Title: 双子の稽留流産(7週・8週)
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29歳で結婚して2年経過しても妊娠せず、不妊治療を開始。 治療内容のステップアップを重ねて3年しても全く着床した形跡もないので、そろそろ治療卒業を考えていた時、2人は私達の所に来てくれました。
4度目の顕微授精で3日目胚を2つお迎えし、後日、医師から初めて妊娠していると告げられた時は、診察室で涙が溢れ、診察後すぐに主人に連絡して喜びを分かち合いました。
その後、エコーで嚢胞が2つ見え双子であることが判明。 でも1つはかなり小さいと伝えられました。 出産時には37歳になるし、不妊治療に貯金を崩していたことから、正直戸惑い「どうしよう?」と困惑しました。 しかし、帰宅した主人に話すと「2人なら賑やかになるね」と言ってくれて、小さい嚢胞も持ち直す、無事に生んで育てたいと2人分の名前、香月・美月を考えて付けました。
しかし7週の検診で、嚢胞が大きく成長していないので1人は流産と診断されました。 もう1人は心拍が確認できたので手術はせず、自然に吸収されるのを待つと言われました。 次回の診察で不妊治療クリニックが卒業になるので、転院する産科を決めておくようにとも言われました。 私が戸惑ったせいかな、とか、自分を責めて辛かったけど、残ったもう一人の為にも頑張るしかないと思い直し、つわりなどと向き合いながら日々を過ごしました。 お肉やフライドポテトが美味しくなくなり、間違いなく女の子だと確信。 お腹にも話しかけるようになっていました。
ところが8週目の診察、エコーを見る医師が言葉もなく必死に何かを探している様子を見て「心拍が見えませんか?」と尋ねると、静かに「はい。詳しくは診察室でお話しします。」と。 心拍が停止しており、大きさも6週相当であるので稽留流産であり、手術が必要なことを説明されましたが、私は突然のことで涙を止めることが出来ませんでした。 最終的には少しでも一緒にいたくて、手術は一番遅い8日後の予約をして帰りました。 帰りの電車でも涙を止めることが出来ず、うつろとしながらクリスマスで賑わう町を通り、どうにか家に着いて鍵を内から閉めたとたん、声を上げて号泣しました。 主人に連絡したら慌てて電話がかかってきて、私の心配ばかりしてくれました。 でも、その優しさが逆に本当に申し訳なくて、謝ることしかできませんでした。
それから手術までの朝は本当に辛かった。 夢じゃない現実と、美月ちゃんとお別れしなければならないカウントダウンを止めることが出来ず、毎朝、声を上げて布団の中で泣いていました。 今までの人生で一番大声を上げて、ひたすら泣きました。 そして主人と話し合い、手術までに感謝の気持ちを伝えて笑顔で送ってあげようと決めました。 お別れまでに色んな景色を見せてあげたり、生まれて来たらしてあげたかったことをできる限りしよう、と。 ベビーボールなどを一緒に食べたり、姉のように慕っている人にも会いに行きました。 毎日のように出かけて、動物園や大阪城も家族3人で思い出を作りに行きました。 徐々におりものの匂いが変わり、美月ちゃんもお別れの準備をしているのを伝えてくれました。 それで腹を決めました。 手術の前準備などは痛いらしいが、これは私の出産なのだがら頑張ろうと。
手術自体はあっけない程、早く済みました。 麻酔で朦朧としている時に蝶の羽をつけた赤ちゃんの夢を見ました。光の中をフワフワ浮いていて、上手にお空に帰れるから大丈夫だと言っているように感じました。 麻酔が覚めてお腹に手を当てても、不思議なもので、美月ちゃんがいないことが分かりました。 トイレに行く度、出血を見て、現実に打ちのめされました。 とにかく寂しくて切なくて淋しかった。 出血は1週間位で止まりましたが、心はずーっと苦しかった。
初詣に行った時に厚い曇りが急に晴れ、鳥居と社の向こうにきれいな月が見えました。「明日はきっといい日になる」が聞こえてきて、二人が私を心配して話しかけているように感じました。 子供に心配をかけてはいけない、そう思えるきっかけになりました。
2カ月が経過した今でも、突然泣きたくなる時もあるけど、自分が二人を殺してしまったんじゃないかと思う日もあるけど、それでも二人が私の所に来てくれた事に後悔はありません。 本当に短い間だったけど、私は大切な二人のママになれました。 二人は私を苦しめようとは絶対に思っていない。 きっと二人は生まれたかったから頑張って頑張って子宮にくっついて、それでも難しくて命が絶えたのだと思います。 きっと私を守ってくれたんだとも思います。 そんな素敵な子供たちだから、どんなに辛くても、将来二人に会えた時に真っ直ぐ向き合って抱きしめてあげれるように、二人のママとしてこれからも心は一緒に生きていこうと思っています。
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