Title: 16週と5日の後期流産
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平成14年12月16日にお腹の赤ちゃんがお空に帰ってしまった。 16日の朝4時頃、お尻に違和感を感じて目覚め、触ってみると何だか濡れていた。 前日の夜から生理痛のような鈍痛があったので、嫌な予感がしてすぐにトイレにいくと出血していた。 すぐに病院に電話をして受診してもらうことになった。 「切迫気味だから、とりあえず安静に」と。 ちょうど昼に検診予約をしていたので、その時に様子を見て薬を飲むか入院をするか、家で安静かを決めてくださいとのこと。
赤ちゃんが元気な事が救いで、昼の検診では、初めて心臓の音をきかせてもらったり、手を動かしてる姿を見たり、男の子だと性別がわかり、名前を咲空(さく)と決定したり、とても幸せな時間を過ごした。 結局、子宮頸管が少し短い事以外問題はなさそうだと言われ、家で安静にすることになった。 しかし、病院からの帰りも、相変わらずの鈍痛があったので、トイレ以外はずっと横になっていた。 それなのに、夜の6時過ぎぐらいから、痛みが陣痛のように規則的になってきた。 しばらくは気のせいかと我慢していたけど、痛みが少しずつ強くなってきたので、病院に電話して、今日3回目の受診に向かうことにした。 あまりの痛みに母親にもついてきてもらい、タクシーで病院に向かった。 内診の後、先生から「子宮口が1.5センチくらい開いてて、このまま産まれても赤ちゃんは助からない」と言われ、目の前が真っ黒になった。 そして、そのまま自然分娩で小さな男の子を産み、母とすぐに駆けつけてくれた旦那さんと3人で小さな赤ちゃんの姿を見届けた。
あまりにも突然な出来事に何度も夢であってほしいと思ったが、お腹はもうペタンコになっていた。 その夜は眠れる訳もなく、一人でずっと泣きじゃくっていた。 皆に申し訳なくてどうしたらいいか分からなかった。 流産したことを両家の両親や私の姉が知ると、皆とんできてくれた。 そんな優しい人たちの顔を見ただけで涙が止まらなくなった。 そして、小さな箱に入った赤ちゃんの周りに皆でお花を供え、私たちの家族の写真、手紙、お菓子なども入れた。 病院からも何人かの看護師さん達が折り紙で作った花や鶴などを持って手を合わせにきてくれた。
火葬では、灰ぐらいしか残らないと言われていたが、悪阻でほとんどまともに食事が出来なかったダメな母親だったのに、ちゃんと栄養を吸収してくれてたようで、小さいながらもちゃんと骨が残っていて、骨上げも皆ですることが出来た。
まだ寝る前になると色んな事を思い出して涙する日々が毎日続いているけど、時間が解決してくれることを信じて、前向きに生活している。
上手に文章がかけていないけど、咲空が産まれたことを残して置きたくてここにかきこませてもらいました。
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