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9週 稽留流産
26週 死産 臍帯ヘ ....
新生児死 未熟児 壊死 ....
17週 死産
7週 完全流産
6週 初期流産
死産 18週 子宮内 ....
15週 人工死産
7週 稽留流産
9週目 稽留流産
Name:
ゆず
..ogaki-tv.ne.jp
Date: 2013/06/23(日) 21:56
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Title: 9週 稽留流産
不妊治療して半年、待望の赤ちゃんを授かって喜んでいた矢先、妊娠9週目で稽留流産をしました。
先週まで心音が確認できていたのに、突然心臓が止まって死んでしまいました。
徐々に体は元気になりますが、心の回復にはまだまだ時間がかかりそうです。
なぜ私は元気な赤ちゃんを産んでやれなかったのか、なんで他の人は元気な赤ちゃんが生まれるのに、なんで私だけ!!と苦しむ毎日です。
手術には旦那が付き添ってくれて、意識がもうろうとする中、旦那はずっと、ずっと手を握ってくれていました。心の傷はなかなか消えないけど、次の赤ちゃんができることを楽しみに、また旦那と前を向いて歩いて行こうと思います。
今度は元気に生んであげたいな・・・
Name:
さらママ
..panda-world.ne.jp
Date: 2013/06/22(土) 03:18
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Title: 26週 死産 臍帯ヘルニアの疾患あり
去年の年末、妊娠が判明しました。
初めての妊娠で、出血して病院へかかると切迫流産だと診断され、しばらくは自宅安静で過ごしました。
11週の頃、産婦人科の先生に臍帯ヘルニアの疑いがあるから、エコー専門の病院を紹介すると言われ、すぐに紹介先の病院に行きました。
そこで、やはり臍帯ヘルニア(5000人に1人の確率で発生する先天性の病気)と診断されました。
「妊娠継続するかどうか旦那様と話し合って下さい」と言われ、妊娠を継続する事にしました。
その後羊水検査をうけたところ、染色体異常はなく、順調に妊婦生活を送っていました。
26週に入り、それまで毎日元気に胎動も動いていたのに、急に胎動が感じられなくなりました。
はじめは寝てるだけかなぁ?と気楽に考えていましたが、2日以上胎動を感じられないことが不安になり、すぐにかかりつけの産婦人科に電話して、夫と一緒に病院に行きました。
夫は「大丈夫だから」と励ましてくれましたが、私は、悪い方向へばかり考えていました。
先生がエコーで赤ちゃんを見た時、いつもは明るい先生の顔が急に厳しい顔つきになり、何度も丁寧に確認していました。
「心臓が止まっている」
静かにそう言われました。
頭が真っ白で、すぐに涙は出ませんでした。
その後一気に悲しみがこみ上げ、大声で泣き叫びました。
幸いGW中で休診だった為、他に妊婦さんは居ませんでした。
ショックで歩く事も出来ず、夫に支えられながらタクシーで家路に着きました。
元々里帰り出産だった為、出産予定先の病院に行き、診察から1週間後に小さな小さな女の子を出産しました。
不思議な事に、子宮口を広げる処置や陣痛誘発剤を全く使わず自然陣痛で出産する事になりました。
「きっとお腹の中の赤ちゃんがママの体を気遣って、自分から降りて来てくれたんだね」と看護師さんに言われました。
親孝行な娘だったなぁと涙が溢れて止まりませんでした。
出産の翌日、棺の中にピンクのリボンが付いたベビー服とパパママの写真、おもちゃ、手紙、沢山のお花を入れて火葬しました。
骨も小さいながらにしっかり残りました。
今も悲しいし辛いけど、7ヶ月間ママになれて本当に幸せでした。
さら、ママのお腹に来てくれて本当にありがとう。
又いつか絶対に来てね。
それまで少しずつ前を見ながら頑張るからね。
パパとママの胸の中にはいつまでもずっとさらが居るからね。
大好きだよ!
