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   7週 初期流産   
   流産   
   34週 誕生死 肺疾患   
   8週 稽留流産   
   25週 死産 臍帯過捻転   
   2度の流産   
   20週 人工死産   
   7週目 稽留流産   
   26週3日 臍帯過捻 ....   
   17週 死産 リンゴ病   

Name: りい    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/04/17(火) 21:57
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Title: 7週 初期流産    
待望の第二子を妊娠していることが、5週でわかりました

翌週、茶色のおりものが2日間続いたので、
少々不安を抱えながらも、翌日には診察を受けるつもりでいたところ、
その翌朝、鮮血に変わって、病院で初期流産だと宣告されました。「おそらく赤ちゃんが自然と流れてくるだろう」と言われ、
次の日、血の塊とともに小さな赤ちゃんがお腹から出てきました。
親孝行な赤ちゃんでした。

初期の自然流産。
私がどう頑張ってもどうしようもなかったと頭では分かっていても、自分を責めてしまいます。

体は元に戻っても、心はなかなか・・・。

短い間だったけど、幸せでした。
また赤ちゃんが戻ってこれるように。
また会いたいです。





Name: 青空    ..panda-world.ne.jp
Date: 2012/04/07(土) 21:14
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Title: 流産    
生理不順から不妊治療をへて、待望の赤ちゃんを授かることができましたが、
今月3日の検診で、赤ちゃんの心拍かとまっているのがわかりました。
やっと3ヶ月になったところでした。

稽留流産で、出血もなく、症状はまったくありませんでした。
不妊専門クリニックから手術対応の病院を紹介されよくわからないまま日程を決めました。
幸いにも空きがなく4日後が手術の日だったので少しでも思いで作ろうといろいろなところにいきました。
つわりがなくなりましたがでもお腹もぽこっとして死んでいるのがうそみたいでした。

今日無事に手術が終わりました。
お腹を触ると今まであった膨らみがなくさみしいです。
心の痛さも体の痛さも辛かったですが
終った今はもう一度戻って来てもらえるように前に進もうと思います。






Name: さわ    ..parkcity.ne.jp
Date: 2012/04/05(木) 18:50
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Title: 34週 誕生死 肺疾患    
妊娠経過は順調でした。
31週のエコーで羊水が多いと言われ、頸管も短かくなっているとのことで自宅安静になりました。
34週からは切迫早産で入院になり、不安はありましたが、入院していれば安心だと思っていました。

入院して3日目、赤ちゃんの心拍が弱くなったので緊急帝王切開で出産しました。
産声は聴こえませんでした。
手術前は「赤ちゃんはお部屋にお連れしますね」と笑顔で言ってくれた助産師さんに、
術後「すぐ赤ちゃんに会いに行きましょう」と真顔で言われた時、あぁだめなのかな・・・と、ぼんやり思いながらストレッチャーのままNICUに運ばれてました。

そこには、心臓マッサージを受けている息子の姿がありました。
主人は「頑張ろう!一緒に生きよう!」と息子に語りかけていました。

出産から2時間後、赤ちゃんは旅立ちました。

私は涙が出ませんでした。
目の前で起こっていることが信じられなかったのだと思います。

部屋に戻ってしばらくすると、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれました。
お兄ちゃんとそっくりで、私にも似ていました。
とてもとてもかわいい赤ちゃんでした。
主人がお風呂に入れてあげたら、うんちも出たそうです。

私は声をあげて泣きました。
こんな恐ろしいことがこの世にあるとは思いませんでした。

今は納骨も終わり、次男の死を徐々に受け入れてはおりますが、人に会うのが怖いです。
家族で乗り越えていくしかないと思っています。





Name: ゆきえ    ..ocn.ne.jp
Date: 2012/03/31(土) 01:53
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Title: 8週 稽留流産    
生理が2ヶ月遅れていましたが、仕事の忙しさや初めての妊娠へのとまどいから、産婦人科へ行くことができずにいましたが、3月29日に意を決して行ってきました。

妊娠だと思って診察してもらったのに、稽留流産と診断されるとは。
そんな言葉も知らない、本当に無知な私でした。
もうだいぶ前から育ってなかったとのこと。
もっと早くに検診していたら・・・と後悔しました。

1日泣いて、仕方なかったと納得したつもりでした。

そして今日、自然流産で私のお腹からいなくなってしまいました。
昨日見たエコー画像ではまだちゃんといたのに、今日はなんにもいなかった。
もう生きてはいなかったけど、お腹の中からいなくなったことが、こんなにつらいとは思ってもみませんでした。

