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   18週5日   
   四度の流産   
   初期流産   
   8週2日 進行流産   
   2度の流産   
   第一子 27週 死産   
   35週2日 早期胎盤剥離 ....   
   流産1回  生後1か ....   
   反復流産   
   20週4日 人工死産   

Name: まりなママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/23(土) 23:57
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Title: 18週5日    
4人目の妊娠がわかったのが、7月のこと。
上の子たちも、夫も大喜び!
家計も楽ではないので、パートにでながらの妊娠生活。
上の子たちの時は、特に異常もなかったので、今回も大丈夫!と思ってました。

妊娠4か月目あたりから腰痛に悩まされ、あまりの痛さに寝不足になることもありました。
ネットで検索してみると、妊娠初期にはよくあること。だったので、特に気にしてませんでした。

4か月後半あたりに高熱と腰の激痛。
すぐ病院にいきました。
「腎盂炎」でした。
抗生剤と張り止めをもらい、1週間ぐらいで熱もおさまりました。しかし、お腹の張りが1時間に5回。あまりにもおかしいと思い、病院へ行くと。子宮頸管は3センチ。
「おそらく腎盂炎の菌がまだ残って、張張っているのでしょう。抗生剤を引き続き飲んでください」
それから3日間、1時間に5回の張り。
心配になって、再診を受けるも、「子宮口もしっかりしまってるので大丈夫ですよ」と、言われたので安心していました。

そして5か月に入って5日目の朝、お腹痛いなぁーなんて思いながら出勤の準備をしていると、急にトイレに行きたくなり、
だけど間に合わず、同時に、つい先ほどトイレに行ったことを思い出して・・・。
確認すると妊娠してから初めての出血。もしかして破水?
「破水したかもしれないんですけど、どうしたらいいですか?5か月です」と、電話にでた看護婦さんに伝えると
「5か月だったらまずありえないと思いますけど、心配だったら念のため検査してみましょうかね。一度きてください」と。
たぶん大丈夫だろうなんて思いながら、逆にパパを気遣っていた私。
病院について、エコー検査。
いつも、結構流れ作業的な感じな先生だけど、エコー見た瞬間「あかんわ!羊水がほとんどないわ!内診行って!」
え?何?確かに一瞬だけ見えたエコーで黒い部分がない、まさか私に限って・・・。

内診で「卵膜が破れとる。これ見て!これが卵膜」
なんか透明の膜みたいなものを先生がつまんでいた。
だから何?大丈夫だよね?
そこで初めて、頭が真っ白になった。
先生から「破水してもて、羊水がほとんどないみたいで、膜も破れてもとるから今回は諦めなあかん。どこの病院に行っても同じやわ。残念やけど今回は、諦めなあかん。」
パパも待合室から呼ばれ、同じ事を先生から言われました。

訳がわからないまま、看護婦さんに言われるままに着替えを済ませ、陣痛室に連れて行かれ、いろいろ質問されて淡々とそれに答える私。
先生がきて、「陣痛おこす薬いれるからねぇ」
陣痛室に戻って、やっと事の大きさに気づきました。
涙が溢れて、止まらない。パパも一緒に泣いてました。
なんで?夢なの?
今までこんな事なかったのになんで?徐々に懐かしい陣痛の痛みが。

促進剤を何度か入れた後、午後5時半、お腹の赤ちゃんが一気に下に下がった感覚がはっきりわかった。
痛みがほとんどなくなった。
看護婦さんに内診してもらい、分娩室に連れて行かれ、いきんでって言われた。
痛みもかなり軽い。
こんなんでいきんでも意味ない!なんて思いながら、何回かいきんでみた。
出てくる感覚なんてほとんどないのに、看護婦さんが「赤ちゃん出てきたよ!もう少し!」先生も間に合わず出産。
すぐに私の処置。
子宮洗浄が何よりも痛かった。
赤ちゃんは?会えるの?でも、怖い。会いたくない。
パパには、事前に看護婦さんが会われますか?って聞いてたみたいで、処置が終えてから、小さな白い箱に私たちの赤ちゃんが眠ってた。
ちゃんと人間の形をした、長男にそっくりな男の子。
その瞬間に死産した事を実感した。
悲しくて悲しくて、どうしようもなく泣き続けた。

