このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   トピック表示   ツリー表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
 
   14週 流産   
   16週 感染症   
   8週稽留流産 32週 ....   
   13週 2度目の流産   
   37週 13トリソミー  ....   
   33週 18トリソミー 誕 ....   
   6週 稽留流産    
   14週 胎児水腫 人工 ....   
   7週0日 完全流産   
   19週 前期破水   

Name: くうがママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/05/15(水) 16:35
     削除 
Title: 14週 流産    
妊娠初期から子宮の中に血腫ができ、切迫流産で入院。
14週4日、激しい激痛で先生にみてもらうと、子宮のなかの血腫が全て排出されていた。

それから1時間後、さらに激しい激痛に襲われた。
そして更に1時間後、自然に赤ちゃんがでてきてしまった。

13cm、36g、可愛い男のこだった。

まだ一ヶ月もたってないので、毎日泣いてばかりだけど、生きることが、赤ちゃんの供養となるとおもい、前を向こうと決意しました。





Name: みーこ    ..au-net.ne.jp
Date: 2013/04/23(火) 23:00
     削除 
Title: 16週 感染症    
15週0日、主人と1歳の長男と久々の外出。
歩き過ぎたせいか、少量の出血があったので、不安になり、翌日、病院へいった。

「流産に繋がる出血では無いが、安静が必要」と言われ、その日から横になる生活が続くことになった。

安静と言われても、まだまだヤンチャざかりの長男を相手にしていると、なかなか横にもなれず、動く事も多かったと思います。
ダラダラと続く少量の出血。
たびたび出血でシーツを汚す事もありました。

不安にかられ、15週6日、再度受診しました。
「流産の心配は無し。赤ちゃんも元気」と言われ、止血剤を貰って帰りました。

16週1日。
朝から体がだるく、食欲も無く、動くのが億劫でした。
夕方頃から鈍い鈍痛と悪寒があろ、出血もつづいていました。

20時頃になって、主人に付き添われ病院へ行きました。
診察の結果、子宮が1センチ開いていて赤ちゃんを包む羊膜が出かかっていることがわかりました。
「9割方助からない。破水したら終わり」
頭が真っ白になりました。夢であってほしい。

それからすぐに入院となり、陣痛を止める薬を点滴するも、破水した。
「赤ちゃんを出さないと、母体が危険」と言われ、産む決意をする。
点滴を止めてもなかなか陣痛が起こらず、陣痛を起こす膣剤をいれた。

それから1時間半後、次男が産まれました。
16cm、100g。
小さな綺麗な身体。鼻も高くて男前さん。
分娩室で主人と沢山泣きました。
看護婦さんもたくさん泣いてくださいました。
小さいけど、抱けて幸せだよ。

まだ心がついていけません。まだまだ悲しいです。
後悔も沢山残っています。自分も責てしまいます。
赤ちゃんは、こんなママの姿をみたら悲しむのに、涙がまだ止まりません。

私達の元に少しの間でも来てくれてありがとう。
お空にある太陽みたいに天国からみててね。
太陽くん大好き、愛してる。いつか会おうね。





Name: 天使・心ママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/04/22(月) 12:00
     削除 
Title: 8週稽留流産 32週3日 臍帯過捻転で死産    
2011年7月14日、第一子が8週で天使になりました。
この時は、周りの支えで直ぐに立ち直り、前向きにいつもの生活へ戻す事ができました。

2012年9月に第二子の妊娠がわかりました。
不安はつきませんでしたが、何も問題なく順調に育ってくれていました。

2013年4月11日、9ヶ月に入った検診の日。
いつも通り、元気な姿を見れると思っていた。
なのに「あれ?心拍がないね」と、先生に言われても、にわかには信じられなかった。
エコーを見ると自分でもわかった。
いつも元気に動いてる心臓がない。止まっている。
頭が真っ白になった。

先生がゆっくり説明してくれた。
赤ちゃんの心臓が止まって、お腹の中で亡くなってる事。
私の体のことを考えて早めに出産しないといけない事。
原因は出産してみないと分からない事。

私は必死に深呼吸しながら、勝手に流れでる涙をぬぐいながら
先生の話を聞いた。

その現実を受け止めなければいけないことにいっぱいいっぱいで、看護師さんが、母に電話してくれた。
別室で母を待ってる間、私は泣き崩れた。

出産まであと2ヶ月♪なんて浮かれてた。
突然の赤ちゃんの死。
今朝起きた時は動いてたんだよ!
ちゃんと「おはよう。今日は検診だからエコーの時顔見せてね」って話したんだよ。
なのに何で?どうして私ばっかり?酸欠になるほど泣いた。

母は、父と一緒に来てくれた。
3人でもう一度先生の話を聞いても納得できず、紹介状を書いてもらい、近くの市立病院にセカンドオピニオンを求めた。
それでも結果は同じだった。

その日は帰宅し、一晩中涙が止まらなかった。

翌朝、通っていた産婦人科に入院。
9:30 ラミナリア10本挿入
16:00 バルーン挿入
21:00 重りをバルーンに付けると、生理痛の様な痛みが不定期に始まった。

朝がきた。
9:30 子宮口6センチ バルーンをはずして促進剤の投与開始。
陣痛室に移動してだんだん強くなってくる痛みに耐える。
10:10 便意があり、ナースコールしてトイレへ行くも、なにもでず、部屋に戻ると母が来てくれていた。
母の顔を見たら安心したのか、急に陣痛が間隔なく強い痛みになる。
10:45 様子を見るため分娩室で内診を受けると、子宮口が8センチに開大。破水したため、そのまま分娩室で待機することになる。
11:05 突然、何かが出そうな感覚があり、ナースコールする。
初産なので、看護師さんたちものんびりしていて、何の準備もしていなかった様子。
準備が整うまで、深呼吸しながら、何とか必死に耐えた。
「はい、お待たせ!ゆっくり息を吸ってー止めて。息んでー」
看護婦さんの声に必死に耳を傾けながら頑張って息む!
11:16 1,444g 43cmの女の子を出産しました。

初めての出産なのに、安産でスピード出産だったので、とても親孝行なかわいい娘です。
先生にも息み方が上手だったと褒められ、娘のことも「ママをあまり苦しめない様に産まれてくれて、素敵な娘さんね」と褒められて、周りが何と言おうと、最高の出産だったと思います。

死産の原因は、臍の緒の長さが平均の半分しかなかった為、同じ方向に動き過ぎて捻れちゃったみたいです。
本当に悔しい。

その後、赤ちゃんを抱っこをさせてもらいました。
ピクリとも動かない娘だけど、ただ寝てるだけの様に見えて、本当にかわいかったです。
出産中に父も来てくれたようで、父と母にも初孫の顔を見てもらいました。母は抱っこもしてくれました。
しばらく赤ちゃんとの時間をもらい、30分程赤ちゃんと過ごしました。

その後、旦那もかけつけて娘に会ってもらいました。
旦那に似ていて、自然と笑顔になるほど本当にかわいかったです。

4月14日に退院しました。その2日後に告別式。

確かに出産してこの腕で抱いた娘なのに、戸籍に残らない事が
本当に悔しいです。
名前も決めました。
みんなの心にいつまでも残ります様に。ママとパパの心のなかにいつまでも一緒にいるよ。
と願いと想いを込めて「心(こころ)」です。

心の告別式は、ママとしてしっかり見送ってきました。
前日に折り紙で作ったハートやクマさんと、ママからのお手紙。
みんなでかわいいお花を棺にたくさんつめて、心に贈りました。

人形はダメだと言われたけど、折り紙ならいいと言われたから、心が寂しくないように、クマさんを一生懸命作ったんだよ。
ちょっと不格好だったけど、大事にしてくれたら嬉しいな。
たくさんのハートはママとパパとみんなからの愛だよ。
心はみんなに愛されながらお腹の中で育ったんだよ。
お空には天使チャンもいるから、仲良くするんだよ。

ママはこれからも頑張って生きていくからね。
2人の分まで頑張るからね。
だから見守っててね。

天使チャン。心の事よろしくね。
天使チャンは性別わかる前にお空へ行っちゃったから
心のお姉チャンかお兄チャンか分からないけど、ママの子だから
きっと心のめんどうをしっかり見てくれる優しいお姉チャンかお兄チャンになってるんだろうね。
頼んだよ。

これから先、たくさん泣いてたくさん挫けると思うけど、
いつか必ず天使チャンと心チャンに妹か弟出来るように頑張るから
ママの事支えて応援してね。
ママの大好きな天使チャンと心。
ママを選んで来てくれてありがとう。

愛してるよ。





Name: まりりん    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/04/19(金) 09:56
     削除 
Title: 13週 2度目の流産    
一度目は16年前、2回目の妊娠でのことでした。
両家の両親もよんで、長男の初節句のお祝いをする日の朝のことでした。
出血していたので御祝いが終わってから行った病院で「1週間前には止まってたね」と言われ、次の日、外来へ行く前にトイレで赤ちゃんが出てしまいました。
 
2回目は7回目の妊娠でした。
私が40才ということで不安はありましたけど、それより嬉しさの方が大きく、早く会えることを楽しみでした。
私が妊娠に気づくより先に、3才になる娘が気付いていました。

4ヶ月の健診で、そろそろ胎動わかるころだからどのくらい大きくなったのか楽しみにしていたのに、エコーを見た先生から「心臓が動いてません」と言われ、自分で見てもわかりましたが、それは間違いだと信じていませんでした。
そのあと、入院や処置の説明されましたが、耳に入ってきませんでした。
旦那に電話で伝えながらボロボロ泣いちゃって、何を言ったか覚えていません。

次の日の朝、入院の用意をして1人で病院にいき、再度エコーで確認しても動いていないので、すぐに子宮を拡げる処置を受けて病室に連れていかれました。
看護師に「赤ちゃんの為に洋服を作ってみませんか?」と言われ、即答でお願いして、昼から夜中までずっと作っていました。
夕方、朝に子宮に入れたものを抜いて、ラミナリアを8本入れました。

入院2日目、旦那は仕事を休んできてくれました。
朝8時、1回目の促進剤を入れました。
すぐに腰が重くなりましたが、まだ余裕があったので旦那と話していたら2回目の時間になりました。
少しお腹に痛みがきたけど、昼御飯も食べられました。
そのあとベットで横になっていたら、一時帰宅していた旦那が到着し、同時にキツイ痛みが1分感覚で5回きて破水しました。
すぐ分娩台につれていかれて、5男が誕生しました。
あっと言う間の出来事でした。

この日は旦那の誕生日。
旦那が来るのを待っていたみたいで、ママとパパに会いに来てくれた優しい息子です。
病室に戻ってから対面した息子は、小さい体と、足の長いイケメンでした。

次の日、一緒に退院しました。
退院の次の日は娘の入園式に行ってきました。
火葬は4日後だったので、ゆっくり過ごしました。
火葬から3日後には仕事復帰しました。
家にひとりでいると涙が出ちゃうし、何もやる気が起こらないので復帰したんですが、頭の中ではずっと息子のことばかり考えてます。

おおくんはママとパパの大切な子供だよ。家族だからね。
今はお空でじぃじとばぁばにだっこしてもらってるんだよね。
いつでもママのひざの上にも来てね。





Name: ゆずこ    ..so-net.ne.jp
Date: 2013/04/17(水) 13:25
     削除 
Title: 37週 13トリソミー 新生児死    
第2子の長女春香を13トリソミーで亡くしました。
生後39時間経過し、しずかに呼吸が止まり、私と夫にたくさん抱っこされてお空に還っていきました。
明日で生まれて1ヶ月、明後日、はじめての月命日を迎えます。

9ヶ月の妊婦検診で心臓の異常を指摘され、大学病院を紹介されました。
そこでのエコーで左心低形成、口唇口蓋裂、小脳虫部低形成を指摘され、染色体異常の可能性があるということで羊水検査をすすめられました。

検査の結果13トリソミーと分かり、死産になるか、生まれてもそう長くは生きられないと告げられました。
先生には「死産であっても、大好きなお母さんの鼓動を聞きながらおなかの中でなくなることは赤ちゃんにとって幸せなことですよ」といわれ、少し救われた気持ちがしました。

でも、できれば少しでも生きている顔が見たい、温かいからだを抱っこしたいと思いました。
生きて生まれてきても短い命であるのであれば、いっぱい一緒にいてあげたい。抱っこしたり、おっぱいをあげたり、うちの子として一緒に過ごそうと決めたので延命はしませんでした。

