Title: 13トリソミーの息子を亡くした後、妊娠5週目の流産
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子連れで再婚した現夫との間に初めて授かった赤ちゃんは、 13トリソミーでこの世に生を受けました。
妊娠8ヶ月目に詳しい胎児診断、そして羊水検査を受け判明。 今年の3月23日に37w5dで誕生。 2360g、44.8cmの男の子でした。 「幸多朗」と名前をつけ、3ヵ月半NICUで頑張り、 7月7日の七夕の日にお空のお星様になりました。 淋しく悲しく涙が溢れましたが、「後悔」というものはありません。
そして幸多朗の四十九日が過ぎた頃、体調の変化を感じ妊娠検査薬を使ったところ、なんと陽性の結果がでました。 「こんなに早く還ってきてくれた」と、夫と2人泣いて喜びました。 しかし、病院の初診を受けて妊娠判定が出た日の夜から少量の出血がはじまりました。
その時点では、おりものに少しベージュピンクっぽいものが混ざる程度で痛みがなかったため、病院に問い合わせた後、自宅安静で様子を見ることになりました。 数日後には生理2日目くらいの鮮血と、重い生理痛くらいの痛みがあったので受診をすると「進行性流産です」との診断が下りました。 全身の力が抜けたようになりました。
週数も早く、痛みもそれほどではないため 「おそらく生理のように自然に出てくるでしょう」とのことで、3日後の診察予約をして帰宅しました。
翌日には基礎体温がガクッと下がり、つわりもピタッととまり、夜にはレバーのような塊が出てしまいました。 その時、「赤ちゃん死んじゃった」と強く実感がわき、涙が溢れてきて止まりませんでした。
その後の診察で出血も治まってきていたので経過観察になりましたが、hcG値がなかなか下がらず、逆に上がってしまったので、子宮内に妊娠の付属物が残っている可能性を考え、流産から2週間後に子宮内容物除去術をうけました。
思えば9月は、ずっと泣いてばかりでした。 「ちゃんと産んであげられなくてごめん」という罪悪感と、 この先、子どもを授かることへの不安とでグチャグチャでした。 夜中に泣き叫びながら目が覚めたこともあります。 そんな私を夫はずっと側で支えてくれました。そしてそんな夫の支えで、私も少しずつ前を向き始めました。
そして10月上旬に、幸多朗の百か日に合わせて、幸多朗の納骨をとりおこないました。 不思議なことに、その日から泣くことがなくなりました。 もしかしたら幸多朗が、お墓の向こうにママの悲しみを持っていってくれたのかな。
今は、生理も再開してhcG値も完全に下がり、卵胞も順調に育っているということで、次の妊娠に向けて動き始めています。 次の妊娠がまったく怖くないわけではありません。 しかし、幸多朗の死と今回の流産を共に乗り越えた夫との赤ちゃんを産み、一緒に育てて生きたいと心の底から思うのです。
大丈夫。 きっと2つの小さくてキレイなお星様が見守っていてくれるから。
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