上の子たちを実家に預けてパパに泊まってもらって、外が明るくなるまで赤ちゃんを想って泣き続けました。
本当にごめんなさい。
もう少し安静にしてれば、あの時、先生にちゃんと伝えられていれば、後悔しかなかった。

翌日退院。
師長さんに「誰のせいでもないからね。神さまにしかわからないことだから。自分を責めたりしないでね。今は悲しいけど、きっとまた、赤ちゃん戻ってきてくれるからね。」と言われました。
とにかく、淡々と返事をして、赤ちゃんと一緒に帰宅。
市役所にもいかないといけないので、ゆっくりできる時間もなくお家に赤ちゃんを置いてパパと市役所に行き、手続きを済ませ帰宅。そのまま、指定の火葬場。
赤ちゃんを助手席で抱きながら、着くまでずっと泣いていました。
火葬の時間になり、最後のお別れ。
一昨日までお腹にいた小さな赤ちゃん。私の赤ちゃん。
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。
お空に行ったら、私たちの事見ててね。
私たちは、絶対に忘れないからね。
おにぃちゃんそっくりだったよ。
今は、ママもパパも寂しくて泣いてるけど、きっと元気になるからね。
ママとパパのところにきてくれて本当にありがとう。愛してるよ。

「まだ小さいので、骨は、残らないのでこのままお帰りください」との事でした。
職場には、なんとか連絡を入れて、少しの間お休みをもらいました。
こんな時でもお腹は、すくんだなぁなんて思いながら、軽く食事を済ませ、帰宅。
それから数日間は、出産した時の感覚が頭から離れず子供たちを寝かせてからは、泣き続けました。
唯一の証のエコーの写真みながら、泣きました。

立ち直るのに時間はかかるかもしれないけど、今は、あなたの事を思いながら泣かせてくだい。本当に愛してるよ。





Name: 色々あるよね    ..ca.comcast.net
Date: 2015/05/23(土) 08:29
  返信  引用  編集 
Title: 四度の流産    
1度目は、2013年10月5日。21週目。
長女と4歳ほどの歳をあけて、2人目は男の子でした。
毎日天にも昇る気持ちで、人生こんなにラッキーだと罰が当たるかな〜?なんて考えていました。
海外に来て、仕事も見つかって、予定通りの二人目の妊娠。
初期の頃に出血があったものの、それは長女を妊娠した際にもあったし、お医者様にも問題なしと言われていました。
つわりも第一子の時より楽で、本当に幸せでした。

毎日、毎日、数時間毎にお腹に話しかけて。
幸せで幸せで。
21週目に再び出血があったのでお医者様に行くと、「問題ないでしょう」と言われ普段どおり仕事をしていました。
その数日後、生理のような出血にかわり、自分で運転して、かかりつけの産婦人科が付属している救命病棟へ向かいました。
何度も何度も同じ事を聞かれ、数時間後やっと詳細なエコーで診て頂いた結果「子宮口が開きかかっていて止められない。産んでもこの週では救えない」と言われました。
経口陣痛促進剤を渡され、医者と何度も話し合い、主人とも何度も何度も話し合って、また数時間が過ぎてから決意して、陣痛促進剤を口に入れて5分もしない間に陣痛が始まりました。
そんなに早く薬が効き始める訳が無いと最初は取り扱ってもらえませんでした。
私が完全に諦めたので、体が陣痛を始めたのかもしれません。
息もせずに産まれた我が子は、本当に長女と主人に似てました。
指の爪の形、眉毛なんて本当にそっくりで、可愛くてしかたありませんでした。
原因は、突然の絨毛膜羊膜炎、子宮頚管無力症、両方?
詳細は分からない、原因不明だと言われました。

小さい服、ブランケット、お空で遊べるように小熊ちゃんもいれて、一緒に火葬しました。
主人と私だけでの火葬です。
こちらでは火葬した骨はその場で粉々にしてしまいます。
本当にちょっとの粉を集めて、可愛いベビーブルーの骨壷のなかで、今でも私たちと一緒に家にいてくれてます。
長女にも何ども何があったのか説明しました。
1年半たった今でも、長女は時々話しかけてます。勿論、私も。

