TOPページのお言葉。
投稿者: 明子
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2006/05/10(水) 01:50 No. 512 |
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確かに単語になって認知されると安心するってことありますよね。大切なのは単語のもつ意味、表現するものとしての言葉なんですね。まどろっこしくても文章で伝えるってこと大切ですね。 迫田さんの文章で改めて思い出させていただきました。 ありがとうございます。
オトムギ楽しみ☆
P.S.東京セレソンDXの舞台で西村清孝さんが言う台詞に近いものを感じます。
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| 投稿者: 迫田圭司 ..2006/05/12(金) 01:49 No.515 |
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いつも考えているわけではありませんが、たまにそう考えます☆ 文章もそうですが日常で使う言葉としてですな! とりあえず「言葉」があって、当然それによって安心できる場合もあるし、逆にそんなんで片付けるなぁ!とかもあるとも思いますし♪(病名とかもそうでしょうな!それによって安心したり当惑したり。) 人の意見をじっくりじっくり聞くのも必要かもしれないし、時には「アホか!」のヒトコトで済ませてしまう方が正しかったり優しかったり☆
今思い浮かんだことがあります!
「言葉と気持ちは反比例たれ!(かもしれん^^;)」
例えば「アホか!」で片付けしまうべきことがあるとして、、、 でもその「アホか!」の中にはきっと多くの想いがあればこそ伝わると言いますか。。。 逆に想いのない簡単な単語で収めてしまう言葉には想いがないと言いますか。。。
ヤベえ。掲示板でも酔ってマス^^;
中止〜\(◎o◎)/!この話中止〜\(^o^)/
P.S. それよりなによりセレソン見に行かれたんですか? メッチャ○○ましたよね〜!
ウソのように今、 まさにコレを打ちながらたった今ね、その西村さんから電話ありましたよ〜(*^_^*) 彼はいい感想を聞けそうな人にはやみくもに電話してくるのら♪ うん!確かにとっても良かったし、悪い印sy、、、、
セレソンについて語りてぇ\(◎o◎)/!ハンカチ手にしてまた見てぇ\(^o^)/ですな☆
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| 投稿者: 明子 ..2006/05/12(金) 09:37 No.518 |
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言葉は話してる相手と自分との関係によってもやさしくなったり冷たくなったりするような気がします。 ありがとうございます。(^-^)
で、セレソン!今回も良かったですすよね。セレソンについて語りだしたら止まらなくなりそうです。なので舞台感想も終演後のご挨拶では「良かったです。」で終わっちゃいます。時間があればもっと語りたいと思う時もあるのですが。。。口下手で伝えるまでには相当時間かかりそうなので。(≧∇≦) 私の友人は観た方全員がはまってます。友人が友人にと次々に誘うのでセレソンの輪が出来てます。(私も誘われた口で今は誘うほうにまわってます。)公演前後の私たちの飲み会はセレソンの話題でもちきりです。(*^-^*) お芝居やってる方の観点でのお話も聴いてみたいなぁ。。。
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| 投稿者: トクナガ ..2006/05/13(土) 02:36 No.519 |
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いちばんは「いじめ」かなあ。 子供と言うのは残酷なところがあるから、異端をはじいたり、攻撃的な部分をむきだしにしてしまうことは、ある程度は当たり前なのです(もちろん暴力ではあるから是とは言わないけど)。それが、25年くらい前、初めて「中学生が自殺」してから「いじめ」というのが、ある特定の状況を指すようになり、それが暴力の中でも特異化してしまった。そして、日本中の学校内における暴力的感情の被害者たちが、自分の置かれている状況を「いじめ」だと固定できるようになり、それは「自殺してもやむを得ない状況」だと自然に認識するようになってしまった。 ゆがんだ人間関係なんて、世の中にはいっぱいあって、それを克服したり、救われる関係を新たに見つけたりして、人は生き延びてゆかねばいけなかったのに。その融通を、言葉が奪ってしまった。 またマスコミの、言葉を増幅する機能もそれに拍車をかけてきた。便利で刺激的な「カテゴライズ」を次々に産み出し、それを連日、何度も何度も再生産するテレビ。ごく一部の極端な状況を「社会現象」に高めてしまい、「いじめ」〜「登校拒否」「ひきこもり」〜「キレる」「心神喪失」〜「殺意」「自殺」という流れは、 『みんながやってること』になってしまった。
朝日新聞のコピー、「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを」 これ、ちょっと鼻につく感じもするけど、ひとりひとりが思うべき大切なことだと思います。無力なようでいて、やはり言葉は「圧倒的」なのです。
わ。いきおいで長文打ってしまった。読み返さずにアップしようっと。 セレソン、行けるかなあ。見たいけど……
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| 投稿者: トクナガ ..2006/05/13(土) 02:39 No.520 |
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ん? なんかスレッドの流れをこわしててすみません。 じゃまだったら削除して下さい。失敬!
