Title: 胎児水腫 25週 死産
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2人目の妊娠で、息子の育児に追われながらの妊婦生活。 1人目の時よりもお腹の子の事を考える時間は少なかったのかもしれません。
特に問題もなく安定期を迎える事ができ、このまま順調に過ぎて出産するものだと思っていました。 女の子がいいなとか、息子はどんなお兄ちゃんになるのかなとか、家族4人の幸せな未来ばかり思い描いていました。
7ヶ月健診の日。 今日こそ性別が分かるかな?と、ドキドキワクワクして待っていましたが、診察室に入ってエコーが始まると、すぐになぜか先生が別の先生を呼び、バタバタし始めました。 「胎動はありますか?」とか質問された気がしますが、何か異常事態なんだと感じて頭の中はパニックでした。
難しい表情でエコーを動かす先生と、いつもと様子が違う赤ちゃんを見て、だんだん血の気が引いていくのが分かりました。 「赤ちゃんがすごく浮腫んでいて、肺に水も貯まっています」 訳が分かりませんでした。 自分の事だとは思えなかったんです。 やっとの思いで口から出た質問は、 「心臓は動いてるんですか?」でした。 「心臓はまだ動いてますが、おそらくこのまま育つ事は難しい状態です」 私の中で何かが崩れ落ち、絶望感に襲われ、一気に涙が出てきました。 大きな病院で詳しく検査してもらうよう説明を受けながら、何も受け入れられずただただ泣き続けました。
その日のうちに詳しい検査を受けました。 結果は同じく、胎児水腫で状態もかなり深刻であり、このまま心臓が止まるのを待つしかないとの事でした。
帰りの車の中で主人も運転しながら泣いていました。 それがまた、辛かった。 それから2、3日はこれが現実だとは思えず、眠るのも怖かったです。 明日になれば、これは夢だったんだってことないかなと毎日強く願いました。 でも、こんなリアルで長い夢がある訳もなく何度目が覚めてもこれが現実でした。
それから、明日心臓が止まるかもしれない恐怖の中で、夫婦で病気について色々調べ、胎児水腫の胸水を抜く手術ができる病院を見つけて、もしかしたらこの手術ができれば水腫がなくなるかもしれない・・・と、小さな希望を抱いて遠くまで足を運んでみましたが、やはり結果は同じでした。
病院での説明は、毎回、死の宣告を受ける気分でした。 ここまでくると大分落ち着いて説明を聞けるようになっている自分がいました。 羊水過多でお腹は臨月のように大きくなり、いつもパンパンに張っていてほんのわずかしか胎動を感じる事ができず、それも悲しかったです。 そのわずかな胎動を感じてあげる事、話しかける事、精一杯愛してあげる事、お腹の中で苦しくても頑張って生きようとしている我が子に、してあげられる事はそれしかありませんでした。
我が子を助けてあげれず、親としてこんなに辛い事はありせん。 病気が見つかってから2週間程経って、ちょうど梅雨入りした日に行った診察で、赤ちゃんはお腹の中で亡くなっていました。 まるで私の心の中のように雨が降り続けました。
その日から入院して、子宮口を開く処置を受け、翌朝から促進剤を開始し、それから3時間半程で出産しました。 処置から陣痛、出産までの間、恐怖と痛みと辛さで本当に逃げ出したかった。 一人目の時と全く同じお産方法でしたが、息子が産まれた時とは真逆で、産声もなく笑顔もなく私の悲しい泣き声だけが響きました。 それでも我が子に会いたい、抱っこしたい!という気持ちは同じでした。
出産してから「女の子ですよ」と言われ、この腕に娘を抱いた瞬間心から幸せを感じました。 私の腕の中で静かに眠る小さな小さな赤ちゃん。 可愛くて愛しくて本当に嬉しかった。 水腫で全身が浮腫んでいて、どんなに苦しかっただろうと思うと、「ごめんね、きつかったね」と、涙が止まりませんでした。
それでも不思議ととても穏やかな表情で、少し笑ってるようにも見える娘の顔に心が救われました。 退院も早く、あっという間に火葬となり娘とのお別れは風のように過ぎました。 突然お骨となり小さな骨壷に入ってしまった娘。 死産から2週間経ちましたが、その喪失感は心にぽっかり穴が空いたような、まだ実感がないようなそんな日々です。
娘の心と共に強く生きていこう!と思ってはみても、実際は明るい未来が描けず、日常に戻る事への不安が広がる毎日。 主人と息子がいてくれるからどうにか自分を見失わずに立っていられるけど、娘を失ってこれから前を向いていけるのか。 それでも、娘の為にこの試練の先へ進む努力をしたいと思います。 そこに必ず私達家族が幸せになれる未来が待っている事を信じて。
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