主人も私も、あまりの悲しみから心不全、頭痛に悩まされていましたが、少しずつ回復して再び妊娠に向けて気を切り替えました。

2度目は、そんな辛い経験をした5ヵ月後。
妊娠したのに枯死卵で胎芽が見えませんでした。
自然流産を自宅でしました。

3度目は、再び5ヵ月後に妊娠して7週ぐらいに胎嚢が二つ!双子ちゃん!と驚き、小さいながらも心拍が確認されて、幸せな気持ちが湧き上がると共に子宮頚管無力症の恐怖がありました。
ただ8週目にエコーに行くと、二つとも成長が止まっていました。エコーをしてくださっている方も、私も、何も言えず。
何度も何度も丁寧に診察して頂きましたが、反応は一切ありませんでした。
子宮収縮の薬(ミソプロストール)を飲み、自宅で再び流産。

4度目は、6ヵ月後また妊娠して5週目の初期から既に出血が。
再び初期流産だと諦め、産婦人科に電話するもの「まだまだ早い時期ですから」なんて、訳の分からない事を言われ、なかなか診て貰えず。
3日後にやっと予約が取れたので行くと、エコーと内診をした後「初期流産でしょう。自宅で自然流産を待って下さい」と言われたのが水曜日。
hCGホルモンの状態を見る為に、その水曜日と金曜日に血液検査に行きました。
土曜日の午後から激しい痛みがあり、痛み止め薬を飲んでも全く効かず寝返りもうてないほどの痛み。
自宅でじーっとしながら過ごし、日曜日も激しい痛みは続いたので産婦人科に緊急電話を入れるも「流産ですから痛みがあるのは普通です」と言われ安静にしていました。
午後から少し楽になり、月曜日は仕事を休み再びhCG血液検査。
火曜日に出勤するものの時々気が遠くなるような感覚がありました。
午後に病院から電話があり「先週の血液検査の結果、hCGが一切下がってません。子宮外妊娠の疑いがあるのでかかりつけの産婦人科も付属している救命病棟へ今直ぐに行って下さい。まだ妊娠初期ですし、会社に行ける様なら手術はしなくても薬物療法できますから」
先週、エコーまでしたのに何で?
週末に流産は終了したと思っていたのに?と思って行くと、
「先々週のエコーは誤診です、既に卵管破裂しています。多分、週末にすでに破裂していたのでしょう。あなたのように自宅で安静にして痛みが治まったケースなんて見たことありません。お腹に溜まっている体内出血した血と卵管を取り除く手術を急遽行います」と、そのまま手術。
次の日には退院して、自宅で一週間ほど安静にしました。

これだけ何度も流産をすると色々と言われます。
「諦めたほうが」「一人いるんだし」「ほら、出来ても良くない事も色々あるし」等々。
不運が続いただけで、なぜ知らない人(医療関係者含む)からもこんな事を言われるの?と、今でも暗くなります。
不育症の専門家にかけあってみる予定ですが、あまり期待はしていません。
何故なら既に不育症の血液検査、DNA検査はしており、問題なしと言われているからです。
ただ、もう一回自分の赤ちゃんを抱いてみたい。
それなので、主人を説得するためだけに専門家に行って、「可能性は高い」といって貰いたいからです。

こんな事がおきると思っていませんでした。
月並みですが、子供は本当にさずかるもので幾重の奇跡のうち生まれるのだと思います。





Name: 希香ママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/16(土) 13:38
  返信  引用  編集 
Title: 初期流産    
ずっと忘れられなかった希香のこと、ここで話させてください。

2年前に結婚、すぐに待望の第一子妊娠。
旦那と二人で喜んだのを覚えています。

お互い直感で女の子のような気がする!といって喜んでいたのに。
ある日、酷い腰痛のような痛みがあったので、のんびりしていたら何か出た感じがしました。
不安に思いながらトイレに行くと多量の出血。
一瞬、時が止まりました。
次に涙が出始め、すぐに病院へ行きました。

結果は自然流産。
助けてください!と泣いて訴えても、初期だと助けてあげたいけれどどうすることも出来ないと言われてしまい、頭が真っ白になったのを覚えています。
その後、激痛と出血で何日間か寝込みました。
ひたすら、ごめんね、産んであげられなくてごめんね。ごめんね!と泣き叫びながら。