Name:
りくママ
..spmode.ne.jp
Date: 2013/06/11(火) 21:33
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Title: 新生児死 未熟児 壊死性腸炎
3月26日 7ヶ月に入った検診で、逆子になっていると言われました。
その日の夜に破水してしまい、すぐに病院を受診するとNICUのある病院を紹介されました。
紹介された病院で、すぐに出産するか、肺の成長を促す注射をしながら2日間だけ待つか、選択をせまられました。
2日待つことを選択しました。
何とか2日間もちこたえ、3月28日に帝王切開で出産しました。産声を上げて産まれて来てくれました。
即NICUに入院となり、小さな体をみて涙を流しましたが、死産した子が守ってくれるから大丈夫と自分に言い聞かせていました。
子どもには凛空と名付けました。
看護師さんから「暴れん坊の凛空」と言われるくらい、順調に育っていました。
毎日、面会にいきました。
ちょっとずつ呼吸器を外していこうかと言われていました。
ちょうど4週間目の日の朝、病院から連絡があり、私たちが到着した時には心臓マッサージを受けていました。
目の前の光景が信じられず、泣きながら凛空の名前を呼び続けましたが、凛空は二度と目を覚ましてくれず、亡くなりました。
死因がわからないので、解剖を進められました。
迷いましたが、承諾しました。
死因は壊死性腸炎というものです。
解剖しなければ分からなかったそうです。
明後日は四十九日です。
まだ凛空が亡くなった事を信じられず、毎日を過ごしています。
Name:
りくママ
..spmode.ne.jp
Date: 2013/06/11(火) 21:07
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Title: 17週 死産
平成22年に第2子を妊娠したとき、15週の時にお腹に違和感を感じて受診したところ、子宮頸管が短くなっていて即入院と言われました。
2週間たった頃破水した感覚があり、内診の結果、破水してほとんど羊水がなくなっていました。
「週数がはやいので、出産になったら確実に助からない」と言われました。
このまま諦めるか、転院して人工の羊水を入れて赤ちゃんが大きくなるのをまつか、それでも羊水が増えなかったら無理だと言われました。
私たちは転院する事を決めました。
転院先の病院は、自宅から1時間半ほどかかるところでしたが、お腹の子の命を助けなくてはと思いました。
翌日に転院する事がきまりました。
夜中に陣痛のような痛みがありすぐに対応してもらいましたが、特に変わったところはなく、胎動も感じていました。
翌朝、トイレに行くと赤ちゃんがでてきました。
お腹の子は、家族が離れ離れになるならいいよと出てきたのかもしれません。
Name:
天ちゃんママ
..mesh.ad.jp
Date: 2013/06/08(土) 22:16
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Title: 7週 完全流産
妊娠検査薬で2回目の陽性反応を確認してから、産婦人科を受診しました。
胎嚢の大きさが少し小さめだけど、2週間後に受診するときには、赤ちゃんの大きさから予定日なども分かるでしょうと言われました。
「ただし、このまま大きくならないなら流産となります」とも言われましたが、だいたいの妊婦さんにこのように言っているんだろうと思っていました。
先生からの「おめでとうございます」という言葉が忘れられません。
前年に入籍はしていたものの、お互いの仕事のために離れて暮らしており、3月下旬の結婚式、私の退職を経て一緒に暮らし始めた矢先の出来事で、びっくりしたというのが一番大きな気持ちでした。
失業給付を申請しようとしていたところに妊娠が判明したので、延長申請とするためハローワークで延長理由を話し、書類に予定日や母子手帳のコピーを付けなければいけないことを知りました。
この日は書類だけもらって帰宅して、早く母子手帳が欲しいなあと思っていました。
5月10日
この日以降、前日以前と腹痛の感じが変わりました。
今までは弱い下腹部痛が時々という感じが、腹部全体で強い痛みが頻繁にあるという感じになりました。
このときはわかりませんでしたが、今思えば、この日くらいから流産が進んでいたと思います。
翌日、赤ちゃんの予定日を聞くのを楽しみに受診しました。
それなのに・・・
前回の受診時より胎嚢は大きくなっているものの、心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見つかりません。
胎嚢の大きさも小さく、流産の可能性が高い。
念のため1週間後の再診で確定できるであろうとのことでした。
茶色のおりものがあるが、子宮の壁からの出血ではないから大丈夫とも言われました。
