Title: 三つ子 20週 子宮頚管無力症
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2014年12月22日、三つ子の出産に向け、今まで通院していた病院よりも、更に設備が整っている大学病院へ移ることになり、新しい病院へ初めての診察に行きました。 そこで今まで問題なかったはずなのに、子宮頚管が2cmないくらいまで短くなっていると指摘され、即入院になりました。
今まで、お腹の張りを余り感じなかったけど、これ以上子宮頚管が短くならないようすぐにお腹の張りどめと、子宮が収縮しないようにするための点滴生活が始まり、絶対安静の生活に入りました。 トイレと洗面は車椅子移動、それ以外はベッドの上での毎日でした。
年が明け、1月5日に今後の相談をしようと言うことで、先生と夫婦で話し合いをし、3日後の8日に子宮頚管を縛る手術を受けることになりました。 これで少しは希望が見えたような気がして、30週目指して頑張ろうと思っていた矢先、6日の夜から急に今まで感じたことがなかったお腹の張りがひどくなり、朝になってトイレへ行くと出血していました。 そしてトイレで張りに耐えて、食いしばりながら子宮口に違和感を感じて触ってみたら何か出ていました。 ビックリしてナースコールし、とりあえず車椅子でベッドに戻って看護師さんに確認してもらいました。 ところが、座ったことで引っ込んでしまったのか、何も見えませんでした。
朝になると本格的な陣痛がついてきて、先生の診察を受けると、子宮頚管が開ききってしまっており、1人目は膣内にいるということがわかりました。 トイレで出てきてしまったのは、1人目の赤ちゃんの頭だとわかりました。
先生がもう諦めなきゃいけない、普通分娩で産もうと言いました。まさかのことで泣き叫びました。 お腹で問題なく元気いっぱいに動いて生きている赤ちゃん達。 ママのせいで産まなきゃいけない。20週だから助けることもできない。 このままお腹にいさせてあげられたらと、悔しくて悔しくて。 陣痛に耐えながらもやるせない想いで涙が止まりませんでした。
そのまま分娩室へ向かい、1月7日、ちょうど20週、6ヶ月目にはいった日に普通分娩で3人の小さな小さな赤ちゃんを出産しました。 男の子2人と女の子でした。 男の子2人は仲良く25cm310g、325g。 女の子は24cmで270g。
まだ胎動を感じる前で、お腹の中では元気に一生懸命動いて生きていたけど、まだ20週で外での呼吸は自分で出来ず、延命処置も出来なくて、3人の赤ちゃんたちは産まれて間もなく息をひきとり、天国へ旅立っていきました。 綺麗に拭いてもらって、ぶかぶかのお洋服を着せてもらい、棺に仲良く3人で入っている赤ちゃんと会いました。 一人一人抱かせてもらった3人は小さいながらに重みを感じ、顔立ちもハッキリしていて可愛かった。
3人のへその緒と、3人の手形、足形をいただき宝物が出来ました。 産まれた証。ありがとう。
火葬は明日。3人に向けて書いたお手紙や赤ちゃんたちにパパと、ママの顔を、忘れてほしくなくて、写真も、そしてケンカにならないように同じ人形を3つ。 最後にきちんとお別れをしてこようと思います。 今は悲しくて悲しくて、3人の事を考えると毎日泣いてばかり。 まだまだ心の整理も出来ないし、立ち直るには時間かかるけど、パパとママを選んでお腹の中にきてくれたこと本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。 離れていても心の中にいつまでもいるし、お互いの幸せを願っていることも同じ想いだと思います。 いつまでも家族だってこと変わらないし、ゆっくりでも前に進んで赤ちゃんたちを安心させてあげたい。
3人がお腹の中にきてくれたことでたくさんの事を教えてもらいました。 感謝しています。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 しゅうと、はると、めい、パパとママはあなた達の事、忘れないよ。 またパパとママを見つけたらお腹に戻っておいで。 大好きだよ。ありがとう。
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