でもまだ、もしかしたら赤ちゃんいるかな?と思い、痛み止めの薬も飲みませんでした。
1週間後、再び病院に行くともう、綺麗に流れたあとでした。

7月10日がこの子の誕生日でもあり命日でもあります。
水子供養の後、天国にいっても私たちの子供だよという気持ちを込めて希香と名付けました。

今でも辛い時は希香に心の中で話しかけています。





Name: りりこ    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/05/15(金) 22:47
  返信  引用  編集 
Title: 8週2日 進行流産    
結婚式から3ヶ月が経った頃、待望の第一子を妊娠しました。
早く子どもが欲しかったので、妊娠がわかった時は大喜びしました。
妊娠すれば普通に出産できる。
あの頃の私はそう思っていました。

5週で胎嚢が確認でき「次は2週間後に来て下さい」と言われ、
普段通り仕事に行き、いつも通りに過ごしていました。
しかし6週に入った頃から茶褐色のおりものが出るようになり、産婦人科を受診すると胎芽、心拍が確認できましたが切迫流産と診断されました。
入院することになり、仕事を休みました。

トイレ以外は安静の生活が続きました。
3日毎に先生がエコーで確認してくれて、出血は続いているものの赤ちゃんは必死に私のお腹の中で成長して生きてくれていました。
しかし10日目の朝、生理がはじまったような出血があり、ナプキンをよく見ると小さな小さな赤ちゃんが出てきていました。
前日の夜からお腹が痛くて、おかしいなとは思っていましたが、まさかこんなことになるなんて・・・私のあたまは真っ白になりました。
先生からは「おそらく染色体異常による流産だろう」と言われました。
悲しくて悲しくて毎日泣きました。
仕事には、流産して4日後には戻りましたが、仕事が、終わって家に帰ってくると泣けてきます。
あの子が生きていれば今日で何週目だと考える日々が1ヶ月程続きました。

でも、ある時私は思いました。
このままではダメだ、前を向いて笑顔で生きていこうと。
亡くなった子が命がけで私に教えてくれた命の尊さ、妊娠して無事出産することの奇跡。
私は病院に通うことを決め、検査を受けました。
検査の結果、流産の原因は黄体機能不全によるものでした。

不妊治療を受けて、流産から5ヶ月後に妊娠して、元気な男の子を出産しました。

今でも、あの悲しずきた流産の記憶は忘れられないですし、一生忘れることはないと思います。
いつも、亡くなった子が天国見守ってくれていると思っています。





Name: みにー    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/05/11(月) 14:01
  返信  引用  編集 
Title: 2度の流産    
2度の流産をしました。

2013年4月に成長せず6週で稽留流産。
去年5月には、心拍確認後、心拍が停止してしまい、稽留流産から進行流産。

私には子供がまだいません。
不育症の検査をしようか迷っていますが
3度目にむけて葉酸サプリを飲み始めました。

わたしが原因の流産ならば、3度目の妊娠も、もしもだったら後悔が残りそうな気もしますが、
2度の流産で元気な子供が産めるまで頑張ってやる!って思いが強くなりました。

本当に妊娠、出産ってキセキです。





Name: ポコちゃん    ..yournet.ne.jp
Date: 2015/05/10(日) 00:29
  返信  引用  編集 
Title: 第一子 27週 死産    
結婚2年目にして待望の第一子を妊娠。
私は姉の影響もあり、早く子供が欲しかった。
妊娠しても仕事を続け、お腹が徐々に大きくなる喜び、そして初めての胎動。
毎日、旦那とお腹に赤ちゃんがいる喜びを実感していました。

お腹が大きくなってきた頃に仕事が忙しくて、お腹がはることが多々ありましたが、検診ではいつも元気に動いてるエコーを見て安心していました。
安定期に入って仕事も一段落し、出産まで実家でお世話になる事にになり、ゆっくりとした生活を遅れるようになって1ヶ月たった頃、ちょうど27週に入った日。
今日は胎動が無いなと感じ、ネットで色々調べて不安になりました。
けど、あまり考えすぎてもダメかもと思い、明日にも胎動がないなら病院へ行こうと不安に思いながらも様子を見ることにしました。

そして、つぎの日朝起きて、いつもどおりに朝ごはんを食べたりしていても、胎動を感じとれず、我慢の限界を感じ病院へ連絡しました。
すぐ来てくださいと言われたとき、何故か涙が出てきてしまい。
すぐさま病院へ、ついた途端にエコーで見てもらうと、何回も場所を変えても、心音を聞いても、赤ちゃんは動いてくれなかった。
「心音聞こえないね…」と先生、一言。
まさか、なぜ?嘘だ!涙が溢れて止まらない。

