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   2人目 12週 稽留流 ....   
   初期流産   
   9週 流産   
   流産   
   短期間での反復流産   
   稽留流産   
   反復流産 9週心拍確 ....   
   11週 流産   
   15週、破水しての人工 ....   
   三つ子 20週 子宮頚 ....   

Name: mari    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/02/18(水) 01:52
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Title: 2人目 12週 稽留流産    
妊娠したら元気な赤ちゃんを出産できる、それが当たり前のことだと思っていました。

12週の検診で心拍が止まっていることを告げられました。
10週半ばで成長は止まっていました。
出血も腹痛もなく、楽しみにしていた検診でのまさかの現実でした。

立ち仕事をしてたから?
娘を抱っこして、買い物に行ったから?
つわりなんて早く終わってほしいと思ったから?
安産だった友達に嫉妬したから?
自分を責める気持ちが止まりません。

産まれてきた赤ちゃんは、小さいのに、手も足も顔立ちも分かりました。
少しだけど一緒にいれて嬉しかったよ。
会いにきてくれて、本当にありがとう。

まだ受け入れることが出来ませんが、赤ちゃんに笑われないように、強くならないといけないですよね。





Name: しいな    ..au-net.ne.jp
Date: 2015/02/16(月) 06:34
  返信  引用  編集 
Title: 初期流産    
待望の第二子でした。
毎日が幸せで希望でいっぱいで、本当に本当に幸せでした

自分だけではない、自分だけが辛いわけではない。
頭では分かっているけれど、今は辛くて辛くて仕方ありません。

明日手術です。
お腹の子供はもう居なくなる。
私も赤ちゃんの所に行きたい。

こんなこと誰にも言えない、言ってはいけない。
優しくされるのが苦しくて辛くて、まるで自分が自分でないみたいに感じます。

赤ちゃんと夫に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんなこと誰にも言えない。夫にも、親友にも、母にも。






Name: ほんだ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/02/12(木) 14:26
  返信  引用  編集 
Title: 9週 流産    
忘れもしない、去年の6月1日。
自宅から遠かったバイトを辞めて専業主婦を1ヶ月したあと、やはり仕事がしたくなって面接に行った次の日、ふと生理が遅れていることに気づきました。
検査薬で陽性反応。
嬉しすぎて、両親や主人、近所の友人にすぐ報告しました。

1週間後、病院で検査をしてもらうと、やはり妊娠していました。
ほんとに天にも上る気持ちでした。

というのも、旦那がたまにED気味で、回数も少ないし、妊娠できる気がしなかったため。
たまたま今回はその時期にうまくいき、妊娠に至りました。

そのころ始めたばかりの仕事では思い荷物を持つこともあり、先輩などにおんぶにだっこでしたが、主婦さんが多い職場だったこともあり、理解してくださりました。

さらに1週間後。
そろそろ胎のうの中に赤ちゃんが見えてもいいころでしたが、見えないね、と言われました。
もしかしたら生理の周期を間違えて数えてる可能性もあるし、よくあることです。と説明は受けましたが、その先生はすかさず流産の話をしました。

15%、つまり8人に1人は流産する計算です。結構確率高いんだよ。
そんな不謹慎な。
私の子は大丈夫に決まってる。

そう思っていた2週間後、再度検査の日。
検査台に上がり、器具のカチャカチャする音がすごく嫌な気分にさせました。
先生は黙っています。
そして、流産を告げられました。

会計の前の待ち合いでは赤ちゃん連れや、小さいこどもがおもちゃで遊んでいて、見てると狂いそうなくらい泣き出しそうだったので、ただただ天井だけを見ていました。
9週に入ったところだったと思います。
私には、黒い袋の中に白いものが見えた気がしたんですが、先生ははっきり見えてないと言いました。
心音もほとんどわからないと。
ほとんどってことは、ちょっとは聞こえてるのかな?
今思えば、違う病院でもう一度ちゃんと見てもらえばよかった。

ずっと後悔しています。

翌日、手術で赤ちゃんを出してあげました。
麻酔はしてあるはずなのに意識ははっきりとあり、手術の間の5分〜10分の間ずっと痛みに苦しみました。
痛すぎて泣き叫びました。
術後は意識朦朧、そのまま少し寝ましたが、2日間はずっと気分が悪くご飯もたいして食べられませんでした。