もう少しでいいから、あなたと一緒にいたかったです。
今度はちゃんと勉強して、いいお母さんになるから。
ごめんね。ありがとう。





Name: 章希ママ    ..pcsitebrowser.ne.jp
Date: 2012/03/23(金) 16:48
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Title: 25週 死産 臍帯過捻転    
本日、息子章希を出産しました。
章希は残念ながら、25週の健診の時に心音が確認できず、お腹の中で亡くなっていました。

はじめから胎動をあまり感じなくて、周りの妊婦との差に不安を抱えつつの健診ではありましたが、思ってもみないことでした。
聞かされたときは、現実を受け入れられず、ただ歯を食い縛り今後のことを聞いていました。

赤ちゃんをちゃんと産まなくては・・・という責任感が先にたち、涙はでてきませんでした。

そして、その日のうちに入院手続き、子宮口を広げる処置をうけ、翌日に陣痛促進剤を使って分娩することになりました。
初日の夜はやはり眠れず、ネットで死産に関する情報をあさりました。

入院2日目に陣痛促進の膣剤を3錠いれ、
夜中に陣痛が始まり、朝7時に出産しました。
それまでは産むことで無我夢中でしたが、産声をあげない小さな息子を見た瞬間、涙がとまりませんでした。
写真をとって、隣でねてみたり、息子が可愛くて可愛くて仕方がありません。

わたしの息子として、宿って、産まれてきてくれてありがとう。
あなたと過ごした7ヶ月間は本当に幸せでした。
色々な人にお腹を撫でてもらって、章希も幸せだったね。
姿が見えなくなっても、ずっとずっとそばにいるから安心してね。ママは自分を不幸だなんて思わない。
だって章希のママになれたことがとても幸せなことだから。
愛する気持ち、命の尊さを教えてくれてありがとう。
愛してます。





Name: ライチ    ..dc.comcast.net
Date: 2012/03/23(金) 13:00
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Title: 2度の流産    
アメリカ在住です。
2011年4月に1回目の流産をしました。
7週の初診で胎嚢は確認出来ましたが、中身が空っぽで、
「流産の確率は70%」と言われました。
夫の運転する車に乗り、家に帰るまでの道のり、涙が止まりませんでした。

残り3割の可能性に賭けることが無意味に思え、
それでもひょっとしたら大丈夫かも、の希望を捨て切れず、
10日後の再診にのぞみました。
またも空っぽの胎嚢がモニターに映し出され、医師から100%流産、いわゆる「枯死卵(Blighted Ovum)」だと診断されました。
10日間で心の準備は出来ていたとはいえ、まさか自分が流産するなんて夢にも思わなかったので
「どうして私が、どうして私が」と、繰り返すばかりでした。
10年分ほどもの涙を流しました。

目の前にいる我が子を眺めながら、この子が生まれて来たことが、どれだけの奇跡の結晶なのかを知りました。
神様はそれを私に伝えたかったのでしょうか。
9週にあたるとき、Misoprostolという薬を膣に挿入し、人工的に流産を起こしました。
6時間後に出血が始まり、そのまた数時間後に全てが外に出ました。
自分の目で、生きることの出来なかった命が出て来たのをしっかりと見て、また頑張ろうと心に決めました。

きっと次は、大丈夫。

一緒に泣いてくれた夫と、何度も「もう諦めて、一人の子に100%の愛情を注ぐか」という話し合いをしましたが、やっぱり子どもがもう一人欲しい。

半年後、また妊娠をしました。
また妊娠出来たという喜びと、また流産してしまうのではないかという恐怖。
あまりにも早くお医者さんに行って、「まだ早すぎて分かりません」と帰されるのが怖かったから、8週に初診のアポを入れました。
なかなか始まらないつわりを不安に思いながらも、体調が良いので気持ちは前向きで、次は男の子かな女の子かな、と思いを巡らせていました。

妊娠が分かってから初診までの3週間はとても長く、
いよいよ明日が予約の日!という前日の朝、トイレに行くと真っ赤な出血がありました。
色のついたおりものとは全く違う、生理2日目のような鮮血でした。
瞬間的に流産が始まっているということが分かりました。
「また駄目になっちゃった」と、出勤前の夫に泣きつき、
すぐに産婦人科でエコーをみましたが、胎嚢すら確認出来ない状態で、恐らく着床と同時に駄目になったのだろうと言われました。

