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   6週目 2度目の流産   
   15週 胎児奇形 人工死 ....   
   出産後 先天性心疾患 ....   
   36週 子宮内死亡   
   35週 常位胎盤早期剥 ....   
   27週 原因不明 子宮 ....   
   一卵性双子 子宮内死 ....   
   36週 原因不明 死産   
   妊娠29週 胎児水腫   
   二人目 子宮外妊娠   

Name: はるママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2012/10/19(金) 20:26
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Title: 6週目 2度目の流産    
10月16日、その日6週目に入ったばかり。
初診から2度目の検診日でした。
心拍が確認できるかも!と楽しみにしており、前日も嬉しくてあまり眠れませんでした。
しかし不安もありました。

私には5歳になる男の子がおりますが、去年から2人目がほしいね、と、計画を立てていました。

5月に待望の赤ちゃんがお腹の中に居ることが判明して、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
しかし、8週に入った頃、赤ちゃんの心臓が動いていないことがわかり、手術を受けました。

それから約半年、また、私のお腹には赤ちゃんが戻ってきてくれたのです。それはそれは嬉しく思いました。
しかし、また・・・その喜びは長く続きませんでした。
検診日当日の早朝、トイレに行ってうすい色の血液がペーパーについていることに気がつきました。
まさかと思ってパニックになり、旦那を叩き起こしました。

そのまま朝の検診に行き、エコー台に上がる準備をしていたところ、鮮血がポタポタ落ちました。
私は一瞬にして、「もうだめだな」と涙が溢れました。
案の定、医師から言われた言葉は、「今回は縁がなかったということで」と告げられ、診察室で大泣きしてしました。

せっかく戻ってきてくれたと思ったのにな。なんでかな。
また、お空に還ってしまったね。
でもね、お母さんはいつまでも待っているからね。
今度こそ、元気に産まれてくるんだよ。大好きだよ。
短い間だったけど、2人のお母さんでいさせてくれてありがとう。また絶対逢おうね。だから今はゆっくり休んでね。





Name: しゅんママ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2012/10/07(日) 20:28
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Title: 15週 胎児奇形 人工死産    
37歳、3度目の妊娠でした。
1度目は9週で心拍が確認できず 出血があり流産しました。
2度目は自然分娩で男児を出産。現在4歳です。
年齢のせいか、なかなか妊娠できず、クロミッドを飲んだり、hCg注射を受けたりしてみましたが、諦めて通院をやめた頃に自然に妊娠しました。

みんなで大喜びして、心拍が確認できて、3ヶ月も無事に乗り越えて、安心して臨んだ13週の健診で頸部浮腫を指摘され、そこから脳の異常がわかりました。

エコーの得意な先生の病院へ行ったり、大学病院の先生にみてもらったり、いろいろ試しましたが、重度の奇形であることはどの先生も同じ意見で、15週で泣く泣く人工死産しました。

産まれてきた子どもは多くの異常を抱えており、今まで生きてこられたことすら不思議でした。

火葬までは慌ただしく過ぎ、その後だんだん喪失感が増し、悲しみに押し潰されそうです。
しかも、職場の同僚や友人も そろそろ妊娠に気づき始めていただけに、なんと言って復帰していいのか・・・途方にくれる日々です。





Name: なのはな    ..home.ne.jp
Date: 2012/10/02(火) 16:06
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Title: 出産後 先天性心疾患     
2か月ほど前、先天性心疾患で男の子を亡くしました。

9か月になる直前の健診で、心臓の異常を指摘されてから、世界の色が変わってしまいました。
胎動もしっかりしていて、週数通りの成長だったので、まさか異常があるとは思いませんでした。
 
入院して、毎日エコーで観察していましたが、心不全の兆候が出てきたので、36週での帝王切開になりました。
産声はあげないかもと聞かされていたのですが、元気な産声を聞いたとき、思わず涙がこぼれました。

夫と私の両方に似た、親バカですがかわいい子でした。
チューブや点滴がついていて、薬で眠らされていました。
状態が良くなく、出産の翌日に手術を受けましたが、5日後に亡くなりました。
 
