このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   ツリー表示   一覧表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
  19週 前期破水

[2399] 陽ママ

Name: 陽ママ    ..ucom.ne.jp
Date: 2013/02/05(火) 23:30
     削除 
Title: 19週 前期破水    
2007年9月、第2子の男の子を亡くしました。
当時、主人の仕事の関係でアメリカに住んでいました。
長女の出産のときは日本におり、何の問題もなく、
仕事もしながらの妊婦生活でしたが、
順調に経過して成長し、普通に分娩していたため、子供が生まれてくることを当たり前に考えていたように思います。

第2子をなかなか妊娠できず、欲しいと思ってから1年半ぐらい授からず、あきらめていたところ、やっと授かりました。
嬉しかった。
授かるまでは必死でいろいろなことを試していたのだけれど、授かってからは無事に生まれてくれることが当たり前だと思っていたため、随分出血していましたけど、普通に生活してました。
長女もまだ3歳と小さくて、自分のためだけの時間はなかったし、アメリカでは切迫流産や早産でも入院することは、あまりありませんでした。

後になって理解したのですが、あの出血はもともと双子だったのが、1人目が流れてしまったことによる出血でした。
6週目ぐらいでした。
今思えば、日本にいればきっと助かっていたのかなと思います。
切迫流産で入院できたでしょう。

19週で前期破水。
胎盤が半分ほど機能してなくて、胎児もどんどん重くなってきて、胎盤が耐えられなくなってしまったのでしょう。
アメリカ人の小児科医がきて「23週になっていない子供は肺が出来ていないので助けることができない」とか、いろんな説明を受けました。
諦めるように説得されたように思います。

結局、母体が感染症にかかってしまい、早く胎児を出さないと母体が危険になってしまうので、促進剤で25cm、460gぐらいの男の子を出産しました。
肺が出来ていないため、外に出た瞬間、息が出来なくて死んでしまいました。
心拍を感じるのに産まないといけない。つらかった。
ずっとずっと、入院中ないてました。

陽を火葬した後、今も遺灰は家にあります。なかなか踏ん切りがつきません。

病院から家に帰ってからは長女がいるため、幼稚園の送り迎えをしなければならず、苦痛でした。
周りには妊婦さんがたくさんいたから。
1年ぐらいは周りのママ達と距離を置き、ずっと一人で引きこもってました。
妊娠できなかったときより流産した後はつらかった。

その後、また妊娠できず、不妊治療をして数年が過ぎてようやく、また妊娠しました。
今回も5週目で大量の出血があり、また駄目なのかと思って過ごしていました。
前回みたいに双子で、1人が流産したのかもしれないと、今回はずっと安静にして、自宅で寝たきりで過ごしました。
医者には早く諦めたほうが良いと言われましたが、どうしても心音の確認が取れないとはっきりするまでは待ちたかった。

10週ぐらいにやっと心音も聞こえましたが、前回のことがあるので用心して、16週ぐらいまで安静に過ごしました。
28週までは慎重に過ごしました。
そのかいがあって無事、次女が誕生しましたが、つらい妊娠生活でした。いつ死んでしまうかと、常に恐怖でした。

今は2人の娘がいることに、毎日感謝して生活しています。
亡くなった陽の分まで2人の娘を大事に育てていきたいと思います。



過去ログへの書き込み・返信は出来ません。




削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +