Title: 20週 横隔膜ヘルニア
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20歳の誕生日を迎えた4ヶ月後、7月の初めに人生1番の誕生日プレゼントの赤ちゃんが私のお腹にやってきた。 すべて順調の一言で、ピコピコ動いてる心臓が何よりの嬉しさだった。
ところが、結婚を機に転院した病院での初めての検診で、浮腫みが見られること、赤ちゃんの大きさが小さい事を言われた。 浮腫も、大きくなるにつれてなくなると聞くし、小さく産んで大きく育てようと思ってた。 それから一ヶ月後の検診で、先生から赤ちゃんの心臓が右側にあり向きも逆を向いていると言われた。 総合病院へ行くと、大学病院へ行くように言われた。 治ると信じて大学病院へ行くと、やはり心臓の位置、向きのことを言われ、さらに胃や腸まで胸に来ていて肺が潰されている事を告げられた。 今後のことを考えると、母子ともにリスクが大きいと言われた。 わけがわからなかった。 しかし時間に追われていた。 考える時間は少なく、空に返す事に決めた。 もう6ヶ月になっていた。
入院は5日間。最初の3日はラミナリアを入れた。 促進剤を入れる前の夜、旦那が折り紙おって入れてあげようよと言ってくれた。 私は服とお布団を作った。お手紙も書いた。 必死になって二人で作って笑顔で迎えてあげようと決めた。 その夜は胎動をいつも以上に感じ、たくさん蹴ってくれた。 翌日朝8時に促進剤を入れ、9時くらいから陣痛が始まり、3時間後に産まれた。 安産で産まれてきてくれた。
会いたいと思い、会わせてもらった。 旦那にそっくりな女の子だった。 何処がいけないんだろうと思うくらい綺麗な身体だった。 でもやはり、あばらが広がりお腹がへこんでいるのがわかった。 周りには赤ちゃんの泣き声や、喜ぶ声が聞こえた。 小さくても、泣かなくても、冷たくなっても私の子に違いはない、産んで良かったと抱き締めながら思った。
火葬場でお花を入れた。 最後の顔は凄く幸せそうな顔してた。 太ももは綺麗に2本残ってて、他の部分も形はバラバラでも残ってた。最後の最後まで親孝行な子だった。 この子にはたくさん学ばさせてもらった。 いい事も辛いことも。 でも、必ず幸せになれると思う。もちろんこの子も一緒に。 いつまでも泣いて下を向かないように、顔上げればいつでも空がある、たくさんの人に希望を与えてくれる子にと空希と名付けました。
この子にお空から笑われないように少しずつ前を向いて歩いて行こうと思う。 ありがとう。空希。
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