手術の後は尿が出なくなって、手や胴体がむくんで、紫色になってしまいました。日に日に状態が悪化するのを見て、夫は色々と赤ちゃんに話しかけて長い時間そばにいましたが、私は面会すると涙しか出て来ませんでした。
こんなにそばにいるのにだっこもしてやれない、おっぱいも飲ませてあげられない。お風呂にも入れてあげられない。
 
手術後の4日間は、昼も夜も泣きました。人生であんなに泣いたのは初めてでした。とても長く感じました。
 
容態が悪化して、もうこれ以上の回復が見込めないと告げられた時、二人で最後を看取ることをお医者さんに告げました。
慌ただしく大量のチューブが外され、私が赤ちゃんを抱かせてもらいました。生まれてからやっと、私たちの元に帰ってきました。
 
今でも気づくと赤ちゃんの事を考えています。
なんとか日常に戻りつつあるけれど、ものすごく気分が落ち込んで泣く日もあります。
赤ちゃんがいないのに、帝王切開の傷が痛むのが悲しいです。赤ちゃんがいればきっと、このぐらいの傷、勲章傷だと笑っていられるのに。

次の妊娠は、少し間を開けなくてはならないのと、家にずっといると悲しさに飲み込まれてしまいそうなので、少しずつ就職活動を始めました。
 
夫には「赤ちゃんは、天国じゃなくていつも俺たちと一緒にいるよ」と言われ、私も自分にそれを言い聞かせて過ごしています。

赤ちゃん。いつも一緒だよね。でもまた会いたいなあ。

朝早くから夜遅くまで赤ちゃんの治療に当たってくださったお医者さんや看護師さん、
親身に搾乳などに付き合ってくれた看護師さんや助産師さん、
亡くなった赤ちゃんの周りに折り紙で動物のお友達を折ってくれ、話しかけに来てくれた産科の看護師さんや助産師さん、
私の気持ちに配慮してくれたお医者さんなど、書ききれませんが、病院の皆さんの対応に本当に感謝しています。
 
最後に、他の方も書いていましたが、同じように赤ちゃんを亡くされた方の体験談に、私も助けられ、慰められる気持ちがしました。同じように、どなたかの役に立てればと思い、投稿させていただきました。
私自身も、誰かに聞いてもらいたい気持ちがありました。長文すみません。読んで下さった方、ありがとうございました。





Name: uki    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/09/23(日) 12:33
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Title: 36週 子宮内死亡    
経済的事情もあり素直に喜べない妊娠でした。
ですが、初診時に先生からやさしく言われました。
「あなたにかかってるんだよ。ご飯を食べて素直においしいって思ってれれば大丈夫。赤ちゃんはちゃんと育ちますよ」
先生も看護婦さんもこの小さな命を心から喜んでいる。
母親の私がこの命を否定してどうするんだと目が覚め、腹をくくりました。

臨月に入り出産準備も整った矢先のことでした。
就寝前「そういえば今日は胎動が無かったような…。あれ?昨日はどうだっけ??」
不安な気持ちを否定するように「いつも夜中になったら暴れだすから大丈夫。明日は検診だし」とのん気にしていました。

朝になってからも、動きませんでした。
ご飯食べたり、好きな音楽聴いたり、話しかけたり。
今までなら、反応が返ってきていたのに、何をやっても無反応。
焦る気持ちをおさえつつ「大音量でドライブすれば起きる!」と、
検診に向かいました。

助産師さんに動いてないことを伝えると、
「本当は今日はエコーやらないんだけど、念のためエコー見てみよう」と心音はとらずにエコーの手配をしてくれました。
しばらくして、先生がやってきてお腹にエコーをあてて1秒で悲しい現実を目の当たりにしました。
どう見ても、心臓が止まっていました。
先生からも「悲しいけれど、心拍が確認できない」と告げられました。

カーテンの向こうにはたくさんの妊婦さん。
泣くことなんて出来ません。
必死にこらえつつもポロポロ涙がこぼれました。
いつもはやったことのないエコーの機能を使って細部まで確認してもらい、心停止から数日経っている事が分かりました。
念の為、もう1人先生がやってきて、2人で再確認。
「やはり赤ちゃんはもう助かりません。このあと、検査と状況をご説明します」

