30分ですべてが終わった。

赤ちゃんとの対面。
可愛かった。目を閉じてる姿が主人にそっくり。
しっかりと男の子のものがついていた。
会えた喜び。別れの寂しさ。いろんな感情がいりまじっていた。
そばにいてやれない悔しさ。
犬のぬいぐるみをママの代わりに側に居させてもらった。

もっと一緒に居たかった。
もっと全力で守って、もっと愛してあげたかった。
沢山のことを教えてあげたかった。

泣き虫なママでごめんなさい。
それでも、ママのお腹を選んでくれてありがとう。
ママにしてくれてありがとう。





Name: あすか    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/01/09(月) 13:51
  返信  引用  編集 
Title: 9週 初期流産    
28歳で初めての妊娠して、初期流産でした。

かなり早い段階で病院へ行って、小さな袋が見えていると言われ、すぐに主人に報告し、喜び合いました。
何回目かの検診のときに、袋が大きくなっていないから、残念だけどだめですねと言われました。
気のすむままこのままでいていいよと言われましたが、手術を受けることにして、予約しました。

暫くして、別の日にドロッとした塊が出てきて、ああこれが赤ちゃんの塊なんだと思いました。
たーちゃんという名前を付けていました。
楽しみにしていました。

悲しくて悲しくて人生で一番たくさん泣きました。
できたことをもっとちゃんと喜んであげていたら違ったのかなとか。
身体がだるかった時に無理したのがいけないのかなとか。
後から後悔がたくさん出てきました。
初期流産なので染色体異常とか、ほとんどこちら側に原因はないってわかっていても、考えてしまいます。

今思えば、それまでずっと風邪のような症状でだるかったのが急によくなったんです。
きっとそのタイミングでたーちゃんは天国に行ってしまったのかなと思います。

もうすぐ流産から一年が経ちます。
立ち直れていないのかな。
妊婦さんを見るのが嫌で仕方ないのです。
職場の忘年会なんかで同じテーブルになっても嫌で仕方ない。
そんな心が狭い自分も嫌です。

昨日、主人の同僚達と飲むことがあり、そのうちの1人が妊婦の妻を連れてきていて、またうまく説明できないで悲しい気持ちになりました。
主人が悪いわけではないのにそのことでもやもやします。





Name: 08251128    ..bbtec.net
Date: 2016/12/27(火) 13:12
  返信  引用  編集 
Title: 13週 胎児水腫 ・ 8週 不全流産    
この6ヶ月の間に二人の子供を亡くしました。
1人目は7月の頭に妊娠がわかり、切迫流産も経験しましたが、12週初めまでは順調に育っていました。
次の3月に生まれてくるはずでした。

茶色のおりものがうっすら出て、おかしいなとは思いました。
走ったり、重いものを持ったり、仕事をしすぎたとかもなく、まったく心当たりがありませんでした。
なんとなく嫌な感じがして産院を受診したところ、
「赤ちゃんの首とおなかにむくみがある」と言われ、
隣の市の大きな病院を紹介されました。
この時点であまりよくないと言われました。

紹介された病院で告げられた病名は「胎児水腫」というものでした。
妊娠初期での生存率はほぼ絶望的。
万が一生まれてこられたとしても長くは生きられない。
それが数時間なのか、数週間なのか、数年なのかはわからないけれど。
そして私たちの子は、先生の見立てによるとこのままお腹の中で死んでしまうだろう、と。
そこまで酷く症状が出てしまっていたようです。

今週中に決断すれば初期中絶で処置できるが、もう少し迷うなら中期中絶処置になる。週数が進めば進むほど、精神的にも身体的にも辛くなりますよと言われました。

夫は私の体を優先して、初期でいった方がいいと考えが固まっていたようですが、私はすぐに決断ができませんでした。
なかなか決められないでいる私に「そんなすぐに決められないよね。悩んで当然だよ、この子のおかあさんだもん」看護師さんが優しく声をかけてくださいました。
「こういうことは本当に人それぞれだから。心拍が止まるまでおなかにいれときたいっていう人もいれば、早く楽にしてあげたいっていう人もいる。あなたの気持ちに従うことが一番大事」
そう言われて気持ちが少し落ち着くと同時に、この子が生まれてくることは万に一つもないのだと悟りました。
初期中絶でいくことに決め、病気発覚から入院手術まであっという間のできごとでした。

先生にも看護婦さんにも本当恵まれ、生きている子とおんなじように扱ってくださったのが嬉しかった。
手術後、病室で目を覚ますと「おかあさん、頑張ったね。今赤ちゃん連れてくるから、いっぱい抱っこしてあげてね」と白い綺麗な箱に入った赤ちゃんを連れてきてくださいました。
赤ちゃんの体はバラバラになってしまっているので箱は開けさせてもらえなかったけれど、箱に「〇〇(私の名前)ベビー」と付箋が貼ってありました。
先生がへその緒も残してくださいました。
か細くて弱弱しくて、でもちゃんと赤ちゃんとつながっていた証。

