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   6週目 流産   
   15週 頸部浮腫 死 ....   
   9週目 稽留流産   
   8週 稽留流産   
   7週 双子 稽留流産   
   9週 稽留流産   
   23週2日 羊絨毛膜 ....   
   24週 臍帯過捻転   
   20週 子宮内胎児死亡   
   16週 子宮内胎児死亡 ....   

Name: 二人目の天使    ..so-net.ne.jp
Date: 2012/05/31(木) 05:29
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Title: 6週目 流産    
思いがけず2人目の妊娠がわかったとき、
嬉しい反面、正直、少し戸惑っていました。
検査薬の反応はうっすらとありましたが、1人目の経験からして、あまり早く病院に行くと、毎週来るように言われたので、しばらく様子をみていました。

もうそろそろ病院に行こうと思ってた週のある日、突然の激しい腹痛が襲いました。
トイレに行くと、生理より赤い鮮血が出ていました。
もちろん、妊娠の反応はなくなり、腹痛と赤ちゃんをちゃんと受け入れてあげれてなかったからだと、後悔でかなり参ってしまいました。

そんな時、妊娠を知らなかったはずの息子が
「女の子の赤ちゃんがオバケの船に連れてかれて死んじゃったよ」と言ったのです。
ビックリしていると、続けて「でもすぐにまた来るよって言ってた」と、教えてくれました。
なぜかそれだけで、すごく救われた気分になり、
次に妊娠したときにはちゃんと受け入れて、息子を妊娠したときみたいに愛してあげようと思いました。





Name: さんまま    ..dion.ne.jp
Date: 2012/05/30(水) 17:07
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Title: 15週 頸部浮腫 死産     
41歳で第3子を妊娠しました。
最初から「週数より小さめ」とは、言われていました。
何も指摘がなかった検診は2回だけ。
トクトクと規則的な心音を聞かせてもらったのは一度きりでした。

11週目で頸部浮腫を指摘されましたが、頸部浮腫に関する知識がなく、厚さも聞きませんでした。
高齢でもあるので、染色体異常の可能性を示唆され、クアトロテストを勧められました。

その後色々調べて、この状況で確率を知っても意味がないと思い、羊水検査をしようと思っていました。

13週後半では、私が見てもはっきり分かる浮腫がありました。
厚さを聞くと、先生は4mmと言いましたが、画面には4.9mmと表示されていました。
その時に心音を聞いた記憶はありません。

15週5日で診察に行くと、赤ちゃんが13週後半の大きさのまま大きくなっておらず、心音もかなり弱っていて、
先生は心音は「規則的ではないが動いている」と言いました。
私には、雑音と心音の区別がつきませんでした。
赤ちゃんは、画面で見ていても全く動きませんでした。
また3日後に来るように言われて帰りました。

心臓が止まったら、出血とか腹痛とかになるのか?と聞くと、そういうのは赤ちゃんが亡くなってから2〜3週間後だから、すぐにそういうことは起きないと言われました。

もうダメなのか・・・と思って、診察室を出た途端に涙があふれました。

その日の夕方、上の子たちと夕飯を食べている最中に、びちゃっと何かが出てきたのが分かりました。
「破水?」と思いましたが、良く分かりませんでした。
量はそんなに多くありませんでした。
透明な液体に血が混じってかすかに色がついている感じでした。

産婦人科に電話をすると、安静にしておくように言われました。

その後2時間くらいの間に、ちょっとずつ液体が出てきて、
少し下腹部に痛みがありました。
ナプキンがいっぱいになるくらい、吸収し、明らかに血が少し混じっているのが分かりました。

念のためもう一度産婦人科に電話をして、液体が出続けていることと多少の痛みがあることを伝えました。
「おりものに血が混じっているのですよね?」と言われたので、「おりものにしては量が多いと思う」と伝えました。

大量の出血か、痛みが我慢できなくなったらもう一度連絡するように言われました。

それからも、何度か液体が出てきて、痛みも少しありました。
横になっていましたが、1時間半後、それまでよりも多くドボッと何かが出てきました。
慌ててトイレに行くと、大量の出血。
そして小さい胎児が出てきているのが分かり、トイレに落としてはいけないと、反射的に自分で取り上げました。

小さい小さい赤ちゃんは10cm、20gでした。
首にはたるみが残っていました。
手も足もありました。
扁平でしたが、顔もありました。

しばらく泣きましたが、あまり声を出して上の子が起きてしまうといけない、この状況を見せるわけにはいかないと思い、声を抑えました。

産婦人科に電話すると、病院に来るように言われました。
準備をしている間にも何度か出血があり、着替えても着替えても汚れてしまい、バスタオルを腰に巻いて車に乗りました。

産婦人科では、「胎盤が残っていると出血多量で命に関わるから、今すぐ胎盤を出さないといけない。食事をしてから時間が経っていないと麻酔が使えない」とかで、麻酔なしで子宮内の胎盤を掻きだしました。
本来、麻酔をかけて行う事です。
筆舌に尽くしがたい痛みでした。
痛さに耐えながら握りしめていた手は、翌日もしびれていました。

「どんな異常があってもちゃんと産んであげるよ」と決心がつかなかった私への罰だと思いました。

先生には心奇形・染色体異常があったのだろうと言われました。
赤ちゃんの染色体の検査はしないことにしました。

赤ちゃんは火葬され、私たちは遺灰を引き取りました。骨は本当に少しだけ残りました。しばらくは一緒に過ごしたいと思っています。

また妊娠したら戻ってきてくれるのかしら?

年齢を考えると、もう一人欲しければゆっくりはしていられませんが、すぐに妊娠をという勇気もまだありません。
異常があるのか?と悩んでいる期間も、自宅で死産したことも、その後の掻爬も、とても辛かったです。

私の手の中にあった、小さな赤ちゃんの感触は忘れることはないと思います。





Name: YU    ..vectant.ne.jp
Date: 2012/05/26(土) 13:54
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Title: 9週目 稽留流産    
5年間、不妊治療をしていました。
2年前に9回目の顕微授精で、2つの杯盤胞が出来て
1つはおなかに戻し妊娠して無事に出産しました。
もう1つは凍結をしていました。

今年の4月にお迎えに行き、8週まで何も問題なく、心音も確認でき、動いている姿も確認しました。

それなのに、9週目になって、心臓の動きが確認できなくなりました。
受け止められなくて、病院でも涙が止まりませんでした。
どうして?と驚くばかりで、ただ自分を攻めつづけております。

まだまだ寒い北海道、まして私の職場は極度に寒く、ストーブがまだ必要です。
ですが、経費節減を理由に、職場全部のストーブを片付けてしまい、足元が寒くて寒くて冷えました。
翌日からは厚いタイツをすぐに着用しましたが、冷えたのが原因で流産したのではないかと、悔やんでも悔やみきれません。

先生は「初期の流産は染色体異常など、赤ちゃんの方に原因があるからお母さんのせいではないからね」と、優しく言ってくれました。
「そんな程度で流産するほど赤ちゃんは弱くないから」って。
「もし万が一、無事に出産までたどりついたとしても、元気な赤ちゃんにはなれなかったって事だから」とも。

途中でお腹で亡くなったり、病気をもってうまれたり、そういった事を軽減するための自然淘汰。
誰も何をしても止められないこと。
と、先生は優しく教えてくれました。

頭では理解しようとしても、心が自分を責めて
安静にして、暖かくしていたら・・・と泣く毎日です。

私にも原因があったのでしょうか。

安静にして暖かくしていたら、まだ赤ちゃんは元気だったのではないかと、悔やんで悔やんで、泣く毎日です。





Name: とも    ..so-net.ne.jp
Date: 2012/05/25(金) 00:50
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Title: 8週 稽留流産    
主人と結婚して6年目。
互いに仕事が多忙ですれ違いの毎日。
離婚を考えた事もありました。

子供はいずれは欲しいと思っていたけれど、あまり強く望んでいたわけではなかったので、特に不妊治療などもしておらず、
主人と関係を持つ回数も少なかったため、ただ、タイミングが合わないだけだろうと思っていました。

でも、私も30歳を過ぎて、そろそろ真剣に考えなくては・・・と思っていた矢先に妊娠していることが分かりました。

ただ、基礎体温をつけていたわけではなかったため、正確な排卵日が分からず、生理不順でもあったので、正確な週数がはっきりしないままの日々か続いていました。

そして3度目の検診時、ようやく赤ちゃんが確認でき、心拍も少し確認できました。

でも、少し小さすぎるとの事で、5日間経過を見ましたがその時には全く成長しておらず、心拍も確認出来ず、胎嚢もいびつな形にかわり、医師から稽留流産であることを告げられました。