あのとき奇跡的にできた私たちの赤ちゃんは、もう居ないんだ。

あれから8ヶ月が経ちましたが、今でも引きずっています。
当時ほど毎日泣いてはいませんが、たまにふと思いだし、仕事中でも泣いてしまいそうなときがあります。
まだ、忘れられてはいません。

当時、たくさんの人に励まされました。
ただ、批判するわけではないのですが、父や義父など男性陣には決まって、またすぐできるよと言われました。
正直、人の気も知らないで偉そうに、無神経なと、受け入れることはできませんでした。

一方最近主人はまたEDを発症し、今はそのことで非常に悩んでいます。
また、妊娠するときがくるのでしょうか…
正直、不安で仕方ありません。





Name: かおり    ..bbtec.net
Date: 2015/02/11(水) 22:04
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Title: 流産    
2年の不妊治療。
もう今回の治療でやめようと思っていた月に妊娠が分かりました。
トイレで妊娠検査薬を見た時の喜びは、今でも私を笑顔にさせてくれます。

ずっとずっと、娘に弟か妹を作ってあげたくて焦っていた私のところに、大丈夫だよって教えに来てくれたのかなぁ?
少ししか生きられないって分かってても、1ヶ月だけでもお腹の中に来てくれたこと、2人のかわいい子供のお母さんでいられたこと、感謝しかありません。

胎嚢確認も胎芽も心拍も、今日確認できなければ厳しい、そんな診察で必ず見せてくれたね。
何度も不安になっても、診察行くたびに望みを繋いでくれて、
本当に本当に良い子だった。

心配症でおこりんぼな私だけど、そばには優しいパパと、きっとたくさん遊んでくれるお姉ちゃんがいるんだよ。

きっときっと戻ってきてね。
ありがとう。





Name: ひなぎく    ..technowave.ne.jp
Date: 2015/02/09(月) 15:09
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Title: 短期間での反復流産    
2014年8月下旬、新しい命を授かりました。
7歳年下の、社会人2年目の若い彼。
最初は驚かれたものの、すぐに「結婚しよう」と言ってくれました。
お互いの両親に挨拶・報告をし、職場にも報告が済み、
さあ、これから忙しくなるぞと思った矢先に流産宣告。
頭が真っ白になり、何も考えられなくなりました。

入籍前だったので、「結婚を白紙に戻してほしい」と申し出た私に、彼は「バカな事を言うな。責任とか、そんなんじゃなくて、ちゃんと一緒になりたい。これは赤ちゃんがくれたプレゼントなんだよ」と、改めてプロポーズしてくれました。

入籍した4日後にオペを受け、その1週間後、私はまた1つ年を取りました。目まぐるしく過ぎた1ヶ月間でした。

ちょうど同じ時期に1つ年下の同僚が妊娠判明して、予定日も私と2週間違いであることを知り、すごく辛い思いをしました。
今年に入って「有休消化も含めて早目に産休に入らせてもらいます。○○(私)さんと同時期の出産予定だったので、産後半年の育休予定でしたが、私1人になったので1年いただきます」と言われ、私の仕事は2倍になり、新しい職員を入れる事もなく、1年半以上のひとり勤務をすることになりました。

病院勤務で毎日忙しく、流産の悲しみも薄れてきた頃、2度目の妊娠がわかりました。
流産してから約3カ月後の妊娠。
赤ちゃんが帰って来てくれたと喜んだのもつかの間、翌週に大量出血し、緊急オペでの流産でした。
先生より「安静に」と注意されていましたが、ひとり勤務で周りに迷惑を掛けてはいけないという思いから、休むことなく働いていたので、それが原因の1つだったのかも知れません。

