Title: 子宮内胎児発育遅延症
|
|
結婚して、想像していたより早く第一子を授かり、主人と年の差があることもあり、みんなが喜んでいました。 性別が分かるのを楽しみに7ヶ月検診に行った際、 先生がエコーを、見て険しい表情。 赤ちゃんが大きくなっていない、平均の半分程の体重、元気がないと言われ、大きな病院へ紹介状を書かれました。
週末だったため、月曜の朝一で病院へ。 やはり同じ見解でした。 そこの病院はNICUが一杯とのことで、救急車で大学病院へ。 そこでもやはり同じ見解で、400gない赤ちゃんを帝王切開で取り上げるかもしれないと言われました。 楽しみで幸せだった気持ちが一転、不安で不安でたまりませんでした。 心拍に不安はあっても、エコーでは赤ちゃんが動いているので少しでもお腹の中で成長があるならと、その日から管理入院になりました。
赤ちゃんに異常は見られず、ハッキリ分かるのは臍帯の血流が悪いことだけでした。 子宮内胎児発育遅延症と診断されました。 毎日何回も赤ちゃんの心拍を計って、点滴を受けました。 毎日ネットで色々な事を調べては、夜に一人で泣きました。 もしかしたら大丈夫かもと言う期待を持ちながらも、モニターに映る赤ちゃんの心拍が、元気が無くなっていくのが素人の私にもハッキリわかりました。
入院から16日後、いよいよ赤ちゃんが苦しいと言われ、帝王切開で出してあげるかどうかの選択に迫られました。 しかし、それには大きなリスクが伴うこと、赤ちゃんの予後、帝王切開の切り方、今後の妊娠など、色々なリスクを説明されました。私達夫婦は赤ちゃんが苦しいことを知りながらもそのままお腹の中で様子を見ることを決めました。 本当にひどいママです。 それから2日後の朝、赤ちゃんの心音は聞こえなくなりました。
初産と言うこと、週数が浅いこともあり、それから10日かけて出産しました。 ずっと、逆子だったのに、元気がなかったのに、亡くなる前に頭位になっていました。 ママが困らないように息子は頑張ってくれたのに、私は何もしてあげることができませんでした。
前日のエコーでは最高510gと言われましたが、産まれた時は430gの小さな小さな男の子でした。 出産までに時間がかかったので、顔に少し浮腫が見られましたが、手や足、顔もハッキリわかり、とてもとても可愛い赤ちゃんでした。
毎日抱っこして名前を呼ぶ度に愛おしさが増してきて、離れるのが怖くなりました。 それでもずっと、一緒には居られないこと。 それを選択したのは私達。 火葬まで本当にツラかったです。 そんな私の唯一の支えは夫だけでした。 私の家族も遠くから何度も駆けつけて、本当に良くしてくれましたが、やっぱり素直になれない自分がいて、それも苦しかったです。
今は実家でお母さんに甘えていますが、やっぱり息子の事を思うと夜は眠れず一人で泣いています。 時間が経てば変わって来るのかな。 次の妊娠を考えるのも不謹慎かもしれませんが、次の妊娠も同じようになったらと怖いです。 仕事柄、子どもと関わる仕事なので、復帰するかどうかも悩み中です。 前向きにならないと赤ちゃんも悲しいとはよく言われますが、今は亡くなった息子に会いたい、笑った顔がみたいと叶わない願いを思う毎日です。 今一つだけ確かに分かること。 それは息子がお腹にいた7ヶ月はとても幸せだった事です。 ゴメンね私の赤ちゃん。
|
|
|