流産が実感できなかったのか、頭が混乱していたからか、診察室で涙は出ませんでした。
ただ、説明している先生の顔を見たら泣いてしまう、という気持ちはあって、途中から先生の顔は見れなくなっていました。
待合室に戻ってからもぼうぜんとして、早く家に帰りたい、そんな気持ちでした。
家に帰ってからは布団に突っ伏していましたが、何故だかいつもみたいにご飯つくらないと、と昼食だけは元気なふりして作った覚えがあります。
結局、長く続かずこの日から泣いて過ごしました。
5月13日の午後から茶色のおりものが増え、腰痛が強くなってきました。
30分も座っているとつらくなってきます。
この日は健康診断を受診しており、問診票に「妊娠していますか」の項目がありました。
3回の問診で「今、何週ですか?」と聞かれたり、精神状態の項目で引っかかり、流産の確定診断待ちの状態であることを話すことになったりして、その度に泣いてしまいました。
運動をするプログラムもあり、健診の病院での医者の指示で見学になったのに、インストラクターに上手く伝わっていなかったようで、見学理由を聞かれ「妊娠していて」としか答えられず、帰り際に「赤ちゃんがんばって」なんて声をかけられたりしてまた泣いてしまいました。
翌日の夕方、出血が鮮血にかわり、量も多くなってきたので、心配になって受診しました。
妊婦さんに会いたくないので車の中で待機し、最後の患者が帰ってから受診することにしました。
胎嚢の様子は前回と全く変わっておらず、出血は流産が始まっているからで、今日、明日のうちに流産するかもしれないとのこと。
帰宅後、さらに腹痛がひどくなり、立っておられず、膝から崩れました。息もできず、脂汗が出るほどの激痛に襲われ、そのうち出血したのを感じ、トイレへ行きました。
大出血の中にレバー状の塊が多数あり、動くたびに出血がひどくなります。
トイレの中を見ると4〜5cmくらいの薄いピンクの胎嚢らしきものと、いくつかに分かれた血の塊。
胎嚢が出た時の感触は、明らかに血の塊の時と違って弾力と大きさを感じました。
赤ちゃんだとすぐに分かりました。
病院に電話して指示を仰ぐと、子宮内容物をビニール袋に入れて、翌朝一番に外来受診するようにとのことでした。
電話をしている間に、うそのように腹痛がひいていきました。
数時間前、病院で胎嚢が確認されたのがうそのようでした。
その後、夕飯を食べ、シャワーを済ませ、就寝するものの、再び強い腹痛が襲ってきてあまり寝られませんでした。
朝になって受診すると、子宮の中身はほぼ出ていて、完全流産との診断が下りました。
数日は、子宮が元に戻ろうとする痛みで、かなり強く苦しみました。10日ほどで出血がおさまりました。
心身ともに痛い思いをたくさんしましたが、赤ちゃんには本当に幸せな時間をくれたことを感謝しています。
流産してから1か月が経とうとしています。
普段の自分だったらきっと気にならない、ほんの少しのショックですぐに心のバランスが崩れて泣いてしまいます。
おまけに、友人知人も誰もいない知らない土地、主人は2週間の出張のために不在で、寂しくなってきてしまい…こんな場があったことに感謝しています。
一番心に響く言葉は経験した人からの言葉です。
Name:
m
..panda-world.ne.jp
Date: 2013/06/07(金) 13:50
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Title: 6週 初期流産
ママは19歳、大学2年生です。
パパは26歳の社会人で、私たちは未婚です。
生理が少し遅れていることに気がついたと同時に、あなたがお腹にきてくれたことがわかりました。
妊娠検査薬を使った5月20日のことは、よく覚えています。
仕事から帰ってきた彼は、すぐに私を抱きしめて「おめでとう」と言ってくれました。
学生であり未婚であること、私自身の経済力の無さ。
ものすごい不安に押しつぶされそうになりながらも、さまざまなことを二人で乗り越える決意をしたのです。
5月29日、あなたが育つための小さな小さな袋が見えましたね。ママ、とても嬉しかったんだよ。
だけど、その翌日から出血が始まりました。
すぐに病院に行きましたが「薬を飲んで安静にするだけ」と言われました。「流産かもしれないから、覚悟は必要だ」とも言われました。
とても怖かったけど、私はあなたを信じました。きっとすくすくと育ってくれると。
その日に、流産の可能性もあることも含め、親族へ報告をしました。実家の両親や彼の家族は驚いていましたが、喜んでくれました。
時期を見て入籍し、切りのいいタイミングで大学を中退することに決めていました。
出血は3日間でおさまりましたが、今思えば、本当に大量の出血でした。確かに、それまであった吐き気や胸の張りも、出血とともにおさまっていたこと、本当はそれで少しずつ覚悟していました。