「どうして私が、どうして私が」
前回も繰り返したその言葉が、頭の中で何度も何度も回りました。

それから4ヶ月、今ようやく、こうして自分の体験を言葉にする勇気が出て来ました。
母親には「あなたはすぐ子供が出来る体質」と教え込まれて育ちました。
そんな私が、2度も続けて流産するなんて。どうして?
でも、私は諦めたくありません。
3度目の正直、2度あることは3度ある、
どちらの言葉が私に当てはまるのか、分からなくて、怖くて、仕方がないけど、それでも私はもう一度、チャレンジしたい。

いつか二人の子供の母親になれる日を夢見て、夫と娘と三人四脚で前に進んで行きたいと思っています。





Name: ぷう    ..mie1.commufa.jp
Date: 2012/03/26(月) 02:02
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Title: 20週 人工死産    
昨年12月16日、女の子を人工死産しました。
462g、27cmでした。

妊娠3ヶ月頃から酷いつわりに悩まされ、食べても食べなくても、毎日、激しい嘔吐の繰り返しで、そのうち水さえも飲めなくなり、
体重は激減し、貧血で倒れて救急車で搬送されました。

妊娠悪阻で入院しましたが、つわりだから仕方ないと言われ、点滴して様子見るだけの毎日でした。
医師や看護師たちも、みんなつわりが酷くてつらくても赤ちゃんは元気だから、順調だからと言うばかりでした。

1ヶ月強の入院を経ても嘔吐は一向に収まらず、家事も何も出来なくて実家の世話になることになりました。

毎日ほぼ寝たきりの日々、繰り返す嘔吐。
それでも検診のたびに赤ちゃんは順調との言葉に安堵し、
赤ちゃんが元気ということを心の支えにして、耐えていました。

そろそろ性別もわかるかも?なんて思っていた時、いつもの検診で赤ちゃんに異常が見つかりました。
大学病院を紹介され、検査の結果、赤ちゃんの体が週数のわりに小さくて、胸やお腹に浮腫もあり、心臓もかなり肥大していると言われました。

このまま妊娠を継続しても今の段階では何も治療は出来ず、様子を見るしかない。
出産までにお腹の中で死亡するかもしれない。
もし出産出来ても、心臓が肥大して肺を圧迫しているため、肺の形成が不完全で、誕生後すぐ息ができず、死亡の可能性がかなり高いと説明された。

検査しても原因不明。
おそらく、赤ちゃんの先天性の異常。
つわりも収まってないため、母体がかなり衰弱している。

医師は、母体優先と考え、私の説得にかかりはじめました。
夫も同じ意見でした。

私は急な話にパニックになり、今まで順調だと言われていたのに急に何故?
主人の説得の言葉に、ただ泣くばかりで、何も答えられませんでした。
何故、私の赤ちゃんなの?!
いまお腹の中にいる赤ちゃんはまだ生きてるよ。
なのに私たちからお別れ決めなきゃいけないの?!

なかなか決断できませんでした。

どのくらい時間がたったか、主人の長い説得にようやくうなずきました。

そこからは早かった。早すぎて気持ちが追い付かないくらい。

大学病院での人工死産は受けられないため、個人の産婦人科を紹介され、2日後に入院。
入院翌日には薬で陣痛を起こす処置を受けた。
今回が初めての妊娠。初めての分娩台。
こんなことであがりたくなかった。

あっという間に赤ちゃんと引き離された。
小さな小さな赤ちゃんだった。
目元は主人に似ている気がした。
口元は私似だった。
可愛い顔をしていた。
この顔を目に焼き付けようと思い、泣きながら何度も見つめた。
私の可愛い赤ちゃん、もうすぐ見られなくなるから。

退院の2日後が埋葬と決まったため、一晩だけ我が家に連れて帰ることができた。
小さな箱に入れられたわが子を、主人と私の布団の間に置いて、最初で最後の、親子川の字で寝た。

お寺で供養のあと、お墓に埋葬するために、一緒に何か入れてあげたくても、まだおもちゃとか買ってなかったので
私の携帯についていたクマのぬいぐるみストラップを入れることにした。
私が毎日持っていた物だから。

赤ちゃんのいなくなった私の体はつわりもピタっと止まり、あれだけ繰り返した嘔吐がなくなると、ビックリするくらい食欲も戻ってきた。
体はすごく楽にはなった。
でも、それが赤ちゃんがいなくなった証拠だと思うと辛かった。
毎日泣いていた。

あれから約4か月、昨日が出産予定日だった。
最近は少し落ち着いてきたのか泣くことも減っていたのに、昨日は駄目だった。
涙が止まらない。
普通に出産できていれば、今頃は我が子を抱いていたのに。
そう考えてしまう。





