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10週目 稽留流産
妊娠21週 子宮頸管無 ....
13トリソミーの息子 ....
38週 常位胎盤早期 ....
19週 子宮頸管無力症
14週 死産
31週 臍帯過捻転
8週 稽留流産
2度目の流産
19週 臍帯過捻転 ....
Name:
まる
..dion.ne.jp
Date: 2012/12/04(火) 17:39
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Title: 10週目 稽留流産
今年の10月、妊娠しました。
嬉しくて嬉しくて…
すぐに主人に報告しました。
主人も喜んでくれました。
しばらくして、少量の出血とチクチクしたお腹の痛みがあり、不安になったので病院に行きました。
周期の割には小さかったみたいですが、その時に心拍確認でき少しホッとしました。
ですが、何故かイヤな予感がしてました。
予感が的中でした。心拍が停止してました。
わたしが行ってた病院は自然流産を進めてきました。
希望があれば手術も可能でした。
とりあえずは2週間待って出てこなかったら手術をしようとわたし自信決めていました。
2週間待っても出て来なかったので手術をしようと病院に行って予約しました。
病院に行った次の日はわたしの誕生日。
この子と最初で最後の誕生日を一緒に過ごせて良かったです。
この子はわたしの誕生日を祝いたかったのかな?
それとも、手術が嫌だったのかな?
その3日後くらいに胎嚢と一緒に赤ちゃんが出てきました。
今は赤ちゃんを検査に出して結果待ちです。
それに完全流産で手術の必要もありませんでした。
小さな小さな出産だったけどこの子を産めた事に今は感謝しています。
主人には中学生の子供が居ます。それを知った上の結婚でした。
妊娠してる時にわたしはすごく子供に対してイライラして手をあげてしまいました。
もしかしたら、この子はわたしにダメだよ!!ちゃんと愛してあげて!!と思い 赤ちゃんが伝えてた気がして。
悪い事をしたなと今は愛情込めて接するようになりました。
わたしはこの子にたくさんの事を教えてもらった気がします。
子供への愛情とか人の思いやり。出産は奇跡なんだと。
今もお空に向かって話し掛けて居ます。
またわたしのとこに来てね。待ってるよ。
少しでも…あなたのママになれてわたしは幸せでした。
大好きだよ。ありがとう。
Name:
そーこーママ
..ocn.ne.jp
Date: 2012/11/24(土) 15:33
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Title: 妊娠21週 子宮頸管無力症
結婚して7年。体外受精で授かった待望の赤ちゃんでした。
さらに二卵性の双子だと分かり、不安はありつつも、本当にうれしく思っていました。
不妊治療の検査の段階で、子宮頸管無力症はわかっていたので、
流産の危険が高いことも医師からは説明がありました。
妊娠13週で子宮頸管縫縮術(シロッカー術)も受けました。
検診のたびに赤ちゃん達の心臓はちゃんと動いているか、成長しているか不安でしたが、手術もしたし赤ちゃん達が出てきてしまうことなんて考えてもいませんでした。
「手術したんだから大丈夫」そんな思いもあり、術後経過が順調だったため普通に仕事も再開していました。
お腹の張りを感じることもなく、自分では体調も万全でした。
妊娠20週の検診で、術後だったこともあり内診台で診察してもらいました。すると子宮頸管長がもう1cmしかないといわれ、そのまま緊急の入院になりました。
22週になるまでは流産になってしまいます。
張り止めの点滴を行い、ベッドの上での生活になりました。
22週が過ぎたら、赤ちゃん達に何かあったときのために、県立の子供病院に転院する予定でした。
21週6日目の早朝、破水感がありナースコールを押しました。
当直の医師が診察し、破水であることがわかりました。
医師から「破水してるね。シロッカーのひもも切れている。直ぐに旦那さんに連絡して」
助産師さんが主人に電話している間、「これからどうなるの?赤ちゃん達は?まだ22週にも入ってないんだよ?」
ただただ不安で泣けてきました。
連絡を受けた主人が、処置室で泣いている私のところにやってきました。早朝の病院からの電話、処置室で泣いている私。
主人の表情で、動揺しているのが直ぐにわかりました。
当直の先生からの説明は厳しいものでした。