エコーブースのカーテンを開けてからは冷静でした。目の前の妊婦さんを不安にさせちゃいけない。笑ってなきゃ。
先生から説明を聞き、週末にあたる事、炎症反応もないということで、2日後の入院になりました。
「2日間、赤ちゃんとゆっくり過ごしてね。」

翌日。あかちゃんの洋服を買いに主人とベビー洋品店へ。
店に入って、一番目の前に天使の羽のついた服がありました。
いつもならどぎつい色の服が並んでる所なのに、なぜ今日はこの服が出ているの?
普段ならとうてい手が出せない値段でしたが迷わず購入しました。
最初で最後のベビー服です。

ふと気づくと、回りは妊婦や赤ちゃんばかり。
当然の光景ですが、想像以上に心にグサグサ突き刺さりました。
戌の日にお参り行った神社も参拝しました。
傍からは、出産目前の幸せなカップルにみえたことでしょう。

入院前に実家へ挨拶に行くと、父がポロッと涙を流しました。
父の涙は祖母の葬儀以来初めてです。

出産前の処置や促進剤が効かないままに、入院4日目。
「勝負に出ます!」と、担当医の顔つきが変わりました。
破膜処置をして破水すると、一気にお産が始まりました。

苦しいところから早く出してあげなくちゃ。
赤ちゃんと分かれたくない。
赤ちゃんが死んでいることを認めたくない。

いろんな感情がごちゃまぜになっていました。
分娩台にあがったらすぐにするするっと産まれてくれましたが、先生が取り上げた瞬間、とうとう現実と向き合ってしまいました。
陣痛は半端ないし、パパも付き添ってる、普通のお産と何も変わらない。そこに産声が聞こえない以外は…。

へその緒を切って私のもとに。なんて可愛いのでしょう。今にも産声をあげそうな穏やかな表情。
この数日押し殺してきた感情が爆発しました。
まるで私が赤ちゃんになったように、大きな声でワンワンと分娩台で何分も泣き続けました。
私が落ち着くまで、スタッフ全員がそっと見守ってくださりました

赤ちゃんも私も身体をきれいにしてもらい、数時間一緒に過ごしました。
ずうっと抱いていたい。
「月」を名前に使った我が子の誕生日のお月様を見たい。
いろんな人に、「今夜の月を写メして」と頼みましたが曇っていないのにどこの場所からも見えません。
きっと私のもとに降りてきているから空には月がないんだ。

翌日退院。葬儀屋さんが病院にやってきてテディベア柄の棺に寝かせました。火葬までさらに2日。
家に居る間ずっと抱っこしていたいけれど、赤ちゃんはとても傷つきやすくなっていたので、棺のフタをなでるまでにしました。
葬儀には、県外から兄もかけつけてくれ、家族みんなでおくってあげることが出来ました。

食事をとらない私をみて4歳の長女が「ちゃんと食べないと赤ちゃん抱っこできないよ。ダメだよ」
もうあの子は抱きしめられないけど、空から笑われないようにしなきゃ。
四十九日の夜。空を見上げると煌々と輝くまん丸お月様。
ちゃんとお空に帰れたんだね。

死産から半年。主人とは、諸々の事情で離婚しました。
あの子がわたしのお腹に再び宿ることはないけれど、いつまでも一緒です。
長女は、妹をとっても大事にしています。お菓子を分けたり、絵を描いたり。
ありがとう。あなたのおかげで、みんなやさしい人になれたよ。





Name: E.A.    ..asahi-net.or.jp
Date: 2012/09/22(土) 23:00
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Title: 35週 常位胎盤早期剥離にて死産    
平成14年8月に次女を死産しました。
切迫早産と誤診されてのことでした。

私自身DICを発症し、家族は最悪の場合も覚悟するよう言われたそうです。
私がそんな状態になったために、次女の死を家族が悲しむ余裕はなかったようです。

私は、次女を元気に生んであげることもできなければ、亡くなったことをみんなが悲しめない状況を作ってしまった・・・自分が許せない.