つぎの日から入院し子宮口が開いた3日後、死産というかたちで赤ちゃんに会えました。
938g35cmの可愛い女の子でした。
周りからは男の子だとばかり言われていたので、まさかの女の子にびっくりでした。

産声はあげなかったけど、産んであげられた最初で最後の母としての仕事ができてよかったです。
1週間しかたっていないので、まだ心は良く分からない状態で、
ただただ身体だけは元気で、なんにもしてあげられない辛さを感じながら今は気持ちをどう切り替えていけばいいのかと考えています。

火葬した遺骨を見ては話しかけてみたり、泣いてみたり、この先の事を考えてみたり。
まだまだ時間はかかりそうです。





Name: あび    ..dion.ne.jp
Date: 2015/05/03(日) 16:14
  返信  引用  編集 
Title: 35週2日 早期胎盤剥離での死産    
2014年5月。
あまりにも体調が悪く、会社での健康診断の結果も悪かった為、総合病院の内科を受診しました。
その際に「妊娠してませんか?」と尋ねられ「まさか!?」と思いましたがそのまま産婦人科に行くよう指示され、妊娠が発覚しました。

しかし、その時は既に流産しかけており、その子はそのまま胎嚢ごと出てきてしまいました。
優貴と名付けた性別も分からない我が子は、初期流産となりました。

その後、流産後も妊娠症状が治まらず、産婦人科では「胎盤などの一部が残っているのでは?」と言われてたのですが、
念の為、他の病院でも診て貰うと「お腹の中に赤ちゃんがいますよ」とのこと。

混乱だらけのなか、第二子の妊娠生活が始まりました。
悪阻はとても酷かったのですが、女の子と判明した我が子はとても元気でした。

32週に入るまで「とても元気で順調、何も問題ない」と検診ごとに太鼓判を押され、胎動も激しく夜も眠れないくらいでした。
私は高齢妊婦で仕事も激務だった為、不眠と過労でフラフラでは有りましたが、常に元気な我が子に励まされやっとの思いで産休を迎えました

産休第1日目に定期検診が有り、その場で妊娠高血圧症候群との診断が下り、入院することになりました。
1週間の絶対安静と、減塩食を経て自宅療養となりました。
それでも、体内の我が子は元気過ぎる位に元気で。
逆子も自然に治り、相変わらず胎動で眠れない日々でしたが、
我が子に逢える日を待ち望んでいました。

2015年4月7日
日付が変わった頃から何となく眠れなくて、不安でした。
胎動はしっかり感じていたので、寝ている主人は起こさずに一人で悶々としていた矢先。
深夜3時を過ぎる頃には血圧が222/112と、有り得ない数値に驚いて、産婦人科に電話をしました。
深夜にも関わらず主治医が当直でおられ「すぐに病院へ」との指示で、主人にタクシーを呼んで貰い、病院へ向かいました。

病院へ到着した際も自分で歩けたし、それ程、痛みは感じていませんでした。
しかし、例えようも無い不安でいっぱいでした。
直ぐに主治医が診察して下さり、我が子の心音も確認出来たのでホッとしたのですが、
そのまま、胎児の心拍が弱まってしまい、緊急帝王切開手術をすると言われました。
兎に角、我が子さえ無事ならば! と、我が子の誕生だけを祈り続けた数時間後。
「帝王切開から3分程で胎児は取り出せた。でも、既に心臓が止まっていた」と。
我が子の死を告げられました。

私は酷い出血で意識も朦朧としていましたが、主人が「可愛い女の子を産んでくれてありがとう」と私に抱かせてくれました。
小鼻や上唇の形が主人にそっくりなとても可愛い我が子でした。
体重1,888g、身長47cm。
紬(つむぎ)と名付けた娘は本当に小さくて可愛くて。
息が止まっているなんて信じられない程、穏やかな表情をしていました。

私はそのままICUに入り、帝王切開手術の際に出血が多かった為、輸血をされたり、胎盤から逆流した血液のせいで悪くなった腎臓の疾患で10日間入院をし、現在も自宅療養と通院の日々を送っています。

主人が全て手配して紬の葬儀や火葬を行ってくれた際、私も車椅子で斎場まで連れて行って貰い、最後まで娘に寄り添う事が出来ました。
本当に信じられないような出来事で。
未だに何故、紬が居ないのか理解も納得も出来ていません。