「21週6日での破水。シロッカーのひもも途中で切れている。現段階での出産は、子供の予後はかなり不良であること。また、破水しているので母体に感染のリスクが高く、このまま抗生剤を使いながら妊娠を継続しても、感染が進行して母体が危険になる可能性があること。場合によっては子宮を摘出しなければいけなくなる可能性があること。そして妊娠21週。残念ながら赤ちゃん達をあきらめるという選択もあります」と、説明されました。
「朝になれば主治医がきます。それまでよく相談してください」
あと4時間程で妊娠を継続させるか、赤ちゃん達に障害を残すことを覚悟で産むか、赤ちゃん達をあきらめるか。
私たちがこの選択をしなければいけませんでした。
本当に辛くて・・・。
最初の3時間は、夫婦2人でただただ泣いていました。
私たちには本当に待ちに待った子供たち。どの決断も簡単にできるわけがありません。
でも決めないといけません。
その間にも、破水で羊水がどんどん出ています。
お腹も少し痛くなり始め「これって陣痛?」と不安も出てきます。
結局、赤ちゃん達とバイバイすることを決めました。
どうして?って思う人もいるかもしれません。
今もこの決断が本当に正しかったのかわかりません。
でも、私たちが2人で話しあった結論でした。
朝になり、主治医の先生と担当の助産師さんが状況を聞いてやってきました。
すごく優しい先生だったので、私たちの気持ち・思いをすべてしっかり聞いてくれました。
そして上記の結論を出した私たちに、「わかりました。」と一言。
陣痛促進剤で陣痛を起こし、辛い辛い陣痛の末、同じ日に490gと484gの双子の男の子を産みました。
お兄ちゃんは生まれる時にはすでに心臓も止まっていました。
弟君は生まれた直後、先生や助産師さんが聞こえるぐらい小さい声で一回「おぎゃ」と鳴いたそうです。
残念ながら私には聞こえなかったけど。
産まれた赤ちゃん達を直ぐに両手に抱かせてもらいました。
本当に小さかったけど、お兄ちゃんは私に、弟君は主人によく似たかわいい子供たちでした。
本当にかわいくて、愛おしくて。
主人が主治医の先生に「この決断で本当によかったんですかね?また子供できるんですかね?」と質問すると、先生は、「正しい答えはありません。ご両親の決断が正しいんです。赤ちゃん達はそう思っていると思います。妊娠はきっとまたできますよ。赤ちゃん達戻ってきてくれると思います。」と声をかけてくださいました。
そして赤ちゃん達の頭をやさしくなでてくださいました。
担当の助産師さんも、朝から出産まで陣痛で辛い私の腰をずっとさすってくださり、ずっとそばにいてくださいました。そして、赤ちゃん達にかわいい帽子を作ってくれてかぶしてくださいました。
赤ちゃん達を離したくなくて「まだ抱いてていいですか?」と質問すると「もちろん。赤ちゃん達はお母さんに抱っこされることが一番嬉しいんだから。」と快く答えてくれました。
おかげで火葬の日までずっと抱いてあげることができました。
まだまだ悲しくて、辛い日も多いですが、2人のおかげで妊娠することの喜び、お腹で育っていくことの幸せ、陣痛の痛み、出産したわが子を抱ける喜びそして妊娠・出産は奇跡の連続で決して当たり前のことではないことを教えてくれ、さらに私たち夫婦を父と母にしてくれました。
私を心配して支えてくれる人がたくさんいることもわかりました。本当にたくさんのことを2人に教えてもらいました。
もちろん2人の事は忘れることはできないし、思い出して泣いてしまう日もありますが、2人にたくさんの「ごめんね」と「ありがとう」を伝えたいです。
Name:
ちゃあみぃ
..infoweb.ne.jp
Date: 2012/11/18(日) 21:10
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Title: 13トリソミーの息子を亡くした後、妊娠5週目の流産
子連れで再婚した現夫との間に初めて授かった赤ちゃんは、
13トリソミーでこの世に生を受けました。
妊娠8ヶ月目に詳しい胎児診断、そして羊水検査を受け判明。
今年の3月23日に37w5dで誕生。
2360g、44.8cmの男の子でした。
「幸多朗」と名前をつけ、3ヵ月半NICUで頑張り、
7月7日の七夕の日にお空のお星様になりました。
淋しく悲しく涙が溢れましたが、「後悔」というものはありません。
そして幸多朗の四十九日が過ぎた頃、体調の変化を感じ妊娠検査薬を使ったところ、なんと陽性の結果がでました。
「こんなに早く還ってきてくれた」と、夫と2人泣いて喜びました。
しかし、病院の初診を受けて妊娠判定が出た日の夜から少量の出血がはじまりました。
