Title: 31週 臍帯過捻転
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結婚して1年で授かった待望の赤ちゃんでした。 裁縫が苦手な私も、美和の産着、スタイ、ロンパース、おくるみ・・・たくさん作りました。 悪阻の時も、縫い物をしていれば、気がまぎれました。
26週の検診で子宮が下がっているために自宅安静を言われ、28週の検診の前日には少量の出血がありました。 胎動も少しわかりにくくなりました。 不安で仕方なかったので、母と妹に付き添ってもらった28週検診。 元気な心拍を確認できて、号泣しました。 先生に胎動がわかりにくいことを伝えると、「赤ちゃんが大きくななってきたから、胎動がわかりにくいんですよ。心拍もしっかりしてるし、大丈夫」と言われました。 助産師さんにも、お腹の張りや胎動の話をゆっくり説明してもらって帰宅しました。
帰宅後もなんだか胎動が弱いように思い、夫にも、美和ちゃんがわかりにくいと伝えていました。お腹に手を当てても弱い胎動。 今思えば、私の脈拍だったのではと思うほど、弱かったと思います。 美和とつながっているのは私だけなのに、美和の悲鳴に気づいてあげれたのは私だけなのに、なんで病院にいかなかったんだ、と、自分を責めます。誰も悪くないといいますが、そんなはずはありません。
30週検診で「心拍見えないね」と言われ、最初、意味がわかりませんでした。ただ見えにくいだけで、まさか美和の心拍がとまっているなんて思いもしませんでした。 「いつから胎動ないの?」と聞かれ、「前回も胎動弱いって伝えたのに」と答えました。この時も、まだ美和がなくなってるなんて思いません。 「とてもつらいけど…ご主人呼べる?」と聞かれ、初めて美和がなくなってることを理解しました。 夫が来るまで別室で待っていましたが、涙もでませんでした。
美和はもうなくなってるのに、幸せな妊婦さんと同じ痛みに耐える力が私にあるのか。病室からは赤ちゃんの泣き声が聞こえ、幸せいっぱいのママが出入りします。病院のご配慮で、一般病棟に変えてもらえたのが救いでした。
夫は、入院から出産までの丸二日、私を全力で支えてくれました。私の母も、長い陣痛の間、ずっと背中、お腹をさすってくれました。夫の家族、私の家族みんなに支えられ、9時間48分後に、長女美和を出産しました。 今でも美和がこの世に出てきてくれた感触が残っています。 「今、美和が頑張って産まれてくれた。」この瞬間まではなんとも冷静な私がいました。
出産直後は、雲の上にいるようで、何がおこったかわからない状態でした。 夫も家族も先生も助産師さんもみんな「頑張ったね。」と声をかけてくれました。
美和は私が作ったイチゴ柄の産着をきて、天国に行きました。 夫によくにた大きなお鼻と、私によく似たフサフサヘアーのとってもかわいい娘です。 美和のために作った洋服や、おもちゃは、美和の妹か弟に着てもらうために大切にしまいました。8か月半、美和を守ってくれた腹帯は、次の妊娠時に使います。美和が守ってくれるからです。
病院も変えようとみんな言いますが、先生、助産師さんにもう一度取り上げてほしいので、変えたくないです。先生も、助産師さんも本当にあたたかな方ばかりで、お礼の言いようがないです。
美和が生まれてもうすぐ1か月です。 ようやく気持ちも落ち着いてきました。美和の夢は毎日見ます。とてもうれしいです。まだ、出産した人の話や、妊婦さんを直視できません。人の幸せを疎ましく思う自分が、本当に嫌になります。 大好きな友人の出産の知らせがうれしいのに、美和と重ね、泣いてしまいます。「産まれたら同級生になるなぁ」って言ってた赤ちゃんが4人います。 抱っこしたくてたまらないのに、美和と重ねてしまい、抱くのには時間がかかってしまうと思います。
友達にも会いたいですが、美和の話をあえて触れないようにしてくれるんかな?それとも美和の話私がしたら、返事に困るやろな…とか考えて、会いたいのに会えません。
美和の妊娠をしっている近所の方に、ペタンコのお腹を見られるのがつらくてたまりません。「もう生まれたの?赤ちゃんは?」って聞かれるのが怖くて、自意識過剰になって、みんな私のお腹をみているように感じます。
夫は自分もつらいはずなのに、私のこんなマイナスな話も全部受け止めてくれます。
妊娠が分かったときはとても喜んでくれました。 心配症の私は5か月の安定期までは家族にしか妊娠を報告しませんでしたが、夫は2か月でみんなに報告しました。 最初はいやでしたが、喜んでくれてるんだと思い、許しました。 美和がお腹で聞いているのに、大きな声でケンカしたり、美和はお腹の中で苦しかったやろなぁ。と後悔の日々です。 ケンカばかりしてたから、美和は、もがいて臍の緒ぐるぐるに首に巻きついてしまったんかな。と今でも思います。 胎教にいいクラシックなんか聞いても、あのケンカの声で何の意味もなかったな。と後悔です。
そんな夫は、美和の出産のときからずっと私の支えで、こうしていられるのも夫のおかげです。 お腹に美和がいるときは、父親の自覚ないと思っていましたが、美和にあった瞬間、一気にお父さんになりました。美和は、私たちの自慢の娘です。 お互い、思いやりやいたわりの気持ちがなかった私たちですが、美和のおかげで、夫婦の絆が強くなりました。今さら遅いと美和に怒られそうなので、それは思わないことにします。 心が離れかけていた私たちを、美和がつなぎとめてくれました。 夫がいないと生きていけません。生まれ変わっても夫と一緒になりたいし、天国で美和と夫と、次に生まれてくる美和の弟か妹とまた家族になりたいです。母、妹、お姉さん、お父さん私の大切な家族がみんなで私を支えてくれています。
私が死んでも、美和さえ生きててほしかったと、今でも思うけど、そう思えば美和も悲しむから、美和が私を守ってくれたと思うようにします。 出産は奇跡だということ。一人では生きていけないってこと。色んなことを美和に教えてもらいました。
美和ちゃん。ごめんって言ったら怒られるかもしれんけど、やっぱりごめんね。元気に生んであげれなくてごめんね。 美和と同じ天使になった友達と仲良く遊んでね。 毎日毎日お母さんは美和元気にやってるか、楽しくやってるか考えてるよ!! お父さんとお母さんが天国にいったら、一番に美和に会いにいくから見つけてね。元気な声を聞かせてね。 美和ちゃん、お父さんとお母さんのところにきてくれてありがとう。美和のお母さんになれて幸せやよ。 30年間生きてきた中で、美和と過ごした8か月半が、私は一番幸せでした。美和ちゃんありがとう。美和ちゃん大好き。
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