Title: 30週死産・原因不明でした
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これまでずっと、ポコズママのHPでたくさんのやり取りを読んで、ひそかに励まされてきました。 今日、心を動かされた歌詞に出会い、なんだかここで共有したくなったので、長くなりますが私の体験を投稿させていただきます。
ほんとに健康な妊婦で、順調に8か月半まで来ていた今年の8月。 産休に入ったら赤ちゃんのために何か手作りしよう、と考えていた矢先でした。 いつも感じていた胎動がないことに気づいて緊急に受診しましたが、もう心臓は動いていないと告げられました。 頭が真っ白になり、楽しみにしてくれていた家族の顔が浮かび、ただただ「どうしよう」という言葉がグルグル回りました。 お医者さんから「すぐに入院し生んであげなければ」といった説明を受け、自分が今できることはそれだけだと理解しながらも、まるで悪夢のように感じていました。
ラミナリアを何回かに分けて入れ子宮口を広げる処置も、陣痛促進剤でどんどん強くなる痛みもつらかったけど、 何よりも、産声が聞けないのに乗り越えなければならないことがつらかった。
つらい過程でずっと、主人が傍にいてくれたことが救いでした。 本当は病室に泊まれない規則でしたが、特別に許可をいただき、夜中に起きて泣いていた私の手をずっと握ってくれました。 産む前日の、あのつらくてさびしい夜は、二人だから少しでも和らいだと思います。
赤ちゃんの名前は、1か月くらい前に「勇吾」にしようって決めていました。 出産のときに、助産師さんが「勇吾くんのためにもがんばろう!」 と言ってくれたのが励みになったし、出産後、ベビーコットに普通の赤ちゃんのように寝かせてくれて、病室で何時間か一緒に過ごせて本当に良かった。 抱かせてくれた勇吾は、42cm、1800gまで育っていて、ずっしり重く、寝ているだけの普通の赤ちゃんのようでした。 あとから考えればもっとたくさん抱いて、ぎゅーっとすれば良かったな・・・ 死産のときの病院の対応ってほんと重要だと思いました。心ある対応をしてくれる病院で産めて幸せでした。
生まれてきた赤ちゃんの写真、自分では撮れなかったけれど、 かけつけてくれた両親が「写真はとって残してあげないと!」と言ってたくさん残してくれて、今はとっても感謝してます。はっきりと勇吾を覚えていられるから。 へその緒も受け取るか迷ったけど、やっぱりもらって良かった。もっと言えば、足形や手形もとっておけばよかったと後から思いましたが、その時はそこまで思いつかず少し残念です。 もう赤ちゃんには二度と会えないので、生きていた証をできるだけ残せるように周りの家族がやってあげてもいいかもしれない、と思いました。 迷っている場合はとりあえずでも残しておけば、後から取捨選択できるので・・・
死産してから2週間後、血液検査など様々な検査結果が出ましたが、結局「原因不明」でした。 胎児の検査はしなかったのですが、顔つきやあごの骨の良好な発達からお医者さんが判断するには遺伝子的な問題はなさそうだとの事。 酸素も十分赤ちゃんにいっていたし、胎盤も問題なく、へその緒が巻き付いていた可能性も低い、とのことでした。 だから勇吾は、自分の寿命をせいいっぱい全うしたのだと考えるようにしています。 せいいっぱい、おなかの中で生きたんだと、思います。
今までの会社はこれを機に辞め、心機一転新しい会社で働きます。 主人は休んでいいよ、と言ってくれましたが、働くのは割と好きだし、なにかに打ち込む方が前向きに進めると思ったからです。
あれから3か月以上経ちますが、忘れない日はありません。 それでも普段は普通に過ごせているのですが、今日は自分でも思いがけないところで涙が出てしまいました。 カフェで竪琴を聞くイベントがあったのですが、そこで千と千尋の神隠しの「いつも何度でも」が流れ、 その出だしの歌詞を聞いて急に・・・胸がいっぱいになりました。 「かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える」という歌詞。
死産を周りにそれほど経験している人はいなくて、みんな普通に産んでいるように見えて、どうして自分だけって思うことあると思います。 そんな時私は、このHPのみんなの投稿に励まされてきました。 私もそんなふうに誰かの心に寄り添えたらと思います。
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