Name: さとこ    ..tachikawa.mopera.net
Date: 2012/03/20(火) 19:39
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Title: 7週目 稽留流産    
昨年9月に結婚し、その後、左下半身を激痛に襲われMRIの検査をしたところ「子宮内膜症性卵巣のう腫」と診断され、12月に摘出手術しました。
その後、順調に回復して、幸せなことに翌年2月に妊娠がわかりました。

すでに34歳の私にとって妊娠を焦っていたことや、病院の先生からも35歳になると出産の確率が下がるのはデータで出ていることなので早い方がいいと言われたこともあり、妊娠したことを病院で確認出来た時は本当に嬉しかったです。
卵巣の手術は辛いものでしたが、頑張ったから神様が贈り物をくれたんだと思いました。

3月の初旬、7週目に入ったところで出血し、慌てて病院に行きました。
1週間安静にして様子を見ることになってので、仕事も休んで家からも出ずひたすら安静にしていました。
しかし、出血は止まるどころかどんどんひどくなる一方で、5日目には腹痛が襲ってきました。
1週間が不安でたまらず、旦那さんと駄目かもしれないと泣いてすごしました。

そして1週間後の診断で、心拍が確認出来ないためほぼ流産だと言われ手術を勧められました。
「ほぼ」という言葉に引っかかりましたが、1週間様子を見てもいいが多分この時期に心拍が確認出来ないのは駄目だろうと言われました。
ショックでしたが、覚悟していたので、やっぱり、とも思い、流産手術を決めました。

病院を受診した2日後に予定していましたが、翌日、血液の塊のようなものが出て病院に行ったところ、今日手術したほうがいいと言われ、心の準備をする間もなく稽留流産手術をしました。

結婚して半年、病気、妊娠、流産と、体調が良かった時期がほとんどなくすごし、正直、心も身体も疲れてしまいました。
妊娠した時、この先、何があるかわからないとは思いながらも赤ちゃん用品をネットで見たり、名前を考えてみたり、出産の時期を調べたり、妊娠中に取るといいとされるサプリメントや食品を買ってみたりと、出産に向けての準備をしていたことや喜んでいた母や友達のこと、そして子供が欲しくて欲しくて喜んでいた旦那さんのことを思うと、悔しく悲しく申し訳なくてやっぱり涙がこみ上げてきます。

2人でもう駄目だと思って泣いた日。
「さとこが元気なことが一番大事だから、駄目でもチャンスはまたあるし、もし子供が出来なかったら2人で楽しく生きよう」
そう言ってくれる旦那さんが居ることを幸せに思って、これからも前向きに頑張ってみようと思います。

このサイトで同じような体験やもっと辛いことがあった方がたくさんいるのだと知って自分だけじゃないんだからと思えることが出来ました。

流産した後しばらくは、他の人に子供さんが居るだけで自分より幸せなんだと思ってしまいますよね。順調に妊娠出産している友達を見て恨めしく思ってしまったり。
それは仕方のないことだと思います。
それでも時間をかけて、どんな未来でも幸せだったと思えるように楽しくがんばりましょうね!





Name: みっきー    ..yournet.ne.jp
Date: 2012/03/19(月) 15:57
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Title: 26週3日 臍帯過捻転 死産    
25週から切迫早産で入院していましたが、安静と張り止めの内服で症状は和らいできていました。
1日1回の内診、1日2回のNST、1日3回の張り止めの内服。週1回の超音波。

26週0日の朝、NSTで心音をとることができず、診察室で超音波を受けました。
そこには、心臓が動いていないわが子がいました。
先生は何十分もかけてくまなく診てくださいましたが、わが子の心臓の鼓動を見ることができませんでした。

夕方、夫と私の母同席のもと、再度、超音波を受けました。
そして、改めてその事実を伝えられました。
臍帯過捻転が原因であろうと告げられました。

その日の夜から、ラミナリアで子宮口を広げる処置をはじめました。
逆子でしたが、私の体への負担を考え、経膣分娩での出産となりました。
ラミナリアの本数が増えるにしたがい、おなかの張りと腰の痛みがきました。

出産当日の午前。
陣痛促進剤の膣剤を投与され分娩台へあがりました。
4時間ちょっとでかわいいわが子の出産。産声のない出産でした。
誰も「おめでとう」とも「がんばったね」とも声をかけてもらえなかったのが残念です。
私というより、わが子に、です。
逆子といわれていたわが子ですが、直前のエコーで頭をきちんと下にしてくれた、おりこうな子なんです。
小さい体でがんばってくれたことを労ってほしかったです。