その時点では、おりものに少しベージュピンクっぽいものが混ざる程度で痛みがなかったため、病院に問い合わせた後、自宅安静で様子を見ることになりました。
数日後には生理2日目くらいの鮮血と、重い生理痛くらいの痛みがあったので受診をすると「進行性流産です」との診断が下りました。
全身の力が抜けたようになりました。
週数も早く、痛みもそれほどではないため
「おそらく生理のように自然に出てくるでしょう」とのことで、3日後の診察予約をして帰宅しました。
翌日には基礎体温がガクッと下がり、つわりもピタッととまり、夜にはレバーのような塊が出てしまいました。
その時、「赤ちゃん死んじゃった」と強く実感がわき、涙が溢れてきて止まりませんでした。
その後の診察で出血も治まってきていたので経過観察になりましたが、hcG値がなかなか下がらず、逆に上がってしまったので、子宮内に妊娠の付属物が残っている可能性を考え、流産から2週間後に子宮内容物除去術をうけました。
思えば9月は、ずっと泣いてばかりでした。
「ちゃんと産んであげられなくてごめん」という罪悪感と、
この先、子どもを授かることへの不安とでグチャグチャでした。
夜中に泣き叫びながら目が覚めたこともあります。
そんな私を夫はずっと側で支えてくれました。そしてそんな夫の支えで、私も少しずつ前を向き始めました。
そして10月上旬に、幸多朗の百か日に合わせて、幸多朗の納骨をとりおこないました。
不思議なことに、その日から泣くことがなくなりました。
もしかしたら幸多朗が、お墓の向こうにママの悲しみを持っていってくれたのかな。
今は、生理も再開してhcG値も完全に下がり、卵胞も順調に育っているということで、次の妊娠に向けて動き始めています。
次の妊娠がまったく怖くないわけではありません。
しかし、幸多朗の死と今回の流産を共に乗り越えた夫との赤ちゃんを産み、一緒に育てて生きたいと心の底から思うのです。
大丈夫。
きっと2つの小さくてキレイなお星様が見守っていてくれるから。
Name:
kazumi
..bbtec.net
Date: 2012/11/17(土) 01:53
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Title: 38週 常位胎盤早期剥離
第1子は体外受精でしたが、妊娠経過も順調で自然分娩で出産しました。
第2子は私が高齢になったためか、受精困難になってしまい、顕微授精でやっと授かった子供でした。
経過は順調で、1子の時と大きな変化はなく、お腹がやたら前に飛び出しているように感じ、時々、息苦しさや胃液が上がるくらいでした。
その日はまだ、予定日の2週間前だったので、一人で車で買出しとパン屋へ買い物に出かけ帰宅した。
帰宅途中、自宅近くで陣痛とは異なる差込痛が左下腹部にあった。
5〜7分ほどでいったん収まるも、昼食時に同じ強い痛みが20分毎に見られたが、1時間後には痛みも収まったので、ミシンがけをしていた。
いすから立ち上がった瞬間、脚をつたって流れるほどの出血があったため病院に連絡し、入院となった。
医師からは「まだ出血あるけど陣痛が来たら出産ですから」と、いわれていた。
入院してすぐは、心音がしっかり聴けていた。
いったん部屋に戻って着替えて、みんなに入院の連絡している30分くらいの間に、2分おきの陣痛のようなものが出てきた。
すぐ分娩室に戻ったが、そのときには心音が確認できず、医師が呼ばれ、エコーでの心音確認では除脈であり、緊急手術が必要と言うことで総合病院に転院した。
転院先で緊急帝王切開を行ったが、胎児は重症仮死で50分の蘇生術の後心肺再開し、周産母子センターへ搬送された。
私も大量出血による貧血の治療とDIC傾向の治療のため、周産母子センターへ搬送されたが、胎児は病気の進行がひどく両親に見守られ他界した。
Name:
そらまま
..dion.ne.jp
Date: 2012/11/15(木) 09:49
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Title: 19週 子宮頸管無力症
一人目は不妊治療で通院し授かり、諦めていた矢先に
自然妊娠で授かった子でした。
自分で妊娠しできたこと、出産できる喜びで一杯でした。
5ヶ月に入り、いつもより下腹部の張りと尿もれがあり、
仕事を休み受診しました。
医師から「赤ちゃん元気だよ、大丈夫」と言われ安堵し帰宅しました。
翌朝、降りてくる感じがあり、急遽受診しました。
不安とどうなるんだろう?と考えていました。
診察しすぐに良くない様子であることがわかり、