異常を指摘されてから出産までの間が一番つらく、「順調?」なんて聞かれるたびに、とても悲しい気持ちになりました。
でも、一緒にいられる時間もあとわずかだからと思って、家族で動物園や水族館に行って、ぬいぐるみをお土産に買ったり、手作りの肌着や帽子、かわいい骨壷や棺用のバスケット・お布団などを用意して悲しい出産を待ちました。
もっと早く分かっていれば・・・と言う人もいるでしょうが、早くわかっていればいるほどつらかったと、今は思います。


予定日の4月2日は上の子の進級式で、できれば出てやりたかったので少し早めに生まれてくれるといいなぁと思っていたのが伝わったのか、3月18日の夜中、ほとんど私の体を傷つけることなくするんと生まれてきました。
あまりにも早かったので、陣痛の間、家に帰されていた夫が間に合わなかったほどでした。
産声は聞こえなかったので、あぁ、ダメだったかなと思ったのですが、「はるちゃーん」と私が呼ぶと細い声を上げて泣いてくれました。

それから39時間。抱っこしたりおっぱいを上げたり、添い寝をしたりしてゆっくりと過ごし、容態が安定していたので、仕事を片付けに主人が行っている間に無呼吸発作を起こして意識がなくなりました。
心臓は動いていたのですぐに主人に来てもらい、3人で病院の中庭を散歩してお外を見せてあげて、先生に死亡を確認してもらいました。

娘の死後、先生から細胞を研究に使いたいとの申し出があり、喜んで承諾しました。娘の細胞が、今後の研究で少しでも同じような染色体異常の子供たちの治療に役立てはそんなに嬉しいことはないな、と思っています。
娘はもしかしたら、私たちよりずっと長生きかもしれませんね。

家族思いのかわいいかわいい娘のこと、読んでくださってありがとうございました。





Name: ぽかぽか    ..au-net.ne.jp
Date: 2013/04/12(金) 11:53
     削除 
Title: 33週 18トリソミー 誕生死    
2013年4月4日、1,230gで第二子である長男が産まれました。33週0日でした。

お腹にいるときから18トリソミーであること、症状から、治療は難しいことがわかっていたので、夫とも相談し、自然に任せることにしていました。

息子は、横隔膜ヘルニアによる左肺低形成、心室中隔欠損、臍帯ヘルニアでした。
私自身は羊水過多でした。

夫の出張が重なり、一歳の娘と二人きりの時に陣痛が来たらどうしよう。
親戚も遠くて預けられないし、病院は車で30分かかるし、私が病室にいる間、お姉ちゃんはどうなるの?
明日病院で相談しようと思っていた日の夜のことでした。
高位破水と陣痛が始まりました。
私の悩みを吹き飛ばすかのように。「もう心配しなくていいよ」といってくれているかのように。

病院で、真夜中にもかかわらず、娘は夫と二人でずっと起きて待っていてくれました。
2時間後には夫の実家の家族も駆けつけてくれました。

陣痛が始まってから4時間半後、息子が出てきてくれました。
呼吸はしなかったけど、心臓はゆっくりになっていたけど、動いていました。
生きてくれていたことが本当に嬉しかった。
治療はしないと決めていたので、すぐに私の胸に乗せてもらいました。

特別に分娩室に家族を入れていただいて、みんなで触れて、お姉ちゃんにもチューしてもらって。
写真も動画も撮って、「ハッピーバースデイ」の歌を歌いました。

息子は30分後、日の出と共に神様の元へ戻っていきました。

短い間だったけど、私たちのところに来てくれて、頑張ってくれて、本当に幸せです。
これからもずっと息子とお姉ちゃんと夫と私で四人家族です。

私と息子は翌日退院し、一緒に自宅に帰りました。
回復が早かったのも息子が頑張ってくれたからと思えてなりません。
ありがとう。

自宅では、飛行機で駆けつけてくれた私の実家の家族と共に、お寿司とケーキで息子の誕生をお祝いしました。
亡くなった後だったけど、産まれたことを喜びたかったから。
息子も悲しまれるだけじゃ寂しいだろうなと思ったから。
だから私の実家にはお願いして、お香典じゃなくて誕生祝をもらいました。

私たちは息子の病気が確定するまで、3つの病院にかかりました。
私がショックを受けないように、息子も先生も少しずつ病気のことを教えてくれました。
初めは不安で泣いたりもしたけど、18トリソミーが確定したときにはやっぱり泣いてしまったけど、息子と先生のおかげで覚悟もできていました。
だから、最高のお別れをしようと前向きになれました。