生まれたわが子は体重914gのかわいい男の子でした。
初めてわが子と対面したのは、産後4時間くらいたってからでしょうか。

すでに肌着(自分で用意して名前も書いた)を着せてもらい、手も組んでいました。
主人が買ってきてくれたかわいいお花に囲まれ、目さえ開けていれば、どこの赤ちゃんとも変わらないくらい、本当にかわいい子でした。
手も足にも、もちろん全身の異常は見当たらず、健康な子でした。顔は主人そっくりでした。
主人と二人で、息子への手紙、メッセージ、イラスト、たくさん書きました。
天国でも寂しくないように、私たちの写真も入れて。
あなたのパパとママはこういう顔をしてるのよって。
手作りのネームカードも入れました。
名前の由来も書いて。
限られた時間で、できる限りのことをしたつもりです。

したいことは、たくさんあったけど、ひとつだけお願いして、手形と足型をとってもらいました。
お肉もきちんとついていたので、しっかりした形をしていました。

わが子と対面後、胎盤や臍帯をみせてもらいました。
胎盤は正常。
臍帯はねじれがひどく、特にわが子のへその根元がキュッと強く捻じれていました。先生からは「おそらく、これが原因」と言われました。

産後2日目に火葬。
棺に入った息子は、安らかで、主人そっくりな顔をした、しっかりした男の子の顔でした。

ここでやっと初めてわが子につけた名前を呼んで「また会おうね」と伝えました。
カルシウムをがんばってとっていたおかげか、息子の骨は思っていた以上にたくさん残りました。


臍帯さえ何ともなければ、元気に生まれてきていたわが子。
出産予定日は主人の誕生日の前日。
亡くなる前日まで、何ともなく元気だったわが子。
誰が原因でもないけれど、自分を責めてしまう現実。

入院する4日前にやっと性別がわかって、出産準備をしようと考えていた矢先、突然の出来事でした。
約30年生きてきて、こんなに悲しい思いをしたのは初めてでした。

悲しいです。
つらいです。
会いたいです。

たまに後ろを向いたり、自分を責めてしまうこともありますが、わが子に恥じないように前を向いて歩いていこうと思います。

生理が再開したら、この子に弟か妹をつくり、お兄ちゃんにしてあげることを目標に、人生を歩んでいきたいと思います。





Name: 芽生    ..jp-t.ne.jp
Date: 2012/03/19(月) 02:20
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Title: 17週 死産 リンゴ病    
結婚の翌日に妊娠判明。
幸せいっぱいでした。

つわりで体調が悪くても「妊娠は病気じゃないから」と、自分に言い聞かせていました。
今思えば、つわり、夏の暑さ、仕事、慣れない家事etc.
無理をしすぎていたのかもしれません。

17週の検診で赤ちゃんの心拍がないことがわかりました。
それまでは元気に動く姿をエコーで見られていたのに、その日はグッタリとした姿でした。
しばらく呆然とし、その後は「いや!」と、何度も言いながら泣きました。

その日の夕方に入院しました。
バルーンと誘発剤で陣痛をおこして、今まで感じたことのない痛さと、どうしようもない悲しさで泣き叫びながら、小さな我が子を出産しました。

17週での死産でしたが、すでに何週か前に死んでしまっていたようで、身体が溶け始めていました。
真っ白な顏と、苦しかったのかな・・・口が開いていました。
それでも主人と二人で「可愛いね」と微笑み合いました。
死んでしまっているのに我が子を見ていると、なんだか安らいでホッとして不思議な感覚でした。

火葬を終えた頃、赤ちゃんが死んでしまった原因が、私がリンゴ病に感染していたためだったことが判明しました。
リンゴ病?
自分では全く自覚症状はなかったのに、血液検査でわかりました。
無理をして体力が弱っていたからそんな病気に感染したのだと、自分を責め、数えきれない程泣き、後悔の嵐に襲われました。
小さな大切な命を粗末にした自分が許せなくて、赤ちゃんに何度謝っても、悲しくて、辛くて、申し訳ないです。

今でも思い出します。
ゴメンねと、後悔も消えてはいません。

死産した子の存在があるからこそ、今の私。
そして新たな命達があるのだと思います。
消えない後悔と処理しきれない思いは無理に取り除かず、私の中にこれから先も置いておきます。
主人と私の大切な子供だから忘れることはできないですもんね。



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