オペ後1週間して、同僚が大きなお腹を抱えて職場に顔を出しに来たとき、2度目の流産をしたこと、術後の経過が芳しくないこと、これから検査をしたり治療に入るので、仕事のセーブをかけたいことを伝えました。
すると彼女から「どうして妊娠がわかったとき職場に言って休みをもらわなかったんですか?」と言われました。
私は彼女が居なくなることで出来る穴を埋めるために、まわりに迷惑の掛からないよう頑張って働いていたつもりです。
それなのに、そんな事を言われてしまうとは思いませんでした。
そのうえ「もし次に休むようだったら、診断書だと高くつくので他の書類にしてもらった方がいいですよ」と言われました。
彼女なりにアドバイスしてくれたのかも知れませんが、私はひたすら泣くのを堪えるので必死でした。
マスクをしていて良かったと、あのときほど思ったことはありません。

大きなお腹を支えながら帰っていく姿をみて、「私も今頃おなじくらい大きなお腹だったのに・・・」と、考えても意味のない事ばかり浮かんできて、悲しくて悲しくて消えてしまいたかったです。

「ただの有休消化で体調はいたって健康なんだから、○○さんが体調良くなるまで出てきてもらおうよ」と先輩が言ってくれましたが、きっと彼女の事ですから、きっぱり断ってくるであろうことは明確だったので、申し出を断って仕事を続けている現状です。

自分で書いていて、自分がすごく嫌な人間に思えてきて辛いです。これは彼女への妬みでしかないことはわかっています。
でも、ここに記すことで、黒い感情を少しでも吐き出したいと思いました。
彼女は何も悪くはないんです。
ただ、赤ちゃんと自分の身体を優先しただけ。
そして私にはそれが出来なかっただけ。

「約束して。次こそ必ずここで赤ちゃんを産むの。私がそれを見届けるから。きっと大丈夫よ。だから、どんなに辛くても結婚式は笑顔でね。」
来月末、結婚式を挙げるんです。
そこで、今度こそ幸せな報告がしたかった。
けれどその夢も叶わないと打ち明けた私の話を、優しく手を握りながら、黙って聞いていたナースさんの言葉です。
オペ直前、麻酔で薄れる意識の中、思わず流れた涙を何も言わず拭いてくれた方でした。
まだはっきりと意識が戻らず、支離滅裂な話をする私の言葉に耳を傾け、そばに居てくれました。
彼女の言葉が、今日も私を生かしてくれていると思います。

旦那さんは「今度こそ赤ちゃんが戻ってきてくれるよ。大丈夫。それに、もしこの先、授かることが出来なかったとしても、俺は十分幸せだし、ずっと一緒に生きていきたい。離婚なんて考えるなよ」と笑って言ってくれました
。今はその言葉すら、悲しみの材料に感じてしまいますが、少しずつ、乗り越えていければと思っています。

長々と個人的な感情を書いてしまい恥ずかしいかぎりですが、前に進むためにも記させていただきました。
再来週、笑顔で結婚式を挙げてきます。皆さんにも、私にも、どうか明るい未来が待っていますように。





Name: ぷーりん    ..openmobile.ne.jp
Date: 2015/02/08(日) 17:00
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Title: 稽留流産    
3年前、ここのホームページにすごく助けられた者です。
稽留流産でした。

流産が信じられず、早めに手術したほうが体のためには良かったのですが
どうしても、流産という診断を受け入れられず、誤診であってほしいと強く願い、
流産と言われたものの誤診だった、という方の経験を見たり聞いたりしながら、1ヶ月もの間亡くなった子供をお腹に抱えていました。

流産と診断され1ヶ月後、一度も診てもらったことのない産科に行き、
「妊娠検査薬で、陽性反応がでたので調べてほしい」と、流産と診断されたことをかくして診てもらったのです。

