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   10週目 稽留流産   
   妊娠21週 子宮頸管無 ....   
   13トリソミーの息子 ....   

Name: まる    ..dion.ne.jp
Date: 2012/12/04(火) 17:39
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Title: 10週目 稽留流産    
今年の10月、妊娠しました。
嬉しくて嬉しくて…
すぐに主人に報告しました。
主人も喜んでくれました。


しばらくして、少量の出血とチクチクしたお腹の痛みがあり、不安になったので病院に行きました。
周期の割には小さかったみたいですが、その時に心拍確認でき少しホッとしました。
ですが、何故かイヤな予感がしてました。


予感が的中でした。心拍が停止してました。
わたしが行ってた病院は自然流産を進めてきました。
希望があれば手術も可能でした。
とりあえずは2週間待って出てこなかったら手術をしようとわたし自信決めていました。


2週間待っても出て来なかったので手術をしようと病院に行って予約しました。
病院に行った次の日はわたしの誕生日。
この子と最初で最後の誕生日を一緒に過ごせて良かったです。


この子はわたしの誕生日を祝いたかったのかな?
それとも、手術が嫌だったのかな?
その3日後くらいに胎嚢と一緒に赤ちゃんが出てきました。


今は赤ちゃんを検査に出して結果待ちです。
それに完全流産で手術の必要もありませんでした。
小さな小さな出産だったけどこの子を産めた事に今は感謝しています。


主人には中学生の子供が居ます。それを知った上の結婚でした。
妊娠してる時にわたしはすごく子供に対してイライラして手をあげてしまいました。
もしかしたら、この子はわたしにダメだよ!!ちゃんと愛してあげて!!と思い 赤ちゃんが伝えてた気がして。
悪い事をしたなと今は愛情込めて接するようになりました。


わたしはこの子にたくさんの事を教えてもらった気がします。
子供への愛情とか人の思いやり。出産は奇跡なんだと。


今もお空に向かって話し掛けて居ます。
またわたしのとこに来てね。待ってるよ。
少しでも…あなたのママになれてわたしは幸せでした。

大好きだよ。ありがとう。





Name: そーこーママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/11/24(土) 15:33
     削除 
Title: 妊娠21週 子宮頸管無力症    
結婚して7年。体外受精で授かった待望の赤ちゃんでした。
さらに二卵性の双子だと分かり、不安はありつつも、本当にうれしく思っていました。

不妊治療の検査の段階で、子宮頸管無力症はわかっていたので、
流産の危険が高いことも医師からは説明がありました。
妊娠13週で子宮頸管縫縮術(シロッカー術)も受けました。

検診のたびに赤ちゃん達の心臓はちゃんと動いているか、成長しているか不安でしたが、手術もしたし赤ちゃん達が出てきてしまうことなんて考えてもいませんでした。
「手術したんだから大丈夫」そんな思いもあり、術後経過が順調だったため普通に仕事も再開していました。
お腹の張りを感じることもなく、自分では体調も万全でした。

妊娠20週の検診で、術後だったこともあり内診台で診察してもらいました。すると子宮頸管長がもう1cmしかないといわれ、そのまま緊急の入院になりました。
22週になるまでは流産になってしまいます。
張り止めの点滴を行い、ベッドの上での生活になりました。

22週が過ぎたら、赤ちゃん達に何かあったときのために、県立の子供病院に転院する予定でした。

21週6日目の早朝、破水感がありナースコールを押しました。
当直の医師が診察し、破水であることがわかりました。
医師から「破水してるね。シロッカーのひもも切れている。直ぐに旦那さんに連絡して」
助産師さんが主人に電話している間、「これからどうなるの?赤ちゃん達は?まだ22週にも入ってないんだよ?」
ただただ不安で泣けてきました。
連絡を受けた主人が、処置室で泣いている私のところにやってきました。早朝の病院からの電話、処置室で泣いている私。
主人の表情で、動揺しているのが直ぐにわかりました。

当直の先生からの説明は厳しいものでした。
「21週6日での破水。シロッカーのひもも途中で切れている。現段階での出産は、子供の予後はかなり不良であること。また、破水しているので母体に感染のリスクが高く、このまま抗生剤を使いながら妊娠を継続しても、感染が進行して母体が危険になる可能性があること。場合によっては子宮を摘出しなければいけなくなる可能性があること。そして妊娠21週。残念ながら赤ちゃん達をあきらめるという選択もあります」と、説明されました。
「朝になれば主治医がきます。それまでよく相談してください」

あと4時間程で妊娠を継続させるか、赤ちゃん達に障害を残すことを覚悟で産むか、赤ちゃん達をあきらめるか。
私たちがこの選択をしなければいけませんでした。
本当に辛くて・・・。
最初の3時間は、夫婦2人でただただ泣いていました。
私たちには本当に待ちに待った子供たち。どの決断も簡単にできるわけがありません。
でも決めないといけません。
その間にも、破水で羊水がどんどん出ています。
お腹も少し痛くなり始め「これって陣痛?」と不安も出てきます。

結局、赤ちゃん達とバイバイすることを決めました。
どうして?って思う人もいるかもしれません。
今もこの決断が本当に正しかったのかわかりません。
でも、私たちが2人で話しあった結論でした。

朝になり、主治医の先生と担当の助産師さんが状況を聞いてやってきました。
すごく優しい先生だったので、私たちの気持ち・思いをすべてしっかり聞いてくれました。
そして上記の結論を出した私たちに、「わかりました。」と一言。