戸惑いもたくさんあった妊娠だったけど、少しずつ母になるんだという事を実感し始めていた頃だったのでとてもショックでした。

短い間だったけど、改めて主人と向き合い、家族が増える幸せを噛み締め、やっぱり彼を愛していることを実感した日々でした。

赤ちゃんを失った悲しみは大きいけれど、主人との絆を取り戻すきっかけをくれた我が子に感謝して、また、帰って来てくれる日を待ちたいとおもいます。





Name: くろろ    ..cna.ne.jp
Date: 2012/05/24(木) 15:56
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Title: 7週 双子 稽留流産    
初めての妊娠で双子を授かりました。
そして、約7週で双子はお空に帰りました。

妊娠が確認できたのは、ちょうど父の四十九日。
父が急に病気で亡くなって悲しみのどん底にあった私に、慰めと新しい希望を与えてくれました。

父の死後、インフルエンザにかかり、持病も悪化して心身ともぼろぼろの状態から、徐々に回復してきた頃、
生理が2か月も来ていないことで受診し、判明しました。

まるで空から見ている父が、神様にお願いして私に授けてくれたかの様に感じました。
とても嬉しかった。
実家で悲しむ母にも新たな喜びと幸せをもたらしてくれました。

5週の終わりごろ、双子の一方の赤ちゃんが元気がないことを告げられました。
「双角子宮だから、双子じゃなくて一人で育ったほうが良い」と厳しいことを言われました。医師からの提案に家で夫と泣きました。

7週終わりから8週で、2人とも成長が止まっていること、心拍が確認できないことから稽留流産と診断されました。
これまで診察した医師は、皆異なる人で、皆見解も違っていました。

初診では、子供も子宮にも異常なしと言われて安心していたのに、双角子宮と言われたり。
結局、双角子宮は誤診で、筋腫であったり。
正直、今回の流産も誤診であって欲しいと切に願いました。

双子ちゃんは最後まで一生懸命頑張ったと思います。
母親の私も、ひどい悪阻にも持病の喘息も、全力で耐えてました。夫も家事をこなし、毎日私と双子ちゃんたちに愛情を注いでくれました。

誰が悪いわけではない、頭ではそうわかっていても心は自分を責めてしまいます。

今、大事な2つの命をなくした私を慰めてくれるものはなんだろう。
誰のためにこれから生きていったらいいのかと思います。
周囲はまだ若いから次があるとか、今度は双子でなくてもいいじゃないといいます。
数とかじゃないのに。
代わりとか求めてないのに。
今はこの双子達じゃなきゃ嫌なのに。

自然流産を勧められ、腹痛が起きる度、出血する度、誰かが私から双子を離して連れていってしまうように感じます。
悪阻が和らいでくる度、体が母親でなくなっていく自分を感じます。

空を見あげ、空で二人一緒だから淋しくないかなあ、お父さんに後の世話をお願いしようかなあと双子のことばかり思ったり。

皆さんの体験談を読むと、どの方もお子さんに惜しみない愛情を注ぎ、お子さんからもまた幸せを貰っていたと伝わってきます。
今は子供への感謝とともに悲しみでいっぱいだけど、いつか自分も幸せや感謝を周囲に自然と表せる日が来ることを願います。
ごめんねじゃなく、ありがとうって。





Name: カヌちゃんママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2012/05/23(水) 20:06
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Title: 9週 稽留流産    
結婚する前から、はやく子供が欲しいねと話していたものの、
生理不順や、多嚢胞性卵巣症候群を抱えていて、
思うようには、妊娠出来ないんだろうと思っていました。

それなのに、まさかのハネムーンベイビーがきてくれたんです。
嬉しくて、彼と泣いて喜びました。

悪阻はひどかったものの、母子手帳をもらって8週の検診では、心拍も確認出来てとても順調でした。

だけど9週に入ったある日、ひどい下痢と嘔吐にみまわれ緊急入院することになりました。
翌日には症状も治まりましたが、ひどかった悪阻も全くなくなりました。
朝の回診で先生にその事を伝えると、一瞬先生の顔色が曇り
「一番で見るから外来に来てください」と言われました。

だけど、まさか、自分に何かあるわけが無いと思い込んでいた私は、エコーを見て地獄に突き落とされました。
動いてない・・・。
「心拍が確認出来ないから、今日は一旦帰って、明日また旦那さんと来てください」という先生の言葉の意味が、理解出来ませんでした。
他にも沢山説明してくれていましたが、ほとんど私の耳には届いていませんでした。

手術が決まり、前処置のために手術前日からまた入院しました。
再入院した時から泣きじゃくっている私に、一人の看護師さんが私のお腹に顔を近付けてこう言ってくれたんです。
「あなた、こんなにも愛されてたんだよ。また、待ってるからね」と。
私にではなく、もう心臓を動かさなくなってしまって、明日には完全にいなくなってしまう我が子に。

まさかそんな事、人に言ってもらえるなんて思ってもいなかったので、驚きました。
同時に、看護師さんの優しさが嬉しかったのと、こんなダメなママだったけど、この子のママでいる事を認めて貰えた気がして、また号泣しました。

あれからもうすぐ1年が経ちます。
子供は欲しいけれど、まだ少し怖いです。
ただ、あの子が教えてくれた夫婦の絆や、人の優しさ 暖かい気持ちは一生忘れません。
また、いつか必ず会いたいです。





Name: 幸恵    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/05/13(日) 19:17
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Title: 23週2日 羊絨毛膜炎の疑い    
今年の1月14日に630g、30cmの男の子を出産しました。
明日でちょうど4ヶ月になります。
3日前が出産予定日でした。

結婚して4ヶ月、すぐにでも子供を欲しがっていた私たちに、赤ちゃんがやってきてくれました。
妊娠できたことはすごく嬉しかったけれど、初診で大きな血の塊があることもわかり、「切迫流産」と診断されました。
妊娠できた喜びと、切迫流産の不安で、とても複雑な気持ちでした。

その後、赤ちゃんは無事に育ち、男の子だという事が分かったり、
胎動を感じ始めたりと、安心していた矢先の、悪夢は起こりました。
間もなく22週に入るという日、朝起きると出血していました。
すぐ病院に行くと、先生から「赤ちゃんが出るところが、前より少し短くなっている。お腹が張った形跡があるね。お腹の張り止め薬を出すので安静にして2週間後にまた来てください」とのことでした。

咳がでていたせいかな?とも思い、お腹の張り止め薬と咳止め薬を飲みつつ、仕事は無理をしない程度に続けていました。
1週間経っても出血は収まらず、お腹がキューッと絞めつけられては和らぐというのを繰り返すようになりました。
これは明らかにおかしいと思い、2週間を待たずに病院へ行きました。

すると「赤ちゃんが出るところが前よりだいぶ短くなっている。これは家で安静レベルではない。即入院。産まれるまで入院かもしれないよ」と言われました。
私は恐くなって、泣きながら親に電話をして、病院まで迎えに来てもらいました。
そのまま分娩予約を入れていた病院に、緊急入院しました。
入院した次の日の朝、診察をしてもらうと「昨日より更に赤ちゃんが出るところが短くなっている」とのことでした。
「ベッドに寝て、出来るだけ動かないようにしましょう。これ以上短くなるようなら赤ちゃんが出るところを縛りましょう」と言われました。

出来る限り動かず安静にしていましたが、午後に破水しました。
先生に診てもらうと「うん、今また破水したね。アウト」という信じられない言葉をききました。

その後、お見舞いに来た家族と一緒に先生から話を聞きました。
感染症で赤ちゃんが出るところが緩んで、開いてきてしまっていることや、菌で赤ちゃんを包んでいる袋が上の方で破けて破水をしてしまっていること。
このままだと1日か2日で陣痛が来て産まれてしまうこと。
帝王切開は出血が多くて危険なため出来ないこと。
23週というのは早産で本当にギリギリのラインで、助かる確率も低く、たとえ助かったとしても、なんらかの障害が残る確率が高いことなど、たくさんのリスクを聞いた後、私たちは母体第一の選択をするか赤ちゃん第一の選択をするか迫られました。

なぜこんな残酷な選択を迫られるのか。
突然の事でパニックになっているのに、どんどん出産が近づいているため、すぐに決断しなければいけませんでした。
両親や夫と話し合い、「次の妊娠には影響がない」との言葉に母体第一の選択をしました。

