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   25週 原因不明 子宮 ....   
   稽留流産   
   17週 流産   
   33週5日 胎盤早期剥離 ....   
   18週での流産   
   稽留流産   
   2度目の流産。   
   2度目の初期流産   
   2回目の子宮外妊娠   
   3度の流産 14週で ....   

Name: ゆうゆ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/11/09(土) 23:42
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Title: 25週 原因不明 子宮内胎児死亡    
産まれていたなら、今5歳になる赤ちゃんは、25週末でなくなりました。原因はわかりません。

陣痛の様な子宮収縮があり、入院。
たくさん点滴もしましたが、その夜中にぱったりと胎動がなくなり、朝に死亡が確認されました。
その日の朝から点滴やラミナリアで子宮口を広げましたが、破水してもまったく開かないため、次の日、再度仕切り直し。
夜中は赤ちゃんがいる左のお腹だけ膨らんで、その大きさと外から触れることができることに涙しながら眠れずにいました。

次の日もラミナリアを7本いれましたが、子宮口が硬く、なかなか入りませんでした。
体温は40度を超え、寒気が続きました。
夕方になって、なんとかラミナリアを抜こうと鉗子でひっぱり、助産師が私の身体を押さえつけて医師が両手で引っ張っても抜けないほど、全く子宮口が開きませんでした。

運良く麻酔科の先生が通りかかり、その場で全身麻酔。
目が覚めたとき、冷たいトレーにのせて連れてきてくれた我が子は、つなぎ合わされていました。
あれだけバラバラなのに、その姿はとても神々しかったです。
あれは、とてもとても酷な出来事でした。

火葬場で三歳の子供がシャボン玉の歌を、子供が亡くなったお母さんの歌った歌なんだと歌ってくれ、シャボン玉を吹いてくれました。
あれからシャボン玉の歌を聞くたび、涙がでます。

2年前に50代半ばの主治医にあった時、今まででもあれほど子宮口が開かなかったひとはいなかったと言われました。
立ち直るのにものすごく時間がかかり、子供を目にするのがいやになり、再度妊娠したのですが、流産。
いろいろ精神的におかしくなり、離婚もしました。

あの妊娠以降、冷え性がでて、腰痛になり、今思うとどれだけ苦しくても悲しくても、自分の身体を酷使せず、一ヶ月は普通に産んだのと同じように身体を休めるべきだったとおもいます。
気が狂いそうだったので、車椅子でデパートに連れて行ってもらったりしていました。

毎年、墓参りには上の子と、復縁後に産まれた二人の子供を連れて行きます。
完全にキズがなくなることは難しいけれど、癒えることは出来ると思います。
体験しないと、なんだって、その人じゃないとわからないことがあるのだと学びました。
そして、一つの生命が生まれることは、数々の奇跡が偶然に重なって起こるのだとも。





Name: しぃ    ..au-net.ne.jp
Date: 2013/11/07(木) 21:44
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Title: 稽留流産    
息子が1歳を迎える目前、妊娠に気づきました。
やっと育児に慣れてきた頃で、体型も戻ったばかり。
年子になることなど、不安も大きかったのですが、もちろん嬉しく思っていました。

つわりが酷くなり、泣きながらトイレに駆け込んでは嘔吐を繰り返し、夫に当たり散らしたりもしました。

6週くらいから出血し、切迫流産と診断され、絶対安静。
入院もしました。
息子に会えない悲しみは大きかったものの、赤ちゃんの心拍も確認できて、順調でした。

徐々に、がんばってこの子を産んで、この手で抱くんだと、気持ちも強く前向きになっていきました。
10週の検診日。実母と診察室の前でマタニティ雑誌を広げ、ベビーベッドはこれがいいかな、このマタニティ服可愛いな、と無邪気に話していました。

内診で、先生が何も言わないうちに、
エコー画面の赤ちゃんの、心拍が見えないことと、赤ちゃん自体がぼやけてはっきり見えないことを、わかってしまいました。

9週半ばで成長を止めていました。稽留流産でした。
日にちが経っていたことで浮腫が出始め、ぼやけて見えたようです。

その日のうちに入院し、掻爬手術をしました。
麻酔が効かず、術中、痛いと叫びながら泣いていた記憶が鮮明にあります。

なんとなく、女の子だったような気がしています。
赤ちゃんは、浮腫のため、脆くなり形はなくなっていた、と夫が泣きながら話してくれました。

術後2日。もう涙は出ません。
悲しいというより、悔しいのです。
つわりと安静と入院と、息子に会えない試練に耐えました。
妊娠していなければしなくて済んだ、手術の痛みも惨めさも無駄だったと思います。馬鹿ですね。

赤ちゃんがお空に帰ったとか、忘れ物を取りに行ったとか
ママのために自らキャンセルしたとか、そんな言葉は余計辛い。





Name: あいちゃん    ..openmobile.ne.jp
Date: 2013/11/07(木) 14:14
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Title: 17週 流産    
今朝、17週になったばかりの我が子を亡くしました。
本当に急でした。
昨日まで元気に動いていたのに…

感染症が原因なのか、張り止めの点滴をしても、どんどん下がってくるのがわかり、破水。
その後出産しました。

お腹から出てくるとき、小さな小さな足が見えました。
まだ、辛くて赤ちゃんの顔を見てあげられません。
半年前には8週で稽留流産もしていて、 本当に辛くて辛くて…
しばらく立ち直れそうにないです。





Name: ちあき    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/11/06(水) 21:57
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Title: 33週5日 胎盤早期剥離による子宮内胎児死亡    
8月15日に第二子を胎盤早期剥離にて亡くしました。
念願の女の子だったので、とても楽しみにしていたのですが、残念な結果になってしまい、毎日思い出しては涙が出てきます。
町で妊娠さんを見かけたら、私もついこの前までは妊婦だったのに・・・と、とても悲しい気持ちになってしまいます。

そんななか、息子のママ友から昨日「妊娠したよ!」の報告を受けました。
すごく喜んだフリをしました。
でも家で号泣しました。
もちろん、おめでたい事です。
私と同じ体験は絶対にしてほしくないです。
でも、羨ましいとか、嫉妬とか、黒い気持ちが出てきてしまい、自分ってかなり性格悪いなぁと思いました。

少し前に進めてたのに、またふりだしに戻ってしまった気持ちです。

私、弱いなあ。いつになったら強くなれるんだろ。





Name: akko    ..res.rr.com
Date: 2013/10/18(金) 17:31
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Title: 18週での流産    
妊娠18週で、第二子を死産しました。
240gの夫にそっくりな男の子でした。
薬を使って子宮口を開き、「産み」ました。
生まれた瞬間、分娩室で夫と二人、大声で泣きました。
赤ちゃんには問題はなかったのに、陣痛と破水がきてしまいました。
前日まで動いていたのに、守ってあげられなかった。
夫がお腹に手を当てたら、反応してくれました。
もしかして、破水がその時起こっていたのかな?苦しかった?
まさか、自分たちが我が子の火葬を行うなんて、悪夢です。
今も夢であったらいいなと思ってしまいます。

病院の看護師さんは写真を沢山撮ってくれました。
足型やベビーリング、18週の赤ちゃん用のオムツも用意してくれました。
唯一の幸せは産んだ瞬間、赤ちゃんは温かくて、ちょっと笑った顔に見えたことです。
夫は何度もキスをしていました。
私は抱っこさせてもらって、夫がへその緒を切っていた時の光景を何度も思い出しています。





Name: ぷぅのママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2013/10/07(月) 06:06
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Title: 稽留流産    
昨日お腹の子を空へ帰しました。

夏の終わりに普段とは違う体調に気づき、検査薬でオチビちゃんの存在を知りました。
何回測定しても、うっすらした線だったり、血の混ざったオリモノと腹痛のセットがたまにあったりで、
正直、最初のうちは喜びよりも不安のほうがが勝ってた、かな。
ごめんね。

病院に初めて行ったのは5週の終わり位。
ちっちゃくて、先生も「あれ?あれ?」と探してようやく見つけ出してくれたね。
先生が「これから色々検査を受けなくちゃいけないから、母子手帳を早めに貰いなさいね」と仰ったので、お母さんはドキドキしながら役所に母子手帳を貰いに行きました。

お父さんも喜んでくれて、男の子かな女の子かなと気にしたり、
お母さんの体調をとても気遣ってくれました。

それから2週間位は順調に育ってくれてたけど、どうしちゃったのかな。
1cmちょっとで成長が止まってしまって、8週になっても心拍が確認できなくて、
9週になると、栄養が入っている袋と、そのかげにとっても小さなおチビちゃんがチラッと見えたけど
胎嚢の大きさもあまり変わらず、心拍もとれず・・・。

先生から、次回、お父さんを連れてくるよういわれ、お母さんは我慢してた涙が止まりませんでした。
もしかしたら来週になれば心拍も確認できるかもしれない。
成長が見られるかもしれない。
と、無理に前向きになろうとして、お父さんと病院に行きました。
でも胎嚢が少し大きくなっただけ。心拍もとれず。
おチビちゃんをお空に帰さなきゃいけない現実を、いよいよ受け止めなくてはならなくなりました。

お父さんの前でいっぱい泣いて、お父さんも辛かったと思うけど、お母さんのことを優しく抱き締めてくれました。
早々と手術の日程が決まり、オチビちゃんと一緒にいられる時間もわずかとなり、最後に浅草寺をお散歩しました。
皮肉にもおみくじは大吉。
でも「待ち人来る」っていうことは、またオチビちゃんに会えるってことかな。
なんて、お母さんアホだから、いつも都合のいい期待ばっかりしちゃってダメだね。

そして、昨日の夜遅くにおチビちゃんとお別れしました。
抱っこしてあげたかった。
いつか手を繋いで歩いていっぱいお話しして、時には泣かせてしまうこともあるかもしれないけど、
それよりもたくさん笑顔にして、色々な楽しいことやモノを見たり、聞いたり、触ったり体験させたかったなぁ。

本当に“こんにちは”から“さようなら”までがあっという間でした。

おチビちゃんから、妊娠から出産が簡単なものではないということ、命の尊さを痛いほど教わりました。

ありがとう。
2ヶ月ちょっとだったけど、オチビちゃんとお腹越しだけど、会えてよかったよ。
お母さん幸せだったよ。

でもさみしいなぁ。
また会いに来てくれるよね?
お母さん、お父さんとオチビちゃんのこと待っててもいいよね?





Name: hiss    ..bbtec.net
Date: 2013/10/03(木) 11:43
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Title: 2度目の流産。    
若い頃は、子供なんてすぐ出来るものだと思ってた。
でも、違った。

そろそろ妊娠したいな、と思ったのは30過ぎてからだった。
なかなか授からない現実に、打ちのめされていた矢先、自然妊娠が分かった。素直に家族で大喜びしていた。
しかし7週で稽留流産。
掻爬手術は、人生で一番辛い経験だった。

涙も枯れた頃、不妊治療を始め、2年間の治療の末、やっと妊娠することができた。
まだ4週。
小さな、小さな胎嚢が映ったエコー。
再び喜びに湧いたのも束の間、今まさにその命は私の体外へ流れ出ようとしている。
これは、神ですら止めることは出来ない、自然の摂理、自然淘汰。
たとえそうなったとしても私たちの運命。
悲しいけれど、受け止めるしかない。

でも、諦めない。
必ず、我が子をこの手に抱けると信じてる。

同じ経験を経た、または同じ経験の最中にある方に、読んでもらえますように…。





Name: りい    ..ocn.ne.jp
Date: 2013/10/01(火) 15:27
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Title: 2度目の初期流産    
去年3月に、第2子を初期流産しています。

また流産したらどうしようと、不安もありましたが、息子をお兄ちゃんにしてあげたいと思い、今年9月に、念願の第3子を授かりました。
もう、嬉しくて嬉しくて…。

6週で胎嚢は確認できていたけれど、心拍がまだ分からなくて、「次の診察で、心拍が分かると思うよ」という先生の言葉に希望を持って生活していました。

7週の初め、またしても嫌な予感。
茶色のおりものが出ていました。前回の流産が頭をよぎりました。

次の日、茶色から少し鮮血っぽくなり、トイレに行く度に出血の量や色に一喜一憂。
精神的に辛い日々が始まりました。

出血が始まって6日後、生理痛のような鈍い鈍痛が少しずつ始まりました。
この時点で、あぁ、今回もだめかもしれないと覚悟のような気持ちを持ちました。
だんだん鈍痛の感覚も短くなり、夜もほとんど眠れませんでした。

翌日の朝、何かがゆっくり出る感覚がありました。
・・・あぁ、赤ちゃんが出た・・・
トイレに流すことなく、幸い、赤ちゃんを受け止めることができました。

その日の午前中、病院で診察を受けると、胎盤の一部が残っていたために、除去術を受けました。

前回のカルテには【切迫流産】と書かれていました。
先生は、多分育たないだろうと、分かっていたそうです。

流産してから、あの陣痛のような痛みがぱったりと消え、
何もなくなってしまったんだ、と、空っぽのお腹をさすりながら、涙が止まりません。
まさか、2度もこんな辛い思いをするとは。
正直、何で私ばかりが、と思って、自分が嫌になります。

次の生理が来たら、私の子宮の検査をしてもらうつもりです。
また赤ちゃんを授かると信じて、少しずつですが、前向きに・・・と思っています。





Name: きはママ    ..pcsitebrowser.ne.jp
Date: 2013/09/27(金) 23:05
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Title: 2回目の子宮外妊娠    
去年の9月、第2子になる予定だった子を子宮外妊娠で亡くしました。
入院中は落ち込む日々が続きましたが、退院前に主治医の先生と次の妊娠のリスクなどを話し合い、再チャレンジへの意欲をもらい退院しました。

2回の生理を見送って、年が明けた1月末、妊娠反応がありました。
嬉しかった反面手放しで喜べず、6週目で病院へ行きました。
血液検査で妊娠数値は高いものの胎曩が確認出来ず、2日後に入院セット持参で来院するように言われました。

次の夜、突然の腹痛に襲われ緊急入院することになり、進行性流産と言われました。
身体は赤ちゃんを出したがっていて。
なんとなく子宮から流れ出てくる血を感じながら、ボーッとしていました。やっとまた来てくれたのに私の身体は産ませてくれないのかと、悲しかったです。

翌日、念のため掻把手術を受けました。(子宮内に妊娠組織があるかどうかで、流産か子宮外妊娠か診断するため)
診断の結果、子宮外の可能性があということで、MRIを受けました。
左の卵管に膨れ上がった箇所を発見され、開腹手術を受けて、卵管温存しました。

右の卵管はないので、左を残して自然妊娠の可能性を残したいという主人の強い希望により温存になりました。
子宮外妊娠をした卵管はまた繰り返すというリスクは承知の上です。
手術は成功しました。

半年で2回も手術することになるなんて思ってもいなかったし、今度こそ大丈夫だと思っていたのに、ダメだった事はすごくショックでした。
周りが2人目をうんでいくなか、自分だけが妊娠できず辛いです。
あれから半年経ちますが毎月生理が来る度ひどく落ち込んでいます。

皆さんの投稿を見ていたら、気持ちに整理をつけたいと思い、二回目の投稿をさせて頂きました。

また赤ちゃんを抱っこ出来る日がやってきますように・・・。





Name: coro    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/09/20(金) 11:28
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Title: 3度の流産 14週での死産    
初めての妊娠に喜んでいたのも束の間、8週の大きさで心拍が止まっていると診断されました。
初めは、なんで私がこんな目に…と悲しむばかりでしたが、そんななか再び妊娠し、経過も全てが順調で、元気な男の子を出産しました。

そして1人目の出産から1年半年後、またその半年後、2度の流産。
2回とも胎嚢はあるけど赤ちゃんの姿がいつまでも確認出来ず、枯死卵と診断されました。

検査をした方がいいのか色々迷いましたが、一人は無事に出産しているんだし、あと一回あってからでも遅くはなぃのでは?と先生に言われました。

自分でも、もうこれほど悲しい想いをしてきたんだから、次は大丈夫だろうと考え、
不安を抱えながらも5度目の妊娠に至りました。

妊娠しているかもと思いながら、また同じ想いをする不安から、なかなか病院に行く勇気が出ませんでした。
8週になって、ようやく病院に行き、胎児もしっかり確認されました。
あのときは、どれほど安心したことか。
今回は大丈夫だろうと、毎回の検診が楽しみでした。
しかし14週の検診のとき「赤ちゃんの心臓が動いていない」と告げられ、生きている心地がなくなりました。
頭の中が真っ白で、何も考えられなくなりました。
12週の大きさで止まっていると言われました。
そろそろ胎動があってもおかしくない時期なのに、どれだけ経っても感じないはずだなあと思いました。

その1週間後に入院して、翌日、小さな小さな男の子を出産しました。
なんとなく上の子に似ていて、お兄ちゃんと一緒に遊びたかっただろうなぁ、元気に生んであげれなくてごめんね、と、何度も何度も謝りました。

また帰ってきてくれるかなぁ。
お母さんは少し心身共に疲れたから、しばらく休憩するけど、またあなたに会える日を楽しみに待ってるからね。
今度は元気に生んであげられるように頑張るからね。
それまでお空から見守っててね。



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