Title: 13週 流産 臍帯過捻転での死産
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皆さんの投稿を読ませていただきながら気持ちを整理しています。 第1子を流産しました。
平成28年8月1日、16週での「助産師外来」で普段通りエコーを診ていただく中、胎児の動きを認めないので「眠っているみたいですね、赤ちゃんは寝たり起きたりを繰り返しているのですよ」と言われたのが始まりです。 その後、心拍を確認するもののなかなか確認できず「わたくし助産師なので・・・検査技師に診ていただきましょうね」と言われました。 心拍を確認するだけなのに、そんな大変なことはないだろうと思いながら、まだその時点では混乱にも至っていませんでした。 でも、検査技師さんでも心拍の確認ができず、何度も確認しようとする様子はすぐに分かりました。 胎児のサイズをみていく中で、<12w3d>との表示に目が行き、ようやくその意味を理解しました。 もっと精密なエコーで医師に確認していただきましたが、やはり心拍は確認できませんでした。
医師からは、「通常一度の診察で確定することはしないこと、今回3人の目で確認し、見解は一致したものの、あってはならぬことではあるが見逃しの可能性もあること。とても重要なことであることから再度日を置いて診させていただくのが良いと思いますが、いかがでしょうか」とのことでした。 5日後に「子宮内胎児死亡」と診断を受け、妊娠16週であったのに対し、胎児は<13w2d>との結果が出ていました。
12週以降ということで前処置として1日、分娩に1日と、少なくとも2泊3日の入院をする旨を聞きました。 胎児のサイズが小さいこともあり、前処置の子宮頸管拡張のためのラミナリアは、計4回、徐々に増やしていきました。 3本までは処置時の痛みと、その直後15分程度痛みをがまんすれば、あとは部屋でリラックスして過ごすことができました。 しかし、最後の挿入で生理痛に似た腰部の鈍痛と子宮痛が起こり、夫に腰を擦ってもらいながら過ごしましたが眠れず、睡眠導入剤をいただいて就寝しました。 腹巻にカイロを貼って腹部や腰部を温めると楽でした。 助産師さんもレンジで温めるタイプの湯たんぽを用意してくださいました。
2日目は分娩のために朝から食事なし、ラミナリアを抜くことで嘘のように痛みがなくなりました。 その後、朝7時に陣痛誘発剤と水分補給のための点滴を受けて部屋で安静にして過ごしました。 1時間経過後には強烈な生理痛のような痛みがあり、分娩室へ。 胎児のサイズから子宮口が4cm程になっていれば分娩できるとのことでした。 分娩台に上がろうとした時に破水し、痛みが嘘のようになくなりました。 分娩台にあがってからは10分程で分娩したようです。 力み方もわからぬまま、助産師さんの誘導に合わせるようにして3回程力みました。正直、どのタイミングで我が子を出産したのか分かりませんでした。
13週程度ですと、胎盤も完成していないこともあり、分娩時に胎盤がきちんと出てこない場合があるそうです。 幸いエコーで確認してもらい、きれいに出たことが分かり、手術はせずに済みました。 先生からは、「赤ちゃんが亡くなってから長い間お腹の中にいたので少し浮腫んでいました。へその緒が一部糸のように細くなっていました。」と説明を受けました。
シルバーのトレーにタオルやガーゼを敷いていただいた上に眠っている我が子をみた時は、なぜか一瞬目にできただけで満足だったんですよね。夫や実母が赤ちゃんを見たいと言ってくれたことは大きな救いでした。
私はできるだけ悔いのないように自分が納得いく形で送り出してあげたいという思いの元、棺や枕・お布団、骨壺、入れてあげたい玩具やお菓子など分娩前に用意を済ませていたので、気持ち的な安心感があったと思います。 火葬の手配も自分で行いました。小さい小さい子なのでお骨が残るのかがとても気がかりでした。今は火葬が自動運転で火力を弱くする等はできないことを告げられ不安でしたが、分娩から3日後の15時〜火葬の予約を取りました。
クリニックでの納棺では、助産師さんが「良かったね、かわいいお布団だね」などと9cmの小さな我が子を、ひとりの人として丁寧に接してくださいました。その優しさが嬉しいのと、悲しさで涙が止まりませんでしたが、本当にありがたかったです。
実家に帰ってから火葬までの間はドライアイスを防水シートで包み棺の底に入れ、その上にお布団を敷いて、ガーゼに包んであげて寝せてあげていました。真夏の時期ですが、部屋の冷房とドライアイス、時々乾いてきてしまったらお水をふくませてあげることで、十分3日間過ごすことができました。 抱っこをしたり写真を撮ったり。 小さくてかわいそうかなと思いましたが手形も取りました。 臍の緒を希望したところ、いただくことができました。 なかなか写真を撮ることは悲しくて苦しくて抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、残しておけるものをできるだけ沢山残すことは、その後の気持ちの安定に繋がるような気がします。
無事に火葬が済み、ほんの僅かですがお骨を残してくれました。しっかりと鎖骨1本がそのままの形で残りました。 私達夫婦は葬儀をせず、家族のみで火葬という形を取りました。今はお花、お水、お菓子をお供えして、お線香を焚いて彼を想っています。気持ちが落ち着いたらお墓に埋葬する予定です。
今回の流産を経て私が感じたことは、例えお腹の中で我が子が亡くなっているとわかっていても母親になれたこと、それはかけがえのない事実であると。周囲の人は「次があるから大丈夫」等と励まそうとして言葉を掛けることがあるかもしれません。それは私にとって、次があれば今回の流産がなかったことにされるようでとても苦しいのですが、忘れなくていいんですよね。私はむしろ「次に進みたいのに進めないのではなく、進むのが怖い」のです。また同じ経験をするのかもしれないという気持ちは払拭できませんし、初産婦であった私は生を受ければ当然のように我が子が育つと思って過ごしていたため、もしも…もしも次に子を授かることができたとしても、今回のような気持ちで過ごすことはまずできないと感じています。「心配」ではなく「恐怖」なのです。
私と夫は仲の良い方だと思っていますが、それでも物事の捉え方には温度差があります。それによって悲しむこともあります。そんな時は夫にポコズママの会のサイトを見てもらったり、逆に夫の立場で物事を考えることも私自身必要かなと思っています。
最後に、我が子を亡くした事実は何も変わりなくとも、やはり周囲の方の寄り添う気持ち・共感が必要ですよね。子を失った事実だけでも苦しいのに、周囲に理解してもらえないことは本当に辛いことです。私もまだ日が浅く涙が尽きないのですが、こうして自分の気持ちを発信することで整理することもひとつの手段であると思っています。
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