それでも、愛しい我が子と一緒に入られた9ヶ月はとても幸せで。
いつもエコーで私だけが見ていた可愛い顔や小さな手足を主人にも見せてあげられて。
二人でいっぱい抱っこして、親子3人で写真を撮って。
私の両親も駆けつけてくれ、皆で見送ってあげられた事。
沢山の想い出や愛情をつむいでくれた紬の存在が今も愛おしくて堪りません。
今は辛くて寂しくて涙涙の毎日だけど。
私と主人の間に産まれて来てくれた紬...心から愛しています。

今年の夏で42歳になる私には、もう、子供は望めないのかも知れません。
それでも、優貴と紬。
二人の子供のお母さんに成る事が出来て...本当に幸せでした。





Name: こまい    ..mesh.ad.jp
Date: 2015/04/23(木) 19:03
  返信  引用  編集 
Title: 流産1回  生後1か月半    
上の2人を順調に産んでいて、待望の3人目を妊娠しました。
6週目にて、流産。

その後、2年後に妊娠して、27週目から、切迫早産で入院退院を繰り返していました。
羊水が多い、胎児が小さいという事で、総合病院に緊急搬送され、そこで、胎児に異常があると判明しました。

息子は、生後1ヶ月半頑張ってくれましたが、お空に行きました。兄弟に会えたのは、亡くなってからでした。

年齢的なこともありますが、でも、もう一度赤ちゃんをこの手に抱きたいと思っています。





Name: 無名    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/04/10(金) 02:02
  返信  引用  編集 
Title: 反復流産    
一度目は妊娠したら当たり前に産めるものだと思っていました。
2年間子作りをして、やっとできました。
心拍が確認できたとき、お医者さんに「これで流産の確率がぐんと下がったよ」と言われ、安心していました。

10週をすぎたとき、仕事中激しい腹痛にみまわれましたが、寒かったからだろうぐらいに思っていました。
念のため、翌日病院へ行くと、心拍がとまっていると言われて頭が真っ白になりました。
受け入れられず、毎日泣きました。

手術の日、最後まで受け入れられないまま麻酔をし、起きたらお腹にもういないんだという現実に、自分を責めました。

その1年後、また妊娠が分かり、あの子が帰ってきてくれたと本当に嬉しかった。
不安はありましたが、安静を心がけて毎日を過ごしました。
2回目の診察で、「袋が小さすぎる。流産しやすいよ」と言われてましたが大丈夫だと信じていました。
それでも、つわりを感じることなく出血がみられました。
初期にはあることだと言われていたので安心していましたが、次の診察でまた心拍が途絶えていました。

なんで私だけ子供を産めないんだと、私の何がいけないのかたくさん悩みました。
色々調べて不育症にたどりつき、次の生理がきたら調べるつもりです。

悲しみはうすれませんが、周りの支えにより、少しづつ次の妊娠を考えられるようになりました。

次こそあなたを産めるように頑張るから、かえってきてね。





Name: 栞里ママ    ..so-net.ne.jp
Date: 2015/04/06(月) 16:39
  返信  引用  編集 
Title: 20週4日 人工死産    
3月18日長女の栞里はお空に帰りました。

4年間の不妊治療の末にやっと授かった我が子でした。
諦めようとしていた矢先に体外受精2回目、3回目の移植での妊娠でした。
本当に嬉しくて嬉しくて、診察室で妊娠の判定をもらった時号泣したのを今でも覚えています。

それから心拍確認までは順調でしたが、5週目頃に少量の出血があり、毎日が不安でした。
心配する出血ではないと言われ、9週頃には止まったので、そのまま不妊治療専門病院は卒業になりました。

年が明けて産婦人科に転院となって2度目、4か月に入った妊婦検診の時に、赤ちゃんに浮腫みが見つかりました。
胎児水種の疑いがあると言われ、その時は全く意味がわからなく主人と色々調べたところ、このままでは長く生きれない・・そんな答えばかりに愕然としました。
目の前が真っ暗になり、一気に天国から地獄に突き落とされた感じでした。

総合病院に紹介された結果もやはり、
「かなり浮腫みが大きいから、このままだと心拍がいつ止まってもおかしくもない。産まれても育つ可能性は低い。染色体の異常の可能性がある」
もう、先生の話が頭に入らず、ボーと聞いていただけでした。
かわりに主人が一生懸命に話を聞いてくれていました。

