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   21週 子宮頚管無力 ....   
   25週 臍帯過捻転 死 ....   
   21週 前期破水 死 ....   
   18週6日 胎児奇形   
   7週 流産   
   11週 稽留流産   
   13週目 流産   
   6週 流産   
   5度目の流産   
   16週 感染による流 ....   

Name: 双子ママ    ..megaegg.ne.jp
Date: 2012/07/05(木) 17:59
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Title: 21週 子宮頚管無力症    
先週の水曜日、2週間ぶりの検診でした。
その前から子宮頚管が短いとは言われていて、処方されたウテメリンを1日3錠飲んでいました。

その日の検診は朝からで、その後、友達と優雅にランチする予定でした。
お腹のエコーでは2人ともとても元気で、待望の女の子でした。

内診で、子宮頚管が広がっていることが分かり、先生から「これはまずいね。すぐ入院ね」と言われ、紹介状を書いてもらい、転院となりました。

入院したその日にすぐシロッカー手術を受け、24時間の張り止めの点滴で、トイレも行けない、食事も寝たままの絶対安静になりました。
それでも赤ちゃんはこのままいれば、37週ころ生まれるものだと思っていたので、がんばる気は満々でした。

翌朝の診察で、糸の間から胎胞が出てきていると言われ、先生の説明の中では「中絶」という言葉も出てきました。
その時、初めて大変な事態になっているのかと思いました。
でも、あきらめるなんてできるわけなく、その日の夕方もまた同じ手術をしましたが、翌朝の結果は同じでした。

結局、抜糸して、抑えていたところから胎胞がかなり出てきてしまい、そのまま破水しました。
翌日の夜から陣痛が来て自然分娩に至りました。

夜中じゅう、旦那に支えられながら陣痛に耐え、まだ胎動も感じるし、部屋の外からは赤ちゃんの泣き声が聞こえるし、辛過ぎて、自分の精神状態がどうなっているのかよく分からないくらいでした。

生まれてきた赤ちゃんは二人とも400gと少しでしたが、しっかりした赤ちゃんで二人そっくりで、ほっぺたも足の裏もプニプニしていてものすごくかわいかった。
旦那と二人の赤ちゃんを交代で抱っこして、旦那もその時泣いていました。
それが余計に申し訳なくて、涙が止まりませんでした。

赤ちゃんは何も悪くないのに、私が軽率だったからこんなことになったんだと、そうとしか思うことができません。
人が同じ立場なら、誰も悪くないよ・・・ていうのに、自分の身に起きると、自分を責めずにはいられないです。
とにかくかわいい娘を生きて抱っこさせてあげたかったし、何よりもこの子達にいろんなことをしてあげたかった。

今は火葬も終わり、家で供養していこうとお骨も置いてあります。看護婦さんたちが作ってくれた、手形と足型と写真を飾っています。後悔してもしきれないですね。妊娠中のあの頃に戻れたら・・とか、仕事なんかすぐやめてても良かったとか・・もっともっと大げさなくらいずっと横になっとけば・・・と。また会いたいけど、次に生まれてくるかもしれない子は、この子達とは違うと私は思います。今は、一生ずっと忘れずに生きていこうと思います。





Name: まま    ..bbtec.net
Date: 2012/07/04(水) 17:05
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Title: 25週 臍帯過捻転 死産    
1週間前に、赤ちゃんの心臓が止まったので、陣痛を起こして死産をしました。

月曜日に妊婦検診に行ったときには、元気に心拍も確認できて、動き回るので、性別もおそらく女の子だと思いますが・・・といわれていました。

主人にも「女の子らしいけど、元気すぎて分からないんだって。おてんばな子になるのかなあ?」なんて言ってました。
木曜日の寝るときに、いつも感じる胎動がないような・・・でも夜中の2時頃に胎動で目が覚めることもあるし、大丈夫と自分に言い聞かせて、なんとなく眠れない夜を過ごしました。

心配になった私は、翌朝、お医者さんからの「大丈夫ですよ」の言葉を聞くために病院に行きました。
そこでお医者さんに「心臓が動いていない」と言われ、頭が真っ白になり、泣くこともできませんでした。
母親と主人に連絡をし、その週末は入院の準備をして、翌週の月曜に出産をしました。あまり記憶がないのです。

おなかの中の赤ちゃんは12週のときに細菌の感染で出血、破水してお医者さんに、8〜9割あきらめてくださいと言われていた子でした。
それから2カ月、安静のために入院しれ、それでも、いつどうなるか・・・1日でも長くおなかにいて・・・と祈りながら守った子だったんです。
祈りが通じたのか、おなかの赤ちゃんは順調に成長してくれ、自宅安静にまで回復して・・・結局7カ月、25週を迎えて亡くなりました。

早産の覚悟は常に心のどこかにありましたが、まさかおなかの中で赤ちゃんが突然亡くなるなんて思いもしませんでした。
主人も周りの家族も同じ気持ちだったようです。
出産してみて臍帯過捻転とわかり・・・私が安静にしていたばっかりに赤ちゃんが動きやすかったのでしょうか。
たくさん動いて元気だねっていうのは、苦しくてもがいてたのかも・・・そんなことばかり考えて毎日泣きながら過ごしています。

家族や主人は私が一番つらいだろうからと言って、私の前では誰も泣きません。
毎日泣いてばかりの自分に絶望しこれからの人生どう生きていけばいいんだろう、なんで私が生き残ったんだろう・・・そんなことばかり考える毎日です。

友達に、10ヶ月で赤ちゃんを死産した子がいたことを思い出しました。
その子には死産をしたとメールで伝えました。
すぐ電話をくれて、つらかったねと話を聞いてくれました。
そして、その気持ちは次の子が生まれても消えることはないし、向き合って受け止めて大事にしていくしかないと言われました。
そして、友達が同じ経験をするなんて本当につらいけど、私もこんな話をできる相手がいなくてずっとつらかったって言われました。

同じ経験をした友達と話して、少しだけ前を向けた気がします。
私たちはつらい経験をしたけど、おなかに赤ちゃんがいた7ヶ月間は幸せを感じることいっぱいあったし、自分が不幸だとは思わない。
気持ちがもう少し落ち着いたらお空にいった赤ちゃんに幸せだったよ、また会えるといいなって伝えたいと思います。





Name: 永遠ママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/07/03(火) 10:21
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Title: 21週 前期破水 死産    
朝、突然お腹が痛み出し、破水しました。
その後、羊水があふれでてくるような感じがして、すぐに病院へ行きました。
羊水がほとんどなくなっていて、このままでは、赤ちゃんが死んでしまうとのことでした。
陣痛のようなものが始まってしまったらしいです。
今でも、その時のことを思い出すと、震えが止まりません。

21週というのは、人工が死産できる最終週ということで、22週まで待って、
このまま生まれても、死産になったり、重い障害を抱えて生きていくことになると、決断を迫られ、21週で生むことを選びました。

死産でした。

目を開くこともなく、産声をあげることもなく、永遠(とわ)は、生まれてきました。

死産だと分かっていても、生まれてきてくれたわが子を見たら、今までにない幸せな気持ちになりました。

看護師さんが「こうやって生まれてくる子を何人も見てるけど、
みんな苦しそうな顔をしていないんだよ」と、おっしゃってくださいました。
永遠は、とてもとても穏やかに眠っているようでした。どんなに長い時間見ていても、飽きない時間でした。

退院した日、一日だけ永遠を家に連れて帰り、夫と二人で、永遠の誕生日ケーキを買ってお祝いしました。涙が止まりませんでした。

ずっと欲しかった子ども、病院に通いながら、体質改善してました。
やっと授かったのに、私はその幸せを十分に噛み締めていなかった。
あの時、もっと仕事をせずにいられれば、もっと早く病院に行っていたら、早く異変に気づけていたら・・・、後悔ばかりです。
本当の出産予定日だった日に向けて、生きていかなければいけない苦しさ。