結果を待つ間、心拍が戻っていますように。流産が誤診でありますように。
そう願っていました。

医師から「尿検査は陽性だったからお腹を診てみるね」と言われ、
診察台へ。
医師の口から「ホウジョウキタイ」と診断されました。

ほうじょうきたい???なに?
異常妊娠のひとつということを知り、
しかも、ネットで調べると、抗がん剤治療とか子宮摘出とか怖いことが書いてありました。


手術日が決まり、それから、手術までの間。
ずっとお腹の子と一緒にいたい。
お腹の子を摘出せずに病気になっても良い。
そんなことも考えました。

でも、次の妊娠を望むのであれば、早めに手術をしたほうがいい。
そうとも書かれていて、お別れは悲しかったけれど手術をしました。

流産では、この子は医療廃棄物として捨てられてしまうということもとても悲しかった。

手術は成功。

軽くなったお腹をとても寂しく感じた。
もういないんだな。実感した。

あれから3年。

お腹に宿った小さな命と同じくらい大切な人に出逢って、生きてて良かったな、と思えるようにもなり、今は笑顔を取り戻せています。

お腹のなかに宿った命の事を忘れることはないけれど
お腹のなかで亡くなった悲しみも忘れることはないけれど
悲しみを受け止められるようになりました。

長くなりましたが、ここのホームページに来たのは、
3年たって巡り逢うことができた今、となりにいる大切な人に似た可愛い子供を授かりたいって思ったからです。

そして妊娠、出産は命懸けで奇跡なんだっていうことを再確認しに来ました。

ポコズママの会に関わっている方
経験を書いてくれた方
励ましてくれた方々に感謝します。





Name: toku    ..home.ne.jp
Date: 2015/02/03(火) 22:20
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Title: 反復流産 9週心拍確認後    
2013年、2014年と2回続けて流産をしました。
1回目は結婚してすぐに授かりました。
こんなに早く赤ちゃんが来てくれるなんて!と不安ながらも嬉しい日々。
心拍確認ができれば一安心ということで、これからの生活を想像してわくわくしていました。

ところが9週に入ったばかりの日に、突然少量でしたが茶色い出血がありました。
急いで最寄りの産婦人科に行きましたが、赤ちゃんはもう死にかけていました。
その時は10秒に1回くらい心臓が動いていましたが、
「いくら何でも遅すぎる。もうダメなんだな」と分かりました。

翌日に総合病院へ行った時には、やはり心臓は全く動いていませんでした。
手術後、「起きてしまったことは仕方がない。また主人と二人で頑張ろう」
自分では気持ちを切り替えたつもりで家事や仕事を頑張っていましたが、1カ月が経った頃、突然手足が冷たくなり、不安と恐怖感で涙があふれてきました。

そこからは地獄の日々。
なぜか毎日夜になると不安感と恐怖感で涙があふれ、人混みの中に行けない、電車に乗れない。
「自分はどうなってしまうんだろう。もう前みたいな明るい自分には戻れず、役立たずな人間になってしまうのかな。」と考えてばかりでした。
あまりの辛さにたまらずカウンセリングを受けました。
カウンセラーさんからは「本当はとてもとても辛い出来事だったのに、きっと抑え込んでしまったんだね。大丈夫だよ、そうなってしまったのは貴方が弱いからじゃない。焦らずにゆっくり過ごしてください。悲しい時はご主人の前で泣いてください。」と言われ、少し心が軽くなったことを覚えています。

そこから少しずつ普段の生活を取り戻し始め、流産から1年が経った頃、「怖いけど、やっぱり赤ちゃんが欲しいな」との思いで、また妊娠にトライすることにしました。
そして1か月後、妊娠検査薬が陽性に。不安でたまらなかったけれど、「2回も悪いことは続かないよね」と自分を奮い立たせました。
けれど、また前回と同じく9週で出血。
数日後には赤ちゃんの心拍は見えなくなりました。

流産が確定となった日は、悲しいというよりも怒りでいっぱいでした。
「赤ちゃんは私を苦しめに来たに違いない」そんな汚い感情ばかりが心の中にありました。
それでもしばらく経って心が落ち着いてくると「短い間だったけれど、お腹の中に赤ちゃんが居てくれた日々は幸せだったな。」と考えられるようになりました。

今は、また前のような情緒不安定な日々にならないよう、「ゆっくり、ゆっくり、泣いてもいいよ。頑張らなくていいよ。」と自分に言い聞かせています。
それでもふとした瞬間に急に不安になり泣いてしまう時もあります。

2回とも悲しい妊娠に終わった私ですが、「次は赤ちゃんが無事に産まれてきてくれますように。お母さんになれますように。」という願いは変わりません。

きっと次に妊娠しても、嬉しいという気持ちはほとんどないでしょう。
不安ばかりでいっぱいいっぱいになってしまうでしょう。
それでもお母さんになるという希望は捨てません。
「なんだか出口の見えない長いトンネルに入ってしまったなぁ」という思いですが、それでもきっといつかは幸せになれる!と信じて生きていきたいと思います。