子宮口が開いていて、出てきてしまっている、
頸管無力症と診断され、
赤ちゃんは今回はだめだと言われました。
涙が出てきたけれど、まだこの時は受け止められてなかったように思います。
通常の出産経過で手術と言われ、漠然と不安になりました。
破水しなければ明日手術になると言われ、胎動を感じてその度に
涙しました。
翌日、破水し陣痛後、出てきた子は250グラムの男の子でした。
主人が病室に来て、二人で赤ちゃんを抱っこしたとき、
号泣しました。
かわいい、きれいな顔をしていました。
かわいい洋服や靴、おもちゃと沢山のお花と私からの手紙と
一緒に、昨日お空に帰りました。
今はちゃんと産んであげれずごめんねという気持ち、泣くことしか出来ないですが、
家族の温かさに感謝したり、妊娠・出産は奇跡なんだなと気づかせてくれました。
頑張らないで、自分の気持ちと向きあいながら過ごしていきます。
Name:
大空そら
..au-net.ne.jp
Date: 2012/11/11(日) 17:52
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Title: 14週 死産
先週の水曜日、いつもの妊婦健診に出掛けました。
妊娠4ヶ月の14週、もうすぐ安定期、性別がわかっちゃったりして・・・なんて、ウキウキしながら行きました。
診察室で、心拍が確認出来ませんでした。
超音波でも、やはり確認出来ませんでした。
信じられませんでした。
エコー画像では、きれいな背骨が出来ていて、以前より少し大きくなっていたように見えました。
でも、実際には12週で成長が止まったままでした。
それからは、ただただ泣くしかありませんでした。
この二ヶ月、慌ただしく無理をしながら生活していたことを後悔しました。
出血もなくお腹痛もなく、元気な赤ちゃんだと勝手に思い込んでいました。
でも本当は赤ちゃんは、苦しかったに違いない。
こんなママのところじゃ、生活出来ないと思っちゃったのかな。
2日後の金曜日、処置の為夕方から入院翌日土曜日陣痛促進剤にて出産となりました。
分娩だいでも、大泣きしてしまっていました。
産まれてきた赤ちゃんは、本当に小さかった。
でもかわいかった。
業者さんが用意してくれた小さな箱に、赤ちゃんとお宮参りで着る白いドレスと帽子をいれてあげました。
3ヵ月間ありがとう。
何もしてあげれなくて本当にごめんなさい。
短い間だったけど、あなたが御腹に来てくれた意味を考えながら
すこしづつ前に進みたいです。
昨日は、11月にしては暖く、本当に良いお天気でした。
病室から見た空はとてもきれいで雲ひとつない青空でした。
まだまだ悲しい日が続きそうです。
あまり人にも会いたくない気分ですが、
家族に感謝をし、明日からは少しずつ現実にもどります。
大空くん、ありがとう。
Name:
美和ママ
..ocn.ne.jp
Date: 2012/11/09(金) 13:20
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Title: 31週 臍帯過捻転
結婚して1年で授かった待望の赤ちゃんでした。
裁縫が苦手な私も、美和の産着、スタイ、ロンパース、おくるみ・・・たくさん作りました。
悪阻の時も、縫い物をしていれば、気がまぎれました。
26週の検診で子宮が下がっているために自宅安静を言われ、28週の検診の前日には少量の出血がありました。
胎動も少しわかりにくくなりました。
不安で仕方なかったので、母と妹に付き添ってもらった28週検診。
元気な心拍を確認できて、号泣しました。
先生に胎動がわかりにくいことを伝えると、「赤ちゃんが大きくななってきたから、胎動がわかりにくいんですよ。心拍もしっかりしてるし、大丈夫」と言われました。
助産師さんにも、お腹の張りや胎動の話をゆっくり説明してもらって帰宅しました。
帰宅後もなんだか胎動が弱いように思い、夫にも、美和ちゃんがわかりにくいと伝えていました。お腹に手を当てても弱い胎動。
今思えば、私の脈拍だったのではと思うほど、弱かったと思います。
美和とつながっているのは私だけなのに、美和の悲鳴に気づいてあげれたのは私だけなのに、なんで病院にいかなかったんだ、と、自分を責めます。誰も悪くないといいますが、そんなはずはありません。
30週検診で「心拍見えないね」と言われ、最初、意味がわかりませんでした。ただ見えにくいだけで、まさか美和の心拍がとまっているなんて思いもしませんでした。