少し時間がたった今、悲しみのどん底にいたり、前向きになったり、感情の起伏が激しい日々です。
笑えることはいいことなのに、なぜか明るく生きることに罪悪感を感じてしまう自分もいます。
急に夫や、同僚、家族に怒りを感じることもあり、どうしていいのか分かりません。
仕事は休ませてもらっていますが、仕事先に迷惑をかけて、休んでしまっていることも不安で仕方ありません。

いつかこんな日々を乗り越え、永遠にもう一度会える日まで、頑張ろうと思っています。





Name: TORTCO    ..bbtec.net
Date: 2012/06/20(水) 13:17
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Title: 18週6日 胎児奇形    
初めての妊娠。
周りに出産・妊娠ラッシュが訪れているときで、当然、私もその波に乗るものだと思っていた。

つわりは辛かったものの、何とか食べられるようになった頃には 妊娠18週になっていた。

18週1日の妊婦検診。
この日は3D超音波検査があり、やっと性別が分かるとあって、旦那さんを初めて検診に連れて行った。

四つ葉(赤ちゃんの胎児名。男の子だった。)は、狭いお腹の中で元気に動き回っており、私たち夫婦はこの先訪れる幸せな未来しか考えていなかった。
奇しくも、この日の夜、初めての胎動を感じることになる。

2日後、主治医に、超音波でお腹を見るからと、仕事中に呼び出された。
私は、出産する病院の産婦人科病棟の看護師なのだ。
当然、周りのスタッフは私の妊娠、これまでの経過を知っているし、同じく、ほかに4人の妊婦がいる。

エコーの手を止め、突然の告知。
「重度の胎児奇形」
何言ってるの先生、冗談はやめてよね。と、四つ葉も動く。

嘘だ。
師長さん、何であなたまでいるのかと思ったけど、こういうこと!?

震える声で夫、母親を呼び、主治医より説明を受ける。
何とかならないかと医大へ行き、セカンドオピニオンするも、結果はさらに残酷なものだった。

夫婦でよく話し合い、泣きじゃくり、人工死産を決意した。
職業柄、人工死産は悲しいことだが、珍しくないことは知っている。
どんな処置をするのかも、手にとるように分かる。
まさか、自分が・・・。

ラミナリアという海草や、メトロという用具で、
無理矢理硬い子宮口を広げ、陣痛を起こすための膣坐剤を、
何回も子宮の奥深くにねじ込まれる。

その間も、元気に動く四葉。

涙が止まらなかった。途中で何度も止めてと叫びたかった。
止めてどうする?止めたらどうなる?分からない・・・。
されるがまま。時は待ってくれない。

処置を始めて3日目に入った夜中、平成24年5月31日 午前2時2分 18週6日 236g 24cm 四つ葉は産まれた。

産声を上げずに。
ピクリとも動かなかった。





Name: ママちゃん    ..au-net.ne.jp
Date: 2012/06/20(水) 09:53
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Title: 7週 流産    
付き合って3年、2人の間に赤ちゃんはきてくれました。
検査薬で妊娠が判明した時はどうしようと戸惑う一方で
あたしにも妊娠できたんだと嬉しく思いました。

婦人科でみてもらうと5ミリの胎嚢が見えました。
「妊娠週数からすると、もっと成長していてもおかしくはない」と、先生に言われて、少し不安がありました。

1週間後に行くと、胎嚢が3ミリぐらい大きくなっていて、でも先生には「やはり成長が遅れている」と言われました。
泣きじゃくりながら帰りました。

更に1週間後に行くと、今度は胎嚢の中に胎芽が見え、心拍が確認できました。
小さいながらも、一生懸命トクントクンと動いていて涙が止まりませんでした。

そのまた1週間後には、更に大きく成長していてくれて、心拍もしっかり分かりました。
でも先生に、この週数のわりに胎嚢の大きさが小さいと言われました。
この日、はじめて7週0日と週数と、予定日が出されました。