その夜は何も食べることが出来ず、寝ることも出来ませんでした。
ただただ、涙が溢れてきました。
「悪夢だ。悪夢だ。」と心の中で何度も繰り返しました。
急な出産で恐怖もありました。
希望がない出産に自分が耐えられるのか。
赤ちゃんも逆子とのことで不安は更に大きくなりました。

次の日の午後、夫がお見舞いに来てくれている間に陣痛が始まりまり、5時間後に診察台で出産しました。
どんな姿か分からず、赤ちゃんに会うのが少し怖かったけれど、赤ちゃんに初めて会った時、涙が止まりませんでした。
本当に申し訳なくて、ずっと「ごめんね。ごめんね」と繰り返しました。
胎動もほとんど感じなくなっていたし、破水していたために、お腹はどんどん小さくなっていたので、もう赤ちゃんは生きていないかもしれないと思っていました。
でも産まれてきた赤ちゃんは、小さな胸を大きく大きく動かしながら出てきてくれました。
今こうして心臓を動かして生きているのにどうして泣かないのか、どうして助けられないのか。
心が追い付かないままどんどんいろんな事が起こり、終わっていきました。

初めて見る我が子は、本当にかわいくてしょうがありませんでした。
愛おしくて、これが母親の子供に対する気持ちなんだと思いました。

だんだん鼓動は小さくなっていき、息子は産まれて1時間半後に神様のもとへ帰っていきました。
その日の夜は少しの時間だったけれど、親子3人で過ごすことができ、幸せなひと時を過ごしました。

出産後の検診で検査の結果を聞くと「羊絨毛膜炎の疑い」と書かれた紙を受け取りました。
原因は「分からない」とのこと。
「感染していなければ、普通の子として産まれていた」という先生のやりきれない言葉が、私は悔しくてたまりませんでした。
原因が分からないため、次回、妊娠できたとしても気を付けようがなく、また同じことになるのではないかと恐くてしょうがありません。

息子と一緒に買い物に行ったり、公園に連れて行ってあげたりしたかった。
いろんなもの食べさせてあげたり、いろんな所に連れて行ってあげたかった。
たくさん笑わせてあげたかった。
息子と一緒にしたい事、してあげたい事がたくさんあったけれど、その望みはもう叶わない。
確かに産んだはずなのにここにいない。

今までたくさんたくさん泣きました。
そしてたくさん自分を責めました。
なぜ子供より自分を選んでしまったのか。
最低な母親だと自分を責めました。
感染した自分を責めました。
子供を殺したのは自分だと。
頭がおかしくなりそうでした。
罪悪感や挫折感や喪失感や嫉妬心や毎日いろんな気持ちと今も戦っています。
妊婦さんや赤ちゃんを見るのが本当に辛いです。

相次ぐ妊娠・出産報告に何度も傷ついたり、人の言葉に傷ついたり。
やっぱり経験した人にしかこの気持ちは分からないんだと感じました。

自分でもどうしたらこの気持ちが少しでも楽になるのか分からず悩んで過ごしている中、このサイトを知りました。
読んでみるとそこには自分と似たような経験をして苦しんでいる人や同じ気持ちを感じている人がたくさんいました。
涙が溢れてくると同時に心が救われる気持ちがしました。

夫は、父親と母親では気持ちが違うことを理解している様で、このサイトを一緒に見た時に、私が言ってる事と同じ様な事をみんな書いているねと言っていました。
もちろん、たくさん慰め、助け、一番近くで支えてくれる夫の存在は大きく、悲しみを一緒に乗り越えていく大切な存在ですが、同じような経験をされた母親のみなさんの存在は私にとって本当に大きな支えです。
私も子供を亡くされ苦しまれている方の少しでも役に立てたらと自分の経験を投稿させていただきました。

こんなにたくさん苦しんで頑張っているのだから、その分みなさんには幸せになっていただきたし、私も幸せになりたいと思っています。





Name: 優太の母    ..megaegg.ne.jp
Date: 2012/04/30(月) 18:46
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Title: 24週 臍帯過捻転    
はじめての妊娠、顕微授精でやっと授かった我が子を死産しました。

つわりで落ちた体重も戻ってきて、これから楽しい妊婦生活を送るはずでした。
それまでも出血なども無く、とても順調でした。

年末も近いある日、胎動が無い事に気がつきました。
おかしいな、いつもならお風呂でよく動くのに、動かない。
布団に横になっても動かない。
次の日、病院に行こうと思うと胎動を感じました。
あっ動いた!良かった!
そのまま病院にはいきませんでした。

