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   19週 人工死産   
   9週 稽留流産   
   死産と流産   
   41週 原因不明 死 ....   
   10週 稽留流産   
   25週 死産   
   12週 死産   
   7週 流産   
   11週 稽留流産   
   14週 誕生死 無頭 ....   

Name: ゆりりんこ    ..spmode.ne.jp
Date: 2014/01/30(木) 17:34
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Title: 19週 人工死産    
先日、息子を人工死産で亡くしました。

順調に来るはずの生理が来ず、まさかと思い、検査薬にて妊娠が分かりました。
何度もタイミングを図り、検査薬も何本も使用して、諦めていたところでの待望の妊娠でした。

妊娠中はつわりがひどく、5ヶ月へ入っても治まらず、体的には辛い日々を過ごしていましたが、あと半年もしないうちに子どもに会えるのかと、毎日楽しみで仕方ありませんでした。

そんな中、かかりつけのクリニックの5ヶ月検診で、医師より「少し分かりづらい所があるから、大きな病院へ紹介します。まだ、確定ではありませんが、非常にシビアです」と言われました。

自分も医療に携わる仕事をしているので、エコーを見た時点で妊娠継続は厳しいんだということを考えました。
平静を保っていましたが、自宅に帰り、夫に検診内容を伝えているときに、涙が止まりませんでした。


総合病院の受診までは少し時間があったので、覚悟を決め、子どもとのお別れの準備を始めました。決して無理をしていた訳ではありませんが、強くいなければならないと、気丈に振る舞っていました。

総合病院を受診して胎児の異常を指摘された翌日、入院となりました。
入院初日に子宮口を広げる処置が始まりました。
次の日も処置を二度行い、ラミナリア桿は計15本入りました。
処置中や処置後は痛みがありましたが、何とか乗り越えることが出来ました。
その間も、お棺に入れるものの準備を旦那さんと一緒に行いました。


入院三日目、陣痛促進の処置が始まりました。
ラミナリア桿を一気に抜き、経膣陣痛促進剤を入れます。
二度目の膣剤を入れたところで、人工破膜が行われました。
その後から急激に陣痛間隔が短くなるとともに、痛みも我慢できなくなるほどになっていきました。

そして、そのまま小さな男の子を出産しました。
産声は聞こえてきません。
なぜか涙が込み上げてきて、掛けてあったタオルケットを噛みしめ、そのタオルケットで顔を隠し、泣きじゃくりました。
その後も胎盤剥離等に時間がかかりましたが、無事に分娩は終了しました。

分娩後、夫とともに息子と対面し、医師の説明を受けました。
一般の赤ちゃんとは姿形が多少は違いますが、旦那さんにそっくりな顔立ちや手足の指が可愛らしく、とても愛しい気持ちになりました。

その後、母子同室を希望し、退院まで何度も息子と会わせていただきました。顔を見るたびに、病室で一人で声が漏れないように、泣きました。
自分が息子の死を受け入れられていないんだと初めて自覚しました。
そんな中で、スタッフのかたには、手形足形を取っていただいたり、臍の緒をケースにいれていただいたり、母乳を搾っていただいたりと、想い出を作っていただいて感謝しています。

無事に退院した、次の日の夜、夫の前で初めて声を出して泣きました。
今までの思いを全てぶつけるかのように、
「どうして亡くなっちゃったの?お腹を痛めて産んでも、あの子からの泣き声が聞こえないんだよ。笑った顔が見たいよ!声が聞きたいよ!抱きしめてあげたい。あの子を返して。どうして?苦しいよ、助けて。」と叫ぶように、夫の胸で泣きました。
夫は何も言わず、そっと抱きしめてくれました。

火葬を終え、今は少し落ち着いてきましたが、まだ息子の死を受け入れられていません。
ですが、少しずつ前向きに毎日を過ごそうと思います。





Name: まりん    ..so-net.ne.jp
Date: 2014/01/07(火) 13:53
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Title: 9週 稽留流産    
結婚してからなかなか妊娠せず、子供は諦めていました。
不妊治療をしたくても、仕事があって難しいし、犬を飼ってそれなりに楽しく生活していましたが、結婚7年目、35歳で妊娠しました。
2009年8月のことでした。

生理がこなくて、検査薬で陽性。
9月には心拍も確認できて、母子手帳をもらいました。
ただ医師からは「まだ流産する可能性がある」と言われており、なんて失礼な医者なんだろう、流産なんてするわけないと思っていました。

10月に入り、ウキウキしながら検診に行くと胎児の心臓は動いていませんでした。
その時のショックは思い出したくありません。

それから子宮内容除去手術を受けて、でもずっとショックからは立ち直れなくて。

その後いろいろ気を使っても妊娠しないし、もう無理なんだと諦めていた2013年春、妊娠しました。
妊娠中はずっと不安で、胎動がわかるまでは心音が聞けるドップラーで毎日確認していました。
検診も毎回祈るような気持ちでした。
ここまでとても長かったです。

赤ちゃんを授かるのは奇跡ですね。
一人でも多くの方達が赤ちゃんを授かることができますように。





Name: toumama    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/12/23(月) 00:07
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Title: 死産と流産    
今年の夏、21週6日で次男を死産しました。
切迫流産で、自宅安静中でした。
8月12日、急に陣痛がきて、病院へ行く途中に前期破水。
頭の中には絶望しかなく、泣きじゃくりながら病院へ到着しました。
エコーの中で、赤ちゃんはゆっくりと心臓を動かしていました。

助かると信じるしかなかった私に、医師は「もう助からない」と言いました。たくさん説明をしてくれました。
だけど助からない。
もう苦しくて、嫌で、辛くて、それなのに、陣痛はくる。

400gの男の子を死産しました。
可愛くて小さくて、本当だったら元気に生まれてくるはずだった子。

それからは悲しみの中、母親として強く生きることを決心したはずなのに、夜に一人になるとあのこの前でなく日々。
会いたい、寂しいよ。戻ってきてよと何度も話しかけました。

それが伝わったのか、死産から4ヶ月後、妊娠をしました。
嬉しくて、嬉しくて、初めて心臓の音を聞いたとき涙が溢れました。
元気に動く姿をみて必ず守ると決意しました。すごく幸せだった。

それなのに、悪夢はまたきました。腹痛に大出血。
すぐに病院へ行き、泣きじゃくりながら先生にエコーをしてもらいました。
赤ちゃんはなんと奇跡的にいきていて、絶対安静のため入院。
赤ちゃんが生きてくれていることが何より嬉しかった。
赤ちゃんを信じようとするしかなかった。
だけど、うまくはいかなくて腹痛はつよくなり、出血も増える一方。

私は子宮奇形なので、妊娠してない子宮からの出血だったのですが、痛みは赤ちゃんのいる方のお腹のあたりまで来ていました。
お腹がポコポコってなった気がして、不安を抱きながらトイレにたち、助産師を呼びました。
すぐにエコーでの診察を受けました。
言い知れぬ不安と、信じたくない現実の中で、エコーの中には赤ちゃんは映りませんでした。
もう私のお腹には赤ちゃんがいません。

私はただ、守りたかった。
みんなのように元気に産んで抱っこしたかった。
大きくなったおなかをさすって、幸せな時間を過ごしたかった。
家族四人になって、たくさん笑いたかった。
それだけなのに、どうして2人ともお空に帰るの。
ママはお別れしようと頑張りたいけど、もう頑張れないよ。
会いたいよ、寂しいよ。
なんでどうして私は子供をちゃんと守れないんだろう。
毎日、毎日、悔しくて辛くてそんな自分が嫌で、涙が止まらない。どうしたらいいのかわかりません。





Name: ゆいたん    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/12/14(土) 16:27
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Title: 41週 原因不明 死産    
2013年のお正月が明けて、妊娠していることが分かりました。
以前、妊娠初期の心拍確認できないまま、2回の流産を経験していることもあり、検診の度に「ちゃんと心拍があるかな?元気にしてるかな…」
順調に妊娠経過を過ごされてる妊婦さんを横目に、毎回の検診を泣きそうな心情で通院していました。

でもそんな心配をよそに、この子は無事に心拍確認も取れ、毎回の検診でも「今回も順調だよ」と、お墨付きをいただき、
里帰り出産のため32週で転院しました。

毎日、順調に育っているわが子に語りかけ、何度となくお腹をなで、健康にも出来るだけ気遣って散歩したり、食事にも気をつかってました。

9月15日の予定日がきても生まれる素振りがないので「連休明けに管理入院をしつつ、誘発分娩にしましょう」と、病院と相談した結果、そう決まりました。

入院当日、バルーン処置を受けると少しずつ陣痛も自然におき始め、2日目、バルーンを大きいものに入れ替える処置を受けました。
すると、さらに陣痛の時間も、間隔も強まってきました。

3日目になり、同じ処置をして出産してた友達とメールしながら「ちょっと時間掛かりすぎてない?でも、今日には赤ちゃんとやっと会えるね」と言われました。
朝から2回も破水してるし、私の陣痛も3〜5分間隔になってるし、普通に生まれると、そのときの私は信じきってました。

正午からのドップラーでの赤ちゃんの心拍確認、異常なし。
胎動が落ち着いてきてる気がした。
出産が近づいてきているせいかな・・・。

14時ごろ、再びドップラーでの心拍確認。
お腹のどこに当てても確認できませんでした。
『子宮内胎児死亡』
考えもしてない結末でした。

そこからは、精神的におかしくなったためか、陣痛の間隔が安定せず、陣痛促進剤を打ったり、血液検査をしたり。
結局は、総合病院に搬送され、亡くなったのを確認してから5時間後に死産しました。
生まれた赤ちゃんはとてもかわいい女の子。
3,155gで、外傷もなく、CTでの検査も異常なし。

さい帯、胎盤の病理検査。母体の血液検査。
胎盤に『絨毛膜羊膜炎ステージ3』の結果以外なんの異常もなく、
これだけの結果では死産した結論には至らないということで
「原因不明」ということになりました。

毎日のように泣きはらし、急変に気付けなかった自分を責め、
起きてる間は原因の究明をすることで気を紛らわす日々を送っていました。
あれから約3ヶ月、徐々に、ようやく普通の生活が出来るようになってきました。

周りから見たら「元気でよかった」と、思われていると思います。
私もそう見られるように努力をしてるつもりです。
でも、何にも考えなくていい夜、眠りにつく前、フラッシュバックして眠れなくなることもまだまだあります。

こんな体験、どの妊婦さんにも経験してほしくない。
なにかおかしいこと、心配なことがあればすぐに病院に問い合わせてほしい。
そして、死産を経験した方々とこの気持ちを分かち合いたい。

きっとお空で私たちのことを見守ってくれている。
この子の生きた証を残したくて、この体験談を書かせていただきました。





Name: ままままい    ..katch.ne.jp
Date: 2013/12/04(水) 15:11
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Title: 10週 稽留流産    
約5年前、ストレスやらなんやらで生理が止まってしまい、産婦人科にかかっていました。
1年薬を飲んで、なんとか自力で生理も来るようになりましたが、その際、産婦人科の医師に「もしかしたら子供が出来ないかも」と言われました。

2年前に結婚しました。
なかなか妊娠出来ず、上記の事もあったので、正直、子供は諦めていました。
諦めてたところに妊娠が判明し、一人、泣いてしまいました。

それからは病院に通うのが楽しみで。
7週目で心拍も確認でき、母子手帳ももらってきました。
母子手帳をもらってきてからの初めての検診。
前回の検診で小さい体ながらにしっかり心臓が動いていて、
それ見て感動して泣きそうになったので、旦那にも見てもらいたくて同行してもらいました。

前回よりも大きくなっていたので「大きくなってる〜」なんて話していたら、先生達は何か静か。
そして先生から「ここが心臓のある場所なんだけどね、止まっちゃってる」って。
その時その言葉が理解出来ず「あぁそうなんですか。」と。

診察室に戻って手術の話をうけましたが、一切頭に入らない。
診察室を出る間際にやっと理解し、涙が止まりませんでした。
検診の前日まで下っ腹に手を当てて「大きくなれ、大きくなれ!」って話しかけてたのに、その時には赤ちゃんはもう・・・。
悲しくて、涙は枯れませんでした。

心の準備も出来ないまま、看護婦さんから次の日の手術を勧められました。
手術当日、子宮拡張する前に赤ちゃんの心臓を見ましたが、やっぱり止まっていました。
そして子宮拡張処置が始まりました。
あまりの痛さで涙が止まりませんでした。
その日は血圧が低かったのもあると思いますが、処置が終わった後気を失って倒れてしまい、すぐベッドに運ばれました。

とても気持ち悪くて、吐き気やら子宮が変な感じやらでぐったりしながら手術まで3時間半程一人で待っていました。
待っている間、楽しそうな声や赤ちゃんの泣き声が本当に辛かった。

そして呼ばれて手術室へ。
これで私の赤ちゃんが本当にいなくなっちゃうんだと思うと、涙が止まらなかった。あっという間に手術は終わっていた。
心も体も空っぽだった。

周りは「妊娠出来たんだから、またすぐ妊娠出来るよ」とか言います。
そんな言葉はいらない。
私はあの子に、無事に生まれてきて欲しかった。
また妊娠出来るか自信はないけど、あの子がまた私達のもとに戻って来てくれることを願っています。





Name: かりたん    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/12/03(火) 08:43
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Title: 25週 死産    
今年の8月20日、初めての子供を死産しました。
仕事もしておらず、家でのんびり過ごしていました。
胎動が感じなくなった日がありました。
でも、友達に聞いたら気にしない方がいいと言われたこともあり、
7ヶ月検診まで気にしませんでした。

ちょうどお盆だったので、旦那と一緒に病院に行きました。
夫婦で病院に来ている人が、いつもより多い気がしました。

診察で、心臓が動いていないことがわかりました。
旦那は、何度も先生に確認してました。
私は、やっぱりかぁ。と感じてました。

すぐ涙は出なくて、先生から「大丈夫?」と言われた瞬間、涙が溢れ出しました。
涙がとまらなくて、外に出たら患者さんがいっぱいいるし、出たくありませんでした。
これからの処置方法を、説明してもらいました。
また、そこでも泣いて。
目と鼻は真っ赤になり、旦那に手を引っ張られて病院から車まで歩きました。

5日後くらいに出産することになりました。
帰ってから2日間は泣くばかりで、本当に辛かったです。
旦那の両親といたので、実際は実家に帰りたかった。
ひとりになりたかった。
気を遣いながら、辛かったなぁ。
旦那の両親は嬉しそうに子供まってたから。残念でした。

自分は悪くないかもしれないけど、自分が悪いと思って仕方なかったです。
その間、死産経験者のサイトをみたり、赤ちゃんに着せる洋服がないか探したりしてました。
そして、お腹に話かけながらママ、がんばるから、赤ちゃんもがんばって出ておいでね!と言いながらすごしました。

そして、8月20日の昼産まれました。
自然分娩で、陣痛促進剤をしてから3時間ぐらいで産まれました。
産声もなくシーンとしていました。
助産師さんが優しく、肩を撫でてくれました。
「へその緒が細いところがあったので、原因はそこかもしれませんね」と、先生が言ってくれました。

赤ちゃんは可愛い顔してました。
性別もその時わかり、女の子でした。
身長は30cmで体重は減って250gでした。
旦那は胃腸炎になってしまい、すぐには会えなくて、退院するときに対面しました。

箱を用意して、洋服を着させて、いっぱい折り紙をおりました。
友達のメッセージを裏に書き、鶴を作ったりして、箱にいれました。
お菓子、ミルク、少しのおこづかい。
そして二人の匂いがついているハンドタオルを布団みたいにかぶせました。
そして3日後火葬しました。
火葬屋さんが持っていってその日の夕方、病院に迎えにいきました。

「これから3人で一緒だね」と言いながら家に帰りました。
友達からは、子供にプレゼント送ってくれたり、嬉しかったです。
今では夫婦で生活するようになって、絵や服を飾っています。

本当は、出産予定日が11月30日でした。
この機会に書こうと思いました。
このサイトを見て、私だけ辛いだけじゃないんだと思いました。
流産、死産、切迫流産などなど今はものすごく心がいっぱいで
辛いかと思います。いっぱい泣いてください。
いっぱい笑ってください。
私たちの子供は何か伝えたかったのではないでしょうか?
夫婦なかよくしてね。
自分はひとりじゃないよ。
僕、私がそばにいるよ。
なにか伝えているはずです。

私は、みんながしないような体験ができて流産、死産したひとの
気持ちがわかるようになりました。
生命の誕生は奇跡なんだと。

これから先、また赤ちゃんを授かることできたら不安はあります。ですが、そのあとの幸せが、絶対くるはずと思っています。
今は、笑顔で話せるようになりました。
決してふっきれることはないでしょう。
立ち直る時間はひとそれぞれ違いますけど、できるだけ前向き
に歩いていきたいです。
きっとそばで、ママ、パパのこと見守ってくれています。
きついですけど、無理なくがんばっていきます。





Name: みぃたん    ..mesh.ad.jp
Date: 2013/11/27(水) 00:09
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Title: 12週 死産    
今回3人目の子供でした。上の子2人は自然と授かった子供でした。
そして、トラブルなく妊娠出産していたので、こんなことになることなんて不安も想像もしていませんでした。

息子が6歳、娘が4歳と大きくなって、私の仕事も落ち着いてきていたので妊娠を考えるようになり、やっと授かった命でした。

妊娠判明当初から茶色いおりもののような出血が週に1回以上ありましたが、子供の心拍は確認できていたので、心配になりながらもなんとか妊娠継続できていました。

妊娠9週の時に虫垂炎になって、1週間抗生剤の点滴を受けるため入院しました。そのときも赤ちゃんは元気にでした。

12週の検診でエコーを見た瞬間、自分でも心臓が動いていないことが分かりました。
ショックで泣くことしかできませんでした。こんな悲しい思いをするなんて…。

次の週、入院しました。
身長7cm、体重10gと、とても小さな赤ちゃんを出産しました。性別は分かりませんでした。
でも、赤ちゃんは少し微笑んだような表情で、どこも欠損することなくきれいな形で会いに来てくれました。

夫は、入院後常に付き添い、子宮口を広げるときの痛みのとき陣痛のとき、背中を擦ってくれ立ち合い出産してくれました。
悲しみや悔やみもありますが、元気にではなかったけど、会いに来てくれたことはうれしく思います。
赤ちゃんありがとう。
また、ママのお腹に戻ってきてね。

次の妊娠はまだ考えられないけど、今度は自然の流れに身を任せ子供を待ちたいと思います。

この子のことは一生忘れることはないと思います。
また、時に涙することもあると思います。
でも、それでも前をしっかり向いて未来を見て暮らしていきたいと思います。





Name: なぁや    ..docomo.ne.jp
Date: 2013/11/19(火) 23:24
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Title: 7週 流産    
先日、流産を経験しました。
待望の第二子を授かったところでした。

子宮頸管ポリープからの出血がずっと続きました。
その中でも小さいながらも5週、6週、と何とか胎のうが見えました。
しかし、成長スピードが遅く、「来週、心音が聞こえなければ、覚悟してください」と言われました。
長い一週間が始まるなあ、と思いましたが、胸のハリやつわり、熱っぽさが徐々に失われていくことを感じていました。

検診の3日後に心音が確認されないまま、いつものポリープからの出血とは違った出血と腹痛の中、産院に着いた途端、生理痛のような痛みとともに大きな塊が、驚くほどあっという間に、そしてスムーズにトイレの中へと流れてしまいました。
その後の内診では、ポリープも無くなり、子宮の中は血だまりがあるものの、綺麗な状態であると言われました。
7週での流産でした。
軽い腹痛はありましたが、母体をほとんど苦しめることなく、出てきてくれたなんて、親孝行な子だなぁ、と感じています。
今、子宮収縮剤を服用しています。それによる痛みが、とても辛いです。
何かをして気が紛れていても、その痛みで、お腹の中が空っぽであると、イヤでも実感させられます。

この手で抱き締めることは出来ませんでしたが、お腹の中にいてくれた間、とても幸せでした。
主人と長女と私とお腹の子との四人家族の姿をよく想像しました。
短い間でしたが、楽しい時間を過ごしてくれたかな?と、その事ばかりが気になります。
今はまだ体も心も辛いけれど、また来てくれるその日を信じて、少しずつコンディションを整えていきたいと思います。

うちに来てくれて、ありがとう。





Name: kuki    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/11/19(火) 13:23
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Title: 11週 稽留流産    
成長が止まっていることに全然気づけなくてごめんね。
もっと早くに気づけていたら、あなたはまだお腹に居てくれたかな。

病院で先生から「今回はダメかも」と聞いた時、涙が止まらなかった。
お姉ちゃんも、あなたに会えるのをすごく楽しみにしてくれていたよ。
毎日お腹に話しかけてくれて、私お姉ちゃんだからって口癖みたいに言って。

またいつか、会える日を信じています。





Name: もにょこ    ..dy.bbexcite.jp
Date: 2013/11/16(土) 22:16
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Title: 14週 誕生死 無頭蓋症    
8月9日に14週の長男をお空に返しました。37歳です。
出産してから3か月経ちますが、このサイトに寄せられている皆さんのコメントに本当に助けられたので、私も投稿させて頂きました・・・。

30歳を過ぎても、結婚願望も出産願望も特に強まらず、ずっと独身で妊娠の機会もなさそうだなぁと思っていたのですが、縁あって36歳で結婚し、すぐ自然に妊娠しました。
つわりもほとんどなくわりと体調もよかったです。

独身の頃は自分の健康を過信して、将来の妊娠に備えて努力も注意もしてこなかったので、高齢出産はもちろん、その後の体力や経済力にもあまり自信がなく過ごしていました。

経過は順調に思えていたのですが、通っていた個人産婦人科の検診で「赤ちゃんの頭部に気になるところがある」(おそらく先生はこの時点でわかっていたと思います)と優しく言われ、その後大学病院を紹介してもらい、複数の先生が確認してくださいましたが、皆さん答えは同じで「お腹の中では生きられても、外に出たら生きられない。残念ですが妊娠の継続はお勧めできない」でした。

私も主人も体育会系で、丈夫で健康に育ってきました。
どちらに似ても丈夫な子に違いないと思っていたし、健康な体を授けてやれなかったことが本当に悲しかったです。
その後毎日泣きながら、流産・死産を経験された方々の経験談を読ませていただきました。

実は、こんなにつらい思いをしている女性がたくさんいたなんて、この経験をしなければ知り得ませんでした。

入院初日に見たときは、まるで「大丈夫」と主張するように元気にくるくる動いていたのが最後の姿です。
初日から「どんな風にお見送りしたいか」「どんな記念を残したいか」などを考えるよう促されたのがつらかったですが、一緒に泣いてくださる看護師さんもいたし、妊婦さんとは病室を離して個室をご用意頂いたり、何かと配慮してくださいました。

「ラミナリア」がとても怖かったのですが、私は何とか耐えられる痛みでした。
入院して3日後、陣痛促進剤を入れて1時間か2時間後には出産を迎えました。
まだまだ小さいからカラダがつぶれてしまわないか心配でしたが、卵膜に包まれたままキレイに産まれました。

宿ってからずっと私に体調を崩させることもせず、短時間で産まれてくれました。私と全然違って親孝行な子でした。

退院の日に対面しましたが、15cmで50gで、ダンナ似の手足の長いスラっとした男の子でした。
本当におでこのあたりまでしか頭蓋骨がなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

名前は優しくて男らしい子という意味を込めてダンナと完全に意見が一致して付けました。
せめてママから何か一つ手作りの物をあげたいと思い、私が着ていた服をリメイクして息子のサイズに直した服を着せ、おもちゃやお菓子、お手紙とぬいぐるみを添えて天国に送りました。

有難いことに骨が少しだけ残り、毎日お水や赤ちゃん用のお菓子をお供えして話しかけています。
ダンナの両親がとても優しくしてくれて、来週、菩提寺に供養して頂く段取りをとってくれました。
ご先祖様と同じお墓に入れて頂くことになりました。
お墓にはお地蔵さんもいるし、皆に囲まれて眠ったほうが淋しくないと思っています。

本当に親孝行な子で、出血がちょっと多めだった以外は心身共に回復も順調でした。

出産から2か月経ってすぐ仕事を始めました。
職場にはママさんたちが多く、皆さん無意識にお子さんの話をされるので、正直つらいときもあり、お昼などは少し距離をとってしまいます。

恨めしい気持ちはなく、無事に産まれた子はみんな、元気に育ってほしいと思えます。ただ、延々と耳に入るのはつらいのです。
先日、いとこに4人目が産まれましたが「おめでとう」と思うことも出来ました。息子がそうさせてくれているのだと思っています。

実はまだ次の妊娠には積極的になれていません。

まだ喋れない息子に、たくさんのことを教わりました。
もちろんつらさでいっぱいですが、どこかに温かいじんわりした、なんとなくそばにいる気もします。

そしてときどき夢に出てくれます。



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