それでももちろん、最後まであなたの生きようとする力を信じました。
6月6日、出血が始まってから1週間後。
エコーは、本当にきれいで何も見えませんでした。
「赤ちゃんの袋、流れちゃったね」と、先生は言いました。
何度も聞きました。
どこにもありませんか?もうだめですか?と。
やっぱりあなたは、もういませんでした。
あなたは、本当にあっという間に居なくなってしまいました。
それでも、あなたが私のお腹に、私たちの間にきてくれたことは、今まで生きてきた中で何よりも素晴らしかったよ。
若くて未熟な私の中にも、少しずつ芽生えていく母性は本当に愛おしかったんだよ。
きっと色んなことを、伝えるために来てくれたんだね。
だけど今はまだ、あなたの不在を悲しむことしか出来ません。
ごめんね。
パパとはずうっと一緒にいるよ。
ママは泣いてばかりだけど、パパはとても前向きです。
パパが言うように、きっとあなたはまた私たちの所にやってくる。そのときは、あなたが安心して育ってくれるようにしておくからね。
短い間だったけど、私と一緒に生きてくれて、本当にありがとう。
しばらく泣いてばかりいるかもしれないけど、そんなママをどうか許してください。
こんなに未熟で幼いママだったけど、何よりもあなたを愛したよ。これから先も、ずうっと愛しているからね。
最後に、私の中に宿った小さな生命と私の身体を案じてくれた周りの人々への感謝と、この文章を読んでくださって、あの小さな生命のことを知ってくれたあなたへ感謝します。
ありがとうございました。
Name:
きよ
..bai.ne.jp
Date: 2013/06/05(水) 20:10
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Title: 死産 18週 子宮内胎児死亡
2013年1月13日、妊娠5ヶ月(18週)で子宮内胎児死亡のまま出産しました。
妊娠4ヶ月の検診では、とても元気に動いていたので、まさかの出来事でした。
今まで2回の妊娠では、何のトラブルもなく産まれてくれたので、初めは、自分の身に起こっていることが信じられませんでした。
少量の出血があり、念の為にと受診したところ、既に赤ちゃんの心臓は止まっていました。
大きさから、4ヶ月検診の後すぐに死亡したのだろうとのことでした。
出産後、遺伝子検査を受けましたが、原因不明でした。
妊娠・出産は、常にリスクを伴うものだと、いつも自分には言い聞かせていたので、
先生から赤ちゃんの心臓が止まっていることを聞かされた時は、
「この現実を受け入れなくてはいけない」と、強く思いましたが、
次に「葬儀社を手配してください」と言われた瞬間に、
今までに経験したことのない深い悲しみに胸が苦しくなり、涙が止まりませんでした。
出産までの2日間は、棺に入れるベビー服とガラガラ、お花を買いに行きました。
お花屋さんで、使用用途を聞かれ、「棺に・・・」と言った瞬間、涙がこぼれてきて、言葉にならないくらい泣きました。
お産当日、3時間ごとに陣痛促進剤を入れて、6時間後には産まれてくれました。
お産はとても軽かったので、病院で用意してくださった小さな箱に赤ちゃんを寝かせ(小さな枕や布団も用意くださいました)、出産から2時間後に、一緒に退院しました。
その箱を抱いた時に、とても温かく感じ、まるで生きている赤ちゃんを抱いているような、とても不思議な感覚になりました。
病院の帰りに、夫と共に棺を葬儀社に取りに行き、死亡届を役所に提出、
火葬証明書を貰い、赤ちゃんを見送る準備を整えました。
自宅に戻り、夫と共に、赤ちゃんに沢山のありがとうを伝え、翌朝、火葬しました。
この5ヶ月、お空の赤ちゃんは私達を見守ってくれていると信じ、泣くのは止めようと、娘の幼稚園の行事に力を注ぎました。
しかし、当初の出産予定日だった6月12日か近づき、再び悲しみで涙する毎日です。
昨日、十数年前に4歳のお嬢さんを亡くされた方が「自分が天国に行った時に、娘に胸を張って、『お母さん、頑張って生きてきたよ!』って言えるように、今、生きてるのよ」と話されていることを聞きました。
今の私は、まだそんな強くはないけれど、
いつかそう言えるようになりたい。
そう思います。
Name:
ありみみ
..home.ne.jp
Date: 2013/06/04(火) 19:54
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Title: 15週 人工死産
不妊治療をずっと続けていましたが、なかなか妊娠せず、諦めかけていた頃に初めての妊娠をしました。
本当に本当にうれしくて、幸せでした。
初期に出血して切迫流産の兆候だと言われても、何とか頑張ってくれた我が子でした。
15週の検診で、頭部に異常がわかりました。
「お腹の中で成長することは可能だが、産まれても生き続ける力は無い」とのこと。
どうして私の子が?どうして?どうして?