Name: ママ    ..dion.ne.jp
Date: 2015/01/25(日) 23:59
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Title: 11週 流産    
長男の時は何も問題も無く出産を迎えました。
周りのママ友も何も問題なく出産していたので、妊娠も出産も当たり前のことだと思っていました。

心拍が確認でき、9週の検診では先生から「元気な子だよ」と言われていたので、母子手帳も取りに行って安心しきっていた矢先、
12週(4ヶ月検診)で「赤ちゃん小さいね」と言われました。
それでも、少し小さいだけだと、あまり心配していませんでした。

「翌日も来て」と言われ、翌日、再度診てもらったのですが
「やっぱり・・・心臓が止まってる」と言われ、想像もしてなかった言葉に頭が混乱しました。
心の中で嘘だ!嘘だ!と思うものの、涙が溢れてきて止まらず、
後日、赤ちゃんを出す手術をしました。

手術の前日に前処置を受けました。
夜中に、陣痛のような痛みがきて、朝まで耐えました。
手術当日、息子を産んだ分娩台で手術をしました。
そこから自然と涙が止まらず、助産師さんが手を握ってくれ少し安心しました。
麻酔を入れられて少ししてから意識が飛び、気づいたら誰かの声がしました。
「赤ちゃん、ごめんね」と何回も聞こえ、誰の声?と思っていたら
自分の口が動いていることに気づき、同時に意識が戻り、口を閉じました。

「赤ちゃんは弱い子だったんだよ」と、先生は言っていました。
でも赤ちゃんは、苦しい思いをしてまで私のところに来てくれた強い子なんです。
私は母親なのに赤ちゃんに何もしてあげられませんでした。
守ることもできませんでした。
でも赤ちゃんは命の尊さ、大切さを教えてくれました。
とても優しい子です。

もっと安静にしてたら違ってたかな?とか、妊娠してる時に主人と喧嘩ばかりしてたから嫌になっちゃったのかな?とか。
悔やむことがたくさん有ります。

また来てくれるまでにちゃんとするから、ママの所に来てください。

あなたの分までお兄ちゃんを大切に育てます。
あなたの分までパパとママは健康に長生きします。
いつでも3人で待ってるよ。
少しだったかもしれないけど、私のお腹で育ってくれてありがとう。
苦しい思いをさせてごめんなさい。
空から私達を見守っててね。大好きだよ。





Name: はぴこ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2015/01/11(日) 19:52
  返信  引用  編集 
Title: 15週、破水しての人工死産    
昨日の朝、軽い腹痛を感じて横になっていました。
トイレにで出血に気付いた瞬間、羊水が流れ落ちてきました。
自分ではどうにも止められない感覚で、すぐ羊水と気付き、主人と慌てて産婦人科へ行きました。
産婦人科では対応できないと救急車で大学病院へ運ばれました。

分娩台で診察を受け、エコーで赤ちゃんの心拍が動いているのを見られて安堵しましたが、羊水が殆ど残ってないから助かる可能性は極めて低いと言われました。
そして、血液検査で私の母体感染が確認され、人工死産するしかないと医師に言われました。
そして、その日の夕方、子宮口を開く処置をし、睡眠薬をもらって眠りにつきました。

今朝、陣痛誘発剤を投与し、お昼頃から陣痛がきました。
そして出産しました。
赤ちゃんの心拍は、その頃には止まっていました。
嗚咽が出るほど、泣きながらの出産でした。
痛いからではありません。
赤ちゃんを助けてあげられなかった、赤ちゃんを抱く事ができなかった悲しみや辛さや、悔しさで感情を抑えられませんでした。

処置を終え、赤ちゃんと対面しました。
まだ性別は分からなかったし、真っ赤なお顔だったけど、本当に可愛くて綺麗な顔立ちでした。本当に愛おしい可愛い子でした。

明後日、火葬をして天国に送ります。
どうしても、どうしても、この子に元気になってまた私のお腹に戻ってきて欲しいです。
その為にも早く私は元気にならなくちゃと思いますが、立ち直れる自信が今はありません。時間しかないのでしょうか。