火葬する日の前日に母乳が出ていることに気付き、さらに悲しくなりました。もう飲んでくれる子はいないのに、私の体は育児をしようとしている。
夫に報告すると「間に合ってよかった」とぽつりと言いました。
お別れをする前におっぱいが出たから、天国まで行く途中おなか減らずにすむね、と。
一度も涙を流さない人でしたが、私と同じくらい悲しんでいるのだと気づきました。

病院への付き添いや書類の手続き、火葬の手続き、自宅と病院の往復・・・夫は悲しむ暇もなく淡々と進んでいく現実に奔走し、泣き続ける私に寄り添ってくれていました。

産後休暇をもらって約2か月後に職場へ復帰しました。
私の勤めている職場は妊婦さん向けの事業や赤ちゃんの健診など、母子保健事業を行っている職場です。
悔しかった。
幸せそうな妊婦さんや、赤ちゃんを抱っこしたお母さん、目に映るものすべて聞こえてくるものすべてが、羨ましくて妬ましくて気が狂いそうでした。
この人たちと私はなにが違ったんだろう、なんで私の赤ちゃんが・・・この人たちの赤ちゃんも私の子と同じ病気になってしまえばいい、堕ろすか死ぬのを待つか選ぶことになってぐちゃぐちゃに悩めばいい、そんな最低なことを考えながら仕事をしていました。
そんなことを考える自分がすごく嫌だったし、恐ろしかった。
他のみんなは、妊婦さんや赤ちゃんのために一生懸命仕事をしているのに、自分のような人間がここにいていいのか、笑顔を張り付けて健やかなふりをして、心の底では妬ましく思いながら、この職場にいていいのか。

自分もちゃんと赤ちゃんを産むことができれば、きっとそんなことを考えずに済む。
元の自分に戻ることができる。

そう思って先生のOKが出てすぐに妊娠を意識し始めました。
11月半ば、生理予定日から2週間経ってやっとうっすら陽性反応が出ました。
嬉しいはずなのに、不安ばかりが膨らみました。
この子も病気になってしまったらどうしよう、またダメだったら不育症?私に何か原因があるのかな?
無事に生まれてくるというイメージが全く持てませんでした。

一方で、もしこの子が順調に育って生まれてきたら、前の子のことを想う時間が減ってしまう、前の子が寂しがるんじゃないか、裏切ってることにならないか、と申し訳ない気持ちにもなっていました。

8週目でようやく胎嚢が確認でき、来週には心拍が確認できるでしょうと言われた矢先に出血。
日曜日だったことと、腹痛はなかったので、診察を受けず、一日安静にしているようにと指示されました。
翌日受診したところ、もう赤ちゃんはいなくなっていました。
内容物が少し残ってしまっていたので、その日の午後に手術をしました。
麻酔が完全に切れるまで病室で休んでいたのですが、赤ちゃんの泣き声やお見舞いに来た人たちの幸せそうな笑い声が聞こえてきて、声を殺して泣きました。

もし無事に生まれてきていたらどんな子だったんだろう、男の子だったのかな、女の子だったのかな。
今回きてくれた子を想うことができたのは、手術から一日経ってのことでした。
おなかにいるときに考えてあげればよかったのに、もうあの子はいない。
せっかくきてくれたのに結局私は自分のことばっかり、前の子のことばっかりで、あの子を置き去りにしていた。寂しい思いをさせてしまった。
自分はなんてことをしてしまったんだろうと、言いようのない後悔に襲われました。

3日間有給休暇をいただして出勤すると、ちょうど赤ちゃんの健診の日でした。
いつも見ている健診室がものすごく遠い場所のように感じました。自分には一生辿り着くことができない場所。

夫にも上司にも「まだ若いんだから大丈夫、次があるよ」と言われましたが、次ってなんだろうと思ってしまいます。
だってもうあの子たちは帰ってこない。

赤ちゃんなら誰でもいいんじゃなくて、私はあの子に会いたかったのだと、叫びたい。
お顔を見たかったし、抱っこしておっぱいを飲んでほしかった。
ハイハイする日、ママと呼んでくれる日、ランドセルを背負う姿。あの子たちの成長を見たかった。

一人目の病気がわかってからずっと沈み込んだままの私に、文句も言わずイラつきもせず、優しく支えてくれる夫のためにも早く元気にならなくてはと思いますがなかなか前を向けずにいます。
どうしたらいいのかわかりません。
また笑顔で赤ちゃんを授かれる日が来てほしい。






 
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