すぐに入院して、促進剤を使い、小さな女の子を産みました。
もちろん泣き声を聞くことは無く。
火葬すると、奇跡的に小さな骨が1本残ってくれました。
1ヶ月が経過し、もうすぐ四十九日です。
小さな骨壺とへその緒の入った箱を見ては、未だに心が乱れ、順調に妊婦生活を送る友人が羨ましく、子連れを羨ましく思います。
主人とドライブにでかけても、おいしいご飯を食べても、楽しいけれど、ふと頭をよぎるのは我が子の事。
あの子は確かに私のお腹の中にいたはずなのに、なぜ今は離れ離れなのか。
私が代わりになれればいいのに。
大きな声で叫びたくなったり、突然涙が止まらなくなったり。
こんな情緒不安定な私に主人も困惑気味で、主人の為にも早く元気にならなくちゃと思っても、なかなかうまくいきません。
我が子を失った失望感と、自分の意志で我が子を死産したという現実の重さに押しつぶされそうな気持ちの中で、日々を過ごしています。
こんな事を口に出すと主人が怒ってしまいますが、私が我が子を殺したのだと、私のせいで我が子は死んだんだと・・・。
周りは治療していることを知らないから、またすぐに妊娠するよ、赤ちゃんが赤ちゃんを連れてきてくれるよと前向きな言葉で励ましてくれるけれど、私には自然妊娠は難しいのです。
それでも私たち夫婦は治療を続けると決めています。
見込みがあるのかどうか分からないけれど、今度こそ我が子を抱きたいから。
Name:
りんご
..home.ne.jp
Date: 2013/05/30(木) 20:45
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Title: 7週 稽留流産
昨日、流産の手術を受けてきました。
初めての妊娠でした。
5月6日、生理が遅れていることに気づき、検査してみると、薄い線が出ていました。
翌朝、再チャレンジすると、やっぱり薄い線が出ていました。
急遽、職場にお休みをもらい、産婦人科へ行きました。
先生から「おめでとうございます」と言われても、にわかには信じられない自分がいました。
カンジタが再発しているとのことで、膣剤が挿入されました。
次は4週間後だと先生から言われましたが、看護婦さんから
「カンジタの膣剤があるから、来週も来れたら来てね」と、言われて帰りました。
旦那さんに一報を入れた後、実家に行きました。
その日もらったエコーを見せると、みんな一様に驚いていました。
自宅に戻って旦那さんにエコーを見せると、「小さいなぁ〜。これじゃゴマだ。ゴマ子」といったので、
その日から名前は「ゴマ子」になりました。
5月13日、再診を受けに行きました。
「まだ小さくてわからないから、見ても面白くないよ」と先生から言われましたが、お願いしてエコーを見せてもらえることになりました。
「あれ?小さいなぁ」と、先生。
その時点で胎嚢は10mmあるはずが、8.4mmしかなく。
「一応、流産止めの薬を2週間飲んで下さい」と、
デュファストリン14日分処方されて帰りました。
職場の上司と相談して、念のため仕事はしばらくお休みすることにしました。
この2週間が、とても長く感じました。
葉酸とカルシウムのサプリを飲み始め、妊婦用雑誌を買い、
食事本も買い、なるべく野菜を食べる努力をしました。
胃がムカムカして、あまり食べたくなくても、頑張って食べました。
たまに下腹部がチクチクすることが気にかかりました。
私は、早番や夜勤のある仕事に就いており、夫婦とも残業がある仕事で、食事もままならぬ生活をしていました。
でもお休みをいただいたおかげで、ひとときの休息を得ました。
ちょっと早かったけど、近しい友達にも、旦那さんのご両親にも報告しました。
「おめでとう」の言葉と、お母さんから「大丈夫よ」と、パワーをもらいました。
5月27日の受診日。
旦那さんが「ゴマ子、がんばって」と、出勤前におなかに声をかけてから出かけました。
エコーでみると、2週間前まで見えていた胎嚢が見つかりません。
やっと見つかった胎嚢は、子宮の中で潰れていました。
「今回は残念だったね。でも綺麗に治してあげるから大丈夫」
と言われ、2日後に手術することが決まりました。
血液検査をして、次回の手術の手順を聞いて帰宅しました。
自宅に帰った瞬間、声を上げて泣きました。
旦那さんに、泣きじゃくりながら電話で「ダメだった」と伝えると、すぐに帰って来てくれました。
旦那さんの顏を見ると、さらに泣けてきたけれと、1時間くらい泣いたら、ちょっと落ち着きましたた。