「いつから胎動ないの?」と聞かれ、「前回も胎動弱いって伝えたのに」と答えました。この時も、まだ美和がなくなってるなんて思いません。
「とてもつらいけど…ご主人呼べる?」と聞かれ、初めて美和がなくなってることを理解しました。
夫が来るまで別室で待っていましたが、涙もでませんでした。
美和はもうなくなってるのに、幸せな妊婦さんと同じ痛みに耐える力が私にあるのか。病室からは赤ちゃんの泣き声が聞こえ、幸せいっぱいのママが出入りします。病院のご配慮で、一般病棟に変えてもらえたのが救いでした。
夫は、入院から出産までの丸二日、私を全力で支えてくれました。私の母も、長い陣痛の間、ずっと背中、お腹をさすってくれました。夫の家族、私の家族みんなに支えられ、9時間48分後に、長女美和を出産しました。
今でも美和がこの世に出てきてくれた感触が残っています。
「今、美和が頑張って産まれてくれた。」この瞬間まではなんとも冷静な私がいました。
出産直後は、雲の上にいるようで、何がおこったかわからない状態でした。
夫も家族も先生も助産師さんもみんな「頑張ったね。」と声をかけてくれました。
美和は私が作ったイチゴ柄の産着をきて、天国に行きました。
夫によくにた大きなお鼻と、私によく似たフサフサヘアーのとってもかわいい娘です。
美和のために作った洋服や、おもちゃは、美和の妹か弟に着てもらうために大切にしまいました。8か月半、美和を守ってくれた腹帯は、次の妊娠時に使います。美和が守ってくれるからです。
病院も変えようとみんな言いますが、先生、助産師さんにもう一度取り上げてほしいので、変えたくないです。先生も、助産師さんも本当にあたたかな方ばかりで、お礼の言いようがないです。
美和が生まれてもうすぐ1か月です。
ようやく気持ちも落ち着いてきました。美和の夢は毎日見ます。とてもうれしいです。まだ、出産した人の話や、妊婦さんを直視できません。人の幸せを疎ましく思う自分が、本当に嫌になります。
大好きな友人の出産の知らせがうれしいのに、美和と重ね、泣いてしまいます。「産まれたら同級生になるなぁ」って言ってた赤ちゃんが4人います。
抱っこしたくてたまらないのに、美和と重ねてしまい、抱くのには時間がかかってしまうと思います。
友達にも会いたいですが、美和の話をあえて触れないようにしてくれるんかな?それとも美和の話私がしたら、返事に困るやろな…とか考えて、会いたいのに会えません。
美和の妊娠をしっている近所の方に、ペタンコのお腹を見られるのがつらくてたまりません。「もう生まれたの?赤ちゃんは?」って聞かれるのが怖くて、自意識過剰になって、みんな私のお腹をみているように感じます。
夫は自分もつらいはずなのに、私のこんなマイナスな話も全部受け止めてくれます。
妊娠が分かったときはとても喜んでくれました。
心配症の私は5か月の安定期までは家族にしか妊娠を報告しませんでしたが、夫は2か月でみんなに報告しました。
最初はいやでしたが、喜んでくれてるんだと思い、許しました。
美和がお腹で聞いているのに、大きな声でケンカしたり、美和はお腹の中で苦しかったやろなぁ。と後悔の日々です。
ケンカばかりしてたから、美和は、もがいて臍の緒ぐるぐるに首に巻きついてしまったんかな。と今でも思います。
胎教にいいクラシックなんか聞いても、あのケンカの声で何の意味もなかったな。と後悔です。
そんな夫は、美和の出産のときからずっと私の支えで、こうしていられるのも夫のおかげです。
お腹に美和がいるときは、父親の自覚ないと思っていましたが、美和にあった瞬間、一気にお父さんになりました。美和は、私たちの自慢の娘です。
お互い、思いやりやいたわりの気持ちがなかった私たちですが、美和のおかげで、夫婦の絆が強くなりました。今さら遅いと美和に怒られそうなので、それは思わないことにします。
心が離れかけていた私たちを、美和がつなぎとめてくれました。
夫がいないと生きていけません。生まれ変わっても夫と一緒になりたいし、天国で美和と夫と、次に生まれてくる美和の弟か妹とまた家族になりたいです。母、妹、お姉さん、お父さん私の大切な家族がみんなで私を支えてくれています。
私が死んでも、美和さえ生きててほしかったと、今でも思うけど、そう思えば美和も悲しむから、美和が私を守ってくれたと思うようにします。
出産は奇跡だということ。一人では生きていけないってこと。色んなことを美和に教えてもらいました。
美和ちゃん。ごめんって言ったら怒られるかもしれんけど、やっぱりごめんね。元気に生んであげれなくてごめんね。
美和と同じ天使になった友達と仲良く遊んでね。
毎日毎日お母さんは美和元気にやってるか、楽しくやってるか考えてるよ!!