胎嚢が小さくて、赤ちゃんは窮屈なのかな?と不安もありましたが、やっと週数が分かり、予定日もでて、赤ちゃんも成長してると嬉しく思いました。
それと同時に、入籍はいつするか、一緒に住む場所はどうするのか、お互いの両親に挨拶など、突然に忙しくなり、
仕事も平行して行い、不安と沢山考えることと、上手くいかないもどかしさ、など、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまい、
情緒不安定な日が続きました。

その次の週、紹介状を持って、産科のある大きな病院にいきました。順番を待ってる間、お腹の大きな妊婦さん、旦那さんと一緒に幸せそうな妊婦さんを見て、自分もすごく幸せな気分になりました。

しかし、先生から「心拍、確認できないね」と言われて頭が真っ白になりました。
??と思いながらも、自分で画面を確認して、1週間前にはあんなに動いていたのに?と、理解出来ませんでした。

先生から詳しく話そうと言われ、まず心拍の確認ミスはないと言われました。
が、念の為、日を改めて内診して確認しようと言われました。
そこで流産手術の話もされました。
涙と鼻水が出て話も途切れ途切れでしか聞けなくて、帰りは妊婦さんを見るのが辛くて、駐車場でしばらく泣きました。
どの道を通って帰ったのか分かりません。

たくさん泣いて、自分が情緒不安定だったから、仕事を無理したからと自分を責め、自分の両親、相手の両親、そして彼にも申し訳ない気持ちで泣き崩れました。

すぐに彼は仕事を休んできてくれて、次の日には一緒に病院へ行って手術を受けました。
その夜は、2人で赤ちゃんに謝って、沢山感謝してお別れをしました。

泣きたいけど、周りに心配をかける。
自分が泣いていては赤ちゃんがかわいそう、と、泣くのを我慢しながら手術時間を待ちました。
その間、ずっとそばにいて、気を紛らわせてくれた彼にはありがとうしか言えません。

手術前も手術後も痛みは特にありませんでした。
赤ちゃんがママに痛くないようにとしてくれたと思ってます。
この子は若い2人にたくさんのことを教えてくれました。
自分たちの考えがどれだけ子どもなのか、そして、これから2人はどう生きていくのか。
たくさん気づかせてくれました。

これから2人でしっかり生活の基盤を作り、結婚して赤ちゃんを迎えられる環境を作りたいです。
赤ちゃんのお陰で、私たちには強い絆ができ、また赤ちゃんに会える日をずっと2人で待ってます。

赤ちゃん、いつもママとパパのこと見守っていてくれるんだよね。
ママとパパ、頑張るからね。
ママ、少し心と身体を休めたら、また頑張る、

大切な命をもって、私たちに気づかせて生きる希望をくれた赤ちゃんにありがとう。

また、ママのお腹にきてくれるの待ってるよ。





Name: りんちゃんママ    ..wakwak.ne.jp
Date: 2012/06/12(火) 10:56
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Title: 11週 稽留流産    
9週1日の検診では、何も問題なく、母子手帳も交付してもらいました。
検診の3、4日後に、おなかの中でひっそりと心臓を止めてしまっていました。

軽い出血があったのは、11週5日のこと。
あわてて診察を受けましたが、赤ちゃんの大きさは9週4日でした。

翌日、大量出血と激痛の中、自宅で4時間苦しんで赤ちゃんに会えました。
2cmほどの赤ちゃんは、目も鼻も口も、手も足もちゃんとあって笑っているかのような表情。
とても可愛かった。

会えたことはうれしかったけれど、こんな形でなく、ちゃんと成長させてあげたかったです。
天国のお姉ちゃんのところに、もう行けたのかな?
いつでも待っているから、きっと戻っておいでね。





Name: 空ちゃん    ..plala.or.jp
Date: 2012/06/11(月) 15:15
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Title: 13週目 流産    
1週間前に流産しました。
それ以前にも2回の初期流産を経験しています。
娘が一人います。
 
今回の妊娠ではエコーにも映って、小さな手を動かしているのが見えました。
「順調です」と言われましたが、腹痛や少量の出血が続いていました。
 
娘の時には、こんな腹痛がなかったような?
流産がつづいて怖かったのもあって、安静に、安静に過ごし、出血したら仕事は休んで寝てばかりいました。

娘の遠足があり、一緒についていきました。
電車で出かけて散歩するだけで、子どもの歩くペースだったので、無理はしていないはずでしたが、出血しました。

しばらく実家で安静にしていました。
自宅に帰ると、39度の高熱が続き、病院へ行きました。
解熱剤を飲んでいましたが、薬が切れるとまた高熱がぶり返し、2日間うなされました。

熱が下がると、今度は多量の出血と腹痛に襲われました。
翌日に入院しましたが、その日の夜から明け方にかけて、ものすごい腹痛が起きはじめ、何度もナースコールを呼びました。

痛み止めの点滴がされても痛みは増すばかりでした。
前日から寝ていなかったので、ウトウトしていました。
義父が号泣している姿や、娘の様子、色々な夢を見ました。
痛みでベッドの柵にしがみついていたからか、出産の夢を見ました。

ふといきんだ瞬間、何かが出てきたような感覚があり、焦ってナースコールを呼びました。
パニックになりましたが、赤ちゃんが出てしまったと思いました。

そのまま手術室に運ばれました。
あわてて駆け付けた助産師さんが、
「このままだと赤ちゃんが苦しいから楽にしてあげようね」
「お母さんが苦しいから楽にしてくれたんだよ、お母さん思いのいい子だね」と、
出てきた赤ちゃんの説明をしてくれました。

処置自体は痛みもなく、赤ちゃんもスルンと産まれました。
しばらく涙が止まらず声を上げて泣きました。

赤ちゃんは小さな箱に入って来ました。
望んでいたとおり男の子で、思っていたより小さかったけどちゃんと人間の形をしていて、眠っているような表情でした。

悲しんでいると葬儀屋さんが来て、淡々と棺やお花葬儀場が決められていきました。
ほかの方が赤ちゃんの箱を物扱いするなか、助産師さんは赤ちゃんを抱くように、抱っこして、18gしかない赤ちゃんを重そうに、大事に抱っこして連れて行ってくれました。

私は火葬場には行けませんでした。
自分の子どもを見送る気にはなれませんでした。

これだけ悲しくて辛い経験をしたばかりだけれど、もう妊娠したくないとは思いませんでした。
今すぐにとは思えないけど、おなかの中で動き回る感覚や、赤ちゃんを抱っこしたあの幸せな感覚。
いつかもう一度味わってみたいと思っています。
 





Name: ぱんだ    ..spmode.ne.jp
Date: 2012/06/06(水) 07:33
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Title: 6週 流産    
6週目で初期流産しました。

病院に通って授かった赤ちゃん。
初めての妊娠でした。

少し出血したので、急いで病院に駆け込んだら、流産の宣告を受けました。
その数日後、手術が決まりました。
涙が止まりませんでした。

その病院では、大きなお腹のママたちが、旦那様と待合室で待っているなか、私は1人でおいおい泣いていました。
みんながこちらを見て、コソコソと話しているのがわかりました。悲しいのと視線が痛いのとで、その場から早く立ち去りたくて仕方がありませんでした。

病院から出た後、流産の宣告を信じられずに、他の病院にそのまま伺いました。
その病院で撮ったエコー写真では、その前の検診より、胎のうが大きくなってました。
とりあえず、手術を延期することにしました。

その夜、下腹部に生理痛のような痛みが走りました。
「やっぱりダメなのかな」と思い、ただ、「ありがとう」を伝えたくて、お腹に話しかけました。
話し終えると、何か塊が出た感じがしました。
翌日、病院にいくと、赤ちゃんはいませんでした。

まだ悲しみは癒えませんが、短い間でもママになれたこと、本当に感謝しています。
あの子の自慢のママになれるように懸命に生きていこうと思います。





Name: タマちゃんママ    ..enjoy.ne.jp
Date: 2012/06/05(火) 16:06
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Title: 5度目の流産    
結婚7年目、不妊治療を続けるも、5週・6週・7週での進行流産や、20週での子宮内感染での胎児死亡の経験があり、
人工授精は6回、体外受精採卵3回、移植は5回目でした。

妊娠の判定を聞いたときは、主人と抱き合って喜んだと同時に、流産の不安がすでに頭をよぎっていました。

不育症の疑いもあり、バイアスピリンの内服をしながらの毎日。
胎のうは確認できるか、ちゃんと心拍はあるか、エコーを見るのが待ち遠しくて、毎回祈るような思いで受診していました。

6週に入った日、出血があり、子宮内に大きな血腫を認めたため、すぐに入院して、張り止めを内服しながら安静になりました。
エコーを見るとタマちゃんの上に覆いかぶさるように血腫があり、とても怖くなりました。

でも、大きな血腫に負けず、タマちゃんは元気に心臓を動かしていて、少しづつだけど大きくなっていました。
不安で押しつぶされそうなママだったけど、パパと二人、今度こそはと、あなたの無事を信じて安静に努めていました。

8週になると、出血やお腹の張りも収まり、退院の話が出始めて、車椅子で散歩する許可ももらいました。
パパと3人で院内の桜を見に行くことができました。
「来年は3人でお花見だね」なんて、楽しい話で盛り上がり、くよくよせずにタマちゃんのために楽しいことを考えようね、と、パパと桜の前で約束したね。

しかしその夜、突然の腹痛と出血に襲われました。
エコーでは血腫に押しつぶされそうになりながら懸命に心拍を打つタマちゃんが見えました。
「現段階では何もできない」といわれ、恐怖のまま眠れぬ夜を過ごしました。

朝方、激しい腹痛とともにトイレで大量の血の塊が出てきて、胎のうらしきものも出ていたので慌ててすくい上げ、看護師さんを呼びました。
診察してもらったけど、既にタマちゃんの姿はお腹の中にありませんでした。
タマちゃんの姿を見つけたかったけど小さすぎて無理だと言われました。

それからはふわふわと毎日が過ぎて行ってます。
今まで流産しても辛くても、「また頑張れば、タマちゃんに会える」と信じて、仕事や治療を続けてきました。
でも、今回は今までのようにいきません。

自己嫌悪と体調不良から治療を再開することもできず、仕事も辞めて、ただ立ち止っているだけのママです。
妊婦さんを見ると、自分ばかりなぜ?と、周りが羨ましいです。
血腫さえなければ・・・。
悔しく、自分の体を恨んでいます。
仕事も全て投げ出して、糸の切れた凧のような状態です。
タマちゃん、情けないママを許してね。
中途半端なママに勇気をください。
そして、一日も早く、再びあなたたちに会える日が来ますように。





Name: ゆきうさぎ    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/06/05(火) 14:09
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Title: 16週 感染による流産    
私は、1ヶ月前の5月4日に16週4日で長男を出産(死産)しました。
それはとても急なことで、5月2日には定期健診で「元気ですね」と言われ、元気に動いている我が子をエコーで確認して、男の子だとわかった2日後に出産しました。

原因は、感染。
感染の原因は不明。

少し前から腰痛がひどくなったり、おりものの量が増えたり、お腹が少し張ったりということはありましたが、すべては妊娠中期の症状でもあったので、そう思っていました。

検診でも「〜ですけど、大丈夫ですよね?」と、自分で笑いながら先生に言っていたほどでした。

今思えば、あれがサイン。
動いている赤ちゃんもしんどかったのかな?と悔やむばかりです。

次に!と思えば焦るけど、今はその気持ちが私の支えでもあります。
子供や妊婦さんを見ると「いつかわたしも!」と元気を出そうとする自分がいます。
だけど、そうすることによって、焦ったり、「できなかったら」という不安にかられたり。

お空に行ってしまった子のことを思って泣いたり、気持ちは周りから見て落ち着いているように見えるみたいですが、やはり不安定です。

時間が解決してくれるのを待って、次にすすみます。



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