5月29日、手術当日。
旦那さんが休みを取ってくれ、初めて一緒に産婦人科へ行きました。
9時に前処置を受けて、15時の手術まで病室で待機しました。
実家の両親も来てくれて、お腹が痛いのにゲームしたり、他愛もない話をして、気を紛らわしていました。
14時50分 看護師さんが呼びにきて、いよいよ手術の時間。
緊張していたら「寝てる間に終わっちゃうから、大丈夫だよ」と看護師さんが教えてくれました。
意識がもうろうとしながら目を開けると、手術は終わっていました。
お腹はすっきりしていた。あまり痛くない。
前処置の方が痛かった。
「子どもは苦手。自分の子どももかわいがれないのでは?」と思っていました。
妊娠がわかった時も、母としての自覚が全くありませんでした。
妊娠すれば、なんとなく育って、そのうち生まれる・・・くらいにしか考えていませんでした。
流産を伝えられた時、今までにないほど泣きました。
その時、自分はこの子を産みたかったんだと心から思いました。
また、産んであげられなくてごめんなさいと思いました。
この世に赤ちゃんが生まれて出てくるということ。
これって、本当の奇跡なんですね。
奇跡の積み重ねで赤ちゃんが生まれてくるんだ。
誰一人として不必要な命なんてないんだ。
世の中の人、全員が奇跡の存在なんですね。
子宮筋腫がありながらも、私を産み、育ててくれたお母さんに心から感謝します。
そして、私を支えてくれたお父さん、兄弟、旦那さん、じぃちゃん、ばぁちゃん、友達、職場の皆さん、全ての人に感謝します。
このことを私に教えてくれたゴマ子ちゃん。
本当にありがとう。
母としての自覚を持たせてくれてありがとう。
感謝の言葉しか浮かばないよ。
天国に行けば、私の4番目の兄弟の空ちゃんがいるよ。
あと、優しいじぃちゃんもばぁちゃんもいるよ。
ゴマ子ちゃん、安らかにお眠り下さい。
ありがとう、さようなら。
Name:
MAYU
..dion.ne.jp
Date: 2013/05/17(金) 13:49
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Title: 9週目 稽留流産
37歳で、第二子を授かりました。
上の子がまだ一歳なので、「これから忙しくなるね」「でもきっときょうだいがいると楽しいよね」と主人と同居している両親と話し合ってきました。
初めて受診した5週目は順調でした。
つわりが始まるのが早く、「一人目よりきつそうだな」なんて考えていました。
7週目の受診で、赤ちゃんがほとんど育っていないことが分かりました。
かすかな心拍は見えたけれど、先生は「予定日の決定は次回にしましょう」と先送りにしました。
ネガティブなことは極力言わない方針の病院だったので、この時点で、多分妊娠が継続できるかどうかは五分五分くらいなのかなと思いました。
妊娠初期は流産しやすいということは知っていましたし、周囲でもそういう話は耳にしましたが、
一人目が順調だったので、二人目も大丈夫だろうと何となく考えていましたが、その時からにわかに流産の恐怖が現実的になりました。
悲観的になる私を主人が励ましてくれました。
つわりはどんどん軽くなり、身体が軽くなるに従って不安は増していきました。
9週目の検診で、やはり胎嚢がほとんど育っておらず、前回見えていた心拍も止まっていることが分かりました。
予想はしていましたが、愕然としました。
「あと2,3日様子を見ましょう」と先生は言ってくれましたが、翌朝に生理一日目のような少量の出血があり、ダラダラと止まらなかったので、再度受診しました。
胎嚢は映っているのに、昨日見えた赤ちゃんの姿が見えません。
とうとう稽留流産の診断が下りました。
今日のことです。
明日の朝、手術します。
昨日の夜はたくさん泣きました。
お腹に赤ちゃんがいるのに、もう生きていないなんて、悲しい。
小さな小さな体で、一ヶ月もお腹で頑張ってくれたんだね。
明日でお別れしなきゃいけないけど、一ヶ月の間、四人家族になる夢で私と主人の頭はいっぱいでした。幸せでした。
夢を与えてくれてありがとう。
いつかその夢が本当になるように、空から見守っていてください。
あなたがお腹にいるあいだ、とても幸せでした。
とても悲しいけれど、今でも幸せです。
お腹にやってきてくれてありがとう。
母より
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