その後1週間、毎日忙しくバタバタと過ごし、気づくとまた胎動がありませんでした。
このままお正月休みに入るは不安だったので、病院に行きました。
エコーを見た先生の口からゆっくりと「心臓がとまっている」と言われました。

私はほんとにダメな母親です。
おかしいと思った時に病院に行ってれば。
先生は「早く来たからといって、助かっていたかどうかはわからないよ」と言いましたが、私はずっと後悔しています。
我が子のSOSになぜ気づいてやれなかったのか。

胎盤が下にあり、出血が多いかもしれない、帝王切開になるかもしれないと言われながらも、
陣痛促進剤を入れてから5時間後に無事産まれました。
270g、25cm、男の子でした。
臍帯が2カ所で細くなっていたそうです。
病院の判断で、お腹の中で亡くなったのがわかってから2週間後に産みました。
体重は300gを超えていたはずなので、亡くなってから減ってしまったようです。

優太と名付けました。
ほんとに可愛くて、主人にそっくりでした。
棺にはたくさんの花と手紙とお菓子、甥っ子達がおもちゃを入れてくれました。
優太、ごめんね。
父さんと母さんの所に来てくれてほんとにありがとう。
またいつか会おうね。いっぱいいっぱい抱っこさせてね。
ずっとずっと想ってるからね。

また不妊治療を再開します。優太をお兄ちゃんにしてあげたいです。





Name: ゆきまお    ..au-net.ne.jp
Date: 2012/04/19(木) 23:44
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Title: 20週 子宮内胎児死亡    
2011年11月、子宮内胎児死亡でしたが、かわいい息子を産みました。

16週の検診では何も問題なく、つわりもおさまって、楽しい妊娠生活を送りはじめた矢先のことでした。
20週の検診で心拍がないことがわかりました。
わたしは看護師なので、流産が一定の割合であること、人には必ず死があることはわかっていましたから冷静に受け止めましたが、家ではかなり泣きました。

翌日入院し、ラミナリアをいれた3日後に145gのかわいい息子を産みました。
わたしは最初から赤ちゃんに会うことを希望しており、出産した1時間後に会いました。
かわいいと言いながら涙が溢れました。
手も足もかわいくて、顔もしっかりしていて、亡くなった原因ははっきりわからないままですが真央と名付け、パパとママと真央くんと3人で毎日会話して、家族になりました。
この間は3人で桜を見ました。

真央くん、初めてみた桜きれいだったね。
パパとママは真央くんからたくさんのことを教えてもらいました。ありがとう。
これからも永遠に愛する息子だからね♪





Name: かおり    ..spmode.ne.jp
Date: 2012/04/14(土) 02:55
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Title: 16週 子宮内胎児死亡 進行流産    
今回の妊娠は、出血から始まりました。
出血があったので産婦人科にいきました。
切迫流産と診断されたので、自宅で安静にしていたら、
8週目には落ち着き、妊娠継続することができて、母子手帳ももらいにいきました。

ずっと3人目が欲しかったのに、なかなか恵まれず、5年目にして宿った命でした。
うれしくて、うれしくて、たまりませんでした。

15週目の診察の日、ひさしぶりに会える我が子。
ワクワクしながらエコー台に寝て、いつもの心音を楽しみにしていたのに、エコーをしてる先生の顔が険しく、いつになっても心音はきこえてきませんでした。
「子宮内胎児死亡」
その後は、何を言われたのかよく覚えていません。
ただ「1週後にまたきて」という言葉だけ。
何が起きてるのかも理解していなかったので、涙も出ませんでした。

旦那に電話して、話していると、先生が言った意味が理解できてきて、大号泣しました。
1日考えて、このまま泣きながら悩むなら、早く結論をだしたくて翌日再診を受けました。
でた結論は同じ。稽留流産でした。

子供も大きくなっていたため、大きな病院での手術となり、
4月4日に入院して誘発分娩の予定になりました。
しかし、翌日の朝方より腹痛がでてきて、出血しはじめ、
そのまま進行流産となり、3日の4時59分、逢人を出産しました。

まだまだ、お腹にいるような気がしてなりません。
妊婦さんや赤ちゃんをみるのが辛くてたまりません。
でもきっと、また私達のもとに戻ってきてくれることを信じてます。



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