陣痛促進剤で陣痛を起こし、辛い辛い陣痛の末、同じ日に490gと484gの双子の男の子を産みました。
お兄ちゃんは生まれる時にはすでに心臓も止まっていました。
弟君は生まれた直後、先生や助産師さんが聞こえるぐらい小さい声で一回「おぎゃ」と鳴いたそうです。
残念ながら私には聞こえなかったけど。

産まれた赤ちゃん達を直ぐに両手に抱かせてもらいました。
本当に小さかったけど、お兄ちゃんは私に、弟君は主人によく似たかわいい子供たちでした。

本当にかわいくて、愛おしくて。
主人が主治医の先生に「この決断で本当によかったんですかね?また子供できるんですかね?」と質問すると、先生は、「正しい答えはありません。ご両親の決断が正しいんです。赤ちゃん達はそう思っていると思います。妊娠はきっとまたできますよ。赤ちゃん達戻ってきてくれると思います。」と声をかけてくださいました。
そして赤ちゃん達の頭をやさしくなでてくださいました。
担当の助産師さんも、朝から出産まで陣痛で辛い私の腰をずっとさすってくださり、ずっとそばにいてくださいました。そして、赤ちゃん達にかわいい帽子を作ってくれてかぶしてくださいました。

赤ちゃん達を離したくなくて「まだ抱いてていいですか?」と質問すると「もちろん。赤ちゃん達はお母さんに抱っこされることが一番嬉しいんだから。」と快く答えてくれました。
おかげで火葬の日までずっと抱いてあげることができました。

まだまだ悲しくて、辛い日も多いですが、2人のおかげで妊娠することの喜び、お腹で育っていくことの幸せ、陣痛の痛み、出産したわが子を抱ける喜びそして妊娠・出産は奇跡の連続で決して当たり前のことではないことを教えてくれ、さらに私たち夫婦を父と母にしてくれました。
私を心配して支えてくれる人がたくさんいることもわかりました。本当にたくさんのことを2人に教えてもらいました。
もちろん2人の事は忘れることはできないし、思い出して泣いてしまう日もありますが、2人にたくさんの「ごめんね」と「ありがとう」を伝えたいです。





Name: ちゃあみぃ    ..infoweb.ne.jp
Date: 2012/11/18(日) 21:10
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Title: 13トリソミーの息子を亡くした後、妊娠5週目の流産    
子連れで再婚した現夫との間に初めて授かった赤ちゃんは、
13トリソミーでこの世に生を受けました。

妊娠8ヶ月目に詳しい胎児診断、そして羊水検査を受け判明。
今年の3月23日に37w5dで誕生。
2360g、44.8cmの男の子でした。
「幸多朗」と名前をつけ、3ヵ月半NICUで頑張り、
7月7日の七夕の日にお空のお星様になりました。
淋しく悲しく涙が溢れましたが、「後悔」というものはありません。

そして幸多朗の四十九日が過ぎた頃、体調の変化を感じ妊娠検査薬を使ったところ、なんと陽性の結果がでました。
「こんなに早く還ってきてくれた」と、夫と2人泣いて喜びました。
しかし、病院の初診を受けて妊娠判定が出た日の夜から少量の出血がはじまりました。

その時点では、おりものに少しベージュピンクっぽいものが混ざる程度で痛みがなかったため、病院に問い合わせた後、自宅安静で様子を見ることになりました。
数日後には生理2日目くらいの鮮血と、重い生理痛くらいの痛みがあったので受診をすると「進行性流産です」との診断が下りました。
全身の力が抜けたようになりました。

週数も早く、痛みもそれほどではないため
「おそらく生理のように自然に出てくるでしょう」とのことで、3日後の診察予約をして帰宅しました。

翌日には基礎体温がガクッと下がり、つわりもピタッととまり、夜にはレバーのような塊が出てしまいました。
その時、「赤ちゃん死んじゃった」と強く実感がわき、涙が溢れてきて止まりませんでした。

その後の診察で出血も治まってきていたので経過観察になりましたが、hcG値がなかなか下がらず、逆に上がってしまったので、子宮内に妊娠の付属物が残っている可能性を考え、流産から2週間後に子宮内容物除去術をうけました。

思えば9月は、ずっと泣いてばかりでした。
「ちゃんと産んであげられなくてごめん」という罪悪感と、
この先、子どもを授かることへの不安とでグチャグチャでした。
夜中に泣き叫びながら目が覚めたこともあります。
そんな私を夫はずっと側で支えてくれました。そしてそんな夫の支えで、私も少しずつ前を向き始めました。

そして10月上旬に、幸多朗の百か日に合わせて、幸多朗の納骨をとりおこないました。
不思議なことに、その日から泣くことがなくなりました。
もしかしたら幸多朗が、お墓の向こうにママの悲しみを持っていってくれたのかな。

今は、生理も再開してhcG値も完全に下がり、卵胞も順調に育っているということで、次の妊娠に向けて動き始めています。
次の妊娠がまったく怖くないわけではありません。
しかし、幸多朗の死と今回の流産を共に乗り越えた夫との赤ちゃんを産み、一緒に育てて生きたいと心の底から思うのです。

大丈夫。
きっと2つの小さくてキレイなお星様が見守っていてくれるから。



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