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| 投稿者: 迫田圭司 ..2006/05/18(木) 00:36 No.523 |
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確かにそうですな! トクさんの言葉はとても整然と分かりやすい。 思い返すとどうでしょう。僕が小学6年生の時、名古屋から東京に引っ越してきた時に初めて「いじめ」という名詞としての単語を知ったかもしれません。 時期と地域がちょうど重なる頃だったんでしょうか。 幸い僕はイジメにあったことはありませんでしたが、よくプロレスの実験台にはなってました!とっても楽しかったデス(^^)/ しかしそれも受け手側からしたら「イジメ」と感じる子もいたかもしれませんしね。(我ながらバカで鈍感で良かったと思います☆) なにより当時そんな言葉を知らなくて良かったのかもしれません。 (あ、でもアレはマジでイジメじゃないと信じますが!いつか聞いてみよう☆) それでもやはり「言葉」を知った後、親にも問われたことがありました。 「『イジメ』だったんじゃないの?気付いてなかっただけじゃないの?」と。 その時出たエピソードがプロレスだったのできっと僕も今でもそれを覚えていたのでしょう。 きっと「今日も技かけられたよっ!」と喜んで報告していたんでしょうなぁ(^^)/心配だったんだろうなぁ(*^_^*)
思えば僕も小学4,5年の頃、同じマンションに住む子供会のソフトボールチームの同級生をみんなで仲間はずれにしたこともありました。 明確に覚えてます。 試合が終わった帰り道、買ったばかりの「6段階変速」の自転車を自慢げに乗り回すエジマ君を、急に角を曲がって置き去りにしたのです。マイタのです。マイタ彼をみんなで遠くから見ていたのです。 あ、ナカジマ君のことも覚えてる。 体の弱かった中島君。僕はとても仲良しでした。科学の好きな子でした。彼のおかげで僕は天文を好きになりました。 でも一回だけ僕は彼が学校を休んだ時の「帰りの会」の時、猛烈に裏切ったことがあります。「自転車の後輪に傘の柄を引っ掛けられた」と、ウソをついたことを覚えています。
イカンイカン!これを書きながらいろいろ思い出してきてしまった。
でもとにかく言いたいのは、当時は「イジメ」という言葉を知らなかったのは幸せだったと思います。ということです。
僕は断然性善説派ですが、まそりゃ子供はいたって自然ですよ。 それをしっかり教えていける大人になりたいと思います☆ (↑いきなりまとめに入りました!)
そして大人(親)としても「いじめ」という言葉に惑わされずにいたいと思いますな!
やべぇ。やべぇ。僕の話長ぇ〜。
※エジ!ナカジマ君!あの時はゴメン! 他に思い出す前に終わりますm(__)m
で!明子さん! セレソンについては本番中なのでまだ多くは語れません!が!
やはり悲しいことに役者を志す者としてはいろんな余計な要素を見てしまうこともあります^^; 僕はけっこう「イイお客さん☆」タイプだと思っていたのですが、 そうでもなくなってきた自分も感じるとこもあったり♪ 役者目線で稽古場の苦労を想像してしまったり、ホント無駄な役者目線が出てきてしまったかもしれません。いろいろ見れるようになったのかもしれませんし! それが寂しくもあったり。
ま、結果的には大いに泣きましたケドね(*^_^*) 分かってても泣いてしまいます^^; (↑コレもこれから見る方には読んで欲しくないケド、書いちゃおっ!)
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