16週に入れば羊水検査をすることになり、それまでは1週間に1度検診に行きました。
スクスク成長する我が子、足をジタバタ動かしたりと、本当に愛おしかったです。
身体の成長にともなって、浮腫みも大きくなり、16週の頃には頭より大きくなっていました。
それでもしっかりとした心拍を聞くと、安心して涙があふれて毎回診察では泣いていました。

少しでも浮腫みが小さくなるように。
染色体の異常はないように。
と祈る毎日でした。

羊水検査の結果は、ターナー症候群。
染色体で異常がでると、浮腫みが小さくなる可能性は低い、育つ可能性もかなり低くなるとのこと。

もう、駄目だ。この子を守る事が私には出来ない。
頭がおかしくなるくらい、泣いて、泣いて、泣きまくりました。
早めに今後を決めなくてはいけなく、主人と一生懸命考えました。
産まれてもすぐに、外科手術が必要となる、障害は間違いなくある、この浮腫みの大きさだと、心奇形などがでる可能性がかなり高い。
ここまでわかっていながら産むのはこの子ためになるのか?
泣きました。今までの人生の中で一番泣きました。

今回は諦めよう。
一度神様の元へ返して、もう一度健康な身体をもらって私たちの元へ帰ってきてもらおう。
そう決めたものの、悔しくて、悲しくて、仕方ありませんでした。

2泊3日の予定で人工中絶をすることになりました。
1日目に子宮口を開く処置をしました。痛くて痛くて号泣していました。
2日目に陣痛促進剤をいれましたが、微弱陣痛がつくだけ。
3日目も陣痛だけで、子宮口がひらかず。
4日目は点滴をしましたが、促進剤を使ってもだめ。
5日目にはバルーンをいれる予定が、痛すぎて入らず。また、促進剤でもだめでした。
6日目、再度ラミネリアで子宮口を開く処置を受けました。促進剤は、まただめ。
7日目に、赤ちゃんの水種があるので出にくいかもとの事で水種を注射で小さくする処置を受けました。促進剤を使うと、それでも陣痛はあるものの、子宮口が2センチから開かず。
そして、この日、初めての胎動を感じました。
8日目の朝、診察で、赤ちゃんの心拍が止まったと聞かされました。
もしかして、昨日の胎動は赤ちゃんの最後の合図だったの?
私に知らせくれたの?
涙が止まりませんでした。

先生から、このままでは母体の体力がもたないので、赤ちゃんをバラバラにして取りだす手術か、このままもう少し頑張るか選択をして下さいと言われました。
心拍が止まったと聞いて、もう力が抜けてしまい、何も考えられなくなっていました。

手術・・・赤ちゃんがバラバラ?嘘・・・そんな・・・
でも、正直、私の体力も限界でした。
8日間にわたって、朝から夜中までの陣痛との戦い。
熱はでて、血圧はあがり、副作用で酷い下痢にもなっており、
もう駄目だと、泣く泣く午後からの手術をする事にしました。

手術前に、最後の診察を受けると、先生が「おっ!子宮口が開いてきてる!ちょっと破水もしてきてるよ。今日もう一日、薬で頑張ってみよう!」と言ってくれました。
辛いけど、嬉しくてもう少し頑張ろう!と思えたのです。

それから2時間の間に急に破水し、分娩室に入って6分で産まれてくれました。
もう、私も主人も号泣でした。
綺麗な形で産まれてくれて本当に嬉しかったです。
浮腫みはあるものの、笑っているお地蔵様みたいな顔をした女の子でした。
産声は聞けなかったけど、普通に産む事ができただけでも本当に幸せでした。
その後小さな箱に入れて頂いて病室で一緒過ごしました。
写真も沢山撮りました。

胎盤がでなかったので一日退院が遅れましたが、退院後、一日家族で過ごして、翌日、火葬をしました。

妊娠がわかってから、今日まで安心する日はほとんどなかった様な気がします。
でも、どれだけ頑張ってもママになれなかった私をママにしてくれて半年間一緒に過ごせた事を一生忘れません。
きっとまた帰ってきてくれる事を信じて待っています。
 
健康に産んであげられなかったけど、心の中では永遠にママと一緒だからね。
だから寂しくないよね。
栞里、早く帰っておいでね。
有難う。






 
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