お父さんとお母さんが天国にいったら、一番に美和に会いにいくから見つけてね。元気な声を聞かせてね。
美和ちゃん、お父さんとお母さんのところにきてくれてありがとう。美和のお母さんになれて幸せやよ。
30年間生きてきた中で、美和と過ごした8か月半が、私は一番幸せでした。美和ちゃんありがとう。美和ちゃん大好き。
Name:
みー
..spmode.ne.jp
Date: 2012/11/03(土) 11:47
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Title: 8週 稽留流産
一昨年、化学流産。
去年、完全流産。
今年、稽留流産。
2度目は妊娠したことが嬉しくても、先のことが不安でしょうがなく、素直に喜べてなかった。
その矢先に流産となり、ものすごく後悔した。
何で喜べなかったのか、もっと声をかけてあげればよかった、とか。
3度目。不安よりも嬉しくて嬉しくて。
切迫流産でごくごく初期から念のため仕事も休み、自分としては万全の体制だった。全ては赤ちゃんのため。
診察の度に希望を打ち消すような先生の言葉。
なかなか成長しないのは、私にもわかった。
でも、初めは小さくても徐々に大きくなってくれたらいい、信じてた。
8週0日に手術を打診されたときには、胎嚢の形も崩れ始め、赤ちゃんがとても苦しそうに見えた。
手術を受けることにした。
何で手術をしなきゃいけないのか、何でこんな処置台にのってるのか、悲しくて、寂しくて、悔しかった。
手術が終わったあとは幸い体調よいけれど、お腹に向かって話しかけてもいない、ひとりぼっちになった気分です。
悲しいし、寂しいけど、赤ちゃんが私のもとへ来てくれたことがやっぱり嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいです。
何よりも大切だと思える存在に出会えたことに感謝しています。
私のもとへ来てくれて本当にありがとう。
また会える日を楽しみにしてるからね。
Name:
ようちゃん
..ocn.ne.jp
Date: 2012/10/30(火) 14:50
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Title: 2度目の流産
さっき、病院で二度目の流産が確定しました。
なんで私だけという思いと、主人に申し訳ない気持ちと
これから先どうしたらいいのか何も考えられません。
いつか乗り越え、私のお腹が大きくなる日は来るのか、
主人に子供を抱かせてあげられるのか・・・
お腹の中にまだいる子のことよりも、そんなことばかり考えてしまう自分が嫌です。
私が今しなければいけないことはなんだろう。
Name:
meguまま
..spmode.ne.jp
Date: 2012/10/22(月) 04:42
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Title: 19週 臍帯過捻転 死産
私は、1人目を6週で流産。2人目を8週で流産しました。
3人目で心拍を確認でき、安心していたのもつかの間、
10週で切迫流産と診断され入院しましたが、無事出産できました。
そして今回、4人目を妊娠し、何事もなく18週の検診を無事終了した次の日のこと。
毎日感じてた胎動が突然なくなり、気のせいでありますように、と、願いながら病院に行きました。
エコーを見てすぐに医師から「今日、旦那さんは一緒かな?」と言われた時、嫌な予感が的中しないように願ってました。
医師からは「残念やけど、赤ちゃんの心臓が動いてないね」
頭の中が真っ白になり、その後、何を言われたか記憶にありません。
すぐに入院するように言われ、実感のないまま、翌日に陣痛をおこして292gの息子を出産しました。
産声が聞こえるはずもないのですが、心の中で「お願いだから声を聞かせて!!!」と願うばかりでした。
ずっと側に居てくれた主人と小さな小さな我が子を抱き、涙が溢れ止まりませんでした。
それから毎日、元気に産んであげれなかった自分を攻め、泣いて、辛くて、苦しかったです。
毎日泣いてる私の涙を娘が拭いてくれた時、天国から、息子にも泣かないで、と、言われてる気になりました。
息子は、私たちに命の尊さ、人を思いやる気持ち、家族の愛を教えに来てくれたのだと思うと、少し前を向いて歩けるようになりました。
天国に行ってしまった子どもたちが、またいつか私達の所に戻って来てくれる日を信じて。
毎日子どもたちに「ママは今日も頑張るよ」って手を合わしています。
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