もっと大きな病院に行っていれば。
危機感を持っていれば。
常位胎盤早期剥離という病気のことを知っていれば。

「ちょっと早い出産で、楽できる」なんて、どうして楽観視してたのか。
今でも、つい5分前のことのように思い出します。

出産するために移動した分娩室で、次女の心音が拾えなかった瞬間のこと。


周囲は「上の子がいるんだから」と言います。
でも、上の子は上の子であり、次女ではない。
次女の代わりはどこにもいないって、どうしてわからないんだろう。

私がこんな気持ちでいること、次女は喜ばないかもしれません。
でも、私にはどうしていいのかわかりません。

私はただ、次女の話がしたいだけなんです。





Name: おとやママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2012/09/19(水) 17:54
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Title: 27週 原因不明 子宮内胎児死亡    
2012年8月17日、1,190gの男の子を出産しました。

お盆に入り、近々引越し予定でしたので家電やインテリアを見て周り、夫と出かける事が楽しみでした。
けれど、決して無理はしていないつもりでした。

立っていると胎動を感じなかったので、気のせいかな?と思ったり、下腹部で胎動のような感じがあったので、赤ちゃんの位置がかわったのかな?お腹が張って分かりづらいのかな?気にしすぎは良くない。大丈夫だろうとのんきにしていました。
2、3日たっても今までのような胎動がなく、不安に思って病院に受診したところ、心音が聞こえませんでした。
聞こえてくるのは私の脈音ばかり。
エコーでもいつも元気に動いていた我が子は動きませんでした。

次の日から入院して、子宮口を開く処置を2日間受けて、陣痛誘発剤を使って出産をしました。
分娩時は母親として唯一できることだと思うと幸せでした。
死後、胎内にいた時間が長かったので、わが子に会うのは、正直、不安でした。

だけど、実際に抱いてみると可愛くて可愛くて、愛しくずっと抱いていたかったです。
やはり胎内にいた時間が長くふにゃふにゃでした。
一日でも早く出してあげていれば・・・それだけが後悔です。

赤ちゃんの検査はしていませんが、結局は原因不明の胎児死亡でした。臍帯赤ちゃん側の付け根が細く捻れていたと言われましたがそれが原因かは分からないとのことでした。

火葬を終え小さな骨壷になった我が子。
一ヶ月たってしまいました。
四十九日に納骨すると決めましたが心が揺らぎます。
最大の悲しみと喪失感と毎日戦っています。だけど得たものもあります。
体の痛みより心の痛みの方が痛いということ。親になれた喜び。命の尊さ。家族の絆。悲しみを知った分、人の悲しみも感じられる気がします。夫のことも今まで以上に好きになりました。
おとやの残してくれた贈り物だと思って大切にします。

天国で見守っていてね。ありがとう。大好きだよ。





Name: り-    ..ezweb.ne.jp
Date: 2012/09/18(火) 11:54
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Title: 一卵性双子 子宮内死亡    
結婚して4年。初めて受けた人工授精で授かった赤ちゃんでした。
病院で胎嚢を確認出来た時は一つだったため、次の検診のときまで、まさか双子を授かっているとは思っていませんでした。

一卵性双生児だと言われ、調べれば調べるほどどれだけリスクが高い妊娠か分かり、それからは不安な日々を過ごしました。
やっと心の整理もついて前向きに頑張ろうという気持ちで行った検診で先生の口から
「二人の間に膜がない一絨毛膜一羊膜というごく稀なタイプの双子だね」 と言われ、顔面蒼白になりました。

すごく危険な妊娠で、出生率も低い事を知り、それから毎日泣いたり悩んだりばかりしていました。

せっかく授かった命だから前向きに頑張ってみようと家族で話し合い、安静に妊娠生活を過ごしました。
妊娠4ヶ月に入ったばかりの検診で、二人の心臓が止まっている事が分かりました。

一絨毛一羊膜と分かった時から、こんな事もあるのは覚悟はしていましたが、実際に赤ちゃんが動かないエコーを見せられた時は頭のなかが真っ白になり、号泣しました。
翌日入院して陣痛を起こし、双子の赤ちゃんを産みました。
親想いの子供達であまり苦しむ事もなく数時間ですんなり出て来てくれました。
見るまでは亡くなった赤ちゃんを産むなんて耐えられないと思っていたけど、実際に小さな我が子を目にした時は愛おしいて涙が溢れました。

亡くなって2週間近く子宮の中にいたから、多少は形がなくなっているかなと思っていましたが、綺麗な形のまま二人共産まれてきてくれました。
どういう形であれ少しの間でも母親になれた事は幸せだったし我が子を初めてこの目で見る事が出来た事は貴重な体験だったと思います。

退院した日は我が子と一緒にのんびり過ごし、そして翌日には花を飾った木箱に入った我が子を主人と一緒に火葬場に連れてお別れをしてきました。
火葬場の方々もちゃんと我が子を人として扱ってくださりありがたかったです。

今も当時の事を思いだし涙が出たりする事もありますが、あの子達が守ってくれた命だから精一杯生きなきゃと思っています。
こちらのサイトを知り沢山の方々の投稿を読ませて頂き私だけじゃないんだと思ってすごく心が救わました。
なので私と同じような思いをした方が少しでも心が救われたと思い投稿してみました。
また赤ちゃんが授かれるように頑張りたいと思っています。
お空に還った我が子が安らかに眠ってくれていますように。
ママのお腹にきてくれてありがとう。





Name: S&Aのママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2012/09/10(月) 14:57
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Title: 36週 原因不明 死産    
2週間程前、36週で死産しました。
一人目を帝王切開で出産しているので、今回も38週で帝王切開の予定でした。

その日は、手術前検査と10ヶ月検診でした。
いつも通り腹部エコーで赤ちゃんを見て、簡単に終わるのだと思っていました。
しかし、エコーで赤ちゃんを見るなり、先生が「心拍が見えないね・・・」私は意味がわからなかったし、そこまで深刻ではないと思いました。
「胎動を最後に感じたのはいつ?」と聞かれても、たしか昨日までは動いていたと思うけど・・・。
赤ちゃんは寝ている時もあって、常に胎動感じているわけではないので、動かなくても気にもとめていなかったし、最後に感じたのがいつかなんて正確には覚えていませんでした。

しばらくエコーを見ていたけれどやはり心拍は確認出来ず、先生が深くため息をつき、エコーを見るのをやめました。
その時の先生の表情は、今でも脳裏に焼き付いて忘れられません。
先生に「このまま長くおくのは良くないか、ら明日の午後手術しましょう。旦那さんにすぐに連絡取れる?」と聞かれ、その時初めて、状況を理解しました。

旦那と母に連絡をするため、停めてあった車の中で電話しようと一度、病院の外に出ました。車に着くまで我慢しようと思った涙は、診察室を出た瞬間溢れ出て、他の患者さんがいる待合を通る時、すでに大声を出して、今までにないほど大泣きしました。

すぐに2人が駆けつけてくれて、母は私のお腹をさすりながら、「何で?何で?代わってあげたい」と泣きました。
説明を受けるため、3人でもう一度診察室へ入り、エコーを見ましたが、やはり心拍は確認出来ませんでした。

このまま明日までお腹に入れておくなんて辛すぎる。
今すぐお腹から出して蘇生したら、もしかしたら助かるかもと思い、すぐに手術してもらえるようにお願いしました。
そして、すぐに帝王切開となりました。
一度帝王切開を経験しているので流れはわかっていました。
私は手術台の上で、先生に「赤ちゃん取り出したらすぐに蘇生してもらえますか?」とお願いしました。
先生は「酸素とかはやるけどね、もう難しいよ」と答えました。
半身麻酔で、痛みは感じないけれど多少の感覚はあり、何より意識がある事が一番嫌でした。
全身麻酔で眠ってしまいたいと思いました。

現実とはとても思えず、悪い夢なんだ、現実ではないんだと思いました。手術中、看護師さん二人が私の両手をずっと握ってくれました。

赤ちゃんは泣かず、1時間程で手術は終わり、助産師さんが、「2,088gの可愛い女の子だよ」と言って、私のところへ連れてきてくれました。私は涙が止まりませんでした。
手術室を出ると父と妹の姿があり、父は私の頭を静かに撫でました。
両家の家族がみんな来てくれて、みんなで赤ちゃんを抱っこしては涙を流しました。

二歳の娘は「赤ちゃん?」「ねんねしてるの?」と私に聞きました。
どこまで理解しているのかわからないけれど、お腹にいる時から娘も楽しみにしていました。
予定帝王切開のつもりだったので、自然分娩と違い「いつ生まれるんだろう」というドキドキを味わえない分、性別はお楽しみにしていました。
しかし9ヶ月検診の時に先生がポロッと「女の子だねー」と言ってしまい、周りには内緒にしていたものの、私だけは女の子だと知っていました。

新生児の服も、上の子のお下がりを少しずつ整理していて、退院の時ぐらいはお下がりではなく新しいものを着せてあげたいと、ベビードレスもこっそり用意していました。
名前は、娘が「あやめがいい!」とお腹にいる時から譲らず、私は他の名前を考えていましたが、少ししかお姉さんになれなかった娘につけさせてあげようと、「あやめ」と名付けました。

出産した日の夜は処置室で過ごし、横になるところがないにも関わらず、母が一晩中そばに居てくれました。
個室に移ると、夜一人になるといろいろ考えては涙が溢れ、呼吸がまともに出来なくなり、傷の痛みと後陣痛と哀しみで長い夜を過ごしました。

辛い夜はこれ以上過ごしたくないと、次の日からは家族部屋へ移動し、母と娘と過ごしました。横で娘が無邪気に笑ってくれていることで、哀しみから少しだけ救われました。
退院時、あやめのために用意しておいたベビードレスを着せてあげました。オムツも替えてあげました。痛いことも苦しいことも悲しいことも何も知らないあやめは、まるですやすやと眠っているようでした。

退院の翌日、あやめはお空に帰って行きました。
私は、その場にいたらあやめと一緒に飛び込んでしまいたいくらい辛いので、家で母と娘と待っていました。
家族があやめを連れて行く直前、私はあやめを抱きしめ、「また必ずママのところへ帰ってきてね。今度は元気に産んであげるからね。大好きだよ」とあやめに話しかけました。
二歳の娘は今でも「赤ちゃんお腹にいるの?」「もう、いないの?」と聞いたり、私が涙を流せば「えーんえーん、めーよ!」と言います。全ては理解していないにしても、わからないなりに何かを感じているようです。

帝王切開で子宮も切っているので、一年間は妊娠してはいけないと言われました。
私は一日でも早く元気な赤ちゃんを抱きたいです。一年間は長すぎます。早く笑顔になりたいのに、辛すぎます。
娘たち二人は、私にとってどちらもかけがえのない存在。同じくらい可愛くて愛おしいから、上の子のために笑顔にならなくちゃと思う反面、あやめのところへ行きたいとも思ってしまいます。
あやめに会いたい。もう一度抱きしめたい。決して叶うことのない願いです。
妊婦さんを見ると、憎いほどに羨ましいです。胎動を感じていた時を思い出して悲しくなってしまいます。
そしてそれ以上に、人のことをそんな風に見ている自分が嫌で嫌で仕方ないです。
赤ちゃんは元気に生まれてくるものだと思っていた私に、あやめは命の尊さを教えてくれました。
命を授かるのは奇跡、元気に生まれてくることも奇跡。当たり前なんかじゃないんです。
きっと、いつかまた赤ちゃんを授かって抱きしめることができても、あやめの代わりになんかならないし、一生忘れることはできないと思います。
今はただ、この辛い現実から少しでも抜け出したい、それだけです。





Name: はーたん    ..emobile.ad.jp
Date: 2012/09/10(月) 03:24
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Title: 妊娠29週 胎児水腫    
初めての妊娠で授かった赤ちゃんを8月28日に胎児水腫のため死産しました。

妊娠18週の時に胎児水腫と診断され、羊水検査や血液検査を受けましたが、異常は見つかりませんでした。
21週の時に、赤ちゃんは30週まで生きられないと言われ、人工死産の選択肢も与えられましたが、赤ちゃんを諦めることはできず、妊娠を継続してきました。

覚悟していたこととはいえ、赤ちゃんの心拍が確認できなかった時は、絶望しかありませんでした。
泣いても赤ちゃんが戻ってくることはないと分かっていますが、毎日泣いてしまいます。
まだ、妊婦さんや生後間もない赤ちゃんを見るのが辛いです。





Name: きはママ    ..pcsitebrowser.ne.jp
Date: 2012/09/09(日) 16:49
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Title: 二人目 子宮外妊娠    
私の誕生日が、一生忘れられない日になりました。

一人目の時、妊娠の反応がでてすぐに病院へ行ったら、なかなか胎嚢が見つからず、毎週病院へ通ったので、
上の子もいることだし、何回も足を運ぶのは大変だからと考え、病院へ行っていませんでした。

出血は全くなく、順調なら10週くらいかな?なんて思いながら幸せでした。
この頃は悪阻と腹部の痛みがありましたが、子宮が広がる痛みだと思って、深く考えていませんでした。

明日受診しようと思っていた日の夕方、立ち上がろうとした瞬間、右下腹部で何かがポンッと弾けた音と激痛がきました。
慌てて立ち上がってトイレへ駆け込むと、出血はないものの冷や汗がでてきました。
尋常じゃない汗と内臓の圧迫感。
近くに住む姑を呼んで娘を任せ、救急隊に身を任せました。

意識が遠くなって自分の中で「子宮外妊娠やったんや」と感じつつ、心臓が圧迫されるほどの血液が身体の中で溢れてることを感じました。

「死ぬのかな?私?」と、思った瞬間「ママ〜!!ママ〜!!」と不安でいっぱいで泣きじゃくる娘の声が聞こえました。
「この子の為にも私は死んだらアカン」と思い、激痛の中で救急隊→救急の医師→産婦人科の医師&看護師への対話をこなして意識を保ちました。
検査の結果、やはり子宮外妊娠だといわれ、緊急オペを受けることになり、慌ただしく準備が始まりました。

開腹すると、やはり下から出血してなかった分、中で溢れていたそうです。下半身麻酔で頭ははっきりしており、医師の「うわ、予想以上」という声と、吸引される音が聞こえていました。
途中で男の執刀医が「まだ赤ちゃん欲しいの?」と聞きました。「欲しいです」と即答すると「そっか〜」との返事。
妊娠ができなくなるのかと不安になり、「妊娠できますよね?」と聞くと、「片側でも、妊娠した人はいますよ」との答え。
不安で泣きそうになっていたのか手を握ってくれていた看護師さんが「大丈夫。大丈夫。」と言ってくれて落ち着きました。

手術は無事成功。
「痛かったでしょう?ホンマに頑張りましたね。身体の中であれほど血が溢れていて気を保っていられたのは大したものです。切除箇所は右卵巣と右卵管。卵管は破裂していて、卵巣からもなぜか大出血していた為にショック状態になっていました。残念ですが卵巣も取らざる得ませんでした。あと、一時間でも遅かったら命も危なかったです。助かってよかったですね。」

オペ室前で待っていた旦那にもそのことが伝えられ、ベットで横たわる私の手を握ってよかったと泣いていました。
ボーッとする頭の中で「生きてるんや・・・」と感じ「娘に会いたい」と告げました。
夜中になっていたのでグッスリと眠る娘が連れてこられ「会えてよかった。」とようやくほっとしました。

それから痛みがひどく、2日間は辛かったです。
3日目からは体力も回復して動けるようになると、精神的に辛くなりました。
ふとした瞬間に涙があふれて止まらなくなり、妊婦さんの心音の確認の音、赤ちゃんの泣き声。少しでも聞こえると涙が落ちます。

たくさん子宮外妊娠の体験談を検索しました。
たくさん子宮外妊娠した後にまた妊娠された方の体験談も読みました。

まだ納得出来ない。自分はこの人達のようにまた妊娠できないかもしれない。
でも、諦めたくない。辛くても前に進む為に、心の整理の為に書きました。

いつかきっと会えることを信じて今、私が生きてる事を感謝していこうと思います。読んで下さってありがとうございました。



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