原因は、胎盤を検査して分かると思うと言われています。
今はまだ分かりません。

あまりに突然の出来事で、今だに信じられません。
このやり場のない思い、どうすれば良いのでしょうか。
辛いです。





Name: しゅうと・はると・めい 三つ子ママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/01/10(土) 16:07
  返信  引用  編集 
Title: 三つ子 20週 子宮頚管無力症    
2014年12月22日、三つ子の出産に向け、今まで通院していた病院よりも、更に設備が整っている大学病院へ移ることになり、新しい病院へ初めての診察に行きました。
そこで今まで問題なかったはずなのに、子宮頚管が2cmないくらいまで短くなっていると指摘され、即入院になりました。

今まで、お腹の張りを余り感じなかったけど、これ以上子宮頚管が短くならないようすぐにお腹の張りどめと、子宮が収縮しないようにするための点滴生活が始まり、絶対安静の生活に入りました。
トイレと洗面は車椅子移動、それ以外はベッドの上での毎日でした。

年が明け、1月5日に今後の相談をしようと言うことで、先生と夫婦で話し合いをし、3日後の8日に子宮頚管を縛る手術を受けることになりました。
これで少しは希望が見えたような気がして、30週目指して頑張ろうと思っていた矢先、6日の夜から急に今まで感じたことがなかったお腹の張りがひどくなり、朝になってトイレへ行くと出血していました。
そしてトイレで張りに耐えて、食いしばりながら子宮口に違和感を感じて触ってみたら何か出ていました。
ビックリしてナースコールし、とりあえず車椅子でベッドに戻って看護師さんに確認してもらいました。
ところが、座ったことで引っ込んでしまったのか、何も見えませんでした。

朝になると本格的な陣痛がついてきて、先生の診察を受けると、子宮頚管が開ききってしまっており、1人目は膣内にいるということがわかりました。
トイレで出てきてしまったのは、1人目の赤ちゃんの頭だとわかりました。

先生がもう諦めなきゃいけない、普通分娩で産もうと言いました。まさかのことで泣き叫びました。
お腹で問題なく元気いっぱいに動いて生きている赤ちゃん達。
ママのせいで産まなきゃいけない。20週だから助けることもできない。
このままお腹にいさせてあげられたらと、悔しくて悔しくて。
陣痛に耐えながらもやるせない想いで涙が止まりませんでした。

そのまま分娩室へ向かい、1月7日、ちょうど20週、6ヶ月目にはいった日に普通分娩で3人の小さな小さな赤ちゃんを出産しました。
男の子2人と女の子でした。
男の子2人は仲良く25cm310g、325g。
女の子は24cmで270g。

まだ胎動を感じる前で、お腹の中では元気に一生懸命動いて生きていたけど、まだ20週で外での呼吸は自分で出来ず、延命処置も出来なくて、3人の赤ちゃんたちは産まれて間もなく息をひきとり、天国へ旅立っていきました。
綺麗に拭いてもらって、ぶかぶかのお洋服を着せてもらい、棺に仲良く3人で入っている赤ちゃんと会いました。
一人一人抱かせてもらった3人は小さいながらに重みを感じ、顔立ちもハッキリしていて可愛かった。

3人のへその緒と、3人の手形、足形をいただき宝物が出来ました。
産まれた証。ありがとう。

火葬は明日。3人に向けて書いたお手紙や赤ちゃんたちにパパと、ママの顔を、忘れてほしくなくて、写真も、そしてケンカにならないように同じ人形を3つ。
最後にきちんとお別れをしてこようと思います。
今は悲しくて悲しくて、3人の事を考えると毎日泣いてばかり。
まだまだ心の整理も出来ないし、立ち直るには時間かかるけど、パパとママを選んでお腹の中にきてくれたこと本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
離れていても心の中にいつまでもいるし、お互いの幸せを願っていることも同じ想いだと思います。
いつまでも家族だってこと変わらないし、ゆっくりでも前に進んで赤ちゃんたちを安心させてあげたい。

3人がお腹の中にきてくれたことでたくさんの事を教えてもらいました。
感謝しています。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
しゅうと、はると、めい、パパとママはあなた達の事、忘れないよ。
またパパとママを見つけたらお腹に戻っておいで。
大好きだよ。ありがとう。






 
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