現在は骨になってリビングにいます。
私たちが悲しんでばかりいるのは息子も悲しいと思うので、たくさん泣いた後はたくさん笑っていようと思います。
息子が亡くなったことは不幸でも残念でもありません。
私たちのところに来てから8ヶ月、精一杯生きてたくさんの幸せな時間をくれました。
本当にありがとう。





Name: まぁー    ..au-net.ne.jp
Date: 2013/03/31(日) 10:07
     削除 
Title: 6週 稽留流産     
1人目のを出産後、母乳だったのに早めに生理があり、
順調な毎月の生理だと思っていました。

しかし10日経っても、出血は止まらないどころか、量もほぼ変わらないままで、ホルモンバランスがおかしくなったのかと、受診すると、流産による出血でした。

流産かどうか確認するために、自費での妊娠検査を受けました。
待っている間、ずっと不安で泣きそうでした。

妊娠だと気づいてあげられなかった自分も責めました。
同居しているため、家族にすべてを言わなければならない環境も恨みました。
即日に手術を受けて、あっという間にすべてが終わってしまいました。

早く次の子がほしいです。





Name: ひかりちゃんママ    ..eaccess.ne.jp
Date: 2013/03/07(木) 19:10
     削除 
Title: 14週 胎児水腫 人工死産    
3年間赤ちゃんを待ち続け(そのうち1年は不妊治療)、5回目の人工授精で授かったので、はじめて陽性のマークを見た時は信じられませんでした。

自分の30歳の誕生日に、はじめて赤ちゃんの心拍が見られたので、神様から最高のプレゼントをもらったと、幸せいっぱいでした。

ところが、11週での検診時に、「胎児水腫、しかもかなりひどいレベル」と診断され、このまま心臓が止まるか、産まれても障害のある赤ちゃんでしょう。決断するなら早い方が良いと言われました。
検診のかえりに寄ったカフェでは、主人と一言も話す事が出来ませんでした。

家に帰って、インターネットで胎児水腫について調べて、はじめて、ほぼ絶望的だということが分かり、目の前が真っ暗になりました。

翌週、わらにもすがる思いで、胎児ドッグもある有名な大学病院にセカンドオピニオンを求めに行ったけれど、診断は同じでした。
「胸にも水が溜まってきている」と言われ、超音波を見る度に少しずつ大きくなっている我が子の体をとりまくふくらみを、信じられない気持ちで見ました。

こんなにふくらんでしまえば、赤ちゃんも苦しいのかと思うと涙が止まらず、悩みに悩み、人工死産をすることにしました。
14週とちょっとでしたが、陣痛はおこさず、麻酔で寝ている間に全部終わっていました。
手術は痛くもなく、夢を見ている様でした。
前の日は主人と2人で赤ちゃんに手紙を書いて、二人で今までにない程泣きました。

昨日退院しましたが、お腹と一緒に心も空っぽになってしまいました。空を見てぼーっとしています。
もう赤ちゃんが自分のお腹にいないなんて信じられない。

あいたいよ、ひかりちゃん!いつかどこかで逢えるよね、ママは信じているよ。
ママとパパはあなたの事愛しているよ、ずっと。





Name: まあママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2013/02/23(土) 10:23
     削除 
Title: 7週0日 完全流産    
35歳で長男が生まれ、「赤ちゃんが欲しい」「妹が欲しい」とずっとせがまれきました。
主人は12歳年上なので、躊躇する気持ちもありましたが、いつか息子に妹を・・・と思ってきました。
しかし、なかなか授からず、諦めかけていた時に38歳で妊娠しました。
妊娠検査薬で陽性が出た時は、思わずガッツポーズしました。嬉しくてうれしくて。
それでも、高齢でもあり、万が一のことを考え、息子には安定期に入ってから知らせることにしました。

逸る気持ちから5週0日で受診。胎嚢らしきものが見える程度しかわからず、1週間後に受診するよう言われました。
次の診察では、しっかり胎嚢がみえました。
予定日等は告げられず、2週間後に心拍が確認できるかみるから受診するように言われました。

何となく・・・ただ、何となく。
不安な気持ちがありました。

6週5日で腹痛があり、茶褐色の少量の出血がありました。長男のときにもあったので、そのまま様子をみました。
6週6日、腹痛と出血が増えたため、念のために受診しました。
エコーでみてもらうとしっかり心拍が確認できました。でも、先生から「赤ちゃんの袋があんまり大きくなってないね。流産してしまうかもしれないね」と言われ、現時点では何とも言えないと、おなかの張り止めの薬と止血剤をもらいました。

翌日、ひどい腹痛と生理様の大量の出血がありました。
トイレに行くと、塊が流れ出て行きました。
赤ちゃんが・・・と思いました。
病院へ行きましたが、もう、私のおなかには赤ちゃんはいませんでした。

昨日まで確かに生きていたわたしの赤ちゃん。
子育てに余裕がなく、長男を叱ってばかりになりがちの私に、生まれてくるってこんなに奇跡的なことなんだから、お兄ちゃんにもっと優しくしてって教えに来てくれたんでしょうか?
自然淘汰?そうかもしれません。
でも、できることなら私の腕に抱きたかったです。





Name: 陽ママ    ..ucom.ne.jp
Date: 2013/02/05(火) 23:30
     削除 
Title: 19週 前期破水    
2007年9月、第2子の男の子を亡くしました。
当時、主人の仕事の関係でアメリカに住んでいました。
長女の出産のときは日本におり、何の問題もなく、
仕事もしながらの妊婦生活でしたが、
順調に経過して成長し、普通に分娩していたため、子供が生まれてくることを当たり前に考えていたように思います。

第2子をなかなか妊娠できず、欲しいと思ってから1年半ぐらい授からず、あきらめていたところ、やっと授かりました。
嬉しかった。
授かるまでは必死でいろいろなことを試していたのだけれど、授かってからは無事に生まれてくれることが当たり前だと思っていたため、随分出血していましたけど、普通に生活してました。
長女もまだ3歳と小さくて、自分のためだけの時間はなかったし、アメリカでは切迫流産や早産でも入院することは、あまりありませんでした。

後になって理解したのですが、あの出血はもともと双子だったのが、1人目が流れてしまったことによる出血でした。
6週目ぐらいでした。
今思えば、日本にいればきっと助かっていたのかなと思います。
切迫流産で入院できたでしょう。

19週で前期破水。
胎盤が半分ほど機能してなくて、胎児もどんどん重くなってきて、胎盤が耐えられなくなってしまったのでしょう。
アメリカ人の小児科医がきて「23週になっていない子供は肺が出来ていないので助けることができない」とか、いろんな説明を受けました。
諦めるように説得されたように思います。

結局、母体が感染症にかかってしまい、早く胎児を出さないと母体が危険になってしまうので、促進剤で25cm、460gぐらいの男の子を出産しました。
肺が出来ていないため、外に出た瞬間、息が出来なくて死んでしまいました。
心拍を感じるのに産まないといけない。つらかった。
ずっとずっと、入院中ないてました。

陽を火葬した後、今も遺灰は家にあります。なかなか踏ん切りがつきません。

病院から家に帰ってからは長女がいるため、幼稚園の送り迎えをしなければならず、苦痛でした。
周りには妊婦さんがたくさんいたから。
1年ぐらいは周りのママ達と距離を置き、ずっと一人で引きこもってました。
妊娠できなかったときより流産した後はつらかった。

その後、また妊娠できず、不妊治療をして数年が過ぎてようやく、また妊娠しました。
今回も5週目で大量の出血があり、また駄目なのかと思って過ごしていました。
前回みたいに双子で、1人が流産したのかもしれないと、今回はずっと安静にして、自宅で寝たきりで過ごしました。
医者には早く諦めたほうが良いと言われましたが、どうしても心音の確認が取れないとはっきりするまでは待ちたかった。

10週ぐらいにやっと心音も聞こえましたが、前回のことがあるので用心して、16週ぐらいまで安静に過ごしました。
28週までは慎重に過ごしました。
そのかいがあって無事、次女が誕生しましたが、つらい妊娠生活でした。いつ死んでしまうかと、常に恐怖でした。

今は2人の娘がいることに、毎日感謝して生活しています。
亡くなった陽の分まで2人の娘を大事に育てていきたいと思います。



過去ログへの書き込み・返信は出来ません。




 
NEXT >>